【完結】王妃未満の彼女と小さな竜

朝日みらい

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第2章 王宮の手紙遊び

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 王都の朝は、いつだって少し慌ただしいです。  
 石畳を駆け抜ける馬車の音、露店の呼び声、香ばしい焼き菓子の匂い。  
 そんな活気ある街の片隅に、わたし――エルナ・シャル・フェルディナントは、王宮見習いとして暮らし始めていました。

 久しぶりに顔を上げる王城の門。  
 あの頃は遠い憧れの場所だったのに、今では毎日通う職場なのだと思うと、少しだけ背筋が伸びます。

 とはいえ、王妃見習いといっても、華やかさとは無縁でした。  
 わたしの担当は“書類整理”と“茶会の準備”、そして“薔薇園の世話”。  
 どれも地味で目立たない仕事ばかりです。

「……今日も、お手紙の練習をしましょうか。ね、リリィ」
「きゅ」

 机の片隅に置いた小さな陶の入れ物の中で、掌サイズの亀――リリィが、心地よさそうにまどろんでいます。  
 もちろん、召喚獣である彼女をそのまま王宮に持ち込むなんて、本当はご法度です。  
 でも“静かで穏やかな魔力の象徴”だからと、王妃付きの女官長さまが見逃してくださったのです。

「手紙ごっこ」と呼んでいる習慣が、いつしか日課になっていました。  
 内容はいつも、空想の“もしも”のお話。

『もし、わたしが王妃になったら――』  
『もし、王さまが嫉妬されたなら――』  
『もし、運命がひとつ違っていたなら――』

 現実には存在しない誰かに宛てて、夜な夜な綴る小さなラブレター。  
 ありもしない夢の中でだけ、ほんの少しだけ勇気を出せるのです。

 

 ◇ ◇ ◇


「フェルディナント嬢、また遅れてますよ」

「は、はいっ! も、申し訳ありませんっ!」

 王宮の大広間の扉を開けた途端、上司のきびしい声が響きました。  
 そして――その背後に立っていたのは、数年ぶりに見る“あの方”でした。

「……アルディス、殿下……」

 幼き日の面影を残しながらも、すっかり大人びたその姿。  
 深い碧の瞳に視線を奪われ、思わず手の中のトレイを落としかけました。

「おいおい、危ないな。昔から鈍くさいのは変わらないんだな」

 笑う口調は少し皮肉っぽいけれど、瞳の奥は懐かしい優しさで満ちていました。

「あ、あの……殿下が、どうしてここに?」
「当分の間、この王妃教育の監督を任された。まったく、退屈な仕事を押しつけられたもんだ」

「そ、そんなこと……っ」

 彼の指が、不意にわたしの手に触れました。  
 冷たさの中に、懐かしい熱があって、心臓が一瞬跳ねました。

「……相変わらず、手が小さいな」
「へ?」

「いや、昔からさ。覚えてないのか? 図書室で、震えてた君の手を握ったこと」
「っ……!」

 忘れてなんて、いるはずがありません。  
 胸の奥が、ふいにくすぐられるように痛みました。

(どうしよう。そんなこと、急に思い出させないでください……)

 リリィを隠しておいたポケットの中が、ちょこんと動きます。  
 まるで「顔、赤いですよ?」と指摘するみたいに。

「リリィ、静かにしてて……」
「リリィ?」

 殿下の眉がぴくりと動きました。

「なんだその名は。まさか……」
「あっ、えっと、それはちょっとした、えぇと……」

 慌てて胸もとを押さえますが、遅かったようです。  
 リリィがひょこりと頭を出し、のんびり「きゅ」と鳴きました。

「……連れてきてるのか。使い魔を」
「うぅ、すみませんっ。反省してます!」

 アルディス殿下は視線を合わせたまま、わずかに笑いました。  
 その笑みが柔らかすぎて、余計に心臓が忙しくなります。

「まったく……君は昔も今も、型破りだな」
「そ、そんなことありませんっ」
「いや、褒めてるんだ。――僕は、そういう“強い優しさ”が好きだ」

 その“好きだ”という言葉に、頭が真っ白になりました。

「す、好きって……」
「勘違いするな。性格の話だよ」

 わざとらしく肩をすくめる殿下。  
 その口元が少しだけ緩み、絶対わたしをからかっていると確信しました。

(ずるい……そういう顔、反則です……)


 ◇ ◇ ◇


 ―翌晩。

 仕事が終わり、わたしはいつものように机に向かっていました。  
 まっさらな羊皮紙の上に、インク瓶を傾ける。

『もし、あの方に名前を呼ばれたら――』

 筆が止まります。胸がどきどきして、うまく文字が書けません。

「ふう、だめですね……リリィ、どうしたらいいでしょうか」

「きゅ」

 リリィがまぶたを閉じたまま、ゆっくり首を動かしました。  
 彼女の背中には、ほんのり光が宿っています。

(落ち着こう。これはただの手紙遊び。誰にも見られない――はず)

 そう言い聞かせて続きを書きました。

『もし殿下が嫉妬なさったら、わたしは……どんな顔をすればいいのでしょう。泣いてしまうか、笑ってしまうか』

 最後に小さくため息をついて、紙を乾かそうと窓を開けました。

 冷たい夜風が吹き込み、カーテンが揺れます。  
 部屋の外は誰もいない――はずでした。

「なにを書いてるんだ?」

「ひゃあっ!?」

 驚いて振り向くと、そこには――アルディス殿下がいました。  
 窓辺に片手を置き、月明かりを背負って立っています。

「な、な、なぜここにっ!?」
「夜風が気持ちよさそうだったから、つい」

「ついじゃありませんっ!」

 慌てて手紙を隠しますが、間に合いません。  
 彼の視線が紙の一行をさらいました。

「……『嫉妬なさったら』、ね」

「っ~~~! 読んではいけませんっ!」

 必死に手を伸ばしましたが、殿下はわたしの額に軽く指を当てて止めました。  
 その仕草が優しくて、反論する気力が抜けてしまいそうです。

「これは……誰に宛てたんだ?」

「そ、それは……その……」

 喉がひゅっと鳴る。  
 指先が震えて、胸が熱くなって――。

「まさか、誰にも言えないようなことを書いてるのか?」
「……っひ、秘密です!」

 思いきって布をかぶせるように手紙を隠すと、彼は少しだけ意地悪そうに笑いました。

「そうか。なら、秘密のままでいい。……ただし」

 すっと手を伸ばして、わたしの頬に触れました。  
 指先がひやりと熱を伝え、全身が固まります。

「“もしも”じゃなくて、現実でも書いてくれ。――今度は王妃としてな」

「な、なにを仰って……!」

 どきん、と胸が鳴る音が聞こえそうでした。  
 こんな鼓動、リリィにまで聞こえてしまいそうです。

(だめ……そんな瞳で見られたら、勘違いしてしまいますっ)

 でも、殿下はにやりと微笑んで、

「冗談だよ、エルナ嬢。……ただ、君の“もしも”がいつか本当になったら、悪くないと思うけどね」

 そう言い残して、窓枠を軽やかに飛び越え、夜風の中へ消えていきました。

 呆然と立ち尽くすわたしの足元で、リリィがぽつりと鳴きました。

「……まったくもう、リリィ。殿下って、本当にずるいですよね」

「きゅ」

「優しくて、意地悪で……ほんの少しだけ、好きになっちゃいそうです」

 そう口にしたとき、胸の奥がほんのり熱くなりました。  
 月光はやさしく差し込み、リリィの甲羅を淡く照らしていました。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。  
 わたしの机の引き出しの中に、一通の封筒が入っていました。

 封蝋には――王弟殿下の紋章。

『手紙を書く時、リリィを僕の部屋に呼んでいい』
『たまには“宛先”のある手紙も悪くないだろう?』

 端のほうにそう一筆添えられており、思わず顔が真っ赤になりました。

「……殿下の、ばかぁ」

 でもその“ばか”を言いながら、口元がどうしても緩んでしまいます。

 リリィを抱き上げて、わたしはそっと囁きました。

「リリィ、わたし、どうしましょう。  
 この心、もう封をしたって――届けてしまいそうです」

 リリィは今日も“きゅ”と鳴いて、わたしの指先を優しく噛みました。
 それが「隠しても無駄ですよ」と言っているようで、くすぐったくて、どうしようもなく嬉しくて。
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