【完結】十年ぶりに帰ってきた弟子が私を慕いすぎて困っています!

朝日みらい

文字の大きさ
2 / 6

第2章 押しかけ弟子(?)

しおりを挟む
 その翌朝。
 私はいつものように早起きしてアトリエの掃除をしていたのですが……すでに誰かの気配がありました。

「おはようございます、セレナ様!」

 ――ユリウスです。
 窓を開け放してやや冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、きらきらと爽やかな笑顔。

「……ずいぶん早いのですね」
「はい、これからはセレナ様と一緒に暮らすのですから」
「……だれがそんなことを」

 思わず眉をひそめた私の横で、ユリウスはごく自然にモップを手に取り、床を磨きはじめるではありませんか。

「ちょ、ちょっと待ってください! 弟子にそんなことをさせるつもりは――」
「弟子じゃありませんよ。……いえ、弟子でもありますけど、同時に、あなたの隣にいる者でもいたいんです」

 にっこりとしたその笑顔が憎らしいほどまぶしい。
 しかも拭き掃除の手際が妙にいい。

「あの……私、あなたに家事など頼んだ覚えは」
「お世話させてください。僕、こういうの得意なんです」
 言い切って、食器まで磨きはじめる始末。
 まるで有能な従僕を得てしまったようで、私は苦笑するしかありませんでした。


 午前中、キャンバスに向かっていると、背後から声がしました。

「僕を描いてください」

「え?」
 振り返ると、ユリウスが姿勢よく立っています。まさか、モデルを名乗り出るなんて思いませんでした。

「いやですか?」
「いや、ではなく……どうして」
「あなたに見てほしいからです。子どもの頃の僕ではなく、大人になった僕を」

 ……つまり見栄を張りたいだけなのでは、と口に出しかけましたが、彼の真剣な瞳に遮られました。

「十年前は、いつも隣でセレナ様の背中ばかり見ていました。でもこれからは――目を真っ直ぐに合わせたい」

 心臓が、また軽く跳ねました。
 私は絵筆を持ち直し、「わかりました。ただし、静かに座っていてくださいね」と答えるしかありませんでした。


 描きはじめると、集中しているはずの私でも妙に緊張してしまいました。
 ――視線が、合う。

 モデルというのは本来、視線を固定するものです。けれどユリウスは、折々にこちらを見つめてくるのです。

「目を逸らさないで」
「……そんな風に言われたら、もっと逸らせなくなります」
 私が慌てると彼は小さく笑いました。

 彼の髪に光が宿り、鋭い線の輪郭、引き締まった体つき――あの時の少年を微塵も感じさせません。
 筆先が震えそうになるのを必死に抑えて、私は描きつづけました。


 昼食の時も、夕食の時も、彼は黙って当然のように手を貸してきました。
「野菜はもっと細かい方がいいですよ」
「洗い物は僕が」

「……あの、ユリウス?」
「なんですか?」
「あなた、本当に絵を学びに来たんですよね?」
「ええ、もちろん。それと同じくらいセレナ様のお世話もしたいんです」
「…………」

 真顔で言われると冗談にできません。


 夕暮れ、アトリエに西日が落ちるころ、片付けをしていた私の背に、ふいに温かい布が掛けられました。

「……風に当たりすぎていましたから」
 いつの間に持ってきたのか、ユリウスが薄いショールを私の肩にかけていたのです。

 一歩後ろに立つ彼の距離。
 振り返れば、指先が髪にそっと触れる。

「……少し乱れていましたので」

「……ユリウス」
 抗議を込めて名を呼ぶのに、彼は素知らぬふうにただ微笑む。

 ずるい。そう思った瞬間、胸がまた早鐘を打ちました。


 その夜。
 私は一人ベッドに横たわりながら思いました。

 ――困った。

 突然帰って来たと思ったら、あっという間に生活に入り込んでくる。
 師弟として……と自分に言い聞かせようとするのに、彼のささいな優しさに胸が揺れてしまう。

 窓の外、月明かりの照らす庭。
 ユリウスは離れに寝ているはずなのに、なぜかその存在を強く意識して眠れませんでした。

「私……どうするつもりなのかしら」

 まだ答えは出せない。
 けれど、明日も彼が当然のように隣に立っていることだけはわかっていました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

婚約破棄したら食べられました(物理)

かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。 婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。 そんな日々が日常と化していたある日 リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる グロは無し

あっ、追放されちゃった…。

satomi
恋愛
ガイダール侯爵家の長女であるパールは精霊の話を聞くことができる。がそのことは誰にも話してはいない。亡き母との約束。 母が亡くなって喪も明けないうちに義母を父は連れてきた。義妹付きで。義妹はパールのものをなんでも欲しがった。事前に精霊の話を聞いていたパールは対処なりをできていたけれど、これは…。 ついにウラルはパールの婚約者である王太子を横取りした。 そのことについては王太子は特に魅力のある人ではないし、なんにも感じなかったのですが、王宮内でも噂になり、家の恥だと、家まで追い出されてしまったのです。 精霊さんのアドバイスによりブルハング帝国へと行ったパールですが…。

記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛

三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。 ​「……ここは?」 ​か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。 ​顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。 ​私は一体、誰なのだろう?

断罪された私ですが、気づけば辺境の村で「パン屋の奥さん」扱いされていて、旦那様(公爵)が店番してます

さら
恋愛
王都の社交界で冤罪を着せられ、断罪とともに婚約破棄・追放を言い渡された元公爵令嬢リディア。行き場を失い、辺境の村で倒れた彼女を救ったのは、素性を隠してパン屋を営む寡黙な男・カイだった。 パン作りを手伝ううちに、村人たちは自然とリディアを「パン屋の奥さん」と呼び始める。戸惑いながらも、村人の笑顔や子どもたちの無邪気な声に触れ、リディアの心は少しずつほどけていく。だが、かつての知り合いが王都から現れ、彼女を嘲ることで再び過去の影が迫る。 そのときカイは、ためらうことなく「彼女は俺の妻だ」と庇い立てる。さらに村を襲う盗賊を二人で退けたことで、リディアは初めて「ここにいる意味」を実感する。断罪された悪女ではなく、パンを焼き、笑顔を届ける“私”として。 そして、カイの真実の想いが告げられる。辺境を守り続けた公爵である彼が選んだのは、過去を失った令嬢ではなく、今を生きるリディアその人。村人に祝福され、二人は本当の「パン屋の夫婦」となり、温かな香りに包まれた新しい日々を歩み始めるのだった。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

処理中です...