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第五章

第39話

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 クララは、突然、弾かれたように唇を引っ込めた。
 手を口にあてて、瞳を潤ませている。

 次第に大粒の涙が、ほほを伝ってこぼれ落ちた。

「……そろそろ、寮に行く時間だわ」

 クララは、顔を背けて、ハンカチで目頭を抑えた。

「クララ様、一旦、引き返しましょう」

 セリストが、クララの腕に触れようとした。

 すると、クララはその手を払いのけて、今日中に行くと言ったきり、押し黙ってしまった。

 ヘルドラル皇国の中心部にある、神官庁舎の大聖堂に向けて、馬車は出発した。

 空の光は影を帯び、山の裾が夕陽で赤く色付きを始めている。

 クララは、湖畔に来た時の陽気さとは打って変わって、物思いに沈んだように、黙り込んでいる。

 そして、時折、セリストの彫りの深い顔立ちを、忘れまいと食い入るように見つめていたかといえば、急に恥じらうように視線を、夕陽が差す小窓に向けていたりする。

 セリストは、そんなクララを何とか引き留められないかと、あれこれ考えを巡らした。

 だが、あの小舟で交わした接吻が、皮肉にも、彼女の決意をより一層、深く、固くしてしまったようだった。

 あんな誘いに乗るべきではなかったのだと、セリストは後悔するのだった。

 無情にも馬車は、灰色の大聖堂の入り口に到着した。
 聖堂の周りは高い塀で囲まれていて、外界と完全に隔絶している。
 
 クララは、セリストには目もくれずに、スタスタと馬車から降りて、優に3メートルはありそうな鉄扉を見あげた。

 鉄扉の脇には小さな扉がある。

 そこに丸い円状の金具が据え付けられており、それを扉に打ち付ければ、内側から神官庁の職員が中に招きいれられる。

「クララ様、待ってください」
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