【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~

朝日みらい

文字の大きさ
18 / 20

第18章 25通目の手紙

しおりを挟む
 王都を離れる馬車の中で、わたしはずっと窓の外を眺めていました。  
 遠ざかる城壁、うねる緑の丘。  
 王城の白い塔が霞に消えたとき、ようやく息ができるような気がしました。

 肩にかけられた外套の温もりは、アルフォンス様のものです。  
 隣の彼は黙したまま窓を見ていましたが、その横顔には以前よりも穏やかな光が宿っていました。

「お前は静かだな」  
「はい。ようやく終わったのだと、そう思って」

「そうか。……だが、まだ終わっていない」

 驚いて顔を向けると、彼の唇がわずかに動きました。

「お前の25通目を、まだ受け取っていない」

 胸の奥がくすぐったくなり、思わず笑ってしまいました。  
「そうでしたね。これで、最後の一通になるのですね」

「書くのか?」

「ええ。帰ったらすぐに」



 数日後、グラウベル領に戻ると、屋敷は春そのものの景色に変わっていました。  
 白花の庭が再び咲き誇り、温室の中では若いつぼみたちが息づいています。

「お帰りなさいませ、奥様!」  
 ソフィとリオネルが駆け寄り、涙ぐみながら笑いました。  
 その懐かしい声に胸がいっぱいになります。

「ただいま。……ただいま戻りました」

 見上げた空は眩しく、もう雪はどこにもありません。  
 あの氷の季節は、すべて過去になったのです。



 夜。  
 暖炉の火が静かに揺れる書斎で、わたしは深呼吸をしてからペンを取りました。  
 長い旅の終わりに、ようやく書くことのできる最後の一通――  
 25通目の手紙。

『25通目。  
 これまで泣きながら書いた手紙も、想いを隠すために書いた手紙も、  
 今夜のように静かで穏やかな気持ちで書けたことはありません。  
 今はもう、涙の代わりに笑顔を書けそうです。』

 ペンを置いた瞬間、背後からそっと温もりが近づいてきました。  
 気づけば肩に温かい手が置かれています。

「……やはり書いていたか」

 振り向くと、アルフォンス様が立っていました。  
 淡い光の下で、その灰色の瞳がやわらかく笑んでいます。

「これで25通目だそうだな」  
「はい。これで終わりです」

「終わりか」

 彼は少しだけその言葉を噛みしめるように繰り返しました。  
 それから、わたしの肩を軽く引き寄せます。  
 背が触れ、息が混じる距離で囁かれました。

「もう手紙はいらない。これからは、俺がその言葉を聞く。」

「……そんなことを仰ると、筆が持てなくなってしまいますわ」

「それもいい」

 唇の端が小さくゆるみ、そのまま彼の額がわたしの肩に触れました。  
 初めて見るほど安らかな表情。  
 あの厳格な氷の侯爵が、今は穏やかな春の人のように。

「お前がこの手で俺を作り直した。  
 25通の手紙が、俺を人間にしたんだ」

「そんな……わたしはただ、思いを綴っただけです」

「お前の思いが、俺の心を動かした。  
 それがすべてだ」

 胸の奥がじんと熱くなり、言葉が出ませんでした。  
 彼の手がわたしの頬へ伸び、優しく触れます。  
 その指先の温もりに、知らず涙がこぼれました。

「せっかくの25通目だ。笑顔だけ書くつもりだったのにな」

「涙も、手紙の一部だろう」

 小さく笑うその声が、耳元でやさしく溶けていきました。  
 長い時間をかけて、ようやく触れた確かな幸福の音でした。



 深夜、外に出ると、白花の庭が月明かりに照らされていました。  
 風がそよぎ、花々がささやくように揺れます。

 アルフォンス様が後ろから腕を回し、わたしを抱きしめました。  
 その腕の中で、わたしは小さく息をつきます。

「春は、もう終わりませんね」

「ああ。これからはずっと続く」

 その言葉に、心から微笑みました。  
 庭を渡る風が白花の香りを運び、まるで過去の痛みを優しく包み込んでいくようでした。

『25通目、完。  
 これから先は、共に紡ぐ“未来の手紙”として綴っていきます。』

 そう心の中でそっと呟き、わたしは彼の胸に寄り添いました。  

 月が、白花の庭を静かに照らし出しています。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】傲慢にも程がある~淑女は愛と誇りを賭けて勘違い夫に復讐する~

Ao
恋愛
由緒ある伯爵家の令嬢エレノアは、愛する夫アルベールと結婚して三年。幸せな日々を送る彼女だったが、ある日、夫に長年の愛人セシルがいることを知ってしまう。 さらに、アルベールは自身が伯爵位を継いだことで傲慢になり、愛人を邸宅に迎え入れ、エレノアの部屋を与える暴挙に出る。 挙句の果てに、エレノアには「お飾り」として伯爵家の実務をこなさせ、愛人のセシルを実質の伯爵夫人として扱おうとする始末。 深い悲しみと激しい屈辱に震えるエレノアだが、淑女としての誇りが彼女を立ち上がらせる。 彼女は社交界での人脈と、持ち前の知略を駆使し、アルベールとセシルを追い詰める貴族らしい復讐を誓うのであった。

(完結)無能なふりを強要された公爵令嬢の私、その訳は?(全3話)

青空一夏
恋愛
私は公爵家の長女で幼い頃から優秀だった。けれどもお母様はそんな私をいつも窘めた。 「いいですか? フローレンス。男性より優れたところを見せてはなりませんよ。女性は一歩、いいえ三歩後ろを下がって男性の背中を見て歩きなさい」 ですって!! そんなのこれからの時代にはそぐわないと思う。だから、お母様のおっしゃることは貴族学園では無視していた。そうしたら家柄と才覚を見込まれて王太子妃になることに決まってしまい・・・・・・ これは、男勝りの公爵令嬢が、愚か者と有名な王太子と愛?を育む話です。(多分、あまり甘々ではない) 前編・中編・後編の3話。お話の長さは均一ではありません。異世界のお話で、言葉遣いやところどころ現代的部分あり。コメディー調。

この恋を忘れたとしても

喜楽直人
恋愛
卒業式の前日。寮の部屋を片付けていた私は、作り付けの机の引き出しの奥に見覚えのない小箱を見つける。 ベルベットのその小箱の中には綺麗な紅玉石のペンダントが入っていた。

妹と王子殿下は両想いのようなので、私は身を引かせてもらいます。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるラナシアは、第三王子との婚約を喜んでいた。 民を重んじるというラナシアの考えに彼は同調しており、良き夫婦になれると彼女は考えていたのだ。 しかしその期待は、呆気なく裏切られることになった。 第三王子は心の中では民を見下しており、ラナシアの妹と結託して侯爵家を手に入れようとしていたのである。 婚約者の本性を知ったラナシアは、二人の計画を止めるべく行動を開始した。 そこで彼女は、公爵と平民との間にできた妾の子の公爵令息ジオルトと出会う。 その出自故に第三王子と対立している彼は、ラナシアに協力を申し出てきた。 半ば強引なその申し出をラナシアが受け入れたことで、二人は協力関係となる。 二人は王家や公爵家、侯爵家の協力を取り付けながら、着々と準備を進めた。 その結果、妹と第三王子が計画を実行するよりも前に、ラナシアとジオルトの作戦が始まったのだった。

【完結】伯爵令嬢は婚約を終わりにしたい〜次期公爵の幸せのために婚約破棄されることを目指して悪女になったら、なぜか溺愛されてしまったようです〜

よどら文鳥
恋愛
 伯爵令嬢のミリアナは、次期公爵レインハルトと婚約関係である。  二人は特に問題もなく、順調に親睦を深めていった。  だがある日。  王女のシャーリャはミリアナに対して、「二人の婚約を解消してほしい、レインハルトは本当は私を愛しているの」と促した。  ミリアナは最初こそ信じなかったが王女が帰った後、レインハルトとの会話で王女のことを愛していることが判明した。  レインハルトの幸せをなによりも優先して考えているミリアナは、自分自身が嫌われて婚約破棄を宣告してもらえばいいという決断をする。  ミリアナはレインハルトの前では悪女になりきることを決意。  もともとミリアナは破天荒で活発な性格である。  そのため、悪女になりきるとはいっても、むしろあまり変わっていないことにもミリアナは気がついていない。  だが、悪女になって様々な作戦でレインハルトから嫌われるような行動をするが、なぜか全て感謝されてしまう。  それどころか、レインハルトからの愛情がどんどんと深くなっていき……? ※前回の作品同様、投稿前日に思いついて書いてみた作品なので、先のプロットや展開は未定です。今作も、完結までは書くつもりです。 ※第一話のキャラがざまぁされそうな感じはありますが、今回はざまぁがメインの作品ではありません。もしかしたら、このキャラも更生していい子になっちゃったりする可能性もあります。(このあたり、現時点ではどうするか展開考えていないです)

【完結】忌み子と呼ばれた公爵令嬢

美原風香
恋愛
「ティアフレア・ローズ・フィーン嬢に使節団への同行を命じる」  かつて、忌み子と呼ばれた公爵令嬢がいた。  誰からも嫌われ、疎まれ、生まれてきたことすら祝福されなかった1人の令嬢が、王国から追放され帝国に行った。  そこで彼女はある1人の人物と出会う。  彼のおかげで冷え切った心は温められて、彼女は生まれて初めて心の底から笑みを浮かべた。  ーー蜂蜜みたい。  これは金色の瞳に魅せられた令嬢が幸せになる、そんなお話。

存在感と取り柄のない私のことを必要ないと思っている人は、母だけではないはずです。でも、兄たちに大事にされているのに気づきませんでした

珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれた5人兄弟の真ん中に生まれたルクレツィア・オルランディ。彼女は、存在感と取り柄がないことが悩みの女の子だった。 そんなルクレツィアを必要ないと思っているのは母だけで、父と他の兄弟姉妹は全くそんなことを思っていないのを勘違いして、すれ違い続けることになるとは、誰も思いもしなかった。

とある侯爵令息の婚約と結婚

ふじよし
恋愛
 ノーリッシュ侯爵の令息ダニエルはリグリー伯爵の令嬢アイリスと婚約していた。けれど彼は婚約から半年、アイリスの義妹カレンと婚約することに。社交界では格好の噂になっている。  今回のノーリッシュ侯爵とリグリー伯爵の縁を結ぶための結婚だった。政略としては婚約者が姉妹で入れ替わることに問題はないだろうけれど……

処理中です...