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最終回
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わたしは、その晩、これまでのスケッチを広げて、一冊の画集を作ろうと思い立った。
将来、アルデレッド様と婚約して、もしかしたら、あらがうこともかなわず、結婚することになるかもしれない。だからこそ、これまで描きためたものを改めて、一冊の画集にまとめておきたかった。
父、母、祖母、そしてなにより愛おしいフェリス様のことを忘れたくない。
フェリス様のスケッチはたくさんある。けれど、尊敬している父の姿をしっかり描いたことは、物心ついてから無かった。
日曜の休日、地区の礼拝が終わった後の帰りの馬車で、わたしは父を描きたいと申し出た。
父は快く承諾してくれた。
庭先のベランダで、父は膝掛け椅子に腰かけて、わたしは向かいで、木炭走らせる。
「よかったら、父さんに絵を見せてくれないか。大きくなったら、まったく見せてくれないから。駄目か」
わたしは、少し迷ったあとで、
「いいわよ」
と、スケッチ帳を差し出す。
父は、丁寧にページをめくり、最後まで見終わった。
そして、わたしに目を細めて、
「おまえ、モデルの彼の名前は、何というのかい?」
「フェリス様……です」
「彼のことが好き、なんだろう?」
「……なぜ、そんなことを、おっしゃるの?」
「そう、絵で気持ちが伝わったからだ。幼いころからしゃべるより絵を描くのが上手なお前だ。他人はお前の人生は歩めない。一度きりの人生、よく考えなさい」
「……ありがとう、お父様」
わたしがそういうと、父は軽く微笑して、部屋を出て行った。
それから、メイン湖畔のレミングズ・ホテルに、アスタルテ公爵夫妻とアルデレッド令息、そしてわたしたち、アーセル家との家族どおしが、宴会場を貸し切って、真珠のちりばめられた長いテーブルごしに向き合っていた。
祖母は上機嫌だったし、アルデレッド様もきっちりとした深い紺色のシルクのびろをきている。
両家が湖で獲れた魚料理と、白ワインを飲みながら(未成年のアルデレッド様は白ブドウのジュースとわたしは紅茶だった)、あたりさわりのない世間話で談笑していた。
その時、廊下から話し声と足音がした。そして、ノックとともにメイドが扉を開き、
「フェリス・オークランド男爵様が、メルテル様にご用事があると、早馬で来られました。どうなさいますか」
「ごめんなさい。わたし……」
わたしは立ち上がった。
ホークを持つ手を置いて、ナプキンで口元を拭う。
バックから、スケッチをまとめた画集を取り出す。
「……ごめんなさい、アルデレッド様」
わたしが背を向けて、出口に向けて歩き出そうとする。祖母は、首をひねりながら、わたしをとがめるように睨み、
「メルテル。行くのは、およし。大事な方の前で、はしたないですよ。お座りなさい!」
わたしが歩みをとめると、
「メルテル。早くいきなさい」
初めて、父が祖母に反論したのだ。
「お父様……!」
祖母は、となりの父を見て、
「お前、いったい、何を……」
「お母様。行かせてやってください」
父は、そう言うと、祖母を腕で制止した。
「ありがとう」
わたしは、脇にバインダーを抱えて広間を出て、廊下で待っていたフェルト様に向かって駈け寄った。
「行こう、メルテル」
フェリスは、わたしの手を握って、走り出す。エントランスを抜け、木陰で休ませていた白馬にまたがると、わたしを背中に乗せ、
「しっかり、つかまっていて」と言う。
「はい!」
わたしは彼の胸に腕を回して、彼の背中に顔を押し付ける。
ピクニックに行った丘の上まで駆けあがって、開けた草原で馬をとめる。
わたしを馬からそっとおろして、馬のたずなを近くの大木の枝に結わえると、わたしたちはあらためて向き合い、互いの顔を近づける。
「ごめん。君を勝手に連れ出して……。やっぱり、ぼくは君には婚約してほしくなくて。たえきれなくて、馬で走ってきてしまった。できれば、僕と婚約してほしいんだけど。だめですか?」
「ダメなんてありえない。……うれしい」
わたしは、ふきこぼれる涙を、彼の胸板でおし隠した。
「メルテル。騎士の仕事は危険が伴うし、各地を転々とするから、慣れない土地で苦労するよ」
「なら……わたし、かえって、喜んでついていくでしょうね」
わたしは、笑顔で彼の心配そうな顔をのぞきこんだ。
「どうして?」
「だって、わたし、フェリス様といろんな景色を見ることができますもの。そうしたら、もっとたくさんの絵を描くことができる。あなたとの画集を増やしていきたいのよ」
「そうだね。きみといっしょに、いろいろな景色を見たいな」
「……フェリス、わたしの永遠のモデルになってくださる?」
「もちろんだよ。永遠に愛し続ける。約束するよ」
彼はわたしの肩をひきよせて、熱い接吻をした。
将来、アルデレッド様と婚約して、もしかしたら、あらがうこともかなわず、結婚することになるかもしれない。だからこそ、これまで描きためたものを改めて、一冊の画集にまとめておきたかった。
父、母、祖母、そしてなにより愛おしいフェリス様のことを忘れたくない。
フェリス様のスケッチはたくさんある。けれど、尊敬している父の姿をしっかり描いたことは、物心ついてから無かった。
日曜の休日、地区の礼拝が終わった後の帰りの馬車で、わたしは父を描きたいと申し出た。
父は快く承諾してくれた。
庭先のベランダで、父は膝掛け椅子に腰かけて、わたしは向かいで、木炭走らせる。
「よかったら、父さんに絵を見せてくれないか。大きくなったら、まったく見せてくれないから。駄目か」
わたしは、少し迷ったあとで、
「いいわよ」
と、スケッチ帳を差し出す。
父は、丁寧にページをめくり、最後まで見終わった。
そして、わたしに目を細めて、
「おまえ、モデルの彼の名前は、何というのかい?」
「フェリス様……です」
「彼のことが好き、なんだろう?」
「……なぜ、そんなことを、おっしゃるの?」
「そう、絵で気持ちが伝わったからだ。幼いころからしゃべるより絵を描くのが上手なお前だ。他人はお前の人生は歩めない。一度きりの人生、よく考えなさい」
「……ありがとう、お父様」
わたしがそういうと、父は軽く微笑して、部屋を出て行った。
それから、メイン湖畔のレミングズ・ホテルに、アスタルテ公爵夫妻とアルデレッド令息、そしてわたしたち、アーセル家との家族どおしが、宴会場を貸し切って、真珠のちりばめられた長いテーブルごしに向き合っていた。
祖母は上機嫌だったし、アルデレッド様もきっちりとした深い紺色のシルクのびろをきている。
両家が湖で獲れた魚料理と、白ワインを飲みながら(未成年のアルデレッド様は白ブドウのジュースとわたしは紅茶だった)、あたりさわりのない世間話で談笑していた。
その時、廊下から話し声と足音がした。そして、ノックとともにメイドが扉を開き、
「フェリス・オークランド男爵様が、メルテル様にご用事があると、早馬で来られました。どうなさいますか」
「ごめんなさい。わたし……」
わたしは立ち上がった。
ホークを持つ手を置いて、ナプキンで口元を拭う。
バックから、スケッチをまとめた画集を取り出す。
「……ごめんなさい、アルデレッド様」
わたしが背を向けて、出口に向けて歩き出そうとする。祖母は、首をひねりながら、わたしをとがめるように睨み、
「メルテル。行くのは、およし。大事な方の前で、はしたないですよ。お座りなさい!」
わたしが歩みをとめると、
「メルテル。早くいきなさい」
初めて、父が祖母に反論したのだ。
「お父様……!」
祖母は、となりの父を見て、
「お前、いったい、何を……」
「お母様。行かせてやってください」
父は、そう言うと、祖母を腕で制止した。
「ありがとう」
わたしは、脇にバインダーを抱えて広間を出て、廊下で待っていたフェルト様に向かって駈け寄った。
「行こう、メルテル」
フェリスは、わたしの手を握って、走り出す。エントランスを抜け、木陰で休ませていた白馬にまたがると、わたしを背中に乗せ、
「しっかり、つかまっていて」と言う。
「はい!」
わたしは彼の胸に腕を回して、彼の背中に顔を押し付ける。
ピクニックに行った丘の上まで駆けあがって、開けた草原で馬をとめる。
わたしを馬からそっとおろして、馬のたずなを近くの大木の枝に結わえると、わたしたちはあらためて向き合い、互いの顔を近づける。
「ごめん。君を勝手に連れ出して……。やっぱり、ぼくは君には婚約してほしくなくて。たえきれなくて、馬で走ってきてしまった。できれば、僕と婚約してほしいんだけど。だめですか?」
「ダメなんてありえない。……うれしい」
わたしは、ふきこぼれる涙を、彼の胸板でおし隠した。
「メルテル。騎士の仕事は危険が伴うし、各地を転々とするから、慣れない土地で苦労するよ」
「なら……わたし、かえって、喜んでついていくでしょうね」
わたしは、笑顔で彼の心配そうな顔をのぞきこんだ。
「どうして?」
「だって、わたし、フェリス様といろんな景色を見ることができますもの。そうしたら、もっとたくさんの絵を描くことができる。あなたとの画集を増やしていきたいのよ」
「そうだね。きみといっしょに、いろいろな景色を見たいな」
「……フェリス、わたしの永遠のモデルになってくださる?」
「もちろんだよ。永遠に愛し続ける。約束するよ」
彼はわたしの肩をひきよせて、熱い接吻をした。
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