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 それからの数日間、わたしはもやもやした気持ちを抱えたままだった。

 フェリスにモデルになってもらい、絵を描いていても、どこか、上の空だった。

 いつも通り、彼の姿を描いているのに、どんどん遠くにいってしまう気がしてならない。

 ……フェリス様はわたしの絵に真剣に向き合ってくださっているわ。ダメだわ。今は、余計なことを考えないで、わたしも真剣に彼と向き合って絵を描かないといけないわ。まずは文化祭のポスターを仕上げないといけない。

 或る晩、わたしは自室にこもり、机に書き溜めたラフ画を広げた。

 脳裏に、ふっと彼が肩に止まった小鳥をやさしく指先で戯れる姿が思い出される。

 彼のたくさんのデッサン中で、一番、彼らしい一面だと思った。

 それは意外だけれど、彼が湖畔の岩場に腰かけた時に、偶然、小鳥が舞い降りてきた時に見せた、慈愛に満ちた優しい眼差しだった。

 これまでの彼の印象は、運動場や剣術で険しくて、勇ましい顔つきと、筋肉の躍動感しかなかった。

 けれど、いろいろな彼を描いてみて、一番に選んだのは、剣でも肉体でもなくて、繊細で優しい一面だった。

 わたしは、その一枚を大きなポスター用の画用紙に、一晩眠らずに描いた。


 翌日の放課後、わたしは、下書きをフェリスに見せると、彼は一瞬、驚いたようだった。

 けれど、さらにじっくりと絵を眺めながら、

「ぼくのこんなところを見つけてくれたなんて。嬉しい」

と、言ってくれた。

「ありがとう。うれしいわ」

「ぼくの家系は、代々、王家に仕える騎士だからね。こうした生き物に対しての情けは、敵に弱みを見せるから飼っては駄目だと、父上から言われてきたんだ。絵を描くことも、意味がないとね。愛よりまずは剣だとも教わったよ」

「実はわたし、おばあ様から、アルドレッド・アスタルテ公爵様との縁談を勧められているのです」

「そうですか……。アスタルテ公爵家は、王家の血筋につながる名家ですからね。よい縁談と思う」

 そう言ってしばらくフェリスはだまっていた。それから、

「それで、メルテル様はどう思っておられるのですか」

「わたしは……まだ、迷っています」

 そういって、彼の顔を見上げた。いつもの快活な表情に陰がさしている。

 わたしは、すがるような気持ちで、彼を見つめていった。

「わたしがもし本当に婚約したら、どう思われます?」

「ごめんなさい。ぼくは今はどなたとも、結婚をする気は無いから」

「それは、なぜですの?」

「騎士の仕事は危険が伴うし、若いうちは、一年中、国中の駐屯地に派遣される。母も慣れない土地で苦労していたのを、幼いころからよく知っている。だから、ぼくの妻になる女性は、きっと苦労するから」

「そ、そうですの……。でも4日後、わたしはアルデレッド様とお会いする予定なのです。メイン湖湖畔の、あの小さなレミングズ・ホテルの『星空の間』で、朝の10時にお会いすることになるのです」

「……たのしい会食になるといいね」

 彼は、背を向けて、足早に遠ざかっていく。

「……フェリス様」

 彼はわたしのこと、どう思ってくだっているのから。

 彼は優しい。けれど、わたしを強く引き留めようとはしてくれない。

 本当なら、わたしを強引に引き寄せて、

「婚約するな。結婚しないでほしい」と、言ってほしかった。

 振り子みたいに揺れる心を、引き留めてほしいかったのに……。

 わたしは、肩をすぼめながら、馬車で帰路についた。
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