1 / 6
第一章 追放された令嬢
しおりを挟む
母を亡くしたのは、わたしが七歳のときでした。
正直に言うと、それからの記憶はあまり鮮明ではありません。なぜなら、あの日を境にわたしの毎日は、寒くて暗い廊下を歩くようなものになってしまったからです。
わたし、アナスタシアは、ローゼウッド侯爵家の令嬢です。しかし、継母と異母妹にとって、わたしはただ同じ屋根の下にいる「居ない方がいい存在」だったのだと思います。
「アナスタシアったら、また笑っていないのね。まるで人形みたいで、気味が悪いわ」
昔言われたその言葉が、今でも胸に残っています。幼い頃は泣いたり怒ったりもしましたが、やがて声を出せば出すほど冷たい視線が降りかかることを悟りました。だから、わたしは黙ることを覚えてしまったのです。笑うことさえも。
社交界ではいつしか「無表情の令嬢」と噂されるようになりました。舞踏会で誘われても、相手の視線はいつもわたしをからかっているようでしたし、踊っていても楽しいはずがありません。それならば、いっそ最初から一人でいる方がましだと、ずっと思っていました。
そして十六歳の年、決定的な出来事が起きました。王国の伝統行事である「真実の花儀式」の場でのことです。
この儀式では、王家の後援のもと、若い令嬢たちが「花紋石」と呼ばれる水晶に手をかざします。心が清らかで、未来を選ばれた者だけに花が咲くとされています。
「どうぞ、アナスタシア嬢」
石へ手を伸ばすよう促されたとき、緊張で鼓動が跳ねました。しかし、何も咲きませんでした。淡い光さえ、影も差さず。石の表面に映るのは、無表情な自分だけ。
「……まあ、咲かないなんて」
「やっぱり。あのローゼウッドの娘よ?」
ささやき声が広がり、場の空気は一瞬で冷えきりました。父は顔をしかめ、継母は唇の端を吊り上げ、異母妹は「ほら、見たことか」とでも言うように目を輝かせていました。
その夜、父から告げられた言葉が、今も耳に焼き付いています。
「アナスタシア、おまえはもう家に必要ない。花儀式で選ばれなかった以上、婚約者も望めまい。……ローゼウッドの名を背負わせるわけにはいかない」
背筋が凍るようでした。
恥、ですって?
役立たず、ですって?
涙は出ませんでした。泣くより先に、ただ息が喉に詰まるようでした。
「明朝には馬車を用意する。おまえは辺境の村で余生を過ごせ」
父の冷然とした声に、最後の縁すら断ち切られた気がしました。
翌日、重たい扉が背中で閉ざされたとき、わたしは初めて心から「居場所」がなくなったのだと悟ったのです。
涙は流れませんでした。なぜなら、泣き方すら忘れてしまったから。
小さなトランク一つを抱えて、わたしは馬車に乗り込むしかありませんでした。
「……さようなら」と、誰に向けたわけでもなくつぶやきました。声は震え、小さくかすれて、すぐに風に溶けました。
馬車はごとりごとりと石畳を抜け、やがて舗装の悪い田舎道を進んでいきました。窓の外には、次第に深い森と湖が見えてきます。行き先は「ノーザン村」だと告げられましたが、わたしはそれがどんな場所かすら知りませんでした。
侯爵令嬢として育った日々。煌びやかなドレス、舞踏会、計算された微笑みと駆け引き――そのどれもが、もう二度と戻らない。わたしの胸には、ただ空っぽな穴だけが広がっていました。
馬車の揺れがひどく、次第に身体はこわばり、体力は簡単に削られていきました。こうしてわたしは、ノーザン村へ向かう道の途中、初めて「これからの自分」に怯え始めたのです。
(わたしは、ここからどう生きていけばいいの……?)
答えはまだ、どこにもありませんでした。
正直に言うと、それからの記憶はあまり鮮明ではありません。なぜなら、あの日を境にわたしの毎日は、寒くて暗い廊下を歩くようなものになってしまったからです。
わたし、アナスタシアは、ローゼウッド侯爵家の令嬢です。しかし、継母と異母妹にとって、わたしはただ同じ屋根の下にいる「居ない方がいい存在」だったのだと思います。
「アナスタシアったら、また笑っていないのね。まるで人形みたいで、気味が悪いわ」
昔言われたその言葉が、今でも胸に残っています。幼い頃は泣いたり怒ったりもしましたが、やがて声を出せば出すほど冷たい視線が降りかかることを悟りました。だから、わたしは黙ることを覚えてしまったのです。笑うことさえも。
社交界ではいつしか「無表情の令嬢」と噂されるようになりました。舞踏会で誘われても、相手の視線はいつもわたしをからかっているようでしたし、踊っていても楽しいはずがありません。それならば、いっそ最初から一人でいる方がましだと、ずっと思っていました。
そして十六歳の年、決定的な出来事が起きました。王国の伝統行事である「真実の花儀式」の場でのことです。
この儀式では、王家の後援のもと、若い令嬢たちが「花紋石」と呼ばれる水晶に手をかざします。心が清らかで、未来を選ばれた者だけに花が咲くとされています。
「どうぞ、アナスタシア嬢」
石へ手を伸ばすよう促されたとき、緊張で鼓動が跳ねました。しかし、何も咲きませんでした。淡い光さえ、影も差さず。石の表面に映るのは、無表情な自分だけ。
「……まあ、咲かないなんて」
「やっぱり。あのローゼウッドの娘よ?」
ささやき声が広がり、場の空気は一瞬で冷えきりました。父は顔をしかめ、継母は唇の端を吊り上げ、異母妹は「ほら、見たことか」とでも言うように目を輝かせていました。
その夜、父から告げられた言葉が、今も耳に焼き付いています。
「アナスタシア、おまえはもう家に必要ない。花儀式で選ばれなかった以上、婚約者も望めまい。……ローゼウッドの名を背負わせるわけにはいかない」
背筋が凍るようでした。
恥、ですって?
役立たず、ですって?
涙は出ませんでした。泣くより先に、ただ息が喉に詰まるようでした。
「明朝には馬車を用意する。おまえは辺境の村で余生を過ごせ」
父の冷然とした声に、最後の縁すら断ち切られた気がしました。
翌日、重たい扉が背中で閉ざされたとき、わたしは初めて心から「居場所」がなくなったのだと悟ったのです。
涙は流れませんでした。なぜなら、泣き方すら忘れてしまったから。
小さなトランク一つを抱えて、わたしは馬車に乗り込むしかありませんでした。
「……さようなら」と、誰に向けたわけでもなくつぶやきました。声は震え、小さくかすれて、すぐに風に溶けました。
馬車はごとりごとりと石畳を抜け、やがて舗装の悪い田舎道を進んでいきました。窓の外には、次第に深い森と湖が見えてきます。行き先は「ノーザン村」だと告げられましたが、わたしはそれがどんな場所かすら知りませんでした。
侯爵令嬢として育った日々。煌びやかなドレス、舞踏会、計算された微笑みと駆け引き――そのどれもが、もう二度と戻らない。わたしの胸には、ただ空っぽな穴だけが広がっていました。
馬車の揺れがひどく、次第に身体はこわばり、体力は簡単に削られていきました。こうしてわたしは、ノーザン村へ向かう道の途中、初めて「これからの自分」に怯え始めたのです。
(わたしは、ここからどう生きていけばいいの……?)
答えはまだ、どこにもありませんでした。
1
あなたにおすすめの小説
噂の聖女と国王陛下 ―婚約破棄を願った令嬢は、溺愛される
柴田はつみ
恋愛
幼い頃から共に育った国王アランは、私にとって憧れであり、唯一の婚約者だった。
だが、最近になって「陛下は聖女殿と親しいらしい」という噂が宮廷中に広まる。
聖女は誰もが認める美しい女性で、陛下の隣に立つ姿は絵のようにお似合い――私など必要ないのではないか。
胸を締め付ける不安に耐えかねた私は、ついにアランへ婚約破棄を申し出る。
「……私では、陛下の隣に立つ資格がありません」
けれど、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「お前は俺の妻になる。誰が何と言おうと、それは変わらない」
噂の裏に隠された真実、幼馴染が密かに抱き続けていた深い愛情――
一度手放そうとした運命の絆は、より強く絡み合い、私を逃がさなくなる。
婚約破棄したら食べられました(物理)
かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。
婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。
そんな日々が日常と化していたある日
リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる
グロは無し
侯爵令嬢はざまぁ展開より溺愛ルートを選びたい
花月
恋愛
内気なソフィア=ドレスデン侯爵令嬢の婚約者は美貌のナイジェル=エヴァンス公爵閣下だったが、王宮の中庭で美しいセリーヌ嬢を抱きしめているところに遭遇してしまう。
ナイジェル様から婚約破棄を告げられた瞬間、大聖堂の鐘の音と共に身体に異変が――。
あら?目の前にいるのはわたし…?「お前は誰だ!?」叫んだわたしの姿の中身は一体…?
ま、まさかのナイジェル様?何故こんな展開になってしまったの??
そして婚約破棄はどうなるの???
ほんの数時間の魔法――一夜だけの入れ替わりに色々詰め込んだ、ちぐはぐラブコメ。
地味令嬢の私ですが、王太子に見初められたので、元婚約者様からの復縁はお断りします
有賀冬馬
恋愛
子爵令嬢の私は、いつだって日陰者。
唯一の光だった公爵子息ヴィルヘルム様の婚約者という立場も、あっけなく捨てられた。「君のようなつまらない娘は、公爵家の妻にふさわしくない」と。
もう二度と恋なんてしない。
そう思っていた私の前に現れたのは、傷を負った一人の青年。
彼を献身的に看病したことから、私の運命は大きく動き出す。
彼は、この国の王太子だったのだ。
「君の優しさに心を奪われた。君を私だけのものにしたい」と、彼は私を強く守ると誓ってくれた。
一方、私を捨てた元婚約者は、新しい婚約者に振り回され、全てを失う。
私に助けを求めてきた彼に、私は……
【完結】ハメられて追放された悪役令嬢ですが、爬虫類好きな私はドラゴンだってサイコーです。
美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
やってもいない罪を被せられ、公爵令嬢だったルナティアは断罪される。
王太子であった婚約者も親友であったサーシャに盗られ、家族からも見捨てられてしまった。
教会に生涯幽閉となる手前で、幼馴染である宰相の手腕により獣人の王であるドラゴンの元へ嫁がされることに。
惨めだとあざ笑うサーシャたちを無視し、悲嘆にくれるように見えたルナティアだが、実は大の爬虫類好きだった。
簡単に裏切る人になんてもう未練はない。
むしろ自分の好きなモノたちに囲まれている方が幸せデス。
沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―
柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。
最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。
しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。
カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。
離婚届の上に、涙が落ちる。
それでもシャルロッテは信じたい。
あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。
すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。
『選ばれなかった令嬢は、世界の外で静かに微笑む』
ふわふわ
恋愛
婚約者エステランス・ショウシユウに一方的な婚約破棄を告げられ、
偽ヒロイン・エア・ソフィアの引き立て役として切り捨てられた令嬢
シャウ・エッセン。
「君はもう必要ない」
そう言われた瞬間、彼女は絶望しなかった。
――なぜなら、その言葉は“自由”の始まりだったから。
王宮の表舞台から退き、誰にも選ばれない立場を自ら選んだシャウ。
だが皮肉なことに、彼女が去った後の世界は、少しずつ歪みを正し始める。
奇跡に頼らず、誰かを神格化せず、
一人に負担を押し付けない仕組みへ――
それは、彼女がかつて静かに築き、手放した「考え方」そのものだった。
元婚約者はようやく理解し、
偽ヒロインは役割を降り、
世界は「彼女がいなくても回る場所」へと変わっていく。
復讐も断罪もない。
あるのは、物語の中心から降りるという、最も静かな“ざまぁ”。
これは、
選ばれなかった令嬢が、
誰の期待にも縛られず、
名もなき日々を生きることを選ぶ物語。
「愛することはない」と言った冷徹公爵様、やり直しの人生は溺愛が重すぎます!~王宮が滅びるのは記憶を隠した旦那様と幸運な息子のせい?~
ソラ
恋愛
王宮の陰湿な包囲網、そして夫であるアリステア公爵の無関心。心身を削り取られたセラフィナは、孤独と絶望の中でその短い一生を終えた。
だが、彼女は知らなかった。
彼女の死を知ったアリステアが、復讐の鬼と化して王宮へ反乱を起こし、彼女を虐げた者たちを血の海に沈めたことを。そして彼もまた、非業の死を遂げたことを。
「……セラフィナ。二度と、君を離さない。この命、何度繰り返してでも」
気がつくと、そこは五年前――結婚三日目の朝。
セラフィナが「今度は期待せずに生きよう」と決意した矢先、飛び込んできたアリステアは泣きながら彼女を抱きしめた。
前世の冷淡さが嘘のように、甘く、重すぎるほどの愛を注いでくるアリステア。
さらに、前世には存在しなかった息子・ノエルまで現れ、セラフィナを苦しめるはずだった敵は、彼女が知らないうちに裏で次々と社会的に抹殺されていく。
アリステアは記憶がないふりをして、狂気的な執着を「優しさ」という仮面で隠し、今度こそ彼女を檻のような幸福の中に閉じ込めようと画策していた。
知っているのは、読者(あなた)だけ。
嘘から始まる、究極のやり直し溺愛ファンタジー!
(本作品はAIを活用して構成・執筆しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる