21 / 28
三章ー奉行所からの依頼ー
理精流の反乱
しおりを挟む
鈴味屋に着くと、お鈴が出迎えた。
念の為、鈴味屋は急遽店を閉め、女達を帰らせていた。
中には一緒にいると言った女も多数いたが、お鈴は皆に何かあっては悔やんでも悔やみきれない、気持ちだけもらっておくと言って説得したと言った。
「お鈴さん、俺らに任せてくれ」
吉沢が言うなり、共に来た男達は口々に心強い言葉を投げかけた。
皆、鈴味屋が好きなのだ。
お鈴は皆に深く頭を下げる。
羽田達は予定通りまだ来ていない。
優之助は辺りを見回す。
口々に話して多弁になる者、一切誰とも話さずだんまりとなる者、落ち着かずうろうろと左右に歩く者と皆多様だが、緊張感は一様にして同じであった。
村井も顔を青ざめて無口になっている。
村井はいの一番に斬られる可能性が高い。
村井の剣の腕なら簡単には斬られないだろうが、最も敵中にいる以上は無事では済まないだろう。
お鈴と吉沢は何やら話し込んでいる。
羽田が来た時の対応を伝えているのだろう。
と、そこで皆の中で唯一緊張感の欠片も無い顔をしている奴を見つけた。
吉沢の隣にいる薩摩の阿保侍、大山伝之助だ。
伝之助は横で二人が話しているのに聞く素振りも無く景色を見ている。
見ていたかと思うと両手を挙げて身体を伸ばし出した。
相変わらず肝の据わった奴だ。
これから斬り合いになるとしても、伝之助は日常のように振る舞う。
実際、日常の一場面としか捉えていない。
以前伝之助は、侍と言うのはいつ何時でも死の覚悟を持っていると言った。
つまり死と言うのは非日常なのだ。
対して薩摩侍は、死の覚悟も何も、死自体を意識しておらず、あるのはただやるべき事を果たすと言う事のみ。
その結果、命が果てようとも目的を果たせたなら安いものだと言うようだ。
そんな頭のいかれた考えをしているとあのような人間になるのだ。
嵐吹き乱れていても、自分の周りは晴れていると思っている。
しばらくすると、鈴味屋と京の町を繋ぐ橋に多数の人影が現れた。
羽田達だ。
こちらも皆、緊張の面持ちである。
「きよったな」
伝之助は言うなり片笑みを浮かべた。
羽田達はそのまま歩いてきて、やがて鈴味屋の前で待ち構える男達と対峙した。
あかん、このままやと予定通りいってしまう。
「でんの……」
優之助は皆を行かせてはならないとの思いから咄嗟に伝之助の名を呼ぼうとしたが途中で首がしまって呼べなかった。
咳き込んで後ろを見ると、青白い顔の村井が目を血走らせて優之助の首根っこを引っ張っていた。
「お前、何を言おうとした。誰が喋っていいと言った。誰が勝手に動いていいと言った」
村井は早口でまくし立てる。
恐ろしい顔で優之助に迫る。
「いや、何も……」
小声で返す。
「次何かすれば何も言わず斬る」
この様子からしてそれはもう疑う余地はない。
優之助はこくこくと何度も頷いた。
「お前ら理精流のもんやな。鈴味屋を襲撃しに来たんか」
吉沢が言うと、羽田が代表して答える。
「再三の説得も応じてもらえませんでしたから。強硬手段に出る他はないと判断しました」
「一体何の権限があってそうやって人々に強権手段で介入するんや。お前らは王様か」
吉沢は心底胸糞が悪いと言う表情を浮かべる。
それを聞いて理精流の者達がいきり立つ。
「お前こそ何様や」
「奉行所が腑抜けやから俺らが出張るんやろが」
「引っ込んどれ」
理精流の者達が口々に口汚く罵る。
羽田が片手を出して制す。
「そこをどいてもらえますか」
「そいは出来んのう」
伝之助が片笑みを浮かべていうが、その表情は凄味がある。
沈黙が流れる。
誰も柄にも手を掛けない。
柄に手を掛けた瞬間、伝之助が斬ると言う気がする。
そしてそれはこの場にいる皆が感じている事だろう。
「羽田さん、ここではやめて下さい」
村井が人を掻き分けて前に出る。
優之助も仕方なく続いた。
「これは村井さんと優之助さん。よくも裏切ってくれましたね」
「もうこれ以上はやめて下さい。やり過ぎです。今ならまだ引き返せます」
二人は睨み合う。
演技と分かっていても緊張感のあるやり取りだ。
「かつての仲間に言われるとこちらも今やる訳には行きませんね」
羽田は視線を逸らせた。
本当は奉行所と一悶着を起こす予定であったが、伝之助の対応が予想外であったのだ。
村井の対応は渡りに舟で、羽田は引き際を探していた。
「ここは一旦引き下がりましょうか」
「いや、今日のとこは帰すわけにいかん。奉行所にきてもらおか」
吉沢が言う。
「それは困りましたね。我々は捕まる訳に行かないんですよ」
奉行所側の男達がにじり寄る。
羽田は理精流の男達の方へ振り向いた。
「皆さん、引きましょう」
言うなり理精流の者達が走り出す。
「待て!」
吉沢の制止も構わず、理精流の者達は羽田を筆頭にして京の町とは反対の島薗の方へ走っていく。
男達が後を追おうとする所を村井が制止した。
「皆さんお待ち下さい。彼らの逃げ去った場所、私と優之助さんは心当たりがあります」
「なんやと、ほんまか優之助」
吉沢が優之助を見る。
「え、ええ」
目を見返せず視線が泳ぐ。
「よし、それなら案内してもらおか」
ちくしょう、結局止められず見事に荒巻の計画通りに進んでいる。
優之助が斬られる覚悟で勇気を出せば何とかなるのだが、そのような覚悟を持ち合わせていない。
自分に侍の覚悟は持てない。
しがない町人なのだ。命は惜しい。
村井と優之助を先頭に、吉沢と伝之助が続き、その後を男達が続く。
鈴味屋から京の花街、島薗に向かう道を進むと、左右に森が拡がり出す。
道を左に外れ、森の中に入って行く。
森の中は薄暗い。もう夕刻なのだ。
皆固まってぞろぞろ歩く。
男達は各々武器を構えながら続くが、伝之助は余裕をかましているのか納刀したままだ。
暫く歩くと切り株が見える。
あれが決められた場所だ。
あの切り株を中心に、半円を描くよう伏兵がいる。
迎え撃つには分が悪い。
引くにしても退路は来た道しかないが、三々五々に逃げると相手の餌食となる。
固まって出来るだけ早くに来た道を退く事が唯一の道だが、荒巻の計画を知らなければ難しい。
それにそれを実行するには超強力な殿がいる。
殿とは後退する部隊の最後尾について敵の追撃を防ぐ役割だ。
相手は三十人を越え、こちらは二十人程。
殿にそれ程人数は割けない。
切り株に到着し、間もなく村井が歩を止める。
いよいよこの時が来た。
村井が振り向いて刀を抜けば戦闘合図だ。
もうお仕舞や……と目を瞑りそうになったが不意に思い返した。
超強力な殿……
今の隊形で言うと先頭は自分達を除けば伝之助と吉沢だ。
吉沢は皆に指示を飛ばすとして、伝之助は……
超強力な殿……
まさか……!
優之助が振り向くと、伝之助はにっと笑った。
村井が立ち止まる。
振り向いた村井の手は刀の柄に手をかけていた。
伝之助の姿が視界から消えた。
「退くぞ!」
吉沢の怒号が響き渡ると同時に、男達はすばやく来た道を引き返す。
「ぎあああ!」
男達が退くと同時に村井の断末魔が響き渡る。
伝之助が放った一撃、抜いたと同時に強力な下からの斬撃が襲う天地流の抜刀術が村井を襲った。
村井は右の大腿の付け根から左肩まで斬り上げられ、血飛沫をあげて卒倒した。
優之助は唖然とし、立ち尽くした。
理精流の男達がわらわらと現れる。
村井が一瞬にしてやられて皆一様に驚くが、直後に物凄い殺気を放つ。
「ぼやっとすな!走れ!」
伝之助の言葉に我に返った。
と同時に弾けるように走り出す。
奉行所の男達を追った。
伝之助が後から続く。
「はよ走れ!お前は背がひょろ高かじゃろ!」
「ひょろ」は余計やろと思いながらも必死に走る。
ちらっと後ろを見るとすぐ近くまで追手が来ている。
伝之助はぱっと振り返り踵を返すと、鮮やかに追手を二人斬り倒す。
敵が尻込んでいる間にまた走り出すと優之助に追い付く。
「お前は足が遅かね。しっかり走らんか」
「は、はし、ははしっ……」
走ってると言い返したいが言葉が続かない。
伝之助は斬り合いをした後に走りながら、なぜこうも余裕があって話せるのか。
無尽蔵の体力である。
「待て!」
近くからなのか遠くからなのか、口々に叫ぶ男達の中から羽田の声も聞こえる。
しかしもう振り返る余裕も無い。
ひたすら必死に前を走る男達に着いて行き、来た道を走る。
時折伝之助が立ち止まって迎え撃ち、追撃を防ぐ。
伝之助は申し分ない、超強力な殿だ。
男達は日頃理精流で鍛えているが、実戦経験は無い者の方が多いだろう。
今の時代、斬り合いの経験など無くて当たり前だ。
だが咄嗟の判断に迷うと、その一瞬が命取りとなる。
その上、敵方からすると途中まで予定通りに行っていたのが、最後の最後で歯車が狂った事で混乱の渦に巻き込まれているのだ。
ただ追ってくるのがやっとのようだ。
森を抜けて、島薗へ続く道まで戻ってきた。
奉行所側の男達はその道を突っ切って反対側の森へと入って行く。
一体どこへ行くつもりなのか。
優之助も後に続き、そのすぐ後ろを伝之助が追う。
理精流の男達も疑いも無く着いてくる。
本来の計画では、理精流の者達はここで奉行所側の皆を仕留めて荒巻の所へ駆けつけなければいけないのだ。
「で、伝之助さん!」
やっとの思いで名を呼ぶ。
伝之助が近くまで来る。
「ないじゃ」
「ど……こに」
どこへ向かってるのだ。
それに対して伝之助は笑うだけで後ろを振り返ると、すぐに引き返す。
「大山!」
理精流の男が勢いよく斬り掛かる。
もはや理精流関係無しの無茶苦茶な一撃だ。
伝之助は避ける事無く迎え撃ち、二人の刀が交錯する。
太刀筋のぶれた男の刀は届かず、伝之助の刀が先に到達する。
男は首から血を吹きあげて倒れる。
羽田がその後方から追ってくるのが見える。
伝之助は構わずすぐに走り出す。
森を走ると下り坂となり、窪地になっている所へ辿り着く。
前を走る男達が速度を緩めた。
優之助と伝之助も追い付き、理精流の男達が窪地へ雪崩れ込む。
奉行所の男達は窪地を抜けようと丘を駆け上がる。
理精流の男達が着いて行こうとすると、丘の上の四方から十数名の刀を抜いた侍達が現れた。
それを見て奉行所率いる男達も踵を返して理精流の男達に対峙する。
待ち構えていた侍達は藍の羽織を着て背中には十字紋が描かれていた。
薩摩侍だ。
「なんで薩摩侍が……」
優之助が呆けて言う間もなく、形勢逆転となり理精流の者達を制圧にかかる。
抵抗する者は斬られ、諦めるものは捕えられていく。
「優之助ぇえ!」
ぱっと振り向くと、すぐ後ろに額から血を流す松本が、刀を振り上げ襲い掛かって来ていた。
これはもう駄目だ。斬られる!
と目を瞑ったが、斬られない。
恐る恐る眼を開けると、松本が血を流して倒れている。
松本の側には伝之助がいた。
「伝之助さん、助けてくれたんですか」
「勘違いすな。おいの依頼人は吉沢じゃ。お前は生かすべき重要参考人じゃ」
なんや、そんな事やろうと思ったわ。
「おいの側を離れるな。こん場で丸腰はお前だけじゃ」
そう言われると確かにそうだ。
急に冷汗が噴き出してきた。
「で、伝之助さん、意地でも守って下さい」
膝が笑い出す。
「尻に火が付いちょるんに気が付かんとはこんこつじゃの」
伝之助は言って鼻で笑う。
「じゃっどん見事に釣れたの」
「釣れた?伝之助さんこれはどう言う……」
「説明は後じゃ。まだ終わっちょらん。油断すな」
伝之助の言葉に気を引き締める。
是が非でも伝之助の側を離れてはいけない。
いや、ちょっと待て。
伝之助は的にかけられてはいないだろうか。
「やってくれましたね大山さん」
肩で息する羽田が、抜き身を持って迫ってくる。
伝之助も刀を抜いているが、羽田に斬り掛からない。
いつもなら即座に斬り掛かると言うのにどういう事だ。
優之助の心配をよそに、ついに羽田は互いが踏み込めば届く間合いまで来た。
「理精流の師範代がそげん息切らしてどげんしよっとか。理を持って対峙し、鍛え上げた精神で打ち勝つとちごたか」
伝之助が嘲り笑って言う。
斬り合いはこうきたらこうと言う道理は通用しない。
竹刀で打ち合うような事をしているだけでは斬り合えないのだ。
竹刀と刀とでは重みも違い、またその重みを持って動かなければいけない。
当てるだけではなく、動く相手を斬らねばならない。
自身も動き、相手も動く中で、的確な場所に的確な一撃を繰り出す難しさ、刀の重みに振られてしまわないよう切り返す難しさ、刃筋をぶらさずに斬る難しさ、そして何より一太刀でも貰うと死ぬかもしれない中での恐怖や緊張感で、どれ程体が動き、自身を顧みず躊躇なく腰が引けない斬撃を放てるか、それはいくら理をもってしても語れないのだ。
強固な精神を持って対峙しなければいけないが、竹刀で打ち合えば打ち合う程その精神は薄れてしまう。
理精流の者達はそのからくりに気付いていない。
伝之助はそれを見抜き挑発するが、羽田は意に介していない。
「僕に挑発は通用しませんよ」
「そうか。で、おはんはどっげんすっとじゃ」
理精流の者達は、抵抗する者と大人しく縄に着く者と別れている。
そして抵抗する者は斬られてしまう。
薩摩侍は容赦ない。
「僕は……もうどうでもいい」
羽田は遠くを見て言った。
「おはん、荒巻に見切りをつけたとか」
伝之助の問いに羽田は何も答えずにいたが、やがて遠くを見ていた視線を伝之助に向けた。
「僕の……僕の人生は何だったのでしょうか。親兄弟からは疎まれ、拾われた荒巻先生にはいいように利用されて捨てられる」
羽田の目は、硝子玉のように何も映していないようであった。
「そうか。おはんも自分が利用されとるち気付いちょったか」
「気付かないならどうかしている。しかしもう引き返せない所まで来てしまった」
「まだ引き返せる。おはんは誰も斬っちょらん」
「斬っていなくともここまでの事をした首謀者だ。僕はもうお仕舞です」
羽田は誰とも斬り合いをしていない。
しかし言うように、羽田は首謀者に仕立て上げられた。
「このまま投降すっとじゃ。おいが何とかする」
「何ともなりませんよもう……あなたに何の権限があると言うんですか」
羽田は自嘲気味に笑う。
確かに伝之助に羽田をどうこうする権限はない。
「ないがどうかち、おはんはそげんとこで理精流を地で行くの。ここは道理がどげんでんなか。黙って命運に従え」
伝之助の言葉に、羽田はいつものように童顔を綻ばせ、人懐っこい笑顔を浮かべる。
「僕は理精流の師範代ですから。まあでも、確かにそうですね。大山さんの言う通りです」
優之助は安堵した。
羽田とは争わなくて済む。
「それじゃあ羽田さんは……」
「勘違いしないで下さい。僕は投降しませんよ」
え……どういう事だ。
伝之助も意外な様子だ。
「おはん、まだないかあっとか」
羽田は真っ直ぐ伝之助を見る。
「あなたと決着をつけたい」
「ないじゃと……」
「僕との戦い、あの理精流の道場でまだ着いていない。僕はもう何もない。僕は家族から疎まれ、拾われた荒巻先生にも利用され、僕は僕としての人生、何も残せていない。僕の存在意義はこのままでは何もない。せめて何か残さないと僕の気が済まない。今まで流されただけだ。最後ぐらいは自身の意思で、侍として生き抜きたい」
羽田は言葉と裏腹に、穏やかな顔で言う。
羽田は元々穏やかな人間なのだ。
「そうか、よか」
「伝之助さん、羽田さん、やめて下さい。二人がやり合う理由はもうありません」
無駄な血を流す事をしてほしくない。もうたくさんだ。
優之助の願い虚しく、二人は刀を握り直す。
伝之助は刀を天に突き上げたかと思うと、さっと間合いを詰めて斬り掛かる。
羽田は理を持って対峙する。
即ち、袈裟からの一撃に耐える為、刀の切っ先を下にし、防御の姿勢に入る。
そこから一撃を受けた後、返す算段なのだろう。
伝之助は咆哮を上げて斬り掛かる。
羽田はそれを受けるが、受け流せずぐっと耐える。
「おはん、本気でやっとか」
「はい」
短いやり取り後、伝之助が距離を取る。
「死ぬど」
「あなたと斬り合えるなら構いません」
「ないじゃ。自殺志願か」
「いや、そう言う訳じゃありません。死に場所を求めている訳でもありません。ただあなたと斬り合いたい」
「いかれちょるの」
伝之助は笑うと地を蹴った。
刀を振り上げ鋭く踏み込む。
羽田は伝之助の一撃を素早く大きく三歩も下がって外して距離を取る。
この距離だと伝之助の踏み込みを持ってしても一歩で踏み込んでニノ太刀を打てない。
伝之助は小さく左足を出すとそれを踏み切りにして右足を前に再び踏み込む。
羽田はもう一度大きく下がる。
同様に伝之助が追う。
その様子を見て優之助が口を開ける。
「あ……」
羽田が丘の上に立ち、伝之助が坂の中腹となる。
羽田が地の利を得ている。
羽田は、今度は大きく距離を取らず、伝之助の一打を外すだけの距離を取った。
その後すぐに坂を下る様に身を伏せたかと思うと、ぐっと伸び上がり下から斬り上げを見舞う。
伝之助は速い切り返しで返すが、僅かに遅い。
これはまずい。
羽田は見事に理を持って対応している。
例え真剣でも動きだけなら竹刀の時と遜色ない。
伝之助は瞬時に判断し、刀の軌道を左の袈裟斬りから僅かに横に倒す。
羽田の方が先に到達するかと思った刀は、相討ち程の際どいものとなる。
どちらの一撃が先に届いてもおかしくはない。
伝之助は躊躇なく振り切る。
羽田は振り抜かず直前で刀を引っ込め、引き下がり飛び退く。
伝之助はそれを見て追撃をせず、残心を取っていつでも斬り掛かれるよう羽田を見据える。
「どげんした。死んでも構わんとちごたか」
「はあ、はあ……」
羽田は荒い息をついて伝之助を見返す。
これが本当の斬り合いなのだ。
並の相手なら今の一撃で羽田が決めたかもしれない。
しかし相手は百戦錬磨の伝之助だ。
その場の瞬間的な判断力、その判断に従って対応出来る技術、そして何より例え自分が斬られようとも相手を斬ると言う強靭な精神力を持ってその判断通り動ける行動力を持っている。
羽田が今、逃げずに振り抜いても伝之助は致命傷とならなかっただろう。
途中で引ける程の一太刀では一撃で倒せない。
逆に伝之助の一撃で命を失うか、致命傷を貰ったはずだ。
羽田は悔しそうに歯を食いしばり、刀の柄を握り込む。
「うわああぁぁ!」
羽田は雄叫びを上げると、自棄気味に刀を振り上げ伝之助に斬り掛かる。
伝之助はさっと刀を返して刃と逆の峰の側を向ける。
そしてすぐさま地の不利も構わず、羽田の左側にぱっと踏み込み刀を振るう。
一瞬にして地の不利は無くなり、伝之助の方が有利となった。
それを見た羽田は我を取り戻し、坂を利用して体を回転させると伝之助の一撃を逃れる。
と同時に伝之助に斬り掛かる。
伝之助も同様、坂を利用して羽田の左側に転がり避ける。
いつかと同じような光景だ。
そう、理精流の道場での打ち合いだ。
あの時はここで止められた。
状況的には伝之助が不利のように見える。
しかし伝之助は自身が低い位置にいる事を利用し、体ごと下から斬り上げる。
羽田は迎え撃つも、伝之助の強力な一撃に弾き返され、無防備になったところを、伝之助の素早い詰めと斬り返しが襲う。
伝之助の刀の峰が、ついに羽田の側頭部を捕えた。
伝之助は振り抜かず当てるのみに留めた。
それでも鍛え抜かれた伝之助の一撃である。
羽田はあまりもの衝撃にその場に崩れ、坂を転げ落ちて行った。
振り抜いていたらいくら峰打ちでも死んでいたかもしれない。
伝之助は羽田の様子を目で追っている。
呆気に取られていた優之助は我に返った。
「伝之助さん、なんで斬らんかったんですか」
天地流は刀を抜けば確実に斬るのではなかったのか。
「羽田も重要参考人じゃ。生かしちょった方が吉沢んとって都合がよか」
「天地流は刀を抜いたら確実に斬り倒すと違うんですか」
「お前は剣の学者か評論家か。細かやつじゃ。頭でっかちなこつ言うな。ないでも型にはめるな。戦い言うんはそん時々の状況で変わる。そいで羽田は、おいが本気で斬り掛からんでも倒せた言うだけんこつじゃ」
確かに刀の刃を返さなければもっと早くに羽田を斬っていた気がする。
しかし伝之助は刃を返してから斬り掛かった。
それによって羽田は僅かに冷静になり対処した。
そして偶然にもあの道場の打ち合いの状況が再現された。
いや、偶然なのだろうか。
伝之助は本気で斬り掛からないでも倒せたと言った。
「まさか、狙ってあの打ち合いの時の状況を再現したんですか」
優之助が言うと伝之助は不敵に笑みを浮かべた。
やはりそのようだ。
「そんな余裕があったなんて……羽田さんとはそれ程差があったんですね。それにしても伝之助さんが峰打ちするて、羽田さんに同情したんですか」
「お前はないを甘かこつ言うちょる。刀ん持って戦場に立ち斬り合いをする以上、どげん事情があろうとも侍なら情けもないも容赦なく斬り倒すのみじゃ。羽田が荒巻に利用されてようが、辛い生い立ちを過ごしてこようが斬り合う以上はそげんこつ知らん。やるかやられるかじゃ。斬らんかったんは吉沢に依頼され、斬らん方が都合がよかち言うおいの機転じゃ。そい以上でも以下でもなか」
伝之助は当然とばかりに言った。
やはり羽田の事を気遣ったのではない。
気遣うどころか竹刀での打ち合いを再現し、真剣ではそう甘くないと追い打ちをかけたのだ。
戦場となっている窪地を見やると粗方決着が着いている。
薩摩侍を中心に奉行所に協力する男達が理精流の者達を制圧していた。
幾人かが血を流して倒れているが、全て理精流の者達のようだ。
抵抗した者達だろう。
確かに彼らは事情を斟酌されるわけなく容赦なく斬り捨てられている。
皆絶命していた。
羽田は側頭部から血を流して気絶しているが、命に別状は無さそうだ。
「よし、皆ご苦労やった。捕えたもんを引き連れて引き上げる。ここを処理するもんは残ってくれ」
吉沢が言うと、手際よく引き上げる者と残る者と別れて動き出した。
無事に引き上げとなった。
引き上げ……どこに?
「伝之助さん、引き上げるてどこにですか」
「お前はない言うちょる。どこいかで頭打ったとか。奉行所に決まっちょる」
奉行所へ引き上げ……
しまった。忘れていた。
奉行所は荒巻が襲撃をかけている。
「伝之助さん、大変です。そう言えば荒巻はこの間に乗じて手薄となった奉行所を攻め込む言うてました。今頃占拠されてるかもしれません」
優之助が青い顔で言うと、伝之助はふっと笑った。
「そうか。そいじゃ占拠されちょるか見にいっとか」
念の為、鈴味屋は急遽店を閉め、女達を帰らせていた。
中には一緒にいると言った女も多数いたが、お鈴は皆に何かあっては悔やんでも悔やみきれない、気持ちだけもらっておくと言って説得したと言った。
「お鈴さん、俺らに任せてくれ」
吉沢が言うなり、共に来た男達は口々に心強い言葉を投げかけた。
皆、鈴味屋が好きなのだ。
お鈴は皆に深く頭を下げる。
羽田達は予定通りまだ来ていない。
優之助は辺りを見回す。
口々に話して多弁になる者、一切誰とも話さずだんまりとなる者、落ち着かずうろうろと左右に歩く者と皆多様だが、緊張感は一様にして同じであった。
村井も顔を青ざめて無口になっている。
村井はいの一番に斬られる可能性が高い。
村井の剣の腕なら簡単には斬られないだろうが、最も敵中にいる以上は無事では済まないだろう。
お鈴と吉沢は何やら話し込んでいる。
羽田が来た時の対応を伝えているのだろう。
と、そこで皆の中で唯一緊張感の欠片も無い顔をしている奴を見つけた。
吉沢の隣にいる薩摩の阿保侍、大山伝之助だ。
伝之助は横で二人が話しているのに聞く素振りも無く景色を見ている。
見ていたかと思うと両手を挙げて身体を伸ばし出した。
相変わらず肝の据わった奴だ。
これから斬り合いになるとしても、伝之助は日常のように振る舞う。
実際、日常の一場面としか捉えていない。
以前伝之助は、侍と言うのはいつ何時でも死の覚悟を持っていると言った。
つまり死と言うのは非日常なのだ。
対して薩摩侍は、死の覚悟も何も、死自体を意識しておらず、あるのはただやるべき事を果たすと言う事のみ。
その結果、命が果てようとも目的を果たせたなら安いものだと言うようだ。
そんな頭のいかれた考えをしているとあのような人間になるのだ。
嵐吹き乱れていても、自分の周りは晴れていると思っている。
しばらくすると、鈴味屋と京の町を繋ぐ橋に多数の人影が現れた。
羽田達だ。
こちらも皆、緊張の面持ちである。
「きよったな」
伝之助は言うなり片笑みを浮かべた。
羽田達はそのまま歩いてきて、やがて鈴味屋の前で待ち構える男達と対峙した。
あかん、このままやと予定通りいってしまう。
「でんの……」
優之助は皆を行かせてはならないとの思いから咄嗟に伝之助の名を呼ぼうとしたが途中で首がしまって呼べなかった。
咳き込んで後ろを見ると、青白い顔の村井が目を血走らせて優之助の首根っこを引っ張っていた。
「お前、何を言おうとした。誰が喋っていいと言った。誰が勝手に動いていいと言った」
村井は早口でまくし立てる。
恐ろしい顔で優之助に迫る。
「いや、何も……」
小声で返す。
「次何かすれば何も言わず斬る」
この様子からしてそれはもう疑う余地はない。
優之助はこくこくと何度も頷いた。
「お前ら理精流のもんやな。鈴味屋を襲撃しに来たんか」
吉沢が言うと、羽田が代表して答える。
「再三の説得も応じてもらえませんでしたから。強硬手段に出る他はないと判断しました」
「一体何の権限があってそうやって人々に強権手段で介入するんや。お前らは王様か」
吉沢は心底胸糞が悪いと言う表情を浮かべる。
それを聞いて理精流の者達がいきり立つ。
「お前こそ何様や」
「奉行所が腑抜けやから俺らが出張るんやろが」
「引っ込んどれ」
理精流の者達が口々に口汚く罵る。
羽田が片手を出して制す。
「そこをどいてもらえますか」
「そいは出来んのう」
伝之助が片笑みを浮かべていうが、その表情は凄味がある。
沈黙が流れる。
誰も柄にも手を掛けない。
柄に手を掛けた瞬間、伝之助が斬ると言う気がする。
そしてそれはこの場にいる皆が感じている事だろう。
「羽田さん、ここではやめて下さい」
村井が人を掻き分けて前に出る。
優之助も仕方なく続いた。
「これは村井さんと優之助さん。よくも裏切ってくれましたね」
「もうこれ以上はやめて下さい。やり過ぎです。今ならまだ引き返せます」
二人は睨み合う。
演技と分かっていても緊張感のあるやり取りだ。
「かつての仲間に言われるとこちらも今やる訳には行きませんね」
羽田は視線を逸らせた。
本当は奉行所と一悶着を起こす予定であったが、伝之助の対応が予想外であったのだ。
村井の対応は渡りに舟で、羽田は引き際を探していた。
「ここは一旦引き下がりましょうか」
「いや、今日のとこは帰すわけにいかん。奉行所にきてもらおか」
吉沢が言う。
「それは困りましたね。我々は捕まる訳に行かないんですよ」
奉行所側の男達がにじり寄る。
羽田は理精流の男達の方へ振り向いた。
「皆さん、引きましょう」
言うなり理精流の者達が走り出す。
「待て!」
吉沢の制止も構わず、理精流の者達は羽田を筆頭にして京の町とは反対の島薗の方へ走っていく。
男達が後を追おうとする所を村井が制止した。
「皆さんお待ち下さい。彼らの逃げ去った場所、私と優之助さんは心当たりがあります」
「なんやと、ほんまか優之助」
吉沢が優之助を見る。
「え、ええ」
目を見返せず視線が泳ぐ。
「よし、それなら案内してもらおか」
ちくしょう、結局止められず見事に荒巻の計画通りに進んでいる。
優之助が斬られる覚悟で勇気を出せば何とかなるのだが、そのような覚悟を持ち合わせていない。
自分に侍の覚悟は持てない。
しがない町人なのだ。命は惜しい。
村井と優之助を先頭に、吉沢と伝之助が続き、その後を男達が続く。
鈴味屋から京の花街、島薗に向かう道を進むと、左右に森が拡がり出す。
道を左に外れ、森の中に入って行く。
森の中は薄暗い。もう夕刻なのだ。
皆固まってぞろぞろ歩く。
男達は各々武器を構えながら続くが、伝之助は余裕をかましているのか納刀したままだ。
暫く歩くと切り株が見える。
あれが決められた場所だ。
あの切り株を中心に、半円を描くよう伏兵がいる。
迎え撃つには分が悪い。
引くにしても退路は来た道しかないが、三々五々に逃げると相手の餌食となる。
固まって出来るだけ早くに来た道を退く事が唯一の道だが、荒巻の計画を知らなければ難しい。
それにそれを実行するには超強力な殿がいる。
殿とは後退する部隊の最後尾について敵の追撃を防ぐ役割だ。
相手は三十人を越え、こちらは二十人程。
殿にそれ程人数は割けない。
切り株に到着し、間もなく村井が歩を止める。
いよいよこの時が来た。
村井が振り向いて刀を抜けば戦闘合図だ。
もうお仕舞や……と目を瞑りそうになったが不意に思い返した。
超強力な殿……
今の隊形で言うと先頭は自分達を除けば伝之助と吉沢だ。
吉沢は皆に指示を飛ばすとして、伝之助は……
超強力な殿……
まさか……!
優之助が振り向くと、伝之助はにっと笑った。
村井が立ち止まる。
振り向いた村井の手は刀の柄に手をかけていた。
伝之助の姿が視界から消えた。
「退くぞ!」
吉沢の怒号が響き渡ると同時に、男達はすばやく来た道を引き返す。
「ぎあああ!」
男達が退くと同時に村井の断末魔が響き渡る。
伝之助が放った一撃、抜いたと同時に強力な下からの斬撃が襲う天地流の抜刀術が村井を襲った。
村井は右の大腿の付け根から左肩まで斬り上げられ、血飛沫をあげて卒倒した。
優之助は唖然とし、立ち尽くした。
理精流の男達がわらわらと現れる。
村井が一瞬にしてやられて皆一様に驚くが、直後に物凄い殺気を放つ。
「ぼやっとすな!走れ!」
伝之助の言葉に我に返った。
と同時に弾けるように走り出す。
奉行所の男達を追った。
伝之助が後から続く。
「はよ走れ!お前は背がひょろ高かじゃろ!」
「ひょろ」は余計やろと思いながらも必死に走る。
ちらっと後ろを見るとすぐ近くまで追手が来ている。
伝之助はぱっと振り返り踵を返すと、鮮やかに追手を二人斬り倒す。
敵が尻込んでいる間にまた走り出すと優之助に追い付く。
「お前は足が遅かね。しっかり走らんか」
「は、はし、ははしっ……」
走ってると言い返したいが言葉が続かない。
伝之助は斬り合いをした後に走りながら、なぜこうも余裕があって話せるのか。
無尽蔵の体力である。
「待て!」
近くからなのか遠くからなのか、口々に叫ぶ男達の中から羽田の声も聞こえる。
しかしもう振り返る余裕も無い。
ひたすら必死に前を走る男達に着いて行き、来た道を走る。
時折伝之助が立ち止まって迎え撃ち、追撃を防ぐ。
伝之助は申し分ない、超強力な殿だ。
男達は日頃理精流で鍛えているが、実戦経験は無い者の方が多いだろう。
今の時代、斬り合いの経験など無くて当たり前だ。
だが咄嗟の判断に迷うと、その一瞬が命取りとなる。
その上、敵方からすると途中まで予定通りに行っていたのが、最後の最後で歯車が狂った事で混乱の渦に巻き込まれているのだ。
ただ追ってくるのがやっとのようだ。
森を抜けて、島薗へ続く道まで戻ってきた。
奉行所側の男達はその道を突っ切って反対側の森へと入って行く。
一体どこへ行くつもりなのか。
優之助も後に続き、そのすぐ後ろを伝之助が追う。
理精流の男達も疑いも無く着いてくる。
本来の計画では、理精流の者達はここで奉行所側の皆を仕留めて荒巻の所へ駆けつけなければいけないのだ。
「で、伝之助さん!」
やっとの思いで名を呼ぶ。
伝之助が近くまで来る。
「ないじゃ」
「ど……こに」
どこへ向かってるのだ。
それに対して伝之助は笑うだけで後ろを振り返ると、すぐに引き返す。
「大山!」
理精流の男が勢いよく斬り掛かる。
もはや理精流関係無しの無茶苦茶な一撃だ。
伝之助は避ける事無く迎え撃ち、二人の刀が交錯する。
太刀筋のぶれた男の刀は届かず、伝之助の刀が先に到達する。
男は首から血を吹きあげて倒れる。
羽田がその後方から追ってくるのが見える。
伝之助は構わずすぐに走り出す。
森を走ると下り坂となり、窪地になっている所へ辿り着く。
前を走る男達が速度を緩めた。
優之助と伝之助も追い付き、理精流の男達が窪地へ雪崩れ込む。
奉行所の男達は窪地を抜けようと丘を駆け上がる。
理精流の男達が着いて行こうとすると、丘の上の四方から十数名の刀を抜いた侍達が現れた。
それを見て奉行所率いる男達も踵を返して理精流の男達に対峙する。
待ち構えていた侍達は藍の羽織を着て背中には十字紋が描かれていた。
薩摩侍だ。
「なんで薩摩侍が……」
優之助が呆けて言う間もなく、形勢逆転となり理精流の者達を制圧にかかる。
抵抗する者は斬られ、諦めるものは捕えられていく。
「優之助ぇえ!」
ぱっと振り向くと、すぐ後ろに額から血を流す松本が、刀を振り上げ襲い掛かって来ていた。
これはもう駄目だ。斬られる!
と目を瞑ったが、斬られない。
恐る恐る眼を開けると、松本が血を流して倒れている。
松本の側には伝之助がいた。
「伝之助さん、助けてくれたんですか」
「勘違いすな。おいの依頼人は吉沢じゃ。お前は生かすべき重要参考人じゃ」
なんや、そんな事やろうと思ったわ。
「おいの側を離れるな。こん場で丸腰はお前だけじゃ」
そう言われると確かにそうだ。
急に冷汗が噴き出してきた。
「で、伝之助さん、意地でも守って下さい」
膝が笑い出す。
「尻に火が付いちょるんに気が付かんとはこんこつじゃの」
伝之助は言って鼻で笑う。
「じゃっどん見事に釣れたの」
「釣れた?伝之助さんこれはどう言う……」
「説明は後じゃ。まだ終わっちょらん。油断すな」
伝之助の言葉に気を引き締める。
是が非でも伝之助の側を離れてはいけない。
いや、ちょっと待て。
伝之助は的にかけられてはいないだろうか。
「やってくれましたね大山さん」
肩で息する羽田が、抜き身を持って迫ってくる。
伝之助も刀を抜いているが、羽田に斬り掛からない。
いつもなら即座に斬り掛かると言うのにどういう事だ。
優之助の心配をよそに、ついに羽田は互いが踏み込めば届く間合いまで来た。
「理精流の師範代がそげん息切らしてどげんしよっとか。理を持って対峙し、鍛え上げた精神で打ち勝つとちごたか」
伝之助が嘲り笑って言う。
斬り合いはこうきたらこうと言う道理は通用しない。
竹刀で打ち合うような事をしているだけでは斬り合えないのだ。
竹刀と刀とでは重みも違い、またその重みを持って動かなければいけない。
当てるだけではなく、動く相手を斬らねばならない。
自身も動き、相手も動く中で、的確な場所に的確な一撃を繰り出す難しさ、刀の重みに振られてしまわないよう切り返す難しさ、刃筋をぶらさずに斬る難しさ、そして何より一太刀でも貰うと死ぬかもしれない中での恐怖や緊張感で、どれ程体が動き、自身を顧みず躊躇なく腰が引けない斬撃を放てるか、それはいくら理をもってしても語れないのだ。
強固な精神を持って対峙しなければいけないが、竹刀で打ち合えば打ち合う程その精神は薄れてしまう。
理精流の者達はそのからくりに気付いていない。
伝之助はそれを見抜き挑発するが、羽田は意に介していない。
「僕に挑発は通用しませんよ」
「そうか。で、おはんはどっげんすっとじゃ」
理精流の者達は、抵抗する者と大人しく縄に着く者と別れている。
そして抵抗する者は斬られてしまう。
薩摩侍は容赦ない。
「僕は……もうどうでもいい」
羽田は遠くを見て言った。
「おはん、荒巻に見切りをつけたとか」
伝之助の問いに羽田は何も答えずにいたが、やがて遠くを見ていた視線を伝之助に向けた。
「僕の……僕の人生は何だったのでしょうか。親兄弟からは疎まれ、拾われた荒巻先生にはいいように利用されて捨てられる」
羽田の目は、硝子玉のように何も映していないようであった。
「そうか。おはんも自分が利用されとるち気付いちょったか」
「気付かないならどうかしている。しかしもう引き返せない所まで来てしまった」
「まだ引き返せる。おはんは誰も斬っちょらん」
「斬っていなくともここまでの事をした首謀者だ。僕はもうお仕舞です」
羽田は誰とも斬り合いをしていない。
しかし言うように、羽田は首謀者に仕立て上げられた。
「このまま投降すっとじゃ。おいが何とかする」
「何ともなりませんよもう……あなたに何の権限があると言うんですか」
羽田は自嘲気味に笑う。
確かに伝之助に羽田をどうこうする権限はない。
「ないがどうかち、おはんはそげんとこで理精流を地で行くの。ここは道理がどげんでんなか。黙って命運に従え」
伝之助の言葉に、羽田はいつものように童顔を綻ばせ、人懐っこい笑顔を浮かべる。
「僕は理精流の師範代ですから。まあでも、確かにそうですね。大山さんの言う通りです」
優之助は安堵した。
羽田とは争わなくて済む。
「それじゃあ羽田さんは……」
「勘違いしないで下さい。僕は投降しませんよ」
え……どういう事だ。
伝之助も意外な様子だ。
「おはん、まだないかあっとか」
羽田は真っ直ぐ伝之助を見る。
「あなたと決着をつけたい」
「ないじゃと……」
「僕との戦い、あの理精流の道場でまだ着いていない。僕はもう何もない。僕は家族から疎まれ、拾われた荒巻先生にも利用され、僕は僕としての人生、何も残せていない。僕の存在意義はこのままでは何もない。せめて何か残さないと僕の気が済まない。今まで流されただけだ。最後ぐらいは自身の意思で、侍として生き抜きたい」
羽田は言葉と裏腹に、穏やかな顔で言う。
羽田は元々穏やかな人間なのだ。
「そうか、よか」
「伝之助さん、羽田さん、やめて下さい。二人がやり合う理由はもうありません」
無駄な血を流す事をしてほしくない。もうたくさんだ。
優之助の願い虚しく、二人は刀を握り直す。
伝之助は刀を天に突き上げたかと思うと、さっと間合いを詰めて斬り掛かる。
羽田は理を持って対峙する。
即ち、袈裟からの一撃に耐える為、刀の切っ先を下にし、防御の姿勢に入る。
そこから一撃を受けた後、返す算段なのだろう。
伝之助は咆哮を上げて斬り掛かる。
羽田はそれを受けるが、受け流せずぐっと耐える。
「おはん、本気でやっとか」
「はい」
短いやり取り後、伝之助が距離を取る。
「死ぬど」
「あなたと斬り合えるなら構いません」
「ないじゃ。自殺志願か」
「いや、そう言う訳じゃありません。死に場所を求めている訳でもありません。ただあなたと斬り合いたい」
「いかれちょるの」
伝之助は笑うと地を蹴った。
刀を振り上げ鋭く踏み込む。
羽田は伝之助の一撃を素早く大きく三歩も下がって外して距離を取る。
この距離だと伝之助の踏み込みを持ってしても一歩で踏み込んでニノ太刀を打てない。
伝之助は小さく左足を出すとそれを踏み切りにして右足を前に再び踏み込む。
羽田はもう一度大きく下がる。
同様に伝之助が追う。
その様子を見て優之助が口を開ける。
「あ……」
羽田が丘の上に立ち、伝之助が坂の中腹となる。
羽田が地の利を得ている。
羽田は、今度は大きく距離を取らず、伝之助の一打を外すだけの距離を取った。
その後すぐに坂を下る様に身を伏せたかと思うと、ぐっと伸び上がり下から斬り上げを見舞う。
伝之助は速い切り返しで返すが、僅かに遅い。
これはまずい。
羽田は見事に理を持って対応している。
例え真剣でも動きだけなら竹刀の時と遜色ない。
伝之助は瞬時に判断し、刀の軌道を左の袈裟斬りから僅かに横に倒す。
羽田の方が先に到達するかと思った刀は、相討ち程の際どいものとなる。
どちらの一撃が先に届いてもおかしくはない。
伝之助は躊躇なく振り切る。
羽田は振り抜かず直前で刀を引っ込め、引き下がり飛び退く。
伝之助はそれを見て追撃をせず、残心を取っていつでも斬り掛かれるよう羽田を見据える。
「どげんした。死んでも構わんとちごたか」
「はあ、はあ……」
羽田は荒い息をついて伝之助を見返す。
これが本当の斬り合いなのだ。
並の相手なら今の一撃で羽田が決めたかもしれない。
しかし相手は百戦錬磨の伝之助だ。
その場の瞬間的な判断力、その判断に従って対応出来る技術、そして何より例え自分が斬られようとも相手を斬ると言う強靭な精神力を持ってその判断通り動ける行動力を持っている。
羽田が今、逃げずに振り抜いても伝之助は致命傷とならなかっただろう。
途中で引ける程の一太刀では一撃で倒せない。
逆に伝之助の一撃で命を失うか、致命傷を貰ったはずだ。
羽田は悔しそうに歯を食いしばり、刀の柄を握り込む。
「うわああぁぁ!」
羽田は雄叫びを上げると、自棄気味に刀を振り上げ伝之助に斬り掛かる。
伝之助はさっと刀を返して刃と逆の峰の側を向ける。
そしてすぐさま地の不利も構わず、羽田の左側にぱっと踏み込み刀を振るう。
一瞬にして地の不利は無くなり、伝之助の方が有利となった。
それを見た羽田は我を取り戻し、坂を利用して体を回転させると伝之助の一撃を逃れる。
と同時に伝之助に斬り掛かる。
伝之助も同様、坂を利用して羽田の左側に転がり避ける。
いつかと同じような光景だ。
そう、理精流の道場での打ち合いだ。
あの時はここで止められた。
状況的には伝之助が不利のように見える。
しかし伝之助は自身が低い位置にいる事を利用し、体ごと下から斬り上げる。
羽田は迎え撃つも、伝之助の強力な一撃に弾き返され、無防備になったところを、伝之助の素早い詰めと斬り返しが襲う。
伝之助の刀の峰が、ついに羽田の側頭部を捕えた。
伝之助は振り抜かず当てるのみに留めた。
それでも鍛え抜かれた伝之助の一撃である。
羽田はあまりもの衝撃にその場に崩れ、坂を転げ落ちて行った。
振り抜いていたらいくら峰打ちでも死んでいたかもしれない。
伝之助は羽田の様子を目で追っている。
呆気に取られていた優之助は我に返った。
「伝之助さん、なんで斬らんかったんですか」
天地流は刀を抜けば確実に斬るのではなかったのか。
「羽田も重要参考人じゃ。生かしちょった方が吉沢んとって都合がよか」
「天地流は刀を抜いたら確実に斬り倒すと違うんですか」
「お前は剣の学者か評論家か。細かやつじゃ。頭でっかちなこつ言うな。ないでも型にはめるな。戦い言うんはそん時々の状況で変わる。そいで羽田は、おいが本気で斬り掛からんでも倒せた言うだけんこつじゃ」
確かに刀の刃を返さなければもっと早くに羽田を斬っていた気がする。
しかし伝之助は刃を返してから斬り掛かった。
それによって羽田は僅かに冷静になり対処した。
そして偶然にもあの道場の打ち合いの状況が再現された。
いや、偶然なのだろうか。
伝之助は本気で斬り掛からないでも倒せたと言った。
「まさか、狙ってあの打ち合いの時の状況を再現したんですか」
優之助が言うと伝之助は不敵に笑みを浮かべた。
やはりそのようだ。
「そんな余裕があったなんて……羽田さんとはそれ程差があったんですね。それにしても伝之助さんが峰打ちするて、羽田さんに同情したんですか」
「お前はないを甘かこつ言うちょる。刀ん持って戦場に立ち斬り合いをする以上、どげん事情があろうとも侍なら情けもないも容赦なく斬り倒すのみじゃ。羽田が荒巻に利用されてようが、辛い生い立ちを過ごしてこようが斬り合う以上はそげんこつ知らん。やるかやられるかじゃ。斬らんかったんは吉沢に依頼され、斬らん方が都合がよかち言うおいの機転じゃ。そい以上でも以下でもなか」
伝之助は当然とばかりに言った。
やはり羽田の事を気遣ったのではない。
気遣うどころか竹刀での打ち合いを再現し、真剣ではそう甘くないと追い打ちをかけたのだ。
戦場となっている窪地を見やると粗方決着が着いている。
薩摩侍を中心に奉行所に協力する男達が理精流の者達を制圧していた。
幾人かが血を流して倒れているが、全て理精流の者達のようだ。
抵抗した者達だろう。
確かに彼らは事情を斟酌されるわけなく容赦なく斬り捨てられている。
皆絶命していた。
羽田は側頭部から血を流して気絶しているが、命に別状は無さそうだ。
「よし、皆ご苦労やった。捕えたもんを引き連れて引き上げる。ここを処理するもんは残ってくれ」
吉沢が言うと、手際よく引き上げる者と残る者と別れて動き出した。
無事に引き上げとなった。
引き上げ……どこに?
「伝之助さん、引き上げるてどこにですか」
「お前はない言うちょる。どこいかで頭打ったとか。奉行所に決まっちょる」
奉行所へ引き上げ……
しまった。忘れていた。
奉行所は荒巻が襲撃をかけている。
「伝之助さん、大変です。そう言えば荒巻はこの間に乗じて手薄となった奉行所を攻め込む言うてました。今頃占拠されてるかもしれません」
優之助が青い顔で言うと、伝之助はふっと笑った。
「そうか。そいじゃ占拠されちょるか見にいっとか」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
1 / 4
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる