二人の之助ー終ー

河村秀

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三章ー日高との約束ー

日高の話

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日高ひだかと共に宿を出る頃には日が傾き出していた。

「今日中にどこまで行くか、考えよっとか」
「いや、考えていない。敢えて言うなら行ける所まで行くと考えてるぐらいだ」

今まで半端な薩摩言葉を話していた日高だが、それを止めると流暢に話しているように聞こえる。
そしてこの話し方の方が、能面顔が妙にはまっているのも頷ける。

「そいじゃあ出来るだけ足を速く動かすかの」

二人は足早に彦根を目指す。

日高は既に小木おぎの元へ使いをやっている。
木本きもとの件に関しては一報が入っているはずだ。

それを受けて藤井ふじいを斬る計画もいよいよと言う事もわかっているだろう。
その段取りは整えているに違いない。

「こん包帯、今はいらんとちごうか」

伝之助でんのすけの顔には既に包帯がぐるぐる巻きである。
目と鼻と口しか見えない。
何となくむず痒く、彦根に着くまで外したいと思っていた。

「お前が言い出した案だろう。どこで誰の目があるかわからん。やるなら最初から徹底してやるべきだ。潜入の基本だ」

薩摩にいた頃、伝之助がやっていた活動と、日高のやっていた活動は似ているようで全然違う。

伝之助は人斬りに重きを置いた活動だ。
堂々と相対して斬る事もあれば、暗殺をする事もあった。
その為に隠密行動や情報収集などする事は少なかった。

対して日高は人斬りに重きは置かず、情報収集などに重きを置いた活動だ。
その為に必要とあらば暗殺をする事もあった。

その活動の差が今こう言った発言の違いを生む。
そして現状においては、日高の意見が正しいと伝之助も理解した。

「まあおはんの言う通りじゃの。我慢するしかなかか」
「不快なのは最初だけだ。その内慣れる。人と言うのは意外とすぐに環境に適応する」

数々の潜入を熟してきた日高が言うのだからこれ以上の説得力はない。

「そう言えば木本の事は大方思い描いちょった結末ち言うちょったが、ないごて鍋山なべやまさあに隠し部屋んこつ教えた。あいも計画ん内か。そいとも鍋山さあと親しくしちょって私情が入ったとか」

伝之助の遠慮ない問いかけに日高はすぐに答えず、暫く歩を進めていく。

伝之助は日高が話し出すのを待ちながら同じく歩を進める。

「今思うと、本当に俺の思い描いた通りで無くて良かったと思う」

日高はそう零すと、続けた。

「俺はあの時、幸則ゆきのりを斬るつもりだった。だからそうなる様に事を運んでいた」

日高は歩みを緩める事無く話し出した。

木本に取り入った日高は、松尾まつおの耳に入るようそれと無く情報を流した。
藤井や木本らには情報を流している事は伏せ、藤井と木本と三人で話し、松尾はきっと自分を追って辿り着くので殲滅する方法を考えないといけない事を伝えた。

藤井と木本はあれこれ考えたが、日高がまるでそれらを聞いて今思い付いたかのように、以前から考えていた作戦を伝えた。
木本の家に誘き寄せて村人全員で襲う作戦だ。

薩摩側は前回同様、少人数で来るだろうから、こちらも木本と日高の二人で油断させておいて、後から村人が襲う手立てである。
それに村人と言う事もあって、警戒していないはずだと言った。

藤井は「呼び出してもいないのに、薩摩の家老が直々に来るのか?」と疑問を呈したが、日高は必ず来ると言い切った。

藤井と木本は二言三言言葉を交わすと、それが確実で最良の方法であると判断し、了承した。

そして日高の予見した通りに薩摩側から使者が来た。
薩摩の人間が来ると思っていたが、そうではなく優之助ゆうのすけが来た。

しかしそれは大した問題ではなかった。

予定通り拉致し、遠回りして警戒していると見せかけながら徐々に人数を減らして木本と二人で戻った。

この時、尾行が失敗に終わったり、尾行自体していなかったとしても、第二、第三の矢は考えていた。
だがそれも杞憂に終わり、伝之助が尾行した事で松尾も予測通り来た。

薩摩内でも日高の事を知られたくないだろうし、事を大事にしたくない事、何より松尾と日高の関係性などから、必ず松尾本人が来ると思っていた。

しかしその後、日高にとって予想外の事が起こった。
松尾らは先発隊と後発隊に別れて木本の屋敷に向かった。

ただでさえ人数が少ない上に、少し前に襲撃を掛けられ、中脇なかわきを失い、命辛々逃げたにも拘わらず、まさか別れて来るとは思わなかった。

その為、伝之助達が先に来た時は村人も誰一人気付かなかった。
もっとも、伝之助達も先発隊である為、村人に見つかる事さえも警戒していたから気付かないのは当たり前の事ではあった。

無論、日高はこの時松尾が来ている事も先発隊と後発隊に別れて来る事も知らない。
ただ松尾を含めて皆で来るだろうと予測していたに過ぎない。

だから日高は松尾達が来ているものと思い、伝之助達を見た時に声を掛けた。

しかしそこに松尾はいなかった。
伝之助と羽田だけなら即座に斬り合いとなっただろうが、そこには鍋山がいた。

鍋山には年の離れた兄がおり、松尾と日高はとても世話になった。
その弟である鍋山孝之進たかのしんを、松尾も日高も弟のように可愛がった。

そんな鍋山がいた事も日高にとっては想定外であった。
ただでさえ薩摩侍は斬りたくないのに、弟のように可愛がっていた鍋山となると、尚の事刀を抜けなかった。

普段は私情を挟むことはない。
松尾を斬ると決意した時も私情を排除した。

しかしそれは目的の為なら仕方ないと考えたからだ。

中脇もだが、鍋山も目的のために失わなければならない人材ではない。
寧ろ薩摩の未来の為に必要不可欠な人物だ。

日高は私情のみならず、薩摩の未来の為に貴重な人材を失いたくないと考えてのことであった。

松尾が薩摩から鍋山を呼び寄せたのは、日高の想いを全て察した訳ではないが、日高の頑なな想いを打開する可能性があるのは鍋山しかいないと考えたからであった。

そんな松尾の意図を知る由もなく、日高は松尾を混乱に乗じて斬るつもりであった。
それだけでなく、木本をも斬るつもりであった。

しかし先発と後発に別れ、松尾が来ていない以上、その計画は破綻した。

鍋山を犠牲にするわけにもいかないが、まだ松尾を斬る機会は巡って来るかもしれない。

日高はそう考え、村人が押し寄せる事は言わず、優之助の居場所を教えた。

そして今の自身の仕事は伝之助と決着を着けることだと思った。

木本はまた斬る機会を作ればいい。
伝之助を斬った後にでもその機会は出来るかもしれない。
その為にはまず伝之助を斬らねばならない。

強い意志を秘めて戦いに臨んだ。

途中、門の外側が騒がしかった事により、松尾達が来たのかと思ったが、伝之助との斬り合いで外の様子に構っていられなかった。

本気で斬り合ったが、刀を折られ敗北した。

「あとは知っての通りだ。木本はお前の仲間が斬った。それも想定外だったが、いい意味での想定外だった。いや、それを言うと今となっては全て良き想定外だったな」

日高はちらりと伝之助を見たが、すぐに前を見て歩を進めた。

「そげんこつじゃったか。松尾さあは薩摩隼人じゃ。自身の命を惜しんだ腰の引けた作戦は取らん」
「ふん、腰の軽い家老も考えものだな」
「そん腰の軽さを見込んだ作戦をおはんが立てたとじゃ。松尾さあはそいを更に凌いだ訳じゃ」

日高は何も答えなかった。

伝之助は話題を変えた。

「そいで、鍋山さあの兄上にはそげん世話なったとか」

鍋山の兄の事は知らない。
伝之助が薩摩の中枢にいた時から聞いた事は無かった。

もっともその頃は今の藩主ではなかったので、人斬りである伝之助の耳に入るはずもない。

「孝之進の兄上、喜一郎きいちろう殿には世話になった。今の立場へと引き上げてくれた人だ。薩摩の事を想い、表の事も裏の事も引き受け、清濁併せ呑むかの如くお人だった。しかし自身の能力の限界を超えていたのか、夢半ばで命を落とした」

日高の言葉に伝之助は答えず、黙って続きを促した。

「喜一郎殿の意志を引き継いだ幸則と俺は、喜一郎殿が一人でやっていた事を二人で手分けし、また二人でやる事で手を広げた。表を幸則が、裏を俺が引き受けたのはそう言った経緯だ。お前が人斬りとなる少し前の話だ」

「そげんお方がいたとか」
「ああ。もしお前が人斬りとして活動している時に生きておられたら、お前に斬られていたかもしれんな」

日高の言葉に伝之助は何も返す事が出来なかった。

当時の伝之助なら、今回日高が鍋山を斬らなかったと言うような事は無いだろう。
相手が誰であっても命令とあれば、正義を信じて斬っていたに違いないと自身でも思った。

「何もお前を責めている訳じゃない。当時の状況ならお前の事情は仕方がなかった。それは理解している。何か不快に思ったなら申し訳ない」

「うんにゃ。そげんこつなかよ。ただ当時のおいならだいが相手でも斬ったじゃろなち考えよっただけじゃ」

「そうか……そう言えば当時は俺の事は知らなかったのか」

日高の問いに伝之助はすぐに答えなかった。

日高も黙っている。やがて伝之助が答えた。

「日高ち言う名もどげんもんかも知らんかった。じゃっどん薩摩の影なるもんがおる言う噂は聞いちょった」
「ほう……」

「松尾さあんこつも警戒はしちょった。じゃっどん松尾さあを斬れば事が大事んなる。上意討ち言うこつにしようとも、松尾さあはそげな尻尾は出さん。じゃっで影なるもんを探し出して斬れち言うこつは上から言われちょった」

「そうか。俺もお前の存在は知っていた。尤も通り名の方の薩摩隼鬼さつましゅんきだがな。互いに隠された身だ。姿も名も知らぬが、俺は警戒だけして斬る云々は命令もされていなかったし、考えてもいなかった」

しばらく互いに沈黙した。
やがて伝之助が口を開く。

「当時のおいとおはんが斬り合ったら、おいはやられちょったじゃろ。あん時ならおいは斬られて本望じゃち心の底から思ったじゃろな」

「何を言う。お前が生きていたから今の結果がある」
「わかっちょる。じゃっであん時じゃち言うちょる」

「じゃあ俺達はあの時出会わなくてよかったな」
「そうじゃの」

二人とも微かに笑う。

それきり話は途絶え、ひたすら歩を進めた。
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