二人の之助ー終ー

河村秀

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三章ー日高との約束ー

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途中の宿屋で一晩過ごし、翌日の昼過ぎに彦根に着いた。

「そいで、今日中に仕掛けっとか。そいとも明日出直すか」

「言った通り一刻を争う。今日中に仕掛けたい。だが藤井は多忙だ。まだ自分の屋敷には帰っていないだろう」

「日が傾く頃か」
「そうだな。出来れば小木と連絡を取りたいがそうもいかない。小木も同じように思っているだろう。つまりいつでも来て良いよう態勢を整えていると言う事だ」

「ほんのこて信用なっとか」
「藤井を消したいと言う一点で互いに信用している。それまでの関係だがな」

藤井を斬った後を思うと面倒だと思うが、ようやく藤井を斬れると思うと心が踊る。

「薩摩にはまっこて事が及ばんじゃろな」

「その点は抜かりない。一番気を付けていた事だ。小木は薩摩と事構える腹は無い。例え俺を処分出来なくとも、薩摩に事が及ぶ事は無いだろう。そうなると小木も無事では済まない」

薩摩に事が及ぶと藩対藩の問題となる。
それだけでなく江戸も介入してくる事態になり兼ねない。
そうなると徹底的に調査が入る。

日高が生きていれば日高が、日高が生きていなくとも真実を知る松尾が証言し、小木も窮地に追いやられる事となる。
小木は藩内で事を済ませたいのだ。

「そいを聞いて安心した。おいも躊躇なく刀を振れる」

伝之助はにっと笑って言った。

逃走経路をいくつか考え、下見をした。
あらゆる場合を想定して打ち合わせる。

逃走する頃は日が暮れるだろうか。
いや、それ程時が掛かるとも思えない。
一瞬の出来事となるだろう。


あっと言うう間に日が傾いてきた。
いい頃合いに話もまとまる。

「そろそろ行くか」

日高が言った。

伝之助は「おう」と返し、歩き出した。


藤井の屋敷に向かう。

日高は最近まで出入りしていたが、伝之助も過去に出入りしていたのだ。
屋敷の場所はもちろん、内部もしっかりと記憶している。

互いに無言であった。

もう何も語る事は無い。
後は任務を遂行するだけだ。

日高の言う通り、顔の包帯は気にならなくなっていた。


藤井の屋敷が見えて来た。

屋敷は他の上級武士が集う中に堂々としてある。
一番奥地にある藤井の屋敷は、他に比べて大きく豪勢だ。

騒動を起こせば藤井の屋敷内だけでなく周囲の侍も加勢してくるだろう。

逃走経路は栄えた表通りではなく、ひっそりとした裏手に限られてくる。

裏手は森が広がっており、小木も裏手から逃げるよう言っている。
つまりそこに部下を配置しているのだろう。

伝之助と日高はあえて表通りから逃走する事にした。

そして最初の追手を振り切れば、すぐさま裏手に繋がる森に紛れ込む。
そこからは京に向かってひたすら逃走する。

それが一番理想の形であった。

しかし京に逃走するのが難しいのであれば、別の方法をいくつか打ち合わせて考えている。
だが最初の表通り突破は絶対事項であった。

藤井の屋敷の前には門番が二人いた。
中にもたくさん侍がいるのだろうが、一体どれ程の者が小木の息のかかった者なのかはわからない。

「藤井殿に日高から報告があると伝えてくれ」

日高が門番に言う。
門番は訝しむ目を向けて聞く。

「隣の包帯の者は……」

「木本殿をご存じか」
「存じております」

「この者は木本殿の所の浪人だ。数々の修羅場を潜ってきた者だが、その過程で火をつけられた事があるそうだ。そして顔中大火傷を負ってこのように包帯づくめとなった。それだけでなく、喉まで焼けてしまってな、口もきけない。生きていたのが奇跡だが回復し、見事な腕前で木本殿を助けていた。その木本殿の事で可及的速やかに、藤井殿に報告したい事がある」

「しかしあなたは……」

門番の者は日高の事を知らないようだ。

日高は極力人に知られないようにして来たのだろう。
今まで一人でここに入る事は無かったのかもしれない。

「藤井殿から客人が来る事を聞いておられないのか。ならば日高と木本殿の所の浪人から急ぎ報告があると伝えてくれ。そうすると伝わる。藤井殿から許可が下りなければ大人しく引き下がる」

その時はただでは帰してくれないだろうが、必ず中に入れると信じるしかない。

藤井に気付かれてはいないだろうかと今更ながら気になったが、その時はその時だ。
もうここまで来るとなる様にしかならない。

「わかりました。ここでお待ち下さい」

門番の内一人が中に入る。
入ったすぐの所にも人がいるのだろうか、何やら話している様子だ。

しばらくして門番が出て来る。

「今、中の者に伝えましたのでお待ち下さい」

そう言った門番は決して信用している訳ではなさそうである。

伝之助と日高の事を怪しむ目を向けている。
片時も目を離す気はなさそうだ。

しかしすぐに勝手口が開かれる。

「どうぞこちらからお入り下さい」

門番とは別に、中から開けた男が言った。

門番はそれを機に警戒を解いたようである。


中に入ると、外からでも予想出来たが、かなり広大な敷地である。

正面の大きな屋敷ではなく、遠く離れの方へ案内される。

本宅からはいくつか廊下を介して繋がっているが、かなり離れている。

離れの中にて藤井を待つ。

するとすぐに扉が開かれた。
藤井かと思われたが小木であった。

「日高殿、木本殿の所の浪人とはその者か」
「ああ小木殿か。そうだ。名は伏せておきたいそうだ」

「名などいい。そんな事よりなぜお一人ではないのだ。藤井殿に怪しまれるぞ」

小木はおどおどとした様子で言うと、伝之助に目を向ける。
当然伝之助とは疑った様子はないが、怪しい者を見る目だ。

どうやら中に通したのは小木の様で、まだ藤井には話が行っていないようである。

藤井に直接話が行っているとすると、通されなかったかもしれない。

「それなら先に小木殿に報告出来て良かった。実は……」

日高は木本を斬る事には成功したが、松尾を斬る事に失敗し、木本の浪人の助けを借りて命からがら逃れて来た事を話した。

そして計画通り藤井を斬りに来たと言った。

「日高殿、そのようなお話は……」

小木にとって松尾を斬る云々はどうでもよかった。
寧ろ失敗に終わった方が薩摩とのいざこざもない。

大事な事は木本を始末したという報告と、これから藤井を斬ると言う段取りだ。

それを初めて会うこの包帯男に聞かれて大丈夫なのかと言う事の方が心配であった。

「大丈夫だ。この者は我々の考えに賛同してくれている。全面的に協力してくれるそうだ。万が一俺が仕損じないよう後を任せている」

「そうか……」

小木は言葉とは裏腹に頭であれこれと考え巡らせる。
あらゆる可能性を考え、どれが一番自身にとって都合がいいか考える。

小木はその貧相な面持ちと卑屈な様子からは想像もつかない程、頭が切れるのである。
だからこそ長年藤井の右腕として君臨しているのだ。

「まあいい。藤井殿には上手く言うとしよう」

伝之助と日高、二人がいても問題ない所か都合がいいと考えたようだ。

「ではお二人で仕留め、その後計画通りに進める予定ですな」
「いかにも。すぐに逃走し、小木殿の用意した隠れ家にて暫く身を隠すつもりだ」

「承知した。確認だが、この離れの近くに部下を忍ばせておく。事が済めばその部下に着いて行くと、後は上手くやってくれる。仕留めるのに時をかけぬように。藤井に覚られるとどう出るかわからん」

「心得ている」

もちろん小木の言う通りにはならない。
小木の部下に着いて行く気もない。

小木の進言とは違った方向に逃走するし、小木の用意する隠れ家に行くつもりもない。

「ふ、ぬん」

伝之助が身振り手振り何かを伝えようとする。
日高はその様子を見て確認する。

「どうやら俺も小木殿の隠れ家に逃げていいのかと言っているようだ」
「もちろん」

小木は即答した。
もちろんそんな隠れ家は無いし、生きて彦根を出すつもりもない。

小木は密かに笑った。

伝之助と日高も密かに笑っていた。

伝之助が自身も隠れ家に言っていいのかと確認を取る事で、小木の抱く不信感も緩和するであろうと言う目論見での演出であった。
そしてそれは成功したようだ。

「では藤井殿を呼んで来る。よろしいな」
「ああ。頼む」

日高の返事を聞くなり、小木は去って行った。

「おいの演技、上手く行ったようじゃの」
「お前の演技は関係ない。こんな綱渡りは初めてだ」

日高は冷や汗を流していた。

「大山、いくつか注文がある」
「ないじゃ」

「むやみやたらに斬るな。相手に死人が出過ぎると大事になる。薩摩に事が及ぶ」
「よか」

「斬るとしても天地流をあまり使うな。剣術に詳しい者がいたら、斬られた者を見て天地流の遣い手と勘付かれる恐れがある」

「そいは相手にも寄るど。遣い手じゃと難しくなる」
「わかっている。だからあまり使うなと言った」
「よか」

立つ鳥跡を濁さずか。
伝之助はそう思った。

確かに日高の言う通りである。
薩摩の者であると言う痕跡を残す訳にはいかない。

あくまで最近藤井が懇意にしていた浪人と、その者が手引きをした浪人の仕業で、個人的な怨嗟と言う事にしなければいけない。

「手筈通りだ。藤井はお前が斬れ。それでここを飛び出して正門へ向かえ。俺は想定外の事が起きたとしてお前を追う。この離れの近くにいる小木の部下にもそう伝える。それで少しばかりの時間稼ぎにはなるだろう。正門には二人で向かう。人がいれば俺に任せろ。いなければ門を出ると門番がいるだろうから強行突破だ。正門を突破すれば後は騒ぎが広がる前に駆け抜けよう」

「小木はさぞかし混乱するじゃろな。逃げ道は一つしかなかち決め込んどる。じゃっどん薩摩侍は敵中突破が最善の道なら躊躇なくそん道を行く」

伝之助はにっと笑った。

日高は能面顔を僅かに緩めて頷いた。
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