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32.大きな木。
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アルメリア国。
その王都を見下ろす小高い丘の上に、一本の大木がまるで空を掴もうとするかのように太い枝を空に向かって広げて立っていた。その根元には立派な幹に背を預けて座り込んでいる一人の男の姿があった。頭部に布を巻きつけ、見慣れない服装に小麦色の肌が、この男が異国の者であることを顕著に表していた。側には大きな荷物が無造作に置かれている。異国から来た行商人のようであった。
『ふう。……甘かったな』
苦みを帯びた声で呟きながら俯いていた男が顔を上げた。その顔は若々しく、精悍ではるが、どこか品を感じる整った顔立ちをしていた。
『やはり、アルメリア国の繁栄は我が国とは比べようもない。特に王都は聞いていた以上だ。だが、やっとの思いでここまで来たというのに、商機を得るどころか、話もろくに聞いてもらえなかった……。このままでは、国に戻る旅費さえ無い……』
相当困っていたのだろう、最後の言葉は消え入りそうなほど弱弱しい。
『何か、お手伝いをしてさしあげましょうか?』
突然、頭上から降って来た声に、若者はバッと立上がり、声がする方へと顔を向けた。
「え……?」
驚くことに、木の上に十代前半の少女がいた。太い枝に腰かけ、笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。金色の髪に晴れた空のような青い瞳の可愛らしい顔の少女だった。質素なワンピースを着た姿は町にいた娘達と同じで、特に変わったところはない。
ただ、その姿で木に登ったのかと思うと、かなりのじゃじゃ馬なのかもしれなかった。
『……普通、木に登ったりしないのでは?』
『? 普通って、なあに? 木に登ろうって思わないってこと? でも、こんな素敵な木があったら、登りたくなるでしょう?』
少女は可愛らしく首を傾げ、立て続けに問いかけて来た。と言っても、反発しているのではなく、どうやら本当に不思議に思っている様子に、若者は返答に窮する。
そして、ふいに気付いた。今二人が話している言葉がアルメリア国のものでない事に。
「……君は、私の国、シャンドゥラ国の言葉が分かるのか?」
「あら、あなたは、この国の言葉が話せたのね?」
驚き唖然としている若者に対し、少女は嬉しそうに声を弾ませる。
若者が驚くのも無理はなかった。アルメリア国の言葉はこの大陸では広く使用されているが、大陸のさらに東にあるシャンドゥラ国との間には、いくつかの国とさらに砂漠が横たわっており、両国の親交は無かったからだ。その為に、アルメリア国ではシャンドゥラ国の存在さえ知らない者の方が多く、言葉が分かる者など皆無だった。若者はその事をこの国に来て嫌というほど痛感させられていたのだ。
なのに、このようなのどかな丘の上で、母国語を流暢に話す者と出会えたことは、まさに奇跡と呼べるほどだった。驚きと嬉しさのあまり若者は別の人物が近づいて来ていた事に気付けなかった。
「うっ……」
突然、背後から伸びて来た腕に羽交い絞めにされ、若者は息を飲む。喉に短刀がしっかりと当てられていたからだ。
(くっ! 油断した……)
冷や汗が背を流れる。
「何をしている?」
背後から問う声は無機質だが、まだ声変わり前の少年のものだった。
だが、安心することは出来なかった。有無を言わせない響きがあったからだ。恐らく、若者の出方次第では、簡単に喉を掻っ切ることも厭わないと思えた。
「ルーク! やめて! その人は何もしていないわ。むしろ異国から来てお困りのようよ」
「……」
しばし沈黙が流れ、唐突に若者を拘束していた腕が解かれ、刃も喉から離れた。
「はあ~」
心から安堵した若者は、力が抜けたようにその場に膝をついた。
「私が受け止めますから、そこから飛び降りてください」
『え⁈』
ふいに聞こえてきた言葉に、若者が振り返った。木の下で、十代半ばと思しき少年が、少女に向かって両手を広げて立っていた。
「うわっ! 危ない! 止めろ!」
止めようとする若者の声と少女が飛び降りるのが同時だった。少年は少女をしっかりと腕で抱き留めてから、地面に転がる。
「大丈夫か? 何て、無茶な事を!」
怪我を案じながら若者は二人に駆け寄る。すると、少女が少年の腕の中から顔を上げた。
「大丈夫よ。ルークはいつも上手に私を抱き留めてくれるの」
そう言って、少女は屈託なく笑いながら、若者が出した手を取った。
「え? いつも⁈」
「ええ、そうよ」
若者は驚愕の眼差しを少年に向ける。少年は自力で立ち上がると、服に付いた土を払った。
「……本当に、大丈夫なのか?」
探るように問えば、少年はちらりと視線を寄越し、無言で小さく頷いた。少年はそのまま少女の手を掴むと、しっかりとした足取りで丘を下り始めた。本当に大丈夫なようだ。
「あなたも一緒に行くのよ! 早くいらっしゃい!」
「え? あ……、ま、待ってくれ!」
振り向き手を振る少女の姿に、若者は急いで荷物を背負うと、彼女達の元へと駆ける。
「私の名前はライアンというんだ。君の名前はルークだったね」
少女の隣に並ぶと、ライアンは自分の名前を告げ、少女を挟んで向こう側にいる少年に声を掛けた。少年はやはりちらりとライアンに視線を向けただけで、すぐに前を向いてしまった。
「そうよ。彼の名前はルーク。私を守ってくれているの」
少年の代わりに応えてくれたのは少女だった。
「ライアン。私の名前は、イリアよ。よろしくね」
そう言った少女の笑顔はキラキラと輝いて見えて、ライアンは眩しそうに目を細めたのだった。
********
「すっごい大きな木だな。……なんか夢に良く出てくる木に似ている」
立派な幹に手を置き、太い枝を見上げながら呟いたのは、福井奏だった。
その王都を見下ろす小高い丘の上に、一本の大木がまるで空を掴もうとするかのように太い枝を空に向かって広げて立っていた。その根元には立派な幹に背を預けて座り込んでいる一人の男の姿があった。頭部に布を巻きつけ、見慣れない服装に小麦色の肌が、この男が異国の者であることを顕著に表していた。側には大きな荷物が無造作に置かれている。異国から来た行商人のようであった。
『ふう。……甘かったな』
苦みを帯びた声で呟きながら俯いていた男が顔を上げた。その顔は若々しく、精悍ではるが、どこか品を感じる整った顔立ちをしていた。
『やはり、アルメリア国の繁栄は我が国とは比べようもない。特に王都は聞いていた以上だ。だが、やっとの思いでここまで来たというのに、商機を得るどころか、話もろくに聞いてもらえなかった……。このままでは、国に戻る旅費さえ無い……』
相当困っていたのだろう、最後の言葉は消え入りそうなほど弱弱しい。
『何か、お手伝いをしてさしあげましょうか?』
突然、頭上から降って来た声に、若者はバッと立上がり、声がする方へと顔を向けた。
「え……?」
驚くことに、木の上に十代前半の少女がいた。太い枝に腰かけ、笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。金色の髪に晴れた空のような青い瞳の可愛らしい顔の少女だった。質素なワンピースを着た姿は町にいた娘達と同じで、特に変わったところはない。
ただ、その姿で木に登ったのかと思うと、かなりのじゃじゃ馬なのかもしれなかった。
『……普通、木に登ったりしないのでは?』
『? 普通って、なあに? 木に登ろうって思わないってこと? でも、こんな素敵な木があったら、登りたくなるでしょう?』
少女は可愛らしく首を傾げ、立て続けに問いかけて来た。と言っても、反発しているのではなく、どうやら本当に不思議に思っている様子に、若者は返答に窮する。
そして、ふいに気付いた。今二人が話している言葉がアルメリア国のものでない事に。
「……君は、私の国、シャンドゥラ国の言葉が分かるのか?」
「あら、あなたは、この国の言葉が話せたのね?」
驚き唖然としている若者に対し、少女は嬉しそうに声を弾ませる。
若者が驚くのも無理はなかった。アルメリア国の言葉はこの大陸では広く使用されているが、大陸のさらに東にあるシャンドゥラ国との間には、いくつかの国とさらに砂漠が横たわっており、両国の親交は無かったからだ。その為に、アルメリア国ではシャンドゥラ国の存在さえ知らない者の方が多く、言葉が分かる者など皆無だった。若者はその事をこの国に来て嫌というほど痛感させられていたのだ。
なのに、このようなのどかな丘の上で、母国語を流暢に話す者と出会えたことは、まさに奇跡と呼べるほどだった。驚きと嬉しさのあまり若者は別の人物が近づいて来ていた事に気付けなかった。
「うっ……」
突然、背後から伸びて来た腕に羽交い絞めにされ、若者は息を飲む。喉に短刀がしっかりと当てられていたからだ。
(くっ! 油断した……)
冷や汗が背を流れる。
「何をしている?」
背後から問う声は無機質だが、まだ声変わり前の少年のものだった。
だが、安心することは出来なかった。有無を言わせない響きがあったからだ。恐らく、若者の出方次第では、簡単に喉を掻っ切ることも厭わないと思えた。
「ルーク! やめて! その人は何もしていないわ。むしろ異国から来てお困りのようよ」
「……」
しばし沈黙が流れ、唐突に若者を拘束していた腕が解かれ、刃も喉から離れた。
「はあ~」
心から安堵した若者は、力が抜けたようにその場に膝をついた。
「私が受け止めますから、そこから飛び降りてください」
『え⁈』
ふいに聞こえてきた言葉に、若者が振り返った。木の下で、十代半ばと思しき少年が、少女に向かって両手を広げて立っていた。
「うわっ! 危ない! 止めろ!」
止めようとする若者の声と少女が飛び降りるのが同時だった。少年は少女をしっかりと腕で抱き留めてから、地面に転がる。
「大丈夫か? 何て、無茶な事を!」
怪我を案じながら若者は二人に駆け寄る。すると、少女が少年の腕の中から顔を上げた。
「大丈夫よ。ルークはいつも上手に私を抱き留めてくれるの」
そう言って、少女は屈託なく笑いながら、若者が出した手を取った。
「え? いつも⁈」
「ええ、そうよ」
若者は驚愕の眼差しを少年に向ける。少年は自力で立ち上がると、服に付いた土を払った。
「……本当に、大丈夫なのか?」
探るように問えば、少年はちらりと視線を寄越し、無言で小さく頷いた。少年はそのまま少女の手を掴むと、しっかりとした足取りで丘を下り始めた。本当に大丈夫なようだ。
「あなたも一緒に行くのよ! 早くいらっしゃい!」
「え? あ……、ま、待ってくれ!」
振り向き手を振る少女の姿に、若者は急いで荷物を背負うと、彼女達の元へと駆ける。
「私の名前はライアンというんだ。君の名前はルークだったね」
少女の隣に並ぶと、ライアンは自分の名前を告げ、少女を挟んで向こう側にいる少年に声を掛けた。少年はやはりちらりとライアンに視線を向けただけで、すぐに前を向いてしまった。
「そうよ。彼の名前はルーク。私を守ってくれているの」
少年の代わりに応えてくれたのは少女だった。
「ライアン。私の名前は、イリアよ。よろしくね」
そう言った少女の笑顔はキラキラと輝いて見えて、ライアンは眩しそうに目を細めたのだった。
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