いずれ剣聖にいたる帝国の守銭奴

十二田 明日

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 不意に第三者の声がした。それは酷く耳馴染みのいい声で、聞く者を安心させる響きがあった。

「え……」
「お前は──」

 いるはずのない人物が目の前に立っているという事実に脳が追いつかない。しかしフェリスが顔を上げた先にはナハトが確かに立っていた。

「────ナハト」
「遅れてすまない」

 フェリスを安心させるように微笑みかけてから、ナハトは少し顔を赤らめて衛兵団の外套をフェリスに向かって放った。

「それを羽織っていてくれ」
「す、すまない……!」

 自分が半裸に近い状態だということを思い出し、フェリスは慌てて外套を羽織って身体を隠す。ついさっきまでの絶望が嘘のように、ナハトが来たというだけでフェリスは立ち直っていた。
 ロランスは信じられないものを見るように、ナハトを見やる。

「き、貴様どうやって……」
「最低限の治療が終わってすぐ、治療院の人間を振り切って追いかけてきた」

 瀕死の状態から、すぐに跳び起きてここまで来たのだ。その精神力にロランスは言葉を失う。
 ナハトはフェリスにチラリと視線を送る。 

「ナハト……」
「俺の言葉を信じて、すぐに動いてくれてありがとう。お陰で間に合ったようだ」
「しかしナハト、家が──子供たちが……」

 今にも消え入りそうなフェリスに、ナハトはあっけらかんと答える。

「子供たちなら無事だよ」
「……え」
「何ぃっ⁉」

 驚愕するフェリスとロランスを尻目に、

「ほら」

 とナハトが近くの林を指さした。その木陰からリーナが顔を出す。

「──たしかに無事よ、心配には及ばないわ」
「リーナ! どうして……⁉」

 驚きとリーナたちが無事だった嬉しさで、フェリスは口元を押さえた。ナハトが種明かしをする。

「実はあの家の床には抜け穴が隠してあったんだ。地下から近くの茂みの中に逃げられるように出来てたんだよ。秘密の脱出口だ」
「何だってそんなものを……⁉」
「貴様のような輩がいるからだ」
「何ぃ?」
「奴隷を欲しがる貴族は一定数いるし、そんな輩に売りつけようとする人さらいもいるんで、こういう対策を取っておいたのさ。まさか家ごと吹き飛ばされているとは思わなかったが」
「……」
「とりあえず、まだ俺の大切なモノは何も失われちゃいないようだ」

 飄々と答えるナハトにロランスは鼻白み、忌々しげに舌打ちをする。

「この野ネズミ風情が、私を虚仮にしおって……!」

 ロランスのフラストレーションは限界を超えたらしい。今にも憤死しそうな勢いで、目を血走らせてナハトを睨んでいる。
 しかしナハトは気にする様子も見せず、フェリスに優しく語りかけた。

「フェリスが戦ってくれたお陰で、俺は大切なものを失わずに済んだ。本当に感謝している」

 その言葉にどれだけ救われただろうか、フェリスは精一杯の気丈さで答える。

「そんな事は……ない。私は……自分のすべき事をしただけだ」
「本当によく頑張ってくれた。そこで見ていてくれ、すぐに片付けるから」

 そう言うなり、ナハトのまとう雰囲気が変わる。
 静かだが刺すような鋭い殺気──ナハトもまた、ロランスという存在に腹を立てていた。目の前の男は全身全霊をもって斬らねばならない。 

「すぐに片付ける──だとぉ……⁉」

 限界を超えたロランスのフラストレーションが爆発した。
 もはや理性など吹き飛び、ナハトへの怨嗟に燃える餓鬼のごとき醜悪な顔で、魔剣を構える。
 かくして戦いの火蓋は切って落とされた。

「舐めるなぁぁぁ! やはり貴様だ! まずは貴様を八つ裂きにしてやる‼」
「ロランス──お前のような下衆には無理だ」
「様をつけんか平民がぁ‼」

 ロランスは魔剣を担ぎ、力を溜める。
 また大技を放つつもりのようだ。

「気を付けろナハト! あの斬撃は受けられない‼ 受けごと斬られる‼」
「受けるまでもないさ」

 フェリスを巻き込むまいと、ナハトはロランスを誘うように駆け出す。ロランスはつられてフェリスから離れていった。
 少し離れた地点でナハトが足を止めると、ロランスも足を止める。
 両者の距離はおよそ十五メートル。ナハトの斬撃は決して届かない、絶対的にロランスが有利な状況だ。

「馬鹿め、死ねぇっ!」

 ロランスは剣を振り下ろし、斬撃を飛ばす。フェリスにしたような、嬲るような遊びはない。最初から本気で殺すための攻撃だ。
 あわやナハトは真っ二つに──ならなかった。

「──何⁉」

 風の魔力による不可視のはずの斬撃を、ナハトは苦も無く避けて見せた。それも大きな動きではなく、紙一重で見切りほとんど体勢の崩れもなく躱している。
 続けざまにロランスは斬撃を飛ばし続けるが、一向にナハトには当たらない。見えないはずの斬撃が、見えているかのように。

「何故だ⁉ 何故当たらない⁉」
「起こりが大きすぎるからだ」

 何てことのない口調でナハトは言う。

「その飛ぶ斬撃、剣の振りに合わせて魔力を飛ばしているのだろうが──遠くに飛ばそうとすればするほど、動きが大振りになる。それではいくら速くても当たらんよ。一々どこに斬り付けるか予告しているようなものだ、そんな攻撃当たるわけがない」
「魔力の斬撃は見えないはずなのに何故こうも避けられる──⁉」
「斬撃を飛ばしていると言ったな。お前の飛ぶ斬撃は剣を振る動きと連動しているのだから、お前の迂遠な太刀筋を見れば軌道の予測など容易い」 
「くっ……この!」

 フェリスでは攻略できなかった間合いをナハトは苦も無く攻略し、するすると間合いを詰めて既に両者の距離は通常の剣技の間合いと変わらなくなっている。
 恐ろしい程の読みの早さと正確さである。
 間合いを詰めながら、ナハトはこの男には珍しい挑発的な表情でロランスを煽る。

「剣を振らずとも斬撃を飛ばすことも出来るらしいが、それには精神の集中が必要なのだろう? それなら俺を斬れるかもしれないぞ」
「ぐぅ……!」

 ロランスは歯噛みしてナハトを睨む。
 ナハトの指摘は当たっていた──魔剣の力を使い、剣を振らなくとも意念を込めることで斬撃は飛ばせる。しかしそれには相応の集中力を要し、剣を振るうように乱発はできず、始動も遅くなる。
 その事を大通りの一件でナハトは察していたのだ。そもそも魔剣を持っているだけで斬撃を苦もなく飛ばせるのなら、自分ひとりだけで暗殺を行えたし、ナハトを討ち漏らすこともなかっただろう。
 魔剣を振らずに斬撃を飛ばすのは難しいし、隙が大きいのだ。

 もし今ナハトを斬るために、剣を振らずに斬撃を飛ばそうと集中すれば、それ自体が隙となり、たちまちナハトに斬られてしまう──それがロランスにも分かっているから、ロランスは当たらぬと分かっていても、魔剣を振り回して斬撃を飛ばし続けるしかない。

(クソッ! クソッ‼ こんなはずでは──)

 追い込まれるロランスにナハトは告げる。

「己の力を過信しすぎたな。やはりお前は底の浅い男だ──あのダブリスという男の方が、余程手強かったぞ」
「あのケダモノより私が劣るだと⁉ 痴れ者がぁああああ!」

 ナハトは遂にロランスを刃圏に捉える。しかしロランスもむざむざとやられる男ではなかった。
 剣を前方に振りながら、斬撃ではなく拡散する暴風を発生させた。攻撃範囲が線の軌道を描く斬撃と違い、暴風は面の攻撃である。
 流石にこれは剣で防ぐことも、体捌きでも避けることができず、ナハトは数メートルほど押し飛ばされる。
 また間合いが開いた。ロランスはほくそ笑む。

(間合いだ。間合いさえ取ってしまえば、恐れるに足らず……!)

「くぅ──ああああああああああああっ!」

 ロランスは続けざまに二発、斬撃を飛ばす。しかしそれはナハトにではなかった。ナハトの両脇に向けて、広範囲に斬撃が飛ばされる。

(左右に斬撃を飛ばして、逃げ道を塞いだ⁉)

 見守っていたフェリスが息を飲む。
 ロランスは左右の逃げ場を斬撃で塞ぎ、そのうえでナハトを討ち倒さんと真正面からの打ち下ろしを狙ってきたのだ。

「──ナハト‼」
「死ねぇええええええええええええっ‼」

 フェリスは心配に声を張り上げ、ロランスは勝利を確信する。
 詰みだった。
 あの斬撃を受ければ、受けた剣ごと断ち切られる。左右には避けられず、後ろに引いても斬撃が飛んでくる。
 飛ぶ斬撃と防御不可能な斬撃という二つの性質を上手く組み合わせ、ロランスはナハトに対して必殺の状況を作り上げたのだ。

(やはり才だけは大した男だ……!)

 ナハトは内心で舌を巻く。
 ロランスは振りかぶった魔剣を真っ向から振り下ろす──あの魔剣が振り切られた時、ナハトの命運は尽きるのだ。
 左右に逃げても死ぬ。後ろに下がっても死ぬ。絶体絶命の状況の中、ナハトが取った手段は前者の二つではなかった。
 頭上に迫る剣閃に怯むことなく、ナハトは真っ直ぐ前に踏み込んだ。

 ──東方剣術に伝わる口伝がある。曰く、『斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ──』

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ‼」

 口伝を叫びながらナハトは刀を大上段に振りかぶるや否や、真っすぐに振り下ろす。
 二つの剣閃が煌めいた。

「…………」
「なっ──⁉」

 ナハトの刀はロランスの頭蓋を割り、ロランスの魔剣はナハトの左袖をわずかに切り裂いていた。
 ロランスは驚愕に目を見開いている。
 理解できないのだ。自分は確かにナハトに向かって斬りつけたのに、何故何もない虚空を切り裂くだけで終わったのか。

「凄い──!」

 唯一決着の瞬間を目撃したフェリスだけが、驚嘆の声を漏らす。
 フェリスには理解できていた。今の一瞬で行われた絶技の全貌が。
 ナハトはロランスの一撃のタイミングと軌道を完全に見切り、その上で正中線上をただ真っすぐに剣を振り下ろしたのだ。

「東方剣術の絶技がいち切落きりおとし』」

 ナハトの刀と魔剣は交差するが、接触してるのが魔剣の腹と刀の鎬であり、魔剣の刃の軌跡上にはないので、魔剣に刀を斬り折られる事もない。
 同一の線上をナハトの刀とロランスの魔剣が取り合い、ナハトの刀の方が正中線上を独占した結果魔剣は外へと弾かれ、ナハトの刀だけがロランスに届いたのだ。

 刹那の見切りと正確な斬撃が可能にする、一動作で防御と攻撃を両立する絶技──それがナハトの振るった剣の正体だった。

「死してその罪をあがえ」
「こんな──馬鹿な……」

 ロランスはそう言い残し、最後まで自分の敗北を受け入れられぬまま、ドサリと崩れ落ちて絶命した。

「ふぅ……」

 ロランスが絶命するのを見届けてから、ナハトもそのまま仰向けに倒れた。

「ナハト⁉」

 フェリスは慌ててナハトに駆け寄る。

「大丈夫か、しっかりしろ!」
「いや面目ない……目が回って」
「身体が癒えていないのに無茶をするからだ」

 やや青白い顔でナハトは目を回す。傷が全快していない状態で大立ち回りをして、どうやら貧血を起こしたらしい。
 少し前まで生死の境を彷徨うような重傷を負っていて、治癒魔術を受けたとはいえフェリスと子供たちを気にかけて、完全に治療を終える前に治療院を抜け出てきたのだ。
 貧血を起こして倒れるのも無理からぬ事だろう。むしろ今の今まで、よく持っていたと言うべきか。

 フェリスは倒れたナハトの頭を膝に乗せて、そっと撫でる。戦い抜いた戦士を慰める聖女のように。

「だがそのお陰で助かった、本当に礼を言うぞナハト」
「このくらいなら安いものですよ──しかし本当に疲れた。後は頼みます」

 フェリスの太ももを枕にしてナハトは寝息を立て始めた。
 いくら疲れ果てたとはいえ、上席である女性に膝枕をされたまま公然と寝始めるとは──さすがのフェリスも苦笑を禁じ得ない。

「……本当にそなたは大した男だ」

 もう一度フェリスはナハトの頭を優しく撫でた。
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