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第2章 呪われし者

変化

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(…………遅い!)

 腹心の帰りが。かれこれ15分ほどロビーで待たされている。1時間ほどで食事を切り上げようと思っていたのに、気がつけば3時間も経っていた。

(だから言ったんだ……)

 食べ過ぎたら気持ち悪くなると。甘いモノに目がない腹心は、パフェやケーキで飽きたらず、周りが止めるなか巨大な器に入ったプリンをペロリと平らげた。それも2つ。しかもそれだけではない。やっぱり甘いモノ以外も食べたいと、他の料理も色々と注文していた。

──茶木……まだ食べるのか?

──大丈夫っすよ、これくらい!

 なんて笑っていたが、30分後にはトイレへと駆け込んで行く。真っ青な顔をして。

「……先に行くか」

 馬鹿らしくて待ってられない。狼子は上の階へと戻ろうと決めた。

「──狼子!」

 エレベーター待ちをしていると遠くの方から声をかけられた。その方向に視線をやると、見知った人物がこちらに歩いてくる。

「鷹臣? こんなとこで会うなんて奇遇だな」

 妃 鷹臣きさき たかおみ、彼は雅家お抱えの医者であり、普段は東区の診療所にて副院長として働いている。

「ホテルの客が急患でね。診療所には来られないって我が儘言うから、仕方なくこっちから出向いたんだ」

「そっか、大変だな。で? もう大丈夫なのか?」

 そう聞くと、鷹臣の表情がうんざりしたものに変わる。

「それが、いざ部屋に行ってみたら『もう治った。このまま帰すのは失礼だから一杯酒を奢る』なんざ言いやがって」

 あの女……と、もともと低い声がさらに低く唸る。とどのつまり彼に好意を寄せている女性客は、病気を口実に部屋へと誘いだし、そのままデートへ発展させようとしたのだ。

「相変わらずモテモテだな。医者せんせいは」

「やめろ。気色悪い」

 からかう狼子に対し本気で嫌がる鷹臣。雅家の分家に当たる妃家次期当主とは、いわゆる幼なじみの関係だった。

「お前は、仕事か?」

「うん。隣国の王子がお忍びで来るから、その警護」

「そういや昨日、虎幸がそんなこと言ってたな……」

 眼鏡を外して眉間に手をあてる。疲れているのだろう、声は若干掠れて目にはうっすら隈が。せっかくの男前が台無しである。

「寝不足か?」

 ここ一ヶ月ほど雅家いえには戻っていないはず。疲労困憊、それが全面に見てとれる。狼子は鷹臣の頬を優しく撫でた。

「無理するなよ? お前に倒れられたら、雅家うちが困る」

 rebirthには医者せんせいと呼ばれる者がいくらか存在するが、鷹臣を含め皆、医師免許は持っていない。そもそも免許を取得するには本国への大学入学が前提であるため、どんなに賢かろうが島から出られない人間には無意味である。妃家は雅家と共にrebirthへ移される前から、医学に精通していた家系だったので、代々その技術を親から子へと伝承してきた。だがそれ以外の者が医者になるには、妃家に指導を仰ぐか、独学で医学書を読み漁るかのどちらかしかなかった。

「昌子さんの手料理めしが恋しい」

 遠い目をして彼女が作る様々な料理に思いを馳せている。これは重症だと狼子は悟った。

「今日も帰れないのか?」

「どうだろうな、親父次第だ。ムカつくぐらいに手術が立て込んでるから」

 あの守銭奴め。本国からのお偉方から治療費を目一杯ふんだくるを精神に、日々仕事に精を出す父親。医者としての腕はピカ一で、世界各地から彼を求めて病人がやって来るほど。金が全てだと豪語する本人は、日に何件もの手術をこなし荒稼ぎしているが、しばしば手が足りず、その皺寄せが息子へといっている。

「時間があったら届けてやりたいけど、今日から三日は王子に付きっきりだから」

「サンキュ。親父殺してでも明日には帰るから心配するな」

「それはそれで心配だよ」

 本気で疲れているのだろう。滅多に言わない鷹臣の冗談がおかしくて笑った。

「……狼子」
 
「ん? 何だ?」

「……最近、」

 雰囲気が柔らかくなった。そう思ったが言葉には出さなかった。

「……鷹臣?」

「──いいや、なんでもない。疲れて何を言おうとしたのか忘れた」

「大丈夫か? 上の階で休むか?」

「是非とも……と言いたいが、戻らないと」

「そうか、無理するなよ」

「狼子もな」

 それから……と、鷹臣の視線が遠くへ向けられる。

「あそこにいるのは、俺が前に診た奴か?」

 そう言われ、彼と同じ方向へ顔を向けたら、犬飼と茶木が何やら騒がしくしていた。

「……アイツら何やってんだ?」

「当たり前だが怪我の具合はよさそうだな」

 あれから一ヶ月以上は経っているが、動いている彼を見るのは初めて。

「あぁ。あたしと同じで犬飼も傷の治りが早いんだ。三日目にはケロッとしてたよ」

「……へぇ、」

 その話しに興味深そうな顔をした鷹臣は、口に手を当て考える素振りを見せる。隣の狼子は、いつまでもそこから動かない二人に痺れを切らし、大声で名前を呼んでいた。











◇◇◇










 例えば君がそこにいて、知らない誰かと楽しそうに話しをしている。僕に気づくこともなく。

(あ、狼子さんだ!)

 約束の時間にピッタリとたどり着いた犬飼。3階へ続く階段を上がりきったところで、彼女の姿を見つけた。

「ろう……」

 声をかけようとして躊躇った。彼女の隣に知らない男が立っていたから。

(誰だろう? ……あの人。何だか──)

 すごく楽しそうに笑っている。端からみれば仲睦まじい恋人同士のように。胸の奥がツキンと痛む。

「あの人は妃 鷹臣さんと言って、雅家うちのお抱えの医者せんせいだ。……そんでもって、」

 狼子の婚約者、茶木の口からその言葉が出てきた時、犬飼の時が止まった。うまく息ができず、目の前が白くぼやける。そんなことは露知らず、彼女の手が鷹臣の頬を撫でる。優しい手つきで彼を労るように。
 
(触らないで)

 自分以外の誰かに。

(名前を呼ばないで)

 自分以外の誰かの。

(笑いかけないで。そうじゃないと、僕は──)

 鷹臣に優しくする狼子を目前で見ていると、腹の底からどろっとしたものが流れてくる。

「犬飼!!」

「──えっ?」

 その声を合図に、また時が動きはじめる。

(僕は、何を……)

 考えていたのか。まとわりつく負の感情を払うように頭を何度か振ると、自分を呼ぶ茶木の方に顔を向けた。

「すいません、ちょっと考えご、と……って、茶木さん!? どうしたんですか、その顔!!」

 顔は青白く目は虚ろ、『げっそり』という言葉を表すとするならば、隣の男のことを指すのだろう。

「いや、……ちょっとプリンにな」

 2つは無謀だったと語る。

「俺の顔うんぬん言うなら、犬飼おまえだって凄い顔してたぜ」

「……僕がですか?」

 一体、どんな顔を……と、犬飼の考えが読めたのか茶木が言う。

「ソイツに触れたら殺す……そんな顔」

 『ソイツ』が、鷹臣を指すのか狼子を指すのかは分からないが。明確な殺意を持った凶悪な顔をしておいて、自覚がないとは驚きである。

「惚れた女を前にしちゃ、お前も男だったんだな」

 犬飼の人間臭いところを見れたことに安心した。

「けど、もし犬飼おまえがお嬢を手にかけようなんざ考えたら、俺は全力で殺す」

「そ、んな……僕は、」

 狼子を殺すなんてあり得ない。

「……って、冗談だよ! お嬢が犬っころに殺られるわけねーだろ。返り討ちに合って死ぬのはお前の方だ」

 あり得ないはずなのに──。豪快に笑う茶木に上手く笑い返せなかった。

「それから、婚約者の話しも双方の父親おやじが言ってるだけで、当人たちにその気はねーから安心しろよ」

 二人はあくまで幼なじみ。さっきのはからかっただけだと言われ、腹に溜まりかけていたどろどろが引いていく。

「茶木! 犬飼! そんなとこで何やってんだ!」

 こっちに来いと、狼子の呼ぶ声が。彼女の隣に立っている鷹臣も、犬飼を値踏みするように視線を向けていた。

「あちゃー……ありゃ怒ってんな」

 長らく待たせたから。行くぞと茶木に声を掛けられ、犬飼も彼の後に続いた。

 変化をもたらしているのは狼子だけではない。犬飼の心境もまた、rebirthここへ来てから少しずつ変わっていく。
 その事が吉と出るのか凶と出るのか、それはまだ誰も知らない。
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