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第1章 白醒めた息止まり
1/ 桒崎梓乃は思い悩む
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朝のLHR。私が所属するクラス担任の狐のような目つきをした女性教諭が薬の用法に関するまじめ腐った注意喚起をし出したのは、肌に張り付く湿気が梅雨の継続を粘着質に物語る、七月初めの事だった。
なんでも隣のクラスの女子生徒が睡眠薬の濫用で先日、命を落としたらしい。おまけに違法薬物の横行にも注意を呼びかけていたけれど、私には縁遠い異国の話のようで、あまり印象に残らなかった。
周囲に目を向けると、他の子たちも私と似たような具合のようだった。どこか他人事というか、まさに壁一枚を隔てた向こう側の事情。「そんな風には見えなかったのに……」という委員長の沈んだ声も、悲しみの水気を帯びているようで、その実、梅雨の夥しい湿気のせいにも思えた。
身近で人が死んだ。今時珍しい話でもないけれど、私にとって、それだけがとてつもなくショックだった。理由は見当もつかない。
そんな晴れない憂鬱を浦野弥月という一風変わった幼馴染にぶつけてみると、相変わらずの軽薄な笑みを浮かべながら、こんな答えが返ってきた。
「はは、梓乃は律儀だね」
彼の顔立ちは少年らしいシニカルさを残しつつ、どこか大人びた落ち着きを感じさせる。私と同い年ながらまだ頼りないところもあるけれど、話し相手として退屈はしない。かれこれ十年以上の付き合いとなる。一部の憎たらしい欠点を除けば、家の人間よりはいくらか信頼できる相手だ。
「……律儀?」
「ああ、律儀だとも。日常がいつの間にか壊れていた。君はその事に担任の教師から聞かされるまで微塵も気がつけなかったってわけだ。ようするに、自己嫌悪だよ。自分の鈍さが気に入らなかったんだ」
「…………んー」
弥月の指摘には頷けない事もないと思う心とまた一つ、それはそれとして、しっくり嵌まらない気がして、私はいまいち首を傾げた。時々合同授業で見かけていた同学年の生徒の死にショックを受けた。弥月はそんな私の心境を些細な異変への不満だと受け取ったらしい。
「……私、そこまで繊細かな?」
弥月の耳にも届くような自問。
漠然と不満を覚えたのはその通りだろう。
けれど、その正体が鈍感な自分への苛立ちかと言えば、
「少し、違う気がする」
と、私は自答してみせた。
そうして、憂鬱はニュアンスを変え、振り出しへと戻る。
「でも、君は人の死にいちいち悲しむ性質でもないだろう?」
「それは、そうだけど」
その身も蓋もない評はどうかと思う、と私は唇を尖すしかない。それでは血も涙もない冷血漢みたいに聞こえてしまう。人の死を悼む心は人並みに持ち合わせているつもりだ。ただ今回は、他にどうしようもないだけで。
一向に形の定まらない不満は、胸の据わりが悪くて、気分を落ち着かせない。頭がもやもやする。透明な糸くず状の何かが肺に蟠っているみたい。私はわざとらしくため息をついた。しかし胸の中の不満は、その吐息を素通りさせていくばかりで、やっぱり晴れる事はなかった。
「───なら、こう捉え直すのはどうかな」
弥月が軽い調子で言う。振り向くと、人差し指を立てている。
「君は死を想っているのではなく、生を取り上げたんだ。その女子生徒の淡白な死の報告は一見すると、彼女のそれまでの人生を軽んじたものに聴こえたんじゃないかな。悪い事をしたから命を落とした。君の担任はそれを当然の帰結として説明した。けれど梓乃はこう思った。それでは物足りない。説明になってない。あの子はどうして、そんな悪い事をしなくちゃならなかったのかって」
「…………」
「縁が遠い話だと思ったんだろう? 私なら、そんなことにはならないのにって」
「────」
弥月にしては珍しく真剣な語り口に途中までは聞き入って、あと一歩まで頷きかけていたところを、その結論はあまりにもあんまりだった。路地に寒風吹き荒ぶみたい。
「……弥月の目には、私がそんな冷たい人間に見えてるんだ?」
「いや? どうしてそうなるかな。不思議だ、僕と君の仲なのに。僕はこれでも、君を世界で一番心優しい子だと思っているんだけど」
それはそれでどうなんだと思いつつ、私は胸の奥のむず痒さから逃れようと、ベッドの縁で姿勢を直した。
弥月は椅子の背もたれに顎を乗っけている。だらしない。
「……だいたい、私より他人事みたいに語ってくれるけど。その亡くなった女子生徒、弥月のクラスの子なんだよね」
「ああ、そっか。君の隣のクラスというと、僕のクラスになるのか」
これだから、と私は堪らずため息を吐いた。
それが一ヶ月前。
弥月になんとなく相談を持ちかけた夜更けのことだった。
なんでも隣のクラスの女子生徒が睡眠薬の濫用で先日、命を落としたらしい。おまけに違法薬物の横行にも注意を呼びかけていたけれど、私には縁遠い異国の話のようで、あまり印象に残らなかった。
周囲に目を向けると、他の子たちも私と似たような具合のようだった。どこか他人事というか、まさに壁一枚を隔てた向こう側の事情。「そんな風には見えなかったのに……」という委員長の沈んだ声も、悲しみの水気を帯びているようで、その実、梅雨の夥しい湿気のせいにも思えた。
身近で人が死んだ。今時珍しい話でもないけれど、私にとって、それだけがとてつもなくショックだった。理由は見当もつかない。
そんな晴れない憂鬱を浦野弥月という一風変わった幼馴染にぶつけてみると、相変わらずの軽薄な笑みを浮かべながら、こんな答えが返ってきた。
「はは、梓乃は律儀だね」
彼の顔立ちは少年らしいシニカルさを残しつつ、どこか大人びた落ち着きを感じさせる。私と同い年ながらまだ頼りないところもあるけれど、話し相手として退屈はしない。かれこれ十年以上の付き合いとなる。一部の憎たらしい欠点を除けば、家の人間よりはいくらか信頼できる相手だ。
「……律儀?」
「ああ、律儀だとも。日常がいつの間にか壊れていた。君はその事に担任の教師から聞かされるまで微塵も気がつけなかったってわけだ。ようするに、自己嫌悪だよ。自分の鈍さが気に入らなかったんだ」
「…………んー」
弥月の指摘には頷けない事もないと思う心とまた一つ、それはそれとして、しっくり嵌まらない気がして、私はいまいち首を傾げた。時々合同授業で見かけていた同学年の生徒の死にショックを受けた。弥月はそんな私の心境を些細な異変への不満だと受け取ったらしい。
「……私、そこまで繊細かな?」
弥月の耳にも届くような自問。
漠然と不満を覚えたのはその通りだろう。
けれど、その正体が鈍感な自分への苛立ちかと言えば、
「少し、違う気がする」
と、私は自答してみせた。
そうして、憂鬱はニュアンスを変え、振り出しへと戻る。
「でも、君は人の死にいちいち悲しむ性質でもないだろう?」
「それは、そうだけど」
その身も蓋もない評はどうかと思う、と私は唇を尖すしかない。それでは血も涙もない冷血漢みたいに聞こえてしまう。人の死を悼む心は人並みに持ち合わせているつもりだ。ただ今回は、他にどうしようもないだけで。
一向に形の定まらない不満は、胸の据わりが悪くて、気分を落ち着かせない。頭がもやもやする。透明な糸くず状の何かが肺に蟠っているみたい。私はわざとらしくため息をついた。しかし胸の中の不満は、その吐息を素通りさせていくばかりで、やっぱり晴れる事はなかった。
「───なら、こう捉え直すのはどうかな」
弥月が軽い調子で言う。振り向くと、人差し指を立てている。
「君は死を想っているのではなく、生を取り上げたんだ。その女子生徒の淡白な死の報告は一見すると、彼女のそれまでの人生を軽んじたものに聴こえたんじゃないかな。悪い事をしたから命を落とした。君の担任はそれを当然の帰結として説明した。けれど梓乃はこう思った。それでは物足りない。説明になってない。あの子はどうして、そんな悪い事をしなくちゃならなかったのかって」
「…………」
「縁が遠い話だと思ったんだろう? 私なら、そんなことにはならないのにって」
「────」
弥月にしては珍しく真剣な語り口に途中までは聞き入って、あと一歩まで頷きかけていたところを、その結論はあまりにもあんまりだった。路地に寒風吹き荒ぶみたい。
「……弥月の目には、私がそんな冷たい人間に見えてるんだ?」
「いや? どうしてそうなるかな。不思議だ、僕と君の仲なのに。僕はこれでも、君を世界で一番心優しい子だと思っているんだけど」
それはそれでどうなんだと思いつつ、私は胸の奥のむず痒さから逃れようと、ベッドの縁で姿勢を直した。
弥月は椅子の背もたれに顎を乗っけている。だらしない。
「……だいたい、私より他人事みたいに語ってくれるけど。その亡くなった女子生徒、弥月のクラスの子なんだよね」
「ああ、そっか。君の隣のクラスというと、僕のクラスになるのか」
これだから、と私は堪らずため息を吐いた。
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