2 / 36
第1章 白醒めた息止まり
1/ 桒崎梓乃は思い悩む
しおりを挟む
朝のLHR。私が所属するクラス担任の狐のような目つきをした女性教諭が薬の用法に関するまじめ腐った注意喚起をし出したのは、肌に張り付く湿気が梅雨の継続を粘着質に物語る、七月初めの事だった。
なんでも隣のクラスの女子生徒が睡眠薬の濫用で先日、命を落としたらしい。おまけに違法薬物の横行にも注意を呼びかけていたけれど、私には縁遠い異国の話のようで、あまり印象に残らなかった。
周囲に目を向けると、他の子たちも私と似たような具合のようだった。どこか他人事というか、まさに壁一枚を隔てた向こう側の事情。「そんな風には見えなかったのに……」という委員長の沈んだ声も、悲しみの水気を帯びているようで、その実、梅雨の夥しい湿気のせいにも思えた。
身近で人が死んだ。今時珍しい話でもないけれど、私にとって、それだけがとてつもなくショックだった。理由は見当もつかない。
そんな晴れない憂鬱を浦野弥月という一風変わった幼馴染にぶつけてみると、相変わらずの軽薄な笑みを浮かべながら、こんな答えが返ってきた。
「はは、梓乃は律儀だね」
彼の顔立ちは少年らしいシニカルさを残しつつ、どこか大人びた落ち着きを感じさせる。私と同い年ながらまだ頼りないところもあるけれど、話し相手として退屈はしない。かれこれ十年以上の付き合いとなる。一部の憎たらしい欠点を除けば、家の人間よりはいくらか信頼できる相手だ。
「……律儀?」
「ああ、律儀だとも。日常がいつの間にか壊れていた。君はその事に担任の教師から聞かされるまで微塵も気がつけなかったってわけだ。ようするに、自己嫌悪だよ。自分の鈍さが気に入らなかったんだ」
「…………んー」
弥月の指摘には頷けない事もないと思う心とまた一つ、それはそれとして、しっくり嵌まらない気がして、私はいまいち首を傾げた。時々合同授業で見かけていた同学年の生徒の死にショックを受けた。弥月はそんな私の心境を些細な異変への不満だと受け取ったらしい。
「……私、そこまで繊細かな?」
弥月の耳にも届くような自問。
漠然と不満を覚えたのはその通りだろう。
けれど、その正体が鈍感な自分への苛立ちかと言えば、
「少し、違う気がする」
と、私は自答してみせた。
そうして、憂鬱はニュアンスを変え、振り出しへと戻る。
「でも、君は人の死にいちいち悲しむ性質でもないだろう?」
「それは、そうだけど」
その身も蓋もない評はどうかと思う、と私は唇を尖すしかない。それでは血も涙もない冷血漢みたいに聞こえてしまう。人の死を悼む心は人並みに持ち合わせているつもりだ。ただ今回は、他にどうしようもないだけで。
一向に形の定まらない不満は、胸の据わりが悪くて、気分を落ち着かせない。頭がもやもやする。透明な糸くず状の何かが肺に蟠っているみたい。私はわざとらしくため息をついた。しかし胸の中の不満は、その吐息を素通りさせていくばかりで、やっぱり晴れる事はなかった。
「───なら、こう捉え直すのはどうかな」
弥月が軽い調子で言う。振り向くと、人差し指を立てている。
「君は死を想っているのではなく、生を取り上げたんだ。その女子生徒の淡白な死の報告は一見すると、彼女のそれまでの人生を軽んじたものに聴こえたんじゃないかな。悪い事をしたから命を落とした。君の担任はそれを当然の帰結として説明した。けれど梓乃はこう思った。それでは物足りない。説明になってない。あの子はどうして、そんな悪い事をしなくちゃならなかったのかって」
「…………」
「縁が遠い話だと思ったんだろう? 私なら、そんなことにはならないのにって」
「────」
弥月にしては珍しく真剣な語り口に途中までは聞き入って、あと一歩まで頷きかけていたところを、その結論はあまりにもあんまりだった。路地に寒風吹き荒ぶみたい。
「……弥月の目には、私がそんな冷たい人間に見えてるんだ?」
「いや? どうしてそうなるかな。不思議だ、僕と君の仲なのに。僕はこれでも、君を世界で一番心優しい子だと思っているんだけど」
それはそれでどうなんだと思いつつ、私は胸の奥のむず痒さから逃れようと、ベッドの縁で姿勢を直した。
弥月は椅子の背もたれに顎を乗っけている。だらしない。
「……だいたい、私より他人事みたいに語ってくれるけど。その亡くなった女子生徒、弥月のクラスの子なんだよね」
「ああ、そっか。君の隣のクラスというと、僕のクラスになるのか」
これだから、と私は堪らずため息を吐いた。
それが一ヶ月前。
弥月になんとなく相談を持ちかけた夜更けのことだった。
なんでも隣のクラスの女子生徒が睡眠薬の濫用で先日、命を落としたらしい。おまけに違法薬物の横行にも注意を呼びかけていたけれど、私には縁遠い異国の話のようで、あまり印象に残らなかった。
周囲に目を向けると、他の子たちも私と似たような具合のようだった。どこか他人事というか、まさに壁一枚を隔てた向こう側の事情。「そんな風には見えなかったのに……」という委員長の沈んだ声も、悲しみの水気を帯びているようで、その実、梅雨の夥しい湿気のせいにも思えた。
身近で人が死んだ。今時珍しい話でもないけれど、私にとって、それだけがとてつもなくショックだった。理由は見当もつかない。
そんな晴れない憂鬱を浦野弥月という一風変わった幼馴染にぶつけてみると、相変わらずの軽薄な笑みを浮かべながら、こんな答えが返ってきた。
「はは、梓乃は律儀だね」
彼の顔立ちは少年らしいシニカルさを残しつつ、どこか大人びた落ち着きを感じさせる。私と同い年ながらまだ頼りないところもあるけれど、話し相手として退屈はしない。かれこれ十年以上の付き合いとなる。一部の憎たらしい欠点を除けば、家の人間よりはいくらか信頼できる相手だ。
「……律儀?」
「ああ、律儀だとも。日常がいつの間にか壊れていた。君はその事に担任の教師から聞かされるまで微塵も気がつけなかったってわけだ。ようするに、自己嫌悪だよ。自分の鈍さが気に入らなかったんだ」
「…………んー」
弥月の指摘には頷けない事もないと思う心とまた一つ、それはそれとして、しっくり嵌まらない気がして、私はいまいち首を傾げた。時々合同授業で見かけていた同学年の生徒の死にショックを受けた。弥月はそんな私の心境を些細な異変への不満だと受け取ったらしい。
「……私、そこまで繊細かな?」
弥月の耳にも届くような自問。
漠然と不満を覚えたのはその通りだろう。
けれど、その正体が鈍感な自分への苛立ちかと言えば、
「少し、違う気がする」
と、私は自答してみせた。
そうして、憂鬱はニュアンスを変え、振り出しへと戻る。
「でも、君は人の死にいちいち悲しむ性質でもないだろう?」
「それは、そうだけど」
その身も蓋もない評はどうかと思う、と私は唇を尖すしかない。それでは血も涙もない冷血漢みたいに聞こえてしまう。人の死を悼む心は人並みに持ち合わせているつもりだ。ただ今回は、他にどうしようもないだけで。
一向に形の定まらない不満は、胸の据わりが悪くて、気分を落ち着かせない。頭がもやもやする。透明な糸くず状の何かが肺に蟠っているみたい。私はわざとらしくため息をついた。しかし胸の中の不満は、その吐息を素通りさせていくばかりで、やっぱり晴れる事はなかった。
「───なら、こう捉え直すのはどうかな」
弥月が軽い調子で言う。振り向くと、人差し指を立てている。
「君は死を想っているのではなく、生を取り上げたんだ。その女子生徒の淡白な死の報告は一見すると、彼女のそれまでの人生を軽んじたものに聴こえたんじゃないかな。悪い事をしたから命を落とした。君の担任はそれを当然の帰結として説明した。けれど梓乃はこう思った。それでは物足りない。説明になってない。あの子はどうして、そんな悪い事をしなくちゃならなかったのかって」
「…………」
「縁が遠い話だと思ったんだろう? 私なら、そんなことにはならないのにって」
「────」
弥月にしては珍しく真剣な語り口に途中までは聞き入って、あと一歩まで頷きかけていたところを、その結論はあまりにもあんまりだった。路地に寒風吹き荒ぶみたい。
「……弥月の目には、私がそんな冷たい人間に見えてるんだ?」
「いや? どうしてそうなるかな。不思議だ、僕と君の仲なのに。僕はこれでも、君を世界で一番心優しい子だと思っているんだけど」
それはそれでどうなんだと思いつつ、私は胸の奥のむず痒さから逃れようと、ベッドの縁で姿勢を直した。
弥月は椅子の背もたれに顎を乗っけている。だらしない。
「……だいたい、私より他人事みたいに語ってくれるけど。その亡くなった女子生徒、弥月のクラスの子なんだよね」
「ああ、そっか。君の隣のクラスというと、僕のクラスになるのか」
これだから、と私は堪らずため息を吐いた。
それが一ヶ月前。
弥月になんとなく相談を持ちかけた夜更けのことだった。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる