25 / 58
3
3
最初こそ緊張が勝り、絵を観ているのか、人垣を見ているのか分からなかった。けれどだんだんとそれも薄まり、ざわめく気持ちも落ち着いてきた。そのうち、智臣さんからこの絵は好みだとか、琴葉は気に入った絵はあるかとか、耳打ちするように尋ねられるようになり、他の人の邪魔にならない程度に会話を楽しんだ。
「――見応えありましたね。なんというか、とても癒されました」
全ての展示された絵画を鑑賞し、広いホールに出てくる。そんなに長い時間だと思っていなかったけど、気が付けば入場してから2時間以上過ぎていて、もうお昼どきになっていた。
「そうだな。絵画にはリラックス効果もあるらしい。たしかに、自然豊かな風景画なんかは、そこにいるような気持ちになれるな」
歩きながら、隣に並ぶ私に顔を向ける智臣さんの顔は、とても穏やかだ。言葉のとおり、リラックスできたのだろう。まだ離せていない、私の手に重ねられた手は自然だ。
(もう、はぐれる心配もないのに)
そう思うけれど、智臣さんはこれが当たり前のような態度だ。きっと今まで、数々の女性たちとこんな風に過ごしたことがあるのだろう。戸惑っているのは私だけで、智臣さんは平然としている様子だ。
「琴葉。あれを見てもいい?」
意識してしまい、ドキドキしながら無言で歩く私に、智臣さんは尋ねる。智臣さんの視線を追うと、天井まで届くガラス窓のそばにカフェスペースが広がっていた。
私が「はい」とうなずくと、そばまで寄ってみる。食事もスイーツも揃っているサンプルは、よく見かけるものが多い。けれど別の小さなテーブルに、コラボレーションメニューとして、料理が置かれていた。
「へえ。こんなものもあるんだな。琴葉がよければ、ここで食事をしないか?」
「いいですね。興味あります。その前に……お手洗いに行ってきても?」
そう切り出すと、智臣さんは、はっとしたように手を離した。
「ごめん、気が回らなくて。行っておいで。僕は先に並んでいるよ」
温もりが急速に冷めていく。それが名残惜しくて、その手を抱えるようにして温もりを閉じ込めた。
「ありがとうございます」
それだけ口にして、背中を向けると速足で化粧室に向かった。
「――すみません、お待たせして」
化粧室は混雑していて、カフェに戻ると順番まであと5組ほどと、思いのほか列は進んでいた。お礼をいうと、笑みを浮かべた智臣さんは小さく首を振る。それから、途中で配られたのか手にしていたメニューブックを広げて差し出してくれた。
「サンプルにあったもの以外にもコラボメニューはあるようだよ。あとでオーダーを聞きにきてくれるそうだ」
それを受け取る手は、もう智臣さんの手の余韻は残っていない、いつもの冷たい自分の手だ。感傷に浸ってしまう自分の、戸惑う気持ちを押し隠すようにメニューブックを握りしめた。
順番が来て席に着くと、ほどなくして料理が運ばれてくる。印象に残っていた絵のコラボメニューがちょうどあり、それを選んだ。智臣さんは別の絵のものにしていて、それぞれの皿は華やかだ。
せっかくだからと写真に収め、絵画の感想を話しながら食事を楽しむ。
智臣さんは、飽きない話術を身につけているようだ。沈黙が生まれそうになると、さりげなく絵の裏話や私の感想を拾って、話を広げてくれていた。
「――ごちそうさまでした。すみません、金曜だって受け取ってくれなかったのに」
智臣さんは当然のように、この前の夕食も今のカフェの代金も私に出させてくれない。申し訳ない気持ちが先に立つ。
「気にしないで。お見合いのときは里子さんが出してくれたんだから、そのお返しだ」
「それなら私じゃなく、直接お祖母ちゃんに返してください。好みならいくらでも教えますから」
「それもそうだな。今度そうするよ」
少し頬を膨らませて訴えると、智臣さんは声を漏らして笑う。その顔を見て、私に払わせるつもりはなさそうだとなんとなく感じ、居たたまれない気持ちになっていた。
「――見応えありましたね。なんというか、とても癒されました」
全ての展示された絵画を鑑賞し、広いホールに出てくる。そんなに長い時間だと思っていなかったけど、気が付けば入場してから2時間以上過ぎていて、もうお昼どきになっていた。
「そうだな。絵画にはリラックス効果もあるらしい。たしかに、自然豊かな風景画なんかは、そこにいるような気持ちになれるな」
歩きながら、隣に並ぶ私に顔を向ける智臣さんの顔は、とても穏やかだ。言葉のとおり、リラックスできたのだろう。まだ離せていない、私の手に重ねられた手は自然だ。
(もう、はぐれる心配もないのに)
そう思うけれど、智臣さんはこれが当たり前のような態度だ。きっと今まで、数々の女性たちとこんな風に過ごしたことがあるのだろう。戸惑っているのは私だけで、智臣さんは平然としている様子だ。
「琴葉。あれを見てもいい?」
意識してしまい、ドキドキしながら無言で歩く私に、智臣さんは尋ねる。智臣さんの視線を追うと、天井まで届くガラス窓のそばにカフェスペースが広がっていた。
私が「はい」とうなずくと、そばまで寄ってみる。食事もスイーツも揃っているサンプルは、よく見かけるものが多い。けれど別の小さなテーブルに、コラボレーションメニューとして、料理が置かれていた。
「へえ。こんなものもあるんだな。琴葉がよければ、ここで食事をしないか?」
「いいですね。興味あります。その前に……お手洗いに行ってきても?」
そう切り出すと、智臣さんは、はっとしたように手を離した。
「ごめん、気が回らなくて。行っておいで。僕は先に並んでいるよ」
温もりが急速に冷めていく。それが名残惜しくて、その手を抱えるようにして温もりを閉じ込めた。
「ありがとうございます」
それだけ口にして、背中を向けると速足で化粧室に向かった。
「――すみません、お待たせして」
化粧室は混雑していて、カフェに戻ると順番まであと5組ほどと、思いのほか列は進んでいた。お礼をいうと、笑みを浮かべた智臣さんは小さく首を振る。それから、途中で配られたのか手にしていたメニューブックを広げて差し出してくれた。
「サンプルにあったもの以外にもコラボメニューはあるようだよ。あとでオーダーを聞きにきてくれるそうだ」
それを受け取る手は、もう智臣さんの手の余韻は残っていない、いつもの冷たい自分の手だ。感傷に浸ってしまう自分の、戸惑う気持ちを押し隠すようにメニューブックを握りしめた。
順番が来て席に着くと、ほどなくして料理が運ばれてくる。印象に残っていた絵のコラボメニューがちょうどあり、それを選んだ。智臣さんは別の絵のものにしていて、それぞれの皿は華やかだ。
せっかくだからと写真に収め、絵画の感想を話しながら食事を楽しむ。
智臣さんは、飽きない話術を身につけているようだ。沈黙が生まれそうになると、さりげなく絵の裏話や私の感想を拾って、話を広げてくれていた。
「――ごちそうさまでした。すみません、金曜だって受け取ってくれなかったのに」
智臣さんは当然のように、この前の夕食も今のカフェの代金も私に出させてくれない。申し訳ない気持ちが先に立つ。
「気にしないで。お見合いのときは里子さんが出してくれたんだから、そのお返しだ」
「それなら私じゃなく、直接お祖母ちゃんに返してください。好みならいくらでも教えますから」
「それもそうだな。今度そうするよ」
少し頬を膨らませて訴えると、智臣さんは声を漏らして笑う。その顔を見て、私に払わせるつもりはなさそうだとなんとなく感じ、居たたまれない気持ちになっていた。
あなたにおすすめの小説
カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~
伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華
結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空
幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。
割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。
思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。
二人の結婚生活は一体どうなる?
(第一章完結)ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
藤白ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
田舎の幼馴染に囲い込まれた
兎角
恋愛
25.10/21 殴り書きの続き更新
都会に飛び出した田舎娘が渋々帰郷した田舎のムチムチ幼馴染に囲い込まれてズブズブになる予定 ※殴り書きなので改行などない状態です…そのうち直します。
【連載版】 極秘任務で使いたいから自白剤を作ってくれと言った近衛騎士団長が自分語りをしてくる件について
紬あおい
恋愛
侯爵家の落ちこぼれ二女リンネは、唯一の取り柄である薬の調合を活かし、皇宮の薬師部屋で下っ端として働いていた。
そんなある日、近衛騎士団長リースハルトから直々の依頼で、自白剤を作ることになった。
しかし、極秘任務の筈なのに、リースハルトは切々と自分語りを始め、おかしなことに…?
タイトルが気に入っていたので、2025年8月15日に公開した短編を、中編〜長編用に全編改稿します。
こちら単独でお読みいただけます。
4番目の許婚候補
富樫 聖夜
恋愛
愛美は家出をした従姉妹の舞の代わりに結婚することになるかも、と突然告げられた。どうも昔からの約束で従姉妹の中から誰かが嫁に行かないといけないらしい。順番からいえば4番目の許婚候補なので、よもや自分に回ってくることはないと安堵した愛美だったが、偶然にも就職先は例の許婚がいる会社。所属部署も同じになってしまい、何だかいろいろバレないようにヒヤヒヤする日々を送るハメになる。おまけに関わらないように距離を置いて接していたのに例の許婚――佐伯彰人――がどういうわけか愛美に大接近。4番目の許婚候補だってバレた!? それとも――? ラブコメです。――――アルファポリス様より書籍化されました。本編削除済みです。