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智臣さんと待ち合わせをしたのは、予約した料理教室の入る、駅のターミナルビルの中。
空き状況を見ていくつか候補地を挙げると、智臣さんがこの駅にしようと選んだ。本当にここが都合がよかったのか、それとも私の使う路線上にあるからかは分からないけれど。
他に用事ができたからと、待ち合わせの時間は、教室の受付が始まる午後二時の少し前にした。
お昼前に待ち合わせして、また食事代を支払ってもらうことになるのは気が引ける。それに、長時間顔を合わせたくなかったというのが本当のところだ。
けれど、ちゃんと用事もあった。今回持参の必要な エプロンを買いに行くためだ。実家に帰ればエプロンくらいあるが、学生時代に使っていたような古いものだ。さすがにそんなものを引っ越し時に持っていくこともなく、エプロンは使わないまま今に至る。
それに、智臣さんを無理に誘っているようなものなのだから、まさかエプロンを持ってきてなんて言えない。二つ買おうと、置いてありそうな周辺のショップを見て回った。
「――琴葉。待たせたな」
料理教室の前で待っていると、智臣さんが速い歩調で私に近づく。
もう十二月はすぐそこで、急に寒さが増してきたからか、会社で見るものとは違う、カジュアルなフーデッドコートを着ている。それが、とても似合っていて目を引くからか、同じ教室へ入っていく女性たちの視線を感じる。
「お疲れ様、です。すみません、こんなところまで来てもらって」
彼氏ではないことをアピールするようにそう返す。智臣さんはそんなお堅い私を意に介さず、表情を和らげた。
「どうして? 楽しそうだと言っただろう? こんな経験、そうそうできないしな」
「私も、学校の調理実習以来なんです。それで……これを」
そう言って、持っていた袋を智臣さんに差し出す。買ったときにタグを切ってもらい、別に入れてもらっていたエプロンだ。カフェにいるバリスタのような、シンプルな黒いものだ。自分のものも、この色違いにしようと思ったが、それではまるでカップルのようだと思い、全く違う柄入りのものを選んだ。
「これは?」
「エプロンです。今日必要だったので。使ってください」
「じゃあ、遠慮なく」
受け取りながら口角を上げる智臣さんにドキリとする。その顔を直視できず、つい視線をそらしてしまう。
「そろそろ受付しましょうか。時間なので」
智臣さんを促し、料理教室の中に入る。受付の向こう側に見える調理室には、若い女性を中心ににぎわっていた。
調理室のキッチンブースは全部で十台。それぞれに四人ずつ配置されている。男性も数人いるが、その様子を見ると、カップルか夫婦のようだ。私たちと一緒の男女も、結婚したばかりだという私と同世代の夫婦だった。
最初は講師が前で、全体の調理作業を説明してくれる。今日のメニューは、クリスマス料理。若い女性が多いのは、だからなのかもしれない。
一通り説明が終わると、調理を開始する。見ず知らずの人と一緒だけど、坂田さんのような明るい奥様と、落ち着いた感じの旦那様で、和やかな雰囲気だ。
「僕は何をすればいい?」
「じゃあ、小麦粉をふるってもらえますか?」
卵を割る様子を眺めていた智臣さんに尋ねられ、お願いする。まず取りかかるのは、ミニケーキ用のスポンジ作り。焼いて、冷ましてと工程が多い作業だ。
私がハンドミキサーで卵白を泡立てていると、隣で智臣さんがハンドタイプの粉ふるいを、楽しそうに使っている。
「こんな作業をするんだな。さすがに粉をふるったのは初めてだ」
「ここは私のほうが経験豊富みたいですね。高校のとき、調理実習の予習、なんて言って、家で作りまくった時期がありますから」
「へえ。それら期待できそうだ」
手を動かしながら、そんな会話を繰り広げる。
(大丈夫。ちゃんと話せてる)
気が張っていたのは私だけで、その理由など智臣さんには関係ない話だ。それを態度に出さないよう、気を付けていた。
それからしばらくし、スポンジ生地をオーブンに入れ終えたときだった。
「あのぉ。すみませ~ん」
智臣さんの背後から、かわいらしい女性が呼びかける声が聞こえた。
空き状況を見ていくつか候補地を挙げると、智臣さんがこの駅にしようと選んだ。本当にここが都合がよかったのか、それとも私の使う路線上にあるからかは分からないけれど。
他に用事ができたからと、待ち合わせの時間は、教室の受付が始まる午後二時の少し前にした。
お昼前に待ち合わせして、また食事代を支払ってもらうことになるのは気が引ける。それに、長時間顔を合わせたくなかったというのが本当のところだ。
けれど、ちゃんと用事もあった。今回持参の必要な エプロンを買いに行くためだ。実家に帰ればエプロンくらいあるが、学生時代に使っていたような古いものだ。さすがにそんなものを引っ越し時に持っていくこともなく、エプロンは使わないまま今に至る。
それに、智臣さんを無理に誘っているようなものなのだから、まさかエプロンを持ってきてなんて言えない。二つ買おうと、置いてありそうな周辺のショップを見て回った。
「――琴葉。待たせたな」
料理教室の前で待っていると、智臣さんが速い歩調で私に近づく。
もう十二月はすぐそこで、急に寒さが増してきたからか、会社で見るものとは違う、カジュアルなフーデッドコートを着ている。それが、とても似合っていて目を引くからか、同じ教室へ入っていく女性たちの視線を感じる。
「お疲れ様、です。すみません、こんなところまで来てもらって」
彼氏ではないことをアピールするようにそう返す。智臣さんはそんなお堅い私を意に介さず、表情を和らげた。
「どうして? 楽しそうだと言っただろう? こんな経験、そうそうできないしな」
「私も、学校の調理実習以来なんです。それで……これを」
そう言って、持っていた袋を智臣さんに差し出す。買ったときにタグを切ってもらい、別に入れてもらっていたエプロンだ。カフェにいるバリスタのような、シンプルな黒いものだ。自分のものも、この色違いにしようと思ったが、それではまるでカップルのようだと思い、全く違う柄入りのものを選んだ。
「これは?」
「エプロンです。今日必要だったので。使ってください」
「じゃあ、遠慮なく」
受け取りながら口角を上げる智臣さんにドキリとする。その顔を直視できず、つい視線をそらしてしまう。
「そろそろ受付しましょうか。時間なので」
智臣さんを促し、料理教室の中に入る。受付の向こう側に見える調理室には、若い女性を中心ににぎわっていた。
調理室のキッチンブースは全部で十台。それぞれに四人ずつ配置されている。男性も数人いるが、その様子を見ると、カップルか夫婦のようだ。私たちと一緒の男女も、結婚したばかりだという私と同世代の夫婦だった。
最初は講師が前で、全体の調理作業を説明してくれる。今日のメニューは、クリスマス料理。若い女性が多いのは、だからなのかもしれない。
一通り説明が終わると、調理を開始する。見ず知らずの人と一緒だけど、坂田さんのような明るい奥様と、落ち着いた感じの旦那様で、和やかな雰囲気だ。
「僕は何をすればいい?」
「じゃあ、小麦粉をふるってもらえますか?」
卵を割る様子を眺めていた智臣さんに尋ねられ、お願いする。まず取りかかるのは、ミニケーキ用のスポンジ作り。焼いて、冷ましてと工程が多い作業だ。
私がハンドミキサーで卵白を泡立てていると、隣で智臣さんがハンドタイプの粉ふるいを、楽しそうに使っている。
「こんな作業をするんだな。さすがに粉をふるったのは初めてだ」
「ここは私のほうが経験豊富みたいですね。高校のとき、調理実習の予習、なんて言って、家で作りまくった時期がありますから」
「へえ。それら期待できそうだ」
手を動かしながら、そんな会話を繰り広げる。
(大丈夫。ちゃんと話せてる)
気が張っていたのは私だけで、その理由など智臣さんには関係ない話だ。それを態度に出さないよう、気を付けていた。
それからしばらくし、スポンジ生地をオーブンに入れ終えたときだった。
「あのぉ。すみませ~ん」
智臣さんの背後から、かわいらしい女性が呼びかける声が聞こえた。
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