19 / 76
4
1
この4月、俺は係長に昇進した。
旭河の序列で言うと、主任を飛び越えての係長という立場に加え、最年少と付けば周りの視線は厳しい。
おかげで、本来の、ソレイユの本社担当、と言うだけでなく、本社広報部の仕事も受け持つことになり、二足の草鞋状態になっていた。
……ったく。人遣い荒すぎだろ……
もちろんこれも、社長の言う『人とは違うレール』だ。これくらいこなせなくて、これからどうするんだと暗に言われているような気もする。
上を目指すのは、朝木家の都合。だから今俺は、がむしゃらに働くしかない。
この山を越えれば、澪の顔を見に行くことができる。ちょうど今日で合宿も終わり、またチームに戻ってくる。俺はただそれだけを目標に仕事を片付けていた。
「朝木係長。ソレイユのクラブハウスからお電話です」
慌ただしい午後の時間帯。元々向こうから本社に電話で連絡があることなど稀だ。少し胸騒ぎを感じながら俺は電話を取った。
そして聞かされた内容に、指先がすうっと冷たくなっていくのがわかった。
「今からそっちに向かいます」
それだけ伝えると、すぐさま部長の元へ向かう。自分の聞いた話だけを簡潔に説明し、そのまま本社を出るとタクシーでクラブハウスに向かった。
「その後連絡は⁈」
事務所に飛び込むなり尋ねる。そこにいたのは、青い顔をしたクラブハウスの事務員だけ。時間的にまだ練習は終わっておらず、他の選手たちには知らされていないようだった。
「今、戸田トレーナーが病院に行っています。まだ精密検査を受けているところだと」
「そう、ですか……」
その場にあった椅子にどかっと腰をかけると、大きく息を吐き出す。さっきまで呼吸をすることを忘れていたように息が苦しい。
どれくらい経っただろう。電話が鳴った。
それに応えた事務員はただ「はい。はい」と相槌を打っている。ただ、聞かされている内容は、良いものではないらしい。その声は震えていた。
「朝木さん。戸田トレーナーが代わって欲しいそうです」
俺はその電話を受け取ると「朝木です」と出た。
『……朝木君。今から本社にも動いてもらうことになりそうだ』
深呼吸するような気配がして戸田さんは続ける。
『澪の診断は、右アキレス腱断裂。今期全日本メンバー入りはできないだろう。チームへの復帰も、早くて半年。ただし、試合に出られるようになるには、それ以上かかると思われる』
全身から血が流れ出ていく。そんな感覚を覚えながら、俺はそれを聞いていた。
呆然としている暇などなく、俺はすぐに動き出す。関係各所への連絡、スケジュールの調整、記者発表の準備。俺はそのままクラブハウスで指示を出した。
メンバーたちは帰って行くのか廊下に足音が響いている。だがそこに、いつもの明るさはなく、話し声はほとんど聞こえない。すでに監督の耳には情報は入れてある。メンバーたちには、澪が怪我をしたことが伝ったのだろう。
入れ替わるように、戸田さんが戻ってきた。
「……帰りました」
少し硬い表情でそう言う戸田さんの隣には、項垂れている萌が立っていた。同じ合宿に参加していた萌が、澪が怪我をした瞬間を見ていないはずはない。
戸田さんが誘導するようにその背中を支え近くにあった椅子に座らせる。座った萌は俯き、背中を丸め膝の上に両手で握り拳を作っていた。
「な……んで、澪さんが……」
肩を震わせ、萌は振り絞るようにそう言う。拳めがけて雫がポタポタと落ちていくのが、少し離れた場所に立つ俺からも見えた。
「……私が……代わりになれば……」
嗚咽を上げる萌の前に戸田さんは屈むとその手を握る。
「それは違うだろう? 萌が代わりに怪我をしていたら、澪は同じように悲しんだはずだ。こればかりは仕方のないことだ。これからどうするか、それを考えるべきだ」
慰めるように手を握り、諭すように顔を覗きこんでいる。萌はその言葉にゆっくりと頷いた。
「戻ってるな」
事務所に続々と、監督、コーチ陣、トレーナーが集う。監督は萌の姿を確認すると、そう声を発した。
「ミーティングで決まったことを発表する。朝木君も聞いてくれ」
50代の、元男子バレーの選手だった監督は俺に向かって言う。
「はい」
その返事を受け監督は頷くと、今度は萌に視線をやった。
「萌!」
呼びかけられ、萌は立ち上がると監督を見た。すでに泣き腫らしていたのか、その目の周りは真っ赤になっている。
「……はい」
「次期キャプテンは、お前に任す」
監督が真っ直ぐ見てそう言うと、萌は驚いたように目を開いた。
「次期って……。澪さんが帰ってくるまでの代理ですよね!」
訴えかける萌に、監督はかぶりを振った。
「いや。代理じゃない。正式にキャプテンとしてチームを支えてもらう」
また、みるみるうちに萌の目に涙が浮かんでくる。
「無理です! 澪さんがいないのに、私にキャプテンなんて!」
「これは、澪の意向だ。お前ならできる、そう言っていた」
萌は溢れる涙を拭うこともなく、呆然とそれを聞いていた。
旭河の序列で言うと、主任を飛び越えての係長という立場に加え、最年少と付けば周りの視線は厳しい。
おかげで、本来の、ソレイユの本社担当、と言うだけでなく、本社広報部の仕事も受け持つことになり、二足の草鞋状態になっていた。
……ったく。人遣い荒すぎだろ……
もちろんこれも、社長の言う『人とは違うレール』だ。これくらいこなせなくて、これからどうするんだと暗に言われているような気もする。
上を目指すのは、朝木家の都合。だから今俺は、がむしゃらに働くしかない。
この山を越えれば、澪の顔を見に行くことができる。ちょうど今日で合宿も終わり、またチームに戻ってくる。俺はただそれだけを目標に仕事を片付けていた。
「朝木係長。ソレイユのクラブハウスからお電話です」
慌ただしい午後の時間帯。元々向こうから本社に電話で連絡があることなど稀だ。少し胸騒ぎを感じながら俺は電話を取った。
そして聞かされた内容に、指先がすうっと冷たくなっていくのがわかった。
「今からそっちに向かいます」
それだけ伝えると、すぐさま部長の元へ向かう。自分の聞いた話だけを簡潔に説明し、そのまま本社を出るとタクシーでクラブハウスに向かった。
「その後連絡は⁈」
事務所に飛び込むなり尋ねる。そこにいたのは、青い顔をしたクラブハウスの事務員だけ。時間的にまだ練習は終わっておらず、他の選手たちには知らされていないようだった。
「今、戸田トレーナーが病院に行っています。まだ精密検査を受けているところだと」
「そう、ですか……」
その場にあった椅子にどかっと腰をかけると、大きく息を吐き出す。さっきまで呼吸をすることを忘れていたように息が苦しい。
どれくらい経っただろう。電話が鳴った。
それに応えた事務員はただ「はい。はい」と相槌を打っている。ただ、聞かされている内容は、良いものではないらしい。その声は震えていた。
「朝木さん。戸田トレーナーが代わって欲しいそうです」
俺はその電話を受け取ると「朝木です」と出た。
『……朝木君。今から本社にも動いてもらうことになりそうだ』
深呼吸するような気配がして戸田さんは続ける。
『澪の診断は、右アキレス腱断裂。今期全日本メンバー入りはできないだろう。チームへの復帰も、早くて半年。ただし、試合に出られるようになるには、それ以上かかると思われる』
全身から血が流れ出ていく。そんな感覚を覚えながら、俺はそれを聞いていた。
呆然としている暇などなく、俺はすぐに動き出す。関係各所への連絡、スケジュールの調整、記者発表の準備。俺はそのままクラブハウスで指示を出した。
メンバーたちは帰って行くのか廊下に足音が響いている。だがそこに、いつもの明るさはなく、話し声はほとんど聞こえない。すでに監督の耳には情報は入れてある。メンバーたちには、澪が怪我をしたことが伝ったのだろう。
入れ替わるように、戸田さんが戻ってきた。
「……帰りました」
少し硬い表情でそう言う戸田さんの隣には、項垂れている萌が立っていた。同じ合宿に参加していた萌が、澪が怪我をした瞬間を見ていないはずはない。
戸田さんが誘導するようにその背中を支え近くにあった椅子に座らせる。座った萌は俯き、背中を丸め膝の上に両手で握り拳を作っていた。
「な……んで、澪さんが……」
肩を震わせ、萌は振り絞るようにそう言う。拳めがけて雫がポタポタと落ちていくのが、少し離れた場所に立つ俺からも見えた。
「……私が……代わりになれば……」
嗚咽を上げる萌の前に戸田さんは屈むとその手を握る。
「それは違うだろう? 萌が代わりに怪我をしていたら、澪は同じように悲しんだはずだ。こればかりは仕方のないことだ。これからどうするか、それを考えるべきだ」
慰めるように手を握り、諭すように顔を覗きこんでいる。萌はその言葉にゆっくりと頷いた。
「戻ってるな」
事務所に続々と、監督、コーチ陣、トレーナーが集う。監督は萌の姿を確認すると、そう声を発した。
「ミーティングで決まったことを発表する。朝木君も聞いてくれ」
50代の、元男子バレーの選手だった監督は俺に向かって言う。
「はい」
その返事を受け監督は頷くと、今度は萌に視線をやった。
「萌!」
呼びかけられ、萌は立ち上がると監督を見た。すでに泣き腫らしていたのか、その目の周りは真っ赤になっている。
「……はい」
「次期キャプテンは、お前に任す」
監督が真っ直ぐ見てそう言うと、萌は驚いたように目を開いた。
「次期って……。澪さんが帰ってくるまでの代理ですよね!」
訴えかける萌に、監督はかぶりを振った。
「いや。代理じゃない。正式にキャプテンとしてチームを支えてもらう」
また、みるみるうちに萌の目に涙が浮かんでくる。
「無理です! 澪さんがいないのに、私にキャプテンなんて!」
「これは、澪の意向だ。お前ならできる、そう言っていた」
萌は溢れる涙を拭うこともなく、呆然とそれを聞いていた。
あなたにおすすめの小説
毎週金曜日、午後9時にホテルで
狭山雪菜
恋愛
柳瀬史恵は、輸入雑貨の通販会社の経理事務をしている28歳の女だ。
同期入社の内藤秋人は営業部のエースで、よく経費について喧嘩をしていた。そんな二人は犬猿の仲として社内でも有名だったけど、毎週金曜日になると二人の間には…?
不定期更新です。
こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
4番目の許婚候補
富樫 聖夜
恋愛
愛美は家出をした従姉妹の舞の代わりに結婚することになるかも、と突然告げられた。どうも昔からの約束で従姉妹の中から誰かが嫁に行かないといけないらしい。順番からいえば4番目の許婚候補なので、よもや自分に回ってくることはないと安堵した愛美だったが、偶然にも就職先は例の許婚がいる会社。所属部署も同じになってしまい、何だかいろいろバレないようにヒヤヒヤする日々を送るハメになる。おまけに関わらないように距離を置いて接していたのに例の許婚――佐伯彰人――がどういうわけか愛美に大接近。4番目の許婚候補だってバレた!? それとも――? ラブコメです。――――アルファポリス様より書籍化されました。本編削除済みです。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
藤白ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
【完結】曖昧な距離で愛している
山田森湖
恋愛
結婚4年目のアラサー夫婦、拓海と美咲。仲は悪くないが、ときめきは薄れ、日常は「作業」になっていた。夫には可愛い後輩が現れ、妻は昔の恋人と再会する。揺れる心、すれ違う想い。「恋人に戻りたい」――そう願った二人が辿り着いた答えは、意外なものだった。曖昧で、程よい距離。それが、私たちの愛の形。
会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)
久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。
しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。
「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」
――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。
なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……?
溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。
王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ!
✽全28話完結
✽辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。
✽他誌にも掲載中です。
✽2026.4/11 エブリスタ用に使用している表紙に変更しました。
→表紙はイラストをGrok タイトルをChatGPTでAI生成しています。
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
【25th Anniversary CUP】にて、最終ランキング3位に入りました。投票してくださった皆様、読んでくださった皆様、ありがとうございました!
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──