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創一はかたわらにある箱を重そうに持ち上げる。
「澪。キッチンまで運べばいいのか? 玄関を開けてくれ。……それから、お茶でも入れてやってくれ。一矢に」
澪はそれに弾かれるように肩を揺らすと「う、うん」と玄関を開ける。創一はさっさと入って行き、澪は扉を支えたまま俺を見た。
「あ、の……。よかったら入って?」
まだ戸惑っている俺は、一呼吸置いてから「あぁ、邪魔する」と答え歩き出した。
創一はとっくに先に進んでいて、廊下にその姿はなかった。俺は後ろで鍵をかける気配を感じながら、そのまま立ち尽くしていた。
夢……じゃないよな。幻……でもない。頭がフワフワして何も考えられなくて、現実感なんかない。すぐそばに、ずっと会いたかった人が立っているなんて。
「入っていいわよ?」
不思議そうに俺を見上げた澪と目が合い、思わず視線を逸らす。澪は、はぁと一つ溜息を吐くと先に靴を脱いだ。
至って普通。今も普通に会ってたみたいな態度。会いたかったのは俺だけで、澪は……、そうだ、きっと戸田さんと順調なんだろう。そんなことを思うと、その顔も見れないまま、澪のあとに続き廊下を進んだ。
「キッチンの隅に置いておいたぞ?」
創一はまるで自分の家のように自然にキッチンから出てくると澪に言う。
「ありがと。助かった」
「これくらいどうってことはない。じゃあ、俺は帰る」
真顔の創一はそれだけ言うと踵を返す。
「えっ! ちょっと!」
澪が慌てて呼び止めると、すでに廊下への扉を開けようとしていた創一は振り返った。
「一矢。澪に話すこと、あるんだろう? 済んだらまたうちに戻って来ればいい」
そんなことひとことも言っていないのに、見透かしたように創一は言う。そして自分の言いたいことだけ言うと、俺の返事も聞かず創一は出て行った。
思わず澪と顔を見合わせると、決まりが悪そうに視線を逸らされる。
「一矢が創と知り合いだなんて、知らなかった……」
視線を逸らしたまま、独り言のように澪は言う。
「……黙ってて悪い」
微妙な空気が流れる。
俯き気味に横を向いている澪は、心許なげに自分の腕を掴んでいる。前よりなんとなく痩せたような気がする。ほんの少し会っていなかっただけなのに、伸びた髪が肩にかかっていた。
「さっき……創一んとこで食った飯。あれ……お前が作ったやつ、だよな」
「え?」
驚いたように澪は顔を上げ俺を見る。
「すっげえ……美味かった……」
久しく感じたことのない、目が熱くなる感覚。それを今、俺は感じていた。
「……一矢?」
切長の涼しげな瞳が、驚いたように開かれる。少し離れた場所に立っていた澪は、そんな表情のまま俺に近づいた。
「見んなよ」
泣いてる顔なんか見られたくなくて、自分の腕で雑に涙を拭う。
人前で泣いたことなんて記憶にない。いや、泣くこと自体、いつだったか思い出せないくらい昔のことだ。なのに、それがあっさり覆されたのは、嬉しかったからだ。
澪が去ってから、何を食べても味気なくて、ただ自分の体を動かすため仕方なく食べていた。なのに、澪が作ったものを食べて、美味いとまた思えた。誰が作ったか、わからないままに。
「どう……して?」
釈然としない様子で澪は俺を見ている。俺は軽く鼻をすすると大きく息を吐いてから澪に顔を向けた。
「俺は……お前が居なくなってからずっと味なんかわからないままだった。でも、やっぱり俺は、お前の作る飯が好きなんだなって」
澪はそれを、無言で聞いていた。そして、試合中みたいな、何考えてるかわからない表情のまま口を開いた。
「……好きなのは……私のご飯だけ、ってこと……?」
呆然としている澪に、俺は酔った勢いで、どうにでもなれとばかりに続けた。
「違う! 飯だけじゃない。俺は、お前のこと、初めて見たときからずっと好きだった。お前のなにもかも、全部! 困るだけだろうから言わなかった、言うつもりなんかなかった。もう忘れてくれ!」
澪の顔など見れず背中を向けると、そのまま帰ろうと足を踏み出す。
「っ! 待って!」
狼狽えた声とともに、澪が俺の腕にしがみつく。それに足を止めて振り返るが、俯いている澪の表情は見えない。
「……なんで、自分の言いたいことだけ言って逃げるの? 私だって……。使いものにならない選手には用はないんだって思った。お見舞いにもきてくれないし、連絡もくれない。もう、いらないんだって……思うしか……なかったのに……」
最後は振り絞るように言うその声が、俺の胸を突き刺す。どんな顔をしているのかなんて、言われなくてもすぐわかるその震えた声に。
緩んだ腕を解くと、体をそちらに向ける。俯いたままの澪は、その背中を小さく揺らしていた。
「いらなくなんか、ならない。絶対に」
そう言って、ゆっくりとその背中を引き寄せ澪の体を胸に収める。
「だから……。ずっと、そばにいさせてくれないか?」
俺の肩に顔を埋めたままの澪から返事はない。けれど、間をおいて俺の背中に回されたその腕が返事だ。それに応えるように、俺は澪を抱きしめていた。
「澪。キッチンまで運べばいいのか? 玄関を開けてくれ。……それから、お茶でも入れてやってくれ。一矢に」
澪はそれに弾かれるように肩を揺らすと「う、うん」と玄関を開ける。創一はさっさと入って行き、澪は扉を支えたまま俺を見た。
「あ、の……。よかったら入って?」
まだ戸惑っている俺は、一呼吸置いてから「あぁ、邪魔する」と答え歩き出した。
創一はとっくに先に進んでいて、廊下にその姿はなかった。俺は後ろで鍵をかける気配を感じながら、そのまま立ち尽くしていた。
夢……じゃないよな。幻……でもない。頭がフワフワして何も考えられなくて、現実感なんかない。すぐそばに、ずっと会いたかった人が立っているなんて。
「入っていいわよ?」
不思議そうに俺を見上げた澪と目が合い、思わず視線を逸らす。澪は、はぁと一つ溜息を吐くと先に靴を脱いだ。
至って普通。今も普通に会ってたみたいな態度。会いたかったのは俺だけで、澪は……、そうだ、きっと戸田さんと順調なんだろう。そんなことを思うと、その顔も見れないまま、澪のあとに続き廊下を進んだ。
「キッチンの隅に置いておいたぞ?」
創一はまるで自分の家のように自然にキッチンから出てくると澪に言う。
「ありがと。助かった」
「これくらいどうってことはない。じゃあ、俺は帰る」
真顔の創一はそれだけ言うと踵を返す。
「えっ! ちょっと!」
澪が慌てて呼び止めると、すでに廊下への扉を開けようとしていた創一は振り返った。
「一矢。澪に話すこと、あるんだろう? 済んだらまたうちに戻って来ればいい」
そんなことひとことも言っていないのに、見透かしたように創一は言う。そして自分の言いたいことだけ言うと、俺の返事も聞かず創一は出て行った。
思わず澪と顔を見合わせると、決まりが悪そうに視線を逸らされる。
「一矢が創と知り合いだなんて、知らなかった……」
視線を逸らしたまま、独り言のように澪は言う。
「……黙ってて悪い」
微妙な空気が流れる。
俯き気味に横を向いている澪は、心許なげに自分の腕を掴んでいる。前よりなんとなく痩せたような気がする。ほんの少し会っていなかっただけなのに、伸びた髪が肩にかかっていた。
「さっき……創一んとこで食った飯。あれ……お前が作ったやつ、だよな」
「え?」
驚いたように澪は顔を上げ俺を見る。
「すっげえ……美味かった……」
久しく感じたことのない、目が熱くなる感覚。それを今、俺は感じていた。
「……一矢?」
切長の涼しげな瞳が、驚いたように開かれる。少し離れた場所に立っていた澪は、そんな表情のまま俺に近づいた。
「見んなよ」
泣いてる顔なんか見られたくなくて、自分の腕で雑に涙を拭う。
人前で泣いたことなんて記憶にない。いや、泣くこと自体、いつだったか思い出せないくらい昔のことだ。なのに、それがあっさり覆されたのは、嬉しかったからだ。
澪が去ってから、何を食べても味気なくて、ただ自分の体を動かすため仕方なく食べていた。なのに、澪が作ったものを食べて、美味いとまた思えた。誰が作ったか、わからないままに。
「どう……して?」
釈然としない様子で澪は俺を見ている。俺は軽く鼻をすすると大きく息を吐いてから澪に顔を向けた。
「俺は……お前が居なくなってからずっと味なんかわからないままだった。でも、やっぱり俺は、お前の作る飯が好きなんだなって」
澪はそれを、無言で聞いていた。そして、試合中みたいな、何考えてるかわからない表情のまま口を開いた。
「……好きなのは……私のご飯だけ、ってこと……?」
呆然としている澪に、俺は酔った勢いで、どうにでもなれとばかりに続けた。
「違う! 飯だけじゃない。俺は、お前のこと、初めて見たときからずっと好きだった。お前のなにもかも、全部! 困るだけだろうから言わなかった、言うつもりなんかなかった。もう忘れてくれ!」
澪の顔など見れず背中を向けると、そのまま帰ろうと足を踏み出す。
「っ! 待って!」
狼狽えた声とともに、澪が俺の腕にしがみつく。それに足を止めて振り返るが、俯いている澪の表情は見えない。
「……なんで、自分の言いたいことだけ言って逃げるの? 私だって……。使いものにならない選手には用はないんだって思った。お見舞いにもきてくれないし、連絡もくれない。もう、いらないんだって……思うしか……なかったのに……」
最後は振り絞るように言うその声が、俺の胸を突き刺す。どんな顔をしているのかなんて、言われなくてもすぐわかるその震えた声に。
緩んだ腕を解くと、体をそちらに向ける。俯いたままの澪は、その背中を小さく揺らしていた。
「いらなくなんか、ならない。絶対に」
そう言って、ゆっくりとその背中を引き寄せ澪の体を胸に収める。
「だから……。ずっと、そばにいさせてくれないか?」
俺の肩に顔を埋めたままの澪から返事はない。けれど、間をおいて俺の背中に回されたその腕が返事だ。それに応えるように、俺は澪を抱きしめていた。
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