恋をするのに理由はいらない

玖羽 望月

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 平日、俺はほとんど澪に連絡を取らない。それは最初から言ってあって、澪も承知してくれている。けれど、もちろん用事があれば連絡はするし、してこいよとは言っている。

 人気のない廊下で、俺はスマホの画面を眺めていた。時間は21時を回ったところ。まだ俺は会社にいるが、さすがに澪も寝てはいないだろうと画面をタップした。
 数回のコールのあと、向こうから明るい澪の声が聞こえてきた。

『もしもし。どうしたの? 珍しいわね』
「いや? 声が聞きたくなって」
『何言ってるのよ?』

 照れ隠しのように言う、いつもと変わらない澪に、俺は安堵しながら続ける。

「金曜日だけどさ……」

 付き合い始めてから、澪と過ごさなかった金曜日はない。だが、今週は土曜日に用事がある。来ないでとは言われていないが、行っていいものかと考えあぐねていた。

『うん。何時くらいに来る? ご飯はいる?』

 あっさりそう答えた澪に、俺はそれを悟られないように胸を撫で下ろしていた。

「あのさ、たまには外で待ち合わせしねぇ? 付き合ってからそんなこと一回もしたことねぇし」
『え? 仕事は大丈夫なの?』

 そう言われるのも無理はない。今まで、家に行くのも早くて20時台だ。

「今日と明日でなんとかする。お前のためならそれくらいできる」

 こんな台詞、今まで誰にも吐いたことねぇな、と俺は心の中で笑った。

「本当に今日、泊まっていいのか?」

 澪のマンションの前まで来て、今更のように俺は尋ねる。そんな俺に、澪は不思議そうな顔をしていた。

「もしかして、明日用事あるの気にしてる? 午後からだし、夕方には戻るから家で待っててくれていいんだけど?」

 遠慮気味に尋ねた俺に対して、澪はさも当たり前のようにそう答えた。

 やっぱり……、戸田さんの言ってたことはあながち間違ってねぇってことか……

 待ち合わせ場所で会ってから今までの、澪の様子を思い返して改めてそんなことを思う。

 待ち合わせたのは家からも徒歩圏内の繁華街。それなりに規模の大きな駅の近くには名の知れた老舗ホテルや商業ビルが並んでいる。
 夏休みだから営業時間も延長になっていると知り、近くにあった水族館に足を伸ばした。訪れたのは記憶に残っていないくらい昔だと澪ははしゃぎながら館内を回っていた。
 その後、近くのレストランで食事をして帰ってきたのが今だ。

 その間、澪はいたって普通だった。俺に話しづらそうにするわけでも、悩んでいる様子もない。
 俺のほうが、いつ『明日、実はお見合いだ』と聞かされるのかとずっと構えていたから正直拍子抜けしてしまった。

 だからこそ思い出したのだ。

『もしかしたら、澪はお見合いだって聞かされてないかも』

 そんな戸田さんの言葉を。

 8月も残り1週間となった土曜日の午後。昨日、デートで歩いたその街に俺たちはいた。
 今日の待ち合わせ場所をそれとなく聞いた俺に、澪は『実は昨日行った水族館の隣のホテルで……』と決まり悪そうに答えた。『なら、一回家に帰りたいし、一緒に出よう』と理由をつけて出てきた。
 本当は、どこで会うのか知っていたが。

 昨日は明るく笑っていた澪も、今日はなんとなく緊張しているように見える。伯父から直接人を紹介されるなど、おそらく初めてなのだろう。今までは現役選手として忙しく、そんな話も出なかったのだと思う。
 そうでなければ、今まで見合いの一回や二回はさせられていたはずだ。創一と同じように。

「澪? そろそろ行くか?」

 早めに出て昼飯を食い、周りの店を当てもなくブラブラしていたが、もう時間だ。さっきから浮かない顔をしていた澪に、俺は声をかけた。

「うん……」

 俯き気味の澪の頭を、ポンと軽く撫でる。

「そんな顔すんなって。大事な一戦の前みたいな顔してるぞ? 緊張してんのか?」

 あえて明るく言うと、澪は顔を上げ少し笑みを浮かべる。

「大丈夫。じゃあ行ってくるね。帰るころにはまた連絡するから」
「わかった」

 澪は踵を返し、ホテルへの道に向かって行った。その背中を見送りながら俺は次の行動を思い浮かべる。

 今から家に帰って、着替えたら車を取ってきて……。すぐに戻ってくるからな? 待ってろ?

 そう思いながら。
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