下心狂想曲

杉本けんいちろう

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ー第十一章ー

≪情感≫

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『おはよう、清彦!』

『…。』

『おーい、清彦ぉ!』

『…。』

俺は、拓との会話を絶った。目すら合わせない。正直、仕事も辞めようかと考えている。だって、出来る訳がないだろう?もう拓と、これ以上、一緒に過ごすのは無理だ。そう感じてしまっていた。

(プルルルル…。プルルルル…。プルルルル…。)

また、優里だ…。あれから、毎日の様に着信がある。でも、俺は出ない。正直、迷いはある。でも、ここで出てしまったら、俺は優里を許す事になる。俺は、まだ、自分のプライドとの戦いに勝負を決せないでいた。

『…ったく、お前ら、いつまで喧嘩してんだよ。少しは周りの事も考えてくれよな。空気が悪い!空気が!』

『恭平ちゃん…。』

『清彦さぁ、気持ちは分かるけど、お前らの関係は、そんな簡単に崩れないだろ?』

『でも、アイツが何をしたか…!』

『確かに、99%拓が悪い。でも、誘ったのは、向こうからなんだろ?それは、男心も猶予してやらないとって思っちまうな俺は。』

『えー…。』

『別に良いじゃないのさ。ただ、穴兄弟になるだけだ。そんなん、なんだってんだよ。清彦は、セックスに対しての価値観が高すぎるんだよ。』

『そうなんかなぁ…。』

『そうそう。たかがセックスだよ。たかが!付き合って行く上で、そんな事より大事なもんなんて、幾らでもあるっちゅーねん!なんだかんだ言って、結局、優里ちゃんだっけ?忘れられないんだろ?忘れられる筈が無いって!いつかのプロポーズを断られた時の絶望感満載の顔を見てたら、お前は、忘れられる筈が無い!』

『恭平ちゃん…。』

『だから、早いとこ許してやれって。俺らの為にも!その方が楽だぞ?お前らは、どうせ離れらんねーだから!な!』

情けない程に、突き刺さった。1mmも的を外さずに矢を、いや、銃弾を撃ち抜かれた。同じく長いこと一緒に働いて来た同僚の恭平ちゃんの言葉に俺は、まさに返す言葉が見当たらなかった。俺の、価値観…。プライドなんて、そんなもんなんだなぁ…。

『…清彦くん。もしかして、私を狙ってるの?』

『え?』

『優里に裏切られたからって、近くにいた私を、どうにかしようとしてない?』

『い、いや、そんなつもりはないよ。ただ、ちょっと相談したかったから、来て貰っただけだよ。』

『ホントかなぁ…。』

俺は、千夏ちゃんに相談する様になった。優里と拓の一件を報告してくれた千夏ちゃん。その時に、拓との関係も全て話してくれた千夏ちゃん。拓は、千夏ちゃんとの事を何も話してはくれなかった。千夏ちゃんに、この心の内を許すのは、もはや自然の流れだった。

『千夏ちゃんは、もう拓に未練は無い訳?』

『まぁ、無いと言ったら嘘になるかな。』

『そうなんだ。じゃあ、拓ともう一度ヨリを戻してみたら?』

『って、言うのは簡単なんだけどね。じゃあ、あの時、激怒した私の感情は何だったのって事でしょ?私は、そんな簡単に自分を否定したくないし、安いつもりもないもん。』

『じゃあ、どうするの?そのまま、時間が解決してくれるのを待つ?それって、結局、いつか自分で決断しないといけないって事だよ?』

『そう言う清彦くんは、どうなのよ!』

『え?』

『今日だって、ホントは、優里と、どうすれば良いのか相談したいって言ってたけど、もう、優里とヨリを戻したいって結論出てるくせに、私に、色々言ってるふりして、自分に言い聞かせてるんでしょ?見え見えよ!』

『やっぱ、分かった?』

『分かりすぎるくらいに。』

『そうなんだよね。絶交だ!なんて啖呵切っといて、やっぱ、辛いから仲直りなんて、簡単すぎるし、俺のプライド安すぎるじゃん!ってさ。でも、毎日、毎日、優里からの着信シカトするのにも、もう、何か悪くてさ。拓は、拓で何とか、俺の機嫌を直そうと毎日、必死なんだよね。』

『清彦くんて、やっぱ、根が真面目だよね。それに何より優しいから、結局は、一度沸いた情に、そんな簡単に蓋なんか出来ない訳だ。』

『でもさ、裏切られた気持ちって、そんな瞬間的な激情だけで済んじゃうもんかな?』

『でも、現に清彦くんは、あれから、まだ1ヶ月も経ってないけど、許そうとしちゃってるじゃん。実際、そんなもんなんじゃない?確かに、やられた裏切りは、許せないけど、それを上回るモノが優里と拓くんには、ある訳でしょ。』

『そう…だね…。きっと…。』

『私もさ、拓くんと、ヨリを戻してみるから、清彦くんも、優里とヨリを戻しなよ。サヨナラって、そんな簡単に出来る事じゃないんだよ。きっと…。』

裏切りは、裏切り。俺は、激昂。突き放した。もう二度と会えなくなっても良いと。それは、嫌だと、許しを請う二人。俺は、それに流される。それまでの築き上げた情を思い出して。

新しい仕事を探す。拓と離れる為に。それは、何を意味する?

優里からの着信をシカトする。それは、何を意味する?

そんな事は、分かり切った事。その一歩を踏み出す事を躊躇している事実に、早いとこ、その中途半端なプライドを理解させろよ。もう、気付いてるんだから、裏切られた悔しさより、失う寂しさの方が辛いって事にさ…。

『…拓。』

『おわっ!清彦!』

俺は、あの一件から、1ヶ月。ついに拓に話しかけた。

『拓、俺は、お前を許さない。でも、お前とは、離れない。』

『清彦…。』

『俺は、優里とやり直す。二人共、離れたくないから。』

『清彦、ゴメンな…。ウゥッ…。』

拓は、泣いていた。その涙が、ホンモノなのかは、もはや疑わしい所だけど、俺は、これからも拓との友情を貫く事を決心した。

(プルルルル…。プルルルル…。プルル…ガチャ!)

『キーちゃん!やっと出てくれた!』

『…優里、もう他の男を知らなくて良いのか?』

『え?』

『まだ、二人しか知らない訳だろう?それで良いのか?』

『キーちゃん…。』

『優里、俺と結婚しよう。でも、優里が、まだ、もっと他の男を知りたいなら、好きにすれば良い。俺は、待ってるから。優里の気が済むまで待ってるから。優…。』

『キーちゃん!もう良い!もう良いです!充分です!もう誰も知らなくて良いです!だから、もう待たないで良いです!私なんかの為に待たないで良いです!』

『優里…。』

『キーちゃん、これから会いに行っても良い?』

『ああ。俺も会いたい。でも、来るな。俺が行くから。まだ、夜道は怖いだろ?』

『キーちゃん、ありがとう…。』

その夜、俺たちは、初めて結ばれた。あの激昂なんか、まるで無かったかの様に…。何回も、何回も。俺は、色んな感情をぶつけた。何回も、何回も。優里は、謝っていた。何回も、何回も。ただ、感じていた。何回も、何回も…。
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