幸せとは、何も知らないということ。

杉本けんいちろう

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『あら、歩実ちゃん!お買い物の帰り?』

『流果さん!こんにちは!はい!あ!三田屋さん行きました?今日、特売ですよ!』

『あら本当!?あとで行かなきゃ!凛ちゃん良かったねぇ!って言うことは、今日は、ハンバーグかな?』

『うん!今日は、ハンバーグなんだ!僕も一緒に作るんだよ!』

『まぁ、凄いわねぇ!美味しいの出来ると良いね!』

『うん!』

『あ!そうそう!凛ちゃん、私立おめでとう!』

『ありがとうございます!』

『小学校受験とは言えど大変だったでしょう。偉いわ、凛ちゃんも歩実ちゃんも。うちの二浪息子にも見習って欲しいわ。』

『そんな…。丈くんだって医学部志望じゃないですか。それこそ大変ですよ。』

『まあね…。でも、ただ頭が堅いのよ。医学部なんていっぱいあるんだから、もっと別の所も受ければ良いのに東大にしか行かないとか言うの。予備校だって、タダじゃないって分かってないのかしらね。まったく!』

『まぁまぁ。あと十年、十五年もしたら何倍にして返してくれますよ。』

『だと良いけどね…。あ!そろそろ行かなきゃ!じゃあね!またね!歩実ちゃん!凛ちゃんもバイバイ!』

『はい、また!』

『バイバーイ!またね!』

結婚して三年。端からしたら、まだまだ新婚冷めやらぬ幸せな家庭に見えるだろう。一人息子の凛太郎は、この春から私立の小学校に上がる。零児さんの協力もあって大変だった"お受験"もなんとか乗り越えた。凛太郎は、今年六歳になる。そう、凛太郎と零児さんには血の繋がりが無い。それでも、零児さんは本当の息子の様に誰よりも愛を注いでくれている。だから、未婚のシングルマザーだった私は、零児さんとの結婚に踏み切れたのだろう。

『お父さん!おかえりー!』

『おぉ!凛太郎!ただいま!』

『お帰りなさい。今日も一日、ご苦労様です。』

『ただいま、歩実。お!今日は、ハンバーグかぁ!』

『このハンバーグ、僕が作ったんだよ!』

『えぇ!本当かぁ!凄いじゃんか!凛太郎!』

『早く食べて!食べて!』

『ちょ、ちょっと待てよ…。』

『零児さん、カバン。』

『あ、ありがとう。よーし…!』

『どう?』

『うん!美味い!』

『ホント!?』

『ああ!めちゃくちゃ美味いよ!凛太郎!さすがは俺の息子だな!』

『良かったぁ!また作ってあげるね!』

零児さんと出会ったのは、実は、いわゆる合コンだ。私の唯一の親友、みなみの強引な誘いで参加した一流商社マンとの四対四の合コン。私は、人見知りで正直、合コンなんて恐怖でしかなかった。ましてや当時は、十九歳のシングルマザー。同い年四人で参加なんかしたら、ただの晒し者にしかならないと思っていた。

『…歩実さぁ、いつまでそんなこと言ってるの!?向こうはエリート商社マンだよ!?こんなチャンス二度とないかもしれないんだよ!?シングルマザーが、どんだけ大変か充分、身に染みたでしょう!?』

『みなみ…。でも…。』

『でもじゃない!じゃあ、凛ちゃんの為だって考えて!』

『凛太郎の?』

『そう!このまま凛ちゃんに、ずーっと極貧生活を味合わせて良いの?苦労させるよ?可哀想じゃん、そんなの!それに絶対、父親は必要だから!だから行くの!決定!』

『ちょ、ちょっと…。』

『ちょっとじゃない!分かった!?母子家庭のみなみちゃんの言う事は絶対です!』

『みなみ…。うん、ありがとう。』

幼馴染みのみなみには、本当に感謝しきれない。自分のことは二の次で、いつも私の心配をしてくれる。零児さんと結婚まで辿りつけたのも、ずっとみなみが上手いことフォローしてくれたからだ。もちろん、零児さんの容姿や誠実さに惹かれたのは事実。あの時の合コンでシングルマザーの私を"差別"しないで真剣に話をしてくれたのは零児さんだけだった。零児さんも当時、エリートととは言え、入社三年目のまだまだ若手。でも私からしたら凄く大人で、優しくて。凛太郎を十七歳で生んでからは、まるで男に触れて来なかった私に教えてくれた、その安心感と温もりは何物にも替えようがなかった。

『歩実。俺達、付き合ってまだ半年だけど、もう充分だと思うんだ。まだ二十五歳で会社の中でも全然ぺーぺーだけど俺、頑張るから。歩実と凛太郎の為に俺、頑張るから。俺に二人を一生守らせて欲しい。結婚しよう。』

『零児さん…。ありがとう。こちらこそ宜しくお願いします。』

『凛太郎は、許してくれるかな。』

『…大丈夫。ほら!こんなに笑ってる。』

凛太郎を生んだ時は、まさかウエディングドレスを着て教会で結婚式を挙げられる時が来るなんて思いもしなかった。私は、式の時も、披露宴の時も泣いてばかりだった。

『もう!歩実!あんた何時まで泣いてるのよ!』

『みなみ…。』

『もっと幸せそうな顔をしなさいよ。これだけの大人数が歩実の結婚をお祝いしてくれてるんだよ。泣いてばっかじゃ逆に失礼よ。』

『うん。そうだよね。…みなみ、本当にありがとね。私は、みなみがいなかったら…。ウゥッ…!』

『あーんもう、また泣くぅ!分かった!分かった!充分、感謝されますよ!あはははは!』

結婚してからは、まさに絵に描いた様に幸せだった。凛太郎が生まれた時は、これから先ずっとギリギリの生活を送り続けるって思ってたのに。こんな広いマンションで優雅な結婚生活を送れるなんて夢のようだし、何より凛太郎を私立の小学校に入れられるなんて、そんな裕福な生活…。

あの時…。

あの時は、こんな未来を想像も出来なかったな…。
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