幸せとは、何も知らないということ。

杉本けんいちろう

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ー第一章ー

水野歩実

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『あーあ、もう夏休みも終わりだね。』

『何を言う!まだ、あと一週間あるじゃない!私は、明後日から泊まりで海行ってくるから、それに全てを賭けるわ!』

『みなみ、まだ諦めてなかったの?夏休み中に彼氏作るって。』

『当たり前でしょ?諦めたら、そこで試合終了だよ?最後の最後に出会いが待ってるかもしれないじゃない!』

『どっかで聞いた事あるセリフ…。』

『歩実も、あと、それしかないとかネガティヴな方向にばっか考えてないで、その一週間をいかに充実させるか前向きに考えなさいよ。』

『はい…。みなみ先生のおっしゃる通りでございます。』

『ん!分かれば宜しい!…じゃあね!海から帰って来たら、お土産渡しに行くから!』

『うん!ありがとう!良い出会いがあるといいね!バイバイ!』

高校二年の夏休みも、あと一週間。この夏、何をしたかって言われたら正直、何もしていない。バカ真面目に宿題をやりきって、ちょいちょい友達と遊んで。海は一回だけ。今年は、お父さんもお母さんも仕事に忙しくて家族旅行も無し。一人っ子の私は、ほとんどを家で一人で過ごしていた気がする。

『ま、来年もまた夏は来る訳だし…。』

毎度こんな事を言って、何事もやり過ごしてる気がする。何も動いてないんだから何も起こる訳がない。充実させようと努力してないのに充実した時間なんか過ごせる訳がない。

『歩実ねぇ、もうちょっと自発的に動こうと努力しなよ。面倒くさいは何も生まないよ!』

ちょくちょくこうやって、みなみに怒られて自分を戒める。この十六年、それの繰り返し。私は、みなみがいなかったら一体どうなってたんだろう。去年、初めて彼氏が出来たのも、もちろん、みなみが後押ししてくれたから。どこにデート行ったら良いかとか、どうやって初体験を迎えたら良いかとか全てを、みなみ頼み。半年しかもたなかったけど、初めての彼氏がいる生活を楽しませてもらった。悠斗君。間違いなくカッコよかったしね、凄いモテてたから、その終わりにいつもヒヤヒヤしてたのは正直な所。結局は浮気をするっていう最悪な終わり方だったけど何もない生活からの刺激的な毎日は、私を充分に高揚させてくれた。

『ま、何事も経験よ!あんなバカな男の事なんてパッパと忘れちゃおう!次は、もっと良い男に出会えるよ!よし!今日は、朝までカラオケね!決定!』

辛い時、みなみは必ず私を一人にはしない。本当にお母さんみたいな存在。

『ありがとう、みなみ…。』

もう、何回このセリフを言ったかな。とても数えきれない。私にばっか楽しい思いを教えてくれるけど、みなみ自身は、彼氏も出来ずにずっと一人身。みなみも私と同じ一人っ子だから、本当は絶対、寂しいはずなんだ。だから、この夏、最後の海で良い出会いがある事を本当に願ってるよ。

『ただいまぁ。』

『お帰り。あ、歩実!明日、急なんだけど休みもらえたから、お買い物行かない?』

『え?』

『何か予定あるの?』

『うーうん、何もない。』

『そう。じゃあ明日行こう!新しいワンピース買ってあげるから。ずっと欲しがってたでしょう。』

『ホント!?やったぁ!』

絵に描いたようなキャリアウーマンのお母さんは、お母さんで一人っ子の私を、見てないようでちゃんと見てくれてるんだ。やっぱり、お母さんはお母さんなんだ。誰よりも安じてくれてるのは、やっぱりお母さんだよね。

『…いくら何でも、これは買い過ぎたんじゃない?さすがのお父さんも怒るんじゃない?』

『大丈夫!たまの休みくらい満喫させて頂きますとも。安月給のお父さんは、どうせ何も言えないわよ。何か言って来たら問答無用に一蹴してやるわ!』

『うーん、さすが…。』

水野家は、お父さんとお母さんが完全に立場が逆だ。娘から見ても明らかにあまり仕事が出来ない安月給のお父さんをバリバリのキャリアウーマンのお母さんが家計をカバーしている。

『ホント、毎回、思うけど、お母さんはお父さんのどこが良くて結婚したの?』

『バカね。優しいからよ。』

『それだけ?』

『そう。それだけ。あと浮気をしないって所かな。』

『たったそれだけで生涯の伴侶を決めたの?』

『歩実は、まだ十六でしょ?その内分かるわよ。いつでも笑って許してくれる。って事がどういう事か。』

大人を感じた。同時に、いかに自分が子供かを考えさせられる。私には、まだ分からない。その真意が。社会に出て、仕事して、結婚して、母親になって、揉まれて、揉まれて、揉まれて、揉まれて…。でも私は、まだ何も知らないから幸せなのかなって…。こうやって平穏に女子高生やってられるのも、きっと、まだ何も知らないからだよね。だから、私を無償で支えてくれる人がいる事に心から感謝しなきゃいけないんだね。

『歩実ぃ!今、何してる?今、みんなでカラオケしてるから来ない?』

『あれ?みなみ帰って来たの?』

『うん!さっき帰って来たの!んで、そのままのノリでカラオケ来たの!お土産あげるから来なよ!』

『うん、分かった。じゃあ行くね。』

こうやって、突然の電話で軽いノリで誘われる感じが、やっぱり若いんだなぁって。高校生なんだなぁって。だから、私は今を、もっと全力で生きなきゃいけないんだね。みなみもお母さんも、それを必死で教えようとしてくれてるんだ。もっと頑張ろう。そう思いたくなるよ。カラオケに向かう足取りも軽くなる。なんか浮いてるみたいなんて…。

『お嬢さん、楽しそうだね。』

『え?ウッ…!』

それは、余りにも、余りにも突然だった。まさに浮き足立っていた私を、一気にどん底に突き落とした。

『ははは!ははは!』

『やめて!やめっ!ウッ…!』

『おらぁ!騒ぐな!』

『ウゥッ!ウゥッ!』

『じっとしてりゃ、すぐ終わるからよ!おらぁ!殴られてぇのか!あ!?』

『ンンっ!ンン…。』

『はははは!聞き分けの良い子だな。分かれば良いんだよ。はははは!』

『イヤーッ…!』

突然、背後から口を塞がれ、車の中に押し込まれた。目に飛び込んで来たのは、目出し帽をかぶった男。顔は分からなかったけど、明らかに、まだ若い声だった。私は、抵抗虚しく…。抵抗虚しく…。抵抗虚しく…。
男の人の力の強さを思い知った。私の必死の抵抗は無力…。無力…。無力…。

そこから先の事を、私は余り良く覚えてない。私が発見されたのは、その次の日。近所の公園のトイレの中。ガムテープで口を塞がれ、両手両足もガムテープで縛られていた。私を最初に発見した男の子が言っていたのが、

『何を聞いても何も応えてくれなかったけど、ずっと目を開けたまま、涙だけ流れてたよ。』

運ばれた病院のベッドの上で、生きていた事への安堵の涙か、娘がレイプされた事への非情の涙か、どっちの涙かは分からないけど、お母さんは、放心状態の私の手を握って、ずっと泣いていた。

『ちょ、ちょっと!廊下を走らないで下さい!』

『歩実ー!』

『みなみちゃん!』

『おばさん!一体誰が!誰が、こんな事を!』

『みなみちゃん…。』

『歩実!分かる!?私!みなみだよ!?ウゥッ…!ウゥッ…!もう!誰が、こんな事を!ウゥッ…!』

みなみも、お母さんと一緒。ずっと私に寄り添って泣いていた。

『私、絶対許さないから!歩実を、こんな事した奴、私、絶対許さないから!私が、捕まえてやるわよ!』

お父さんは、病室の隅に立ち、黙って唇を噛んでいた。

それから一カ月が経ち、私は、妊娠している事実を知る事になる。そして、周りの全ての猛反対を押し切って出産した。

『名前は、もう決めたの?』

『うん。凛太郎。』

『凛太郎か…。』

『私、凛て言葉が好きなの。それに男の子だから太郎を付けて。』

『そう…。うん、素敵な名前だと思う。』

『この子には、何の罪もない。この寝顔を見たら、どんな形でも、せっかく授かった命を殺す事なんて出来ないよ。』

『歩実…。』

『凛太郎。凛太郎。…あは!ねぇ、見て!笑ってる!』

凛太郎の父親は、顔も名前も知らない強姦魔。その事実を知るのは、私の身内だけ。凛太郎は、もちろん、零児さんも知らない。零児さんには、その時、付き合っていた同級生との子って言ってある。お母さんにもお父さんにも、みなみにも絶対、言わないように口止めしてある。

そんな事実を知っても、誰も得しない。
だから、永遠の秘密。こんなこと誰にも言わない。言える訳がない。知らない方が幸せなの…。
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