俺が異世界転移して帰ってくるまでの話

幼なじみが異世界転移して帰ってきたと言っていたのは、本当の事だったらしい 1

気が付けば石壁の部屋の中にいた。

マンションのエレベーターから１階のエントランスに降りたと思った次の瞬間には、こんな見知らぬ場所にいた。


いや、正確に言えば、俺はこの場所を知っているかもしれない。

６畳くらいの狭っ苦しい石壁の部屋、背後には木製の茶色いドア、やたらと高い天井にはめ込まれた幾何学模様のステンドグラス、足元の光の消えかかった魔法陣。

これは、あれだ。幼なじみでルームメイトの広人が言ってた、異世界の祠じゃないか…？


そろそろ広人を迎えに行こうかと思い、マンションの部屋を出てエレベーターを降りたところだった。

今夜、広人はバイトメンバーと飲みに行っている。二次会まで連れまわされちゃかなわないので、毎回一次会が終わる頃迎えに行く事にしているのだ。

広人は気のいいやつだ。誘われればホイホイついて行くだろうが、その間俺はどうすればいいんだ。寂しいじゃないか。

最近では、「もうすぐダーリンが迎えに来るから帰りな」と先輩たちが気遣ってくれるようになったらしい。いい職場だ。

広人には「お前は過保護すぎる！」と怒られたが。

だって仕方ないだろう。広人は可愛いのだ。心配せずにはいられない。


そう、その可愛い広人が先日言ってきたのだ。

「俺、異世界から帰ってきたんだよ」と。


その時は、また厨二病が再発したのかなと思った。

あれは正しく中２の頃、おそらく当時流行っていたアニメ（前世魔王だった頃の記憶を取り戻した主人公が、それまでの平穏な人生を失い、様々な困難に巻き込まれていくダークファンタジー）に並々ならぬ影響を受けたのだろう広人は、けっこうな重症患者だった。これは今後の人格形成にも影響があるんじゃないかとちょっと心配したほどだ。

心配しつつも、「俺、最近左手が制御しきれないんだ…。もしかしたらお前を傷付けてしまうかも…。」とか、「どうしよう、またあの声が聞こえる…。ずっと疼いてた左の邪眼がとうとう開眼してしまったのかもしれない…。」とか、「あの頃の記憶が蘇ってきて、頭がおかしくなりそうだ…。俺があの魔王軍第３隊長だったなんて…。」とか言う話を、俺は時に宥めつつ、時に励ましつつ、時に笑いを噛み殺しつつ、ツッコミたい衝動に駆られながらも大人しく聞き続けた。

ん？ツッコミたいっていうのは、漫才のツッコミの方だぞ。まだピュアっピュアな中学生時代の話だ。決してアレをアソコに突っ込みたいとかそういう事ではない。あぁ、断じてないとも。

基本真面目で明るく朗らかに振る舞っているあの広人が、俺の前でだけあんなふうに表情をコロコロ変える。

憂いを帯びた目で俯いたり、自分の話にのめり込んで顔色を青くしたり、はたまたちょっと正気に戻って恥ずかしそうに頬を赤く染めたり…。

あの頃はそんな表情が見たくて、広人の話を素直に聞いていた。

いや、決して面白いから放置していたわけではない。俺がウンウンと話を聞く度、症状が拗れてるような気がしなくもなかったが、決して、そう、決して面白半分で話に付き合っていたわけではないのだ。

色んな表情を見せてくれる広人が可愛いかった。

それまでも特別だと思ってはいたのだが、俺はこの頃に、広人を自分の嫁にすると決めた。はっきり決めた。


実は広人のご両親と姉さんにも、無理強いしなければOKと許可をもらってある。理解のあるいいご家族だ。

許可をもらったのは大学入学前、俺と広人の間でルームシェアの話が出た時だった。

ルームシェアとは言っても、俺の中では同棲だ。その先には結婚も考えている。そうとなればご家族の許しを得ねば。

俺は早速広人の家へ訪問し、ご両親と姉さんの前で「将来、広人を嫁にもらいたい」と宣言した。因みに、広人がバイトで留守の時を狙った。本人には、然るべき時に然るべき場所でプロポーズしようと決めている。俺は結構ロマンチストなのだ。

俺の宣言を聞いてご両親はポカンとしていたが、姉さんは「やっぱりね」とウンウン頷いていた。

理解の追いついていないご両親に姉さんが「広人には水野くんみたいな包容力のあるタイプが絶対合ってる」とか「こんな優良物件、今後の広人の人生で他に出会えるわけない」とか「孫の顔が見たいなら、私がポコポコ産んでやる！」とまで言って説得してくれた。（実際姉さんはその年に結婚し、今年出産予定だ。）

最初は戸惑っていた様子だったが、それはあの優しくて気のいい広人のご両親だ、広人が幸せなら反対する気はないと笑って許してくれた。俺はこのご家族のためにも、広人を精一杯幸せにすると心に誓った。

因みに、俺の両親は小さい頃から俺が広人にベッタリな様子を見ているので、何も言わないうちから察してくれていた。

帰ってから「広人を嫁にもらう許可をもらってきた」と両親に話すと、「は？何で1人で行くの！？」と怒られ、その日のうちにもう一度広人の家に行く事になった。その時にはもう広人も帰ってきていたが、「うちの息子がすみません」と謝る俺の両親と、「いえいえ、これからもうちの広人をよろしくお願いします」と言う広人のご両親を見て、「ルームシェアの件か？なんか大事になっちゃったな」と目をパチクリさせていた。可愛かった。

そんなこともありつつ、今現在、ルームシェアという名の同棲中。これはもう、半分嫁と言ってもいいだろう。


そう、その半嫁の元厨二病患者の広人が、異世界から帰ってきたと告げてきたのだ。再発を疑っても仕方ないだろう。

俺は中２の時と同じように、大人しく、時には相槌を打ったり驚いたフリをしたりしながら、広人の話を聞いた。

内容としては、事故で異世界に飛ばされ、保護され、歓迎され、ご飯を食べて寝て帰ってきたというだけのものだった。

かつての広人の病みっぷりを知る俺としては、少々穏やか過ぎる内容だなとは思ったのだ。

まぁ、こいつも大人になって少しは落ち着いたのかなと思うと、成長が嬉しい反面ちょっぴり寂しい気持ちにもなってしまう。これがひな鳥が巣立つのを見る親鳥の心境か。

そう思っていたのだが、違ったらしい。


ここが広人が語っていた異世界ならば、確かあのドアは鍵が閉まっていて、物音を立てると誰かが来てくれるはずだ。

俺はちょっとワクワクしながらドアに近づいて、トントンとノックしてみた。しばらくすると、向こうからもトントンとノックが返ってきて、次いでカシャンと鍵の開く音が聞こえた。