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救出編
6譜-Sfida ravvicinata-
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橋の周りに見張りくらいはいるだろうと云う暗乃の見立て通り、カナン兵が数名橋には待機して訪れる人々に経緯を説明していた。
それでもこの数ならば撒けると近くの森への最短の逃げ道も確保した、大丈夫だと云い聞かせながら真衣は外套を被ったまま彼等に近寄った。
大きく息を吸いながら五月蠅い心臓を抑える。
近づいて来た外套を纏った真衣を旅人とでも思ったのだろう、一人の兵が真衣の前に立った。
「すまないね、旅人さん。この橋は今壊れていて」
「はい、知っています」
柔らかい物腰の男に真衣は少しの好感を覚える傲慢な兵ばかり見てきたからだろうか、皆が皆そのような人物ではないのはわかっていたことだ。
真衣の返答に訝しんだ兵の前で真衣は外套を脱いで見せる。
「夢宮真衣と申します」
「!……おい!援軍を呼べ!」
物腰が柔らかくとも兵士と云うことでやはり間違いはない、真衣はその声と同時に踵を返し走り出した。
「待て!この、早く応援を!」
後ろで声がする、真衣はその声を無視して走る。
数人程度ならば振り切れると自身に謡で身体強化をしておいた、超人的になるわけではけしてないが問題ないだろう。
あらかじめ打ち合わせをしていた森の入り口へ飛び込んだ。
鼓と暗乃が用意した罠に掛かり追って来る頃には真衣は森を抜けることが出来ている。
橋が修繕された後の追手が懸念点ではあるが彼等は真衣の目的地を知らない、可能な限り街や村がない方向へ向かうことで合意している。
鼓の風を頼りに二人と合流する頃には追手の音は聞こえなくなっていた。
「橋、修繕されるかな……」
「後は彼等次第だからね、急ごう森を抜けてなるべく人のいない場所を選んで歩くよ」
「うん、ありがとう」
真衣は振り向かずに歩き始めた。
馬が入れない上空からも急接近は難しい場所と云うのは無論足場も悪い。
進んでは休みを入れ更に進む、魔物もけして出ないわけではない。鼓とは違い魔物の相手もなかなか慣れない真衣は支援に回ることが増えつつあった。
刀が決して振るえないわけではない。
鵺の時には間違いなく振るえたのだ、久しぶりの刀とは云えど教え込まれた刀術は忘れていない。
真衣の覚悟の弱さだと飾りになりつつある莫邪を抱いて真衣は考える。魔物を──生き物を前にすると怖くて堪らない、それは練習ではどうしようもないことだ。
戦争の音が今も耳にこびりついている。
悲鳴と怒声、魔法で吹き飛ばされる人々、炎にまかれる人々。
覚悟が出来ない。
それでいいと鼓も暗乃も云っているが真衣自身がそれでは駄目だと考えているのだ。
この先それだけではどうしようもなくなる時があるはずだ、その時に何も出来ないままではいけない。
せめて魔物だけでも相手に出来るようにと溜息を吐く。
それに胡乱げな表情を見せる鼓に苦笑で返す。
「私も戦えたらって思っただけ」
「刃に迷いが見える、怪我をするだけだ」
「うん、そうだね」
魔物に意思はない、精霊が堕ちた場合には時たま喋る魔物もいると云うが、死した魂が何処にも行けなくなった場合も魔物は発生する。
そうした魔物たちは本能のままに人間や家畜を襲う。
鵺とてあの森の奥で生き物を襲っていたのだから、意思のある魔物が本当にいるかなどわかったものではない。
レムリアでは魂の存在が強く信じられている、その魂が魔物になると云うのは恐怖でしかない。
その為に死の神が強く信仰されている、死した魂が次の生へと向かう為の神だと云い聞かせられ育つ。だからこそ魔物になることは次の生にも行けず彷徨うことと同義なのだ。
ただ命を奪うのとは違う。
理解をしていても必ずしも心が付いてくるわけではない。
「でも、守られてばかりは嫌だよ……」
「……」
水を注ぎに行っている暗乃がいればまた会話が続いたのだろうが、今は鼓と真衣しかいない。
口数が決して多いとは云えない鼓に何か変えて欲しいわけではない、ただ、少し不安を吐き出したい。暗乃ではなく鼓に聞いて欲しいと思ったのは何故だろうか。
「……傀は容赦ない男だ」
「兄様が?」
「少なくとも俺があそこにいた時は苛烈で容赦ない男だった、それこそ覚悟を決めた顔をしていた。お前にそうなれとは思わん、だが、傀がお前にその刀を返したのは意味があるのだろう」
真衣の知る傀はいつも優しい兄だった。
戦火の中でも真衣の耳を塞ぎ不安を和らげようとしてくれていた。
城から逃げる時も手を繋ぎ真衣を励ましてくれていた。
はずなのだが、真衣はそこで首を傾げた。
たしかに傀と一緒に逃げたはずだ、紫鬼もいた、他にも一緒の従者はいたはずなのに真衣は何故逸れてしまったのだったろうか。
今はそれは問題ではないと真衣は首を横に振る。
傀は真衣と違い皇帝になるべく指導を受けていた、真衣が知らないこともたくさんして来たのだろう。
それでも真衣が刀を振るえない理由にはならない。
「お前に足りないのは覚悟ではないがな」
「鼓には、わかるの?」
「さあな」
鼓の言葉に真衣は深く考え込む。
あっさりと返されてしまったが鼓はきっと何かわかっているのだろう、それでも真衣に考えさせようとしている。
ならば、この問題は真衣が自分で考えるしかないのだ。
水を注いだ暗乃が戻って来た後、休息の跡を消し真衣たちはその場所を離れた。
そうして進む先で暗乃が突然足を止めた。
「暗乃?」
「……カナン兵を少し侮りすぎたかもしれないね」
気まずそうにそう告げる暗乃が木陰に隠れながら前方を指さした。
その方向には急遽作られたのであろう土の壁が長々と続いていた。
「行く手阻まれてる」
「そんな……」
恐らく土魔法で建てられたのであろう壁は簡単には乗り越えられる気がしない。だからと迂回するには壁は長い。
検問をしているカナン兵の数も橋の時とは異なる。
この道を通ることがわかっていたのだろうか、だとすれば何故。
真衣は木陰に身を隠すと二人を見る。
「他に道はないのか?」
「もちろんある、けどあの壁がどこまで建てられているかだね。少し進むと山にもなる、整地されていない山は危険すぎる」
鼓の質問に暗乃がそう答えながら地図を開いて見せる。
そしておおよその場所を指さし、山を指した後にまた別の方向に指をやる。
「この道以外、平地が増えるんだ飛竜にでも来られたら堪ったものじゃない」
暗乃の言葉は最もだ、どうするか考える真衣たちの頭上から声が飛んで来た。
「風魔力の反応があったから見に来てみれば、ビンゴじゃないか」
木の上に立つその人物は澄んだ青色の髪をしている。
そして、その男を真衣は知っている。
「十騎士、シャイタン……」
「覚えて頂いていたようで光栄」
大戦の頃でもその力は強大で記憶に残っている、当時からも十騎士として名を馳せていた彼は記憶より少し老けているがその圧は決して衰えていない。
真衣を庇うように鼓が立つと真衣の背後からも足音が聞こえて来る、風魔法で感知したと云っていた。ならば他のカナン兵か十騎士か、振り返るとそこにはあの時、そうアルカディアで講義を行おうとしていた女性、アスタロトが立っていた。
ラコルーニャの時も危険を感じたがそれ以上に危険だと真衣は身体を固くなる、一度逃げ出せはしたがそれは運が味方していたのもある。二度目があるとは限らない。
木の上から身軽に飛び降りたシャイタンが剣を抜く音が聞こえる。
「悪いことは云わない、このままご同行願おうか」
「他の兵も来ています、逃げ場はありませんよ、皇女様」
判断に間違いは許されない。
背中に伝う冷や汗と乾いた口でツバを飲みこむ。
アスタロトの云っていたことは正しいのだろう、複数の足音がこちらに向かって来るのがわかる。
「わかり、ました……」
「真衣!」
「二人は関係ありません、手を出さない誓約してくださいますね、シャイタン殿」
真衣がいなくとも旅が続けられれば、どうにかなるかもしれない。
だが、今ここで抵抗をしてしまえば二人の命にもかかわる恐れがある、それが真衣の下した決断だった。
そもそもカナン王の目的もよくわかっていない、真衣を妃にと云うだけではこのような対応はされないはずだ。命の保証はあるのだ。
だから、とシャイタンの方を振り返ると驚きの光景が目に入って来た。
暗乃がシャイタンの間合いに詰め寄り剣を振り上げていた。
魔物を相手にする時と変わらない躊躇のない剣であるのは真衣の目にも明らかで、背後でアスタロトが驚くのを感じる。
シャイタンは間一髪と云うところで剣をいなすと目を見開く。
「これはこれは、貴方もいたのですか、傭兵殿?」
「うるさい、昔の話だ」
低く唸るような暗乃の声に驚く間もなく鼓に担ぎ上げられる。
それに抵抗しようとして、止めた。
真衣は諦めていただけなのだ、誓約をしたところで二人を害しないとは限らない。そういう人たちなのだと今まで味わってきたはずなのだ。
鼓の態度を見て理解したのだろう、アスタロトも槍を取り出す。
「鼓、わかったから、降ろして!」
「……」
このままでは戦えない、それだけは確実だった。
逃げるにも逃げられない、せめてシャイタンだけでも何とかしなければ。
真衣の気持ちを理解したのか鼓が真衣を降ろすと同時のアスタロトの槍が鼓の頭のあった場所を刺し貫いた。
始まってしまったと真衣は思いながら腰にある莫邪に手を掛ける。
魔物さえ切れないその刀で何の役に立てるだろうか。
「アスタロト!皇女を狙え!“どうせ何も出来ない”!」
暗乃の斬撃を避けながらシャイタンがそう叫ぶ、鼓に向けていた槍をアスタロトは真衣に向ける。
「生きていればいいとのことですので、お覚悟を」
「させるか!」
鼓がその言葉にアスタロトに剣を抜く。
シャイタンの叫び声に真衣は顔を顰める、何か忘れていたことがある。
今の言葉を前にもどこかで聞いたのだ。
そう雪の舞う山奥、傀や従者と寒さを凌いでいた時に追って来た兵士たちがいた。
「あ……」
そうだと真衣は刀を握る手に力を込める。
あの時、逃げた先でシャイタンの率いる兵士たちに襲われたのだ。傀や他従者も戦ったがそれでも戦力は明らかで真衣は捕らえられ、その時に抜いた剣で抵抗をして。
──人を殺したのだ。
忘れていた、どうして忘れていたのだろうか。
その時呆然としていた真衣にシャイタンが云った「どうせ何もできないのに」と。
そこからどうやって逃げたのかは覚えていない、誰かに目隠し布と修道服を渡され真衣はアルカディアにいた。
思い出したくない記憶で、思い出さなければならなかった記憶だ。
唇を噛み締め真衣は顔を上げた。
アスタロトの槍を鼓は止めるのにいっぱいで兵士たちそこまで来ている。
責任だ。
殺してしまった人に対して、ここまで連れ添った二人に対して、そしてリーウェン帝国皇女として。
真衣には責任がある。
それはきっとここで立ち止まることではないはずだ。
真衣は考えるどうすればいいか、その眸に先ほどまでの迷いの光はない。
それがわかったのか、暗乃がシャイタンの剣を叩き落とす。
「真衣、鼓こっちに走れ!」
いつもの声色に真衣は暗乃を見る、シャイタンを軽く蹴り飛ばし樹に叩きつける姿に真衣はそちらに向かって走り出す。
鼓もそれに続くように走る。
樹に叩きつけられたシャイタンを心配する様子もなくアスタロトが距離を詰めて来る。それは真衣を逃がすまいと云う意思を強く感じるもので。
槍を大きく振りかぶるアスタロトに真衣も刀を抜いた。
刀を振るうことに少しの不慣れさは感じるものの迷いは感じないそれにアスタロトは慌てて身を後ろに引いた。
あまりにも粗末な刃だった、だがそこに籠ったモノにアスタロトは身を引いてしまった。
しまったと思った時には真衣は刀を納め走り出す。
背後から迫る兵士の足音は増えている、ここからどうすればいいのかわからないが暗乃の背中を追って真衣も鼓も走る。
その先には、崖があった。
まさかと真衣が思った通りに暗乃は躊躇いなく崖から飛び降りて見せる。
一瞬の躊躇いと彼を信用したい気持ちが合わさりそのまま飛び込んだ。背後で鼓が少し足を止め、頭を抱えたくなる気持ちを抑え最後に続いた。
崖の深さはかなりのもので落ちる身体を途中でふわりと風が抱き留める。驚いた真衣に鼓も同じように浮いた身体に戸惑っていると更に下まで落ちたところに暗乃が手を振っていた。
「この付近の地底はね風聖霊の住処なんだ」
遙か遠くに見える光では心もとないといつの間に用意したのか手持ちの松明に火を付けながら落下してきた二人に説明して見せた。
確かに強い風があちこちと吹いているがと真衣は鼓と顔を見合わせる。
「彼等は知らないだろうからね、今頃大慌てだと思うよ」
「こんな場所が……」
鼓がそう呟くのも無理はない、聖霊の住処など聞いたこともない。彼等は自然の中にただ在るものだと教えられてきた。
見えづらい足場を上る真衣に暗乃が手を差し出して来る。
ここまで来てまさかまた暗乃に助けられるとはと真衣は少し苦笑してその手を取った。
「先に横穴がある、そこで少し休もう」
暗闇で見えない先を見つめ暗乃はそう告げる。
その言葉の通り少し歩いた場所に横穴があり、暗乃は松明を適当な穴に差し込み石の上に座った。
それに続く真衣と鼓だったが、鼓がいきなり剣を抜いた。
「鼓⁉」
「お前、十騎士と顔見知りなのか」
真衣を無視し暗乃に剣先を向けた鼓に暗乃が軽く目を開くと、少し考えたような仕草の後頷いた。
「云ったでしょ、僕は旅人。金さえ積めば傭兵の仕事だって請け負う、そしてちょっとしたトラブルで離反しただけさ」
「ちょっとした?」
「そこは秘密、でもほら事実君たちを助けたんだから信用してくれてもいいんじゃない?」
「そうだよ鼓、助けてくれたのは本当なんだから」
そう諫める真衣を横目で見た後、鼓は剣を鞘に納める。
彼なりに納得はしていないようだがこの事実だけは変わらないのだ。
十騎士と何かあったとてそれはもう昔の話、そして、暗乃はカナン兵に真衣を受け渡す機会が何度もあったにも関わらず、それをしなかった。
信用に足ると真衣は思っている。
「謝らんぞ」
「別に僕も同じ立場なら疑うさ」
特に気にもしていないと云うように笑う暗乃に先ほどのシャイタンに向けていた唸るような怒りの声の片鱗は少しもない。
話を聞かせるつもりはないようだが、何か因縁があるのは確かなのだろう。
「それにしても困ったね、風聖霊の住処は横穴まみれでどこの出口がどこに出るかなんてわかったものじゃない。風属性の強い術士でもいれば別だけど」
「魔術は得意ではない」
「私も属性が違うから……」
さて困ったと暗乃が考える傍で鼓が真衣の前に座る。
先ほど剣を向けたことは鼓の立場とすれば当たり前だ。
だから、暗乃があのように受け流すのであれば真衣から何かを云う必要はない。
少し状況は考えて欲しいとは思う気持ちがないわけではないが。
「刃は振るえるか?」
「まだ少し怖いけど、うん、大丈夫だと思う」
真衣は手元にある莫邪を優しく撫でそう返す。
使いこなすにはまだ時間はいるだろうが、迷いはもうない。
心の中で忘れていたことを懺悔しながら暗乃を向いた。
「暗乃、提案があるの」
「何かな?」
真衣は考えた作戦を口にする。
少し驚いた顔をしながらも暗乃は「いいね」と微笑んで見せた。
それでもこの数ならば撒けると近くの森への最短の逃げ道も確保した、大丈夫だと云い聞かせながら真衣は外套を被ったまま彼等に近寄った。
大きく息を吸いながら五月蠅い心臓を抑える。
近づいて来た外套を纏った真衣を旅人とでも思ったのだろう、一人の兵が真衣の前に立った。
「すまないね、旅人さん。この橋は今壊れていて」
「はい、知っています」
柔らかい物腰の男に真衣は少しの好感を覚える傲慢な兵ばかり見てきたからだろうか、皆が皆そのような人物ではないのはわかっていたことだ。
真衣の返答に訝しんだ兵の前で真衣は外套を脱いで見せる。
「夢宮真衣と申します」
「!……おい!援軍を呼べ!」
物腰が柔らかくとも兵士と云うことでやはり間違いはない、真衣はその声と同時に踵を返し走り出した。
「待て!この、早く応援を!」
後ろで声がする、真衣はその声を無視して走る。
数人程度ならば振り切れると自身に謡で身体強化をしておいた、超人的になるわけではけしてないが問題ないだろう。
あらかじめ打ち合わせをしていた森の入り口へ飛び込んだ。
鼓と暗乃が用意した罠に掛かり追って来る頃には真衣は森を抜けることが出来ている。
橋が修繕された後の追手が懸念点ではあるが彼等は真衣の目的地を知らない、可能な限り街や村がない方向へ向かうことで合意している。
鼓の風を頼りに二人と合流する頃には追手の音は聞こえなくなっていた。
「橋、修繕されるかな……」
「後は彼等次第だからね、急ごう森を抜けてなるべく人のいない場所を選んで歩くよ」
「うん、ありがとう」
真衣は振り向かずに歩き始めた。
馬が入れない上空からも急接近は難しい場所と云うのは無論足場も悪い。
進んでは休みを入れ更に進む、魔物もけして出ないわけではない。鼓とは違い魔物の相手もなかなか慣れない真衣は支援に回ることが増えつつあった。
刀が決して振るえないわけではない。
鵺の時には間違いなく振るえたのだ、久しぶりの刀とは云えど教え込まれた刀術は忘れていない。
真衣の覚悟の弱さだと飾りになりつつある莫邪を抱いて真衣は考える。魔物を──生き物を前にすると怖くて堪らない、それは練習ではどうしようもないことだ。
戦争の音が今も耳にこびりついている。
悲鳴と怒声、魔法で吹き飛ばされる人々、炎にまかれる人々。
覚悟が出来ない。
それでいいと鼓も暗乃も云っているが真衣自身がそれでは駄目だと考えているのだ。
この先それだけではどうしようもなくなる時があるはずだ、その時に何も出来ないままではいけない。
せめて魔物だけでも相手に出来るようにと溜息を吐く。
それに胡乱げな表情を見せる鼓に苦笑で返す。
「私も戦えたらって思っただけ」
「刃に迷いが見える、怪我をするだけだ」
「うん、そうだね」
魔物に意思はない、精霊が堕ちた場合には時たま喋る魔物もいると云うが、死した魂が何処にも行けなくなった場合も魔物は発生する。
そうした魔物たちは本能のままに人間や家畜を襲う。
鵺とてあの森の奥で生き物を襲っていたのだから、意思のある魔物が本当にいるかなどわかったものではない。
レムリアでは魂の存在が強く信じられている、その魂が魔物になると云うのは恐怖でしかない。
その為に死の神が強く信仰されている、死した魂が次の生へと向かう為の神だと云い聞かせられ育つ。だからこそ魔物になることは次の生にも行けず彷徨うことと同義なのだ。
ただ命を奪うのとは違う。
理解をしていても必ずしも心が付いてくるわけではない。
「でも、守られてばかりは嫌だよ……」
「……」
水を注ぎに行っている暗乃がいればまた会話が続いたのだろうが、今は鼓と真衣しかいない。
口数が決して多いとは云えない鼓に何か変えて欲しいわけではない、ただ、少し不安を吐き出したい。暗乃ではなく鼓に聞いて欲しいと思ったのは何故だろうか。
「……傀は容赦ない男だ」
「兄様が?」
「少なくとも俺があそこにいた時は苛烈で容赦ない男だった、それこそ覚悟を決めた顔をしていた。お前にそうなれとは思わん、だが、傀がお前にその刀を返したのは意味があるのだろう」
真衣の知る傀はいつも優しい兄だった。
戦火の中でも真衣の耳を塞ぎ不安を和らげようとしてくれていた。
城から逃げる時も手を繋ぎ真衣を励ましてくれていた。
はずなのだが、真衣はそこで首を傾げた。
たしかに傀と一緒に逃げたはずだ、紫鬼もいた、他にも一緒の従者はいたはずなのに真衣は何故逸れてしまったのだったろうか。
今はそれは問題ではないと真衣は首を横に振る。
傀は真衣と違い皇帝になるべく指導を受けていた、真衣が知らないこともたくさんして来たのだろう。
それでも真衣が刀を振るえない理由にはならない。
「お前に足りないのは覚悟ではないがな」
「鼓には、わかるの?」
「さあな」
鼓の言葉に真衣は深く考え込む。
あっさりと返されてしまったが鼓はきっと何かわかっているのだろう、それでも真衣に考えさせようとしている。
ならば、この問題は真衣が自分で考えるしかないのだ。
水を注いだ暗乃が戻って来た後、休息の跡を消し真衣たちはその場所を離れた。
そうして進む先で暗乃が突然足を止めた。
「暗乃?」
「……カナン兵を少し侮りすぎたかもしれないね」
気まずそうにそう告げる暗乃が木陰に隠れながら前方を指さした。
その方向には急遽作られたのであろう土の壁が長々と続いていた。
「行く手阻まれてる」
「そんな……」
恐らく土魔法で建てられたのであろう壁は簡単には乗り越えられる気がしない。だからと迂回するには壁は長い。
検問をしているカナン兵の数も橋の時とは異なる。
この道を通ることがわかっていたのだろうか、だとすれば何故。
真衣は木陰に身を隠すと二人を見る。
「他に道はないのか?」
「もちろんある、けどあの壁がどこまで建てられているかだね。少し進むと山にもなる、整地されていない山は危険すぎる」
鼓の質問に暗乃がそう答えながら地図を開いて見せる。
そしておおよその場所を指さし、山を指した後にまた別の方向に指をやる。
「この道以外、平地が増えるんだ飛竜にでも来られたら堪ったものじゃない」
暗乃の言葉は最もだ、どうするか考える真衣たちの頭上から声が飛んで来た。
「風魔力の反応があったから見に来てみれば、ビンゴじゃないか」
木の上に立つその人物は澄んだ青色の髪をしている。
そして、その男を真衣は知っている。
「十騎士、シャイタン……」
「覚えて頂いていたようで光栄」
大戦の頃でもその力は強大で記憶に残っている、当時からも十騎士として名を馳せていた彼は記憶より少し老けているがその圧は決して衰えていない。
真衣を庇うように鼓が立つと真衣の背後からも足音が聞こえて来る、風魔法で感知したと云っていた。ならば他のカナン兵か十騎士か、振り返るとそこにはあの時、そうアルカディアで講義を行おうとしていた女性、アスタロトが立っていた。
ラコルーニャの時も危険を感じたがそれ以上に危険だと真衣は身体を固くなる、一度逃げ出せはしたがそれは運が味方していたのもある。二度目があるとは限らない。
木の上から身軽に飛び降りたシャイタンが剣を抜く音が聞こえる。
「悪いことは云わない、このままご同行願おうか」
「他の兵も来ています、逃げ場はありませんよ、皇女様」
判断に間違いは許されない。
背中に伝う冷や汗と乾いた口でツバを飲みこむ。
アスタロトの云っていたことは正しいのだろう、複数の足音がこちらに向かって来るのがわかる。
「わかり、ました……」
「真衣!」
「二人は関係ありません、手を出さない誓約してくださいますね、シャイタン殿」
真衣がいなくとも旅が続けられれば、どうにかなるかもしれない。
だが、今ここで抵抗をしてしまえば二人の命にもかかわる恐れがある、それが真衣の下した決断だった。
そもそもカナン王の目的もよくわかっていない、真衣を妃にと云うだけではこのような対応はされないはずだ。命の保証はあるのだ。
だから、とシャイタンの方を振り返ると驚きの光景が目に入って来た。
暗乃がシャイタンの間合いに詰め寄り剣を振り上げていた。
魔物を相手にする時と変わらない躊躇のない剣であるのは真衣の目にも明らかで、背後でアスタロトが驚くのを感じる。
シャイタンは間一髪と云うところで剣をいなすと目を見開く。
「これはこれは、貴方もいたのですか、傭兵殿?」
「うるさい、昔の話だ」
低く唸るような暗乃の声に驚く間もなく鼓に担ぎ上げられる。
それに抵抗しようとして、止めた。
真衣は諦めていただけなのだ、誓約をしたところで二人を害しないとは限らない。そういう人たちなのだと今まで味わってきたはずなのだ。
鼓の態度を見て理解したのだろう、アスタロトも槍を取り出す。
「鼓、わかったから、降ろして!」
「……」
このままでは戦えない、それだけは確実だった。
逃げるにも逃げられない、せめてシャイタンだけでも何とかしなければ。
真衣の気持ちを理解したのか鼓が真衣を降ろすと同時のアスタロトの槍が鼓の頭のあった場所を刺し貫いた。
始まってしまったと真衣は思いながら腰にある莫邪に手を掛ける。
魔物さえ切れないその刀で何の役に立てるだろうか。
「アスタロト!皇女を狙え!“どうせ何も出来ない”!」
暗乃の斬撃を避けながらシャイタンがそう叫ぶ、鼓に向けていた槍をアスタロトは真衣に向ける。
「生きていればいいとのことですので、お覚悟を」
「させるか!」
鼓がその言葉にアスタロトに剣を抜く。
シャイタンの叫び声に真衣は顔を顰める、何か忘れていたことがある。
今の言葉を前にもどこかで聞いたのだ。
そう雪の舞う山奥、傀や従者と寒さを凌いでいた時に追って来た兵士たちがいた。
「あ……」
そうだと真衣は刀を握る手に力を込める。
あの時、逃げた先でシャイタンの率いる兵士たちに襲われたのだ。傀や他従者も戦ったがそれでも戦力は明らかで真衣は捕らえられ、その時に抜いた剣で抵抗をして。
──人を殺したのだ。
忘れていた、どうして忘れていたのだろうか。
その時呆然としていた真衣にシャイタンが云った「どうせ何もできないのに」と。
そこからどうやって逃げたのかは覚えていない、誰かに目隠し布と修道服を渡され真衣はアルカディアにいた。
思い出したくない記憶で、思い出さなければならなかった記憶だ。
唇を噛み締め真衣は顔を上げた。
アスタロトの槍を鼓は止めるのにいっぱいで兵士たちそこまで来ている。
責任だ。
殺してしまった人に対して、ここまで連れ添った二人に対して、そしてリーウェン帝国皇女として。
真衣には責任がある。
それはきっとここで立ち止まることではないはずだ。
真衣は考えるどうすればいいか、その眸に先ほどまでの迷いの光はない。
それがわかったのか、暗乃がシャイタンの剣を叩き落とす。
「真衣、鼓こっちに走れ!」
いつもの声色に真衣は暗乃を見る、シャイタンを軽く蹴り飛ばし樹に叩きつける姿に真衣はそちらに向かって走り出す。
鼓もそれに続くように走る。
樹に叩きつけられたシャイタンを心配する様子もなくアスタロトが距離を詰めて来る。それは真衣を逃がすまいと云う意思を強く感じるもので。
槍を大きく振りかぶるアスタロトに真衣も刀を抜いた。
刀を振るうことに少しの不慣れさは感じるものの迷いは感じないそれにアスタロトは慌てて身を後ろに引いた。
あまりにも粗末な刃だった、だがそこに籠ったモノにアスタロトは身を引いてしまった。
しまったと思った時には真衣は刀を納め走り出す。
背後から迫る兵士の足音は増えている、ここからどうすればいいのかわからないが暗乃の背中を追って真衣も鼓も走る。
その先には、崖があった。
まさかと真衣が思った通りに暗乃は躊躇いなく崖から飛び降りて見せる。
一瞬の躊躇いと彼を信用したい気持ちが合わさりそのまま飛び込んだ。背後で鼓が少し足を止め、頭を抱えたくなる気持ちを抑え最後に続いた。
崖の深さはかなりのもので落ちる身体を途中でふわりと風が抱き留める。驚いた真衣に鼓も同じように浮いた身体に戸惑っていると更に下まで落ちたところに暗乃が手を振っていた。
「この付近の地底はね風聖霊の住処なんだ」
遙か遠くに見える光では心もとないといつの間に用意したのか手持ちの松明に火を付けながら落下してきた二人に説明して見せた。
確かに強い風があちこちと吹いているがと真衣は鼓と顔を見合わせる。
「彼等は知らないだろうからね、今頃大慌てだと思うよ」
「こんな場所が……」
鼓がそう呟くのも無理はない、聖霊の住処など聞いたこともない。彼等は自然の中にただ在るものだと教えられてきた。
見えづらい足場を上る真衣に暗乃が手を差し出して来る。
ここまで来てまさかまた暗乃に助けられるとはと真衣は少し苦笑してその手を取った。
「先に横穴がある、そこで少し休もう」
暗闇で見えない先を見つめ暗乃はそう告げる。
その言葉の通り少し歩いた場所に横穴があり、暗乃は松明を適当な穴に差し込み石の上に座った。
それに続く真衣と鼓だったが、鼓がいきなり剣を抜いた。
「鼓⁉」
「お前、十騎士と顔見知りなのか」
真衣を無視し暗乃に剣先を向けた鼓に暗乃が軽く目を開くと、少し考えたような仕草の後頷いた。
「云ったでしょ、僕は旅人。金さえ積めば傭兵の仕事だって請け負う、そしてちょっとしたトラブルで離反しただけさ」
「ちょっとした?」
「そこは秘密、でもほら事実君たちを助けたんだから信用してくれてもいいんじゃない?」
「そうだよ鼓、助けてくれたのは本当なんだから」
そう諫める真衣を横目で見た後、鼓は剣を鞘に納める。
彼なりに納得はしていないようだがこの事実だけは変わらないのだ。
十騎士と何かあったとてそれはもう昔の話、そして、暗乃はカナン兵に真衣を受け渡す機会が何度もあったにも関わらず、それをしなかった。
信用に足ると真衣は思っている。
「謝らんぞ」
「別に僕も同じ立場なら疑うさ」
特に気にもしていないと云うように笑う暗乃に先ほどのシャイタンに向けていた唸るような怒りの声の片鱗は少しもない。
話を聞かせるつもりはないようだが、何か因縁があるのは確かなのだろう。
「それにしても困ったね、風聖霊の住処は横穴まみれでどこの出口がどこに出るかなんてわかったものじゃない。風属性の強い術士でもいれば別だけど」
「魔術は得意ではない」
「私も属性が違うから……」
さて困ったと暗乃が考える傍で鼓が真衣の前に座る。
先ほど剣を向けたことは鼓の立場とすれば当たり前だ。
だから、暗乃があのように受け流すのであれば真衣から何かを云う必要はない。
少し状況は考えて欲しいとは思う気持ちがないわけではないが。
「刃は振るえるか?」
「まだ少し怖いけど、うん、大丈夫だと思う」
真衣は手元にある莫邪を優しく撫でそう返す。
使いこなすにはまだ時間はいるだろうが、迷いはもうない。
心の中で忘れていたことを懺悔しながら暗乃を向いた。
「暗乃、提案があるの」
「何かな?」
真衣は考えた作戦を口にする。
少し驚いた顔をしながらも暗乃は「いいね」と微笑んで見せた。
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