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第2章:頞部陀地獄編

第十九話:冬神と囚人たちの戦いは望まぬ形で決着する

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 神というやつはどいつもこいつも、追い詰められてから本気を出すようだ。地獄の囚人たちが血達磨になりながら神に一太刀を加えたとしても、彼らはそれをあざ笑うかのように圧倒的な力を振りかざし、私たちを虫のように踏みつぶしていく。

 衝撃と共に中空へと吹っ飛ばされた私は、それを今一度噛み締める。

 冬神の傷の程度は、致命傷と呼ぶのに十分な物であった。ザックリと切り裂かれた右半身からは、未だ赤黒い血が滝のように流れだし、神から確実に生命力を奪い去っていく。その傷は神から行動の自由と柔軟な思考力を確実に奪い去っていくはずである。

 しかし、目の前に現れた光景は、そんな私の判断をあざ笑うかのような、超自然的で、圧倒的な物であった。

 神の左手に現れた氷の結晶は、空気が爆ぜる音と共に膨張し、四方八方へと氷の大槍を突き出していく。槍の刃先にあるあらゆる物は貫かれ、砕かれ、轟然と音を立てながら崩れ落ちていく。

 私や、女武者も例外ではない。

「ぐぅっ! あぁあああ!!」

 初撃はなんとかしのぎ切れた。しかし、第二波、第三波が間髪を入れず私たちに覆いかぶさるようにして押し寄せる。津波に叩きつけられたようなその圧力に私たちは耐えきれない。氷の槍で、私は心臓を、女武者は脳天を貫かれ、刺突の勢いを体に帯びたまま岩塊へと叩きつけられる。

 攻撃のイニシアティブを取り戻すため、私たちは抵抗しようとする。しかし、私が剣を握り締める右腕を振り上げようとすると、幾万本の槍がイナゴのように殺到し、私の肉を挽肉へと変えていき、女武者が半身から炎を噴き上げようとすると、空を覆わんばかりの氷の塊が彼女を岩へと叩きつけ、押しつぶす。

「この痛み、この焦燥感……久方ぶりに思い出す……あぁ……なんと素晴らしい……!!」

 氷の槍の爆心地に、神はいる。幾千万の槍をその手のひらから生成し、意のままに操っている。血と痣と汚れにまみれているが、神の表情は実に穏やかだ。

 痛みと不安を口にしているが、そんな言葉が何故満足げに笑みを浮かべる彼女の口から出てくるのか、はなはだ疑問である。

「さぁ……! 囚人よ! 人の理、神の道を外れ、地獄に堕ちた罪人たちよ! 私を潤わせてくれ! 私はここにいるぞ!」

 興奮に飲み込まれた神が、幾十の槍竜巻を私達へ差し向けながら絶叫する。そのまなざしは子供のように純朴で、満身創痍とは思えない程に瑞々しい。起伏の激しい神の感情を代弁するかのように氷の槍衾は、いよいよ手が付けられない程に荒れ狂い、私たちと神の間を隔てる空間は見る見るうちに大きくなっていく。

 このまま、私は神の攻撃を前になす術もなく叩き潰されるというのか……?

「……ふっ……!!」

 絶望的なまでにみじめな未来が、ここまでの苦悩を踏みにじられるイメージが、脳裏をよぎり、猛烈な拒絶反応が肉体を支配する。轟然と振るわれた肉断ち包丁が、槍の刃先を幾万と斬り割った。

「ざぁああああ!!」

 水平線のはるか先で、大地が溶ける程の炎が燃え上がる。山のように分厚い岩塊が飴細工のようにとろけ、差し向けられた氷の槍がじゅうううと悲鳴をあげて蒸発する。女武者の左半身を包み込んだ炎が龍のように蠢き、円弧を描くと、太陽を思わせる莫大な熱が神の攻撃をほんの数秒、押しとどめる。

 瞬く間もなく蒸発し、刃先を失った槍衾たち……神がふぅとため息をつくと、溶けた柄から新たな槍が生成され、刃先をギラリと光らせながら再度女武者へと殺到していく。

「けぇええ!」

 私が切り払った槍も同様だ。切っても切っても、それらは私たちをあざ笑うかのように再生し、押し合いへし合い、私の肉体めがけて襲いかかる。

 全身の血が逆流するような怒りを、私はその刃先に込めていく。憎悪に我を忘れた私の心臓が、血管が破裂するのも構わず無茶苦茶に鼓動し、私の肉体に人の理から外れた力を付与していく。

 筋肉が膨張し、骨に亀裂が走り、視界は神以外の何も写さなくなる。ための時間。神が差し向けた槍は好機と言わんばかりに殺到し、私の肉体を貫いていく。だが、常識はずれな私の脈動が生み出す溶岩のような熱が、氷を溶かし、蒸発させていく。

 肉体は、負傷に気づかない。怒りは最早、私の脳が処理できるレベルを超えており、私の肉体は噴火寸前の火山のように制御不能となっている。

 どんな未来が訪れようと、これは爆発するしかない。

「るぅううううう!!」

 女武者が鉄筒を取り出し、その照準を氷の大津波へと向ける。女武者の左半身から噴き出した炎が渦を巻いて鉄筒へと吸い込まれ、私の、神の肉を噴煙と共に砕いたそれは赤く赤熱し、莫大な熱を放出する機会を今か今かと待ちわびる。

 刺すような余熱のエネルギーは余りにも莫大であり、氷の大波は熱の壁に遮られて蒸発し、その刃先は彼女の元へと届かない。

人の身に余る熱は地獄の空間を歪ませ、空は「おおん、おおん」と喘ぐ。数秒先の未来を予知した地獄の空気が恐慌に駆られ、その場から逃げ出そうとしているのである。

「なぁああああああああぁああああ!!」

 私は肉断ち包丁を振り上げた。

 振り上げられた肉断ち包丁の切っ先は、防御の敵わない剣圧を打ち出し、正面に迫る氷塊をズパッと両断する。神の氷は悲鳴をあげて縦に割かれ、割れガラスのような破片となって地獄の空を舞う。

 人間の理から外れた力を吐き出した代価は、肉体の破壊となって私に叩きつけられる。全身の骨にくまなくめぐった衝撃は、骨は勿論、欠陥も、筋肉も、内臓もズタズタに裂いていく。

 体全身から血を吐き出した私は、グルんと白目をむいて、一瞬気を失いかける。

 女武者は引き金を引いた。

 瞬間、ガチンという音が鳴り、山を飲み込むような噴煙がその口から吹き出される。空気が震え、割れる。神の氷は大きく波打ったと思うとガラガラと音を立てて砂のように砕け散り、後に続くように押し寄せる大熱波に飲み込まれ、莫大な量の白い煙となってかき消される。

 この一撃は、女武者が代償無しに出せる物ではない。鉄筒を握る彼女の左腕は衝撃を受け止めきれずに、あらぬ方向を向いている。太陽の間近に立ったかのような熱気は、彼女の体にも平等に襲いかかり、その肉から水気を奪い去る。

 炭となって萎んだ彼女の姿は、骨に炭がこびりついている表現が最もしっくりくる。眼球はつぶれ、毛髪はほんの一握りを残して燃え散り、衣服に至ってはその残骸すらもない。

 亡霊を思わせる風貌だ。

「はぁあ♡! あぁあああははは♡!!! ひぃぃいい♡!! ひぃいあはははははは♡!」

 神への道は開かれた。あぁ、何をボンヤリとしている!? 早く走れ! 早く動け!!

 私は己の肉体に活を入れる。女武者は、炭とかした肉体を奮い立たせる。繰り糸の切れた操り人形のような肉体に今一度繰り糸を通し、私と女武者は神への一本道を駆け上がる。

「あぁあああ!! なんと素晴らしい!! きたまえ! さぁ早く!! 私を楽しませろ!!」

 勇みたつ神の感情に呼応するかのように新たな氷の槍が神の手のひらから生み出される。幾億の槍が合わさり、龍の如く蠢き、私達へと吶喊し、大口を開けて私たちの間合いへと瞬きする間もなく踏み込んでいく。

 だから何だというのだ!?

 肉体のリミッターはとうの昔に振り払われていた。私たちは肉体の損壊と引き換えに、神の首元にも届きうる神力を纏っている。

 氷の龍が、今更なんだというのだ!?

 私の肉断ち包丁は、氷の龍を斬り、砕き、割り、薙ぎ払う。氷の破片を足場とし、神速に達した私は、神の首を剣の間合いに納める。

 女武者の炎は、氷の龍を溶かし、蒸発させ、消滅させる。

 その肉厚の短剣は立ちはだかる氷の防壁を割り、討ち払い、その切っ先の照準を神の胸へと向ける!

「あぁ!! ああああ!! 素晴らしい! さぁ! 最期の決戦だ! 私と共に踊ろう! 私と共にこのひと時を生きよう!」

 最早、神の命を守る者は神の肉体以外にない。その様を神は大いに喜んでいた。

 残った左腕に氷を纏い、刺すような眼光を向ける冬神は、数秒後に繰り広げられるつばぜり合いを想い、興奮の坩堝に飲まれていた。








 血を血で洗う大決戦。その場にいた三人はこれからその未来がやってくると信じて疑わなかった。








 もう一柱の神が来るまでは。








「いいや。ここまでだ。」








 引力をもった底の知れない言葉が、地獄の空を揺らす。








「私がそれを許さない」








 冬神の背後にゆらめく影が一つ。それは、根源的恐怖をもたらす言葉を発し、冬神の体を赤黒い槍で貫いた。







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