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思案するリリアナ
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(五年間、会った記憶がないのよね。赤ちゃんのときに会ってる可能性はあるけどさ)
赤子の視力は弱いらしく、人の判別は全くつかなかった。もしかしたらそのときに会ったかもしれないが、それでも約四年は会っていない計算になる。
エリオットが本気になれば、四年くらい会わずに過ごせてしまうのだ。ならば、リリアナが無理にでも会う機会を作らねば、彼との接触は一年後の聖女の追悼式かもっと先だ。
リリアナは唸った。その後、ロフから侍女に代り、着替えをしているあいだも、髪を結って貰うあいだも考え続けた。
侍女が何度も話しかけてはくれたが、返事をする余裕はない。
リリアナは日課になった食堂の席に着く。ルーカスは無表情のままだが、リリアナの頭を一つ撫でると食事を始めた。
リリアナはルーカスにも曖昧な反応をして、パンをちぎり口には入れず、皿に戻す。それを繰り返した。
「リリアナ、どうした?」
ルーカスの言葉も耳に入ってはこない。
(何とか会う方法を探さないと、来年の追悼式まで会えない可能性だって出てくるよね。学院か……)
リリアナは前世の記憶を巡らせた。
貴族の通う学院といえば、王都でたった一つだ。聖カルフ学院。グランツ家からは繁華街を挟んで反対側にあるが、繁華街を避けて馬車を走らせれば、三十分もかからない。
十才から十八才の九年生で、初等部が五年、中等部が四年だ。伯爵家以上の貴族の寄付で運営されており、貴族は無償で入ることができる。
前世では聖女になる前、十才から十五才までの六年間だけ通っていた。学院では初等部の学生に繁華街に行くことを禁止している。昔、お忍びで遊びに行った初等部の学生が誘拐された事件があったそうだ。両親と行く場合は例外ではあったが。
学院と繁華街は近い。だから、初等部の学生はみんな憧れを持っている場所だった。両親と行く店は、子どもには楽しさが分からないものばかり。中等部に上がったときには記念に遊びに行くのが通例となっていた。
中等部に上がったとき、聖女も友人と繁華街のほうに遊びに行ったことがある。普段は見ることができない場所にわくわくしたものだ。女性だけで歩くのは危ないからと、お互いの家の使用人が数人の付き添いはあったが。
(そうだ! 繁華街に行けば、会えるかもしれない!)
リリアナは、思わずバンッとテーブルを叩いた。小さな両手では大きな食堂のテーブルはびくともしない。ほんの少し皿が跳ね、それと一緒に乗っていたパンの欠片が僅かに動いた飲みである。
喜びに口角が上がった。しかし、はたと気づく。
(あっ! でも、いつ出かけるかなんて分からない。授業のあとだろうけど、毎日遊びに行くわけがないし……)
次は絶望で眉根を寄せる。小さく刻まれた眉間の皺。ルーカスはリリアナの百面相をジッと見つめた。
(この際、学院に突撃すればいいかな。でも五才の子どもじゃ、面会すらさせてもらえないよね)
リリアナは頭を抱える。もう、目の前の朝食どころではない。
「リリアナ」
ルーカスが落ち着いた声でリリアナに声をかける。その落ち着いた声で急に現実に引き戻された。
目の前には細かくちぎられたパンの欠片。考えながらちぎった物だ。ルーカスの視線はリリアナにそそがれていた。
取り繕うように、小さなパンをスープに入れる。
「こうやるとおいしいって聞いたの」
満面の笑みを見せたが、ルーカスの表情は変わらない。
(絶対、変な子どもだと思われた……!)
もう少しまともな言い訳はなかったものか。
リリアナはスープで膨らんだパンをスプーンですくって口に入れる。
今日はトマトをたっぷりと使ったスープだった。トマトの酸味をパンが吸って、おいしい。頬が緩んだ。
ルーカスは視線を自分の手元に移すと食事を再開する。
(ど、どうにか誤魔化せたようね)
ホッと胸を撫で下ろす。ルーカスの前では、ごくごく普通の子どもでありたいと思った。前世は妹だったと言うつもりもない。
結局聖女は死んでいるし、リリアナはリリアナだ。知らない方がいいことは世の中に沢山ある。前世の身分を知られることでルーカスに災いが降りかかる可能性もあるのだ。
そして、いつか前世の記憶が消える可能性もある。そうなったとき、ルーカスはもう一度妹を失うことになる。
知らないほうがいいことはたくさんある。
(秘密を知る人が一人増えると、バレる可能性が大きくなるしね)
聖女の生まれ変わりだとバレてしまえば、リリアナはまた聖女という役割を背負うことになる。世界を救った聖女を神のように崇めている者は多い。
実際、世界を苦しめた『穢れ』から救えるたは、聖女だけだったのだから仕方ない。しかし、それ故、聖女を完璧で万能だと信じている人も多かった。
本当はただ、『穢れ』を癒やす程度のことしかできないのだけれど。
(今世は大切な家族のために)
誰に誓ったわけではないが、リリアナが決めたことだ。聖女だったことは秘密にしたほうが都合がいい。
家族のために力を使う。そのためには、エリオットとも近づく必要がある。
彼もまた、母親の死で深く傷ついてるはず。独りでいいわけがない。たとえ、お節介だとしても。
(とりあえず、行ってみないことには始まらないか)
学院のすぐ近く、繁華街へ。中等部に在籍するエリオットならば友人と出かけている可能性もある。そんな偶然が都合良くあるとは限らないが、屋敷で待っているよりはいい。
(普通に外に出たいと言っても反対されるよね。こういうときこそ、五才の特権を大いに使わないと)
氷の人形のようなルーカスにどこまで通じるか分からないが、試してみる価値はある。リリアナは椅子から飛び降りると、食事を終えたルーカスの袖を引いた。
「お父様」
返事はない。しかし、視線が「どうした」と言っている。最近、この無口になったルーカスの言葉を理解できるようになってきた。
もう少し反応が大袈裟なほうが、わかりやすいのだが、五年で死んだ表情筋が数日で元に戻るとは思えない。
リリアナはルーカスを見上げてしっかりと見つめる。
「私、お父様とデートがしたいの」
リリアナの言葉にルーカスは目を大きく見開いた。
赤子の視力は弱いらしく、人の判別は全くつかなかった。もしかしたらそのときに会ったかもしれないが、それでも約四年は会っていない計算になる。
エリオットが本気になれば、四年くらい会わずに過ごせてしまうのだ。ならば、リリアナが無理にでも会う機会を作らねば、彼との接触は一年後の聖女の追悼式かもっと先だ。
リリアナは唸った。その後、ロフから侍女に代り、着替えをしているあいだも、髪を結って貰うあいだも考え続けた。
侍女が何度も話しかけてはくれたが、返事をする余裕はない。
リリアナは日課になった食堂の席に着く。ルーカスは無表情のままだが、リリアナの頭を一つ撫でると食事を始めた。
リリアナはルーカスにも曖昧な反応をして、パンをちぎり口には入れず、皿に戻す。それを繰り返した。
「リリアナ、どうした?」
ルーカスの言葉も耳に入ってはこない。
(何とか会う方法を探さないと、来年の追悼式まで会えない可能性だって出てくるよね。学院か……)
リリアナは前世の記憶を巡らせた。
貴族の通う学院といえば、王都でたった一つだ。聖カルフ学院。グランツ家からは繁華街を挟んで反対側にあるが、繁華街を避けて馬車を走らせれば、三十分もかからない。
十才から十八才の九年生で、初等部が五年、中等部が四年だ。伯爵家以上の貴族の寄付で運営されており、貴族は無償で入ることができる。
前世では聖女になる前、十才から十五才までの六年間だけ通っていた。学院では初等部の学生に繁華街に行くことを禁止している。昔、お忍びで遊びに行った初等部の学生が誘拐された事件があったそうだ。両親と行く場合は例外ではあったが。
学院と繁華街は近い。だから、初等部の学生はみんな憧れを持っている場所だった。両親と行く店は、子どもには楽しさが分からないものばかり。中等部に上がったときには記念に遊びに行くのが通例となっていた。
中等部に上がったとき、聖女も友人と繁華街のほうに遊びに行ったことがある。普段は見ることができない場所にわくわくしたものだ。女性だけで歩くのは危ないからと、お互いの家の使用人が数人の付き添いはあったが。
(そうだ! 繁華街に行けば、会えるかもしれない!)
リリアナは、思わずバンッとテーブルを叩いた。小さな両手では大きな食堂のテーブルはびくともしない。ほんの少し皿が跳ね、それと一緒に乗っていたパンの欠片が僅かに動いた飲みである。
喜びに口角が上がった。しかし、はたと気づく。
(あっ! でも、いつ出かけるかなんて分からない。授業のあとだろうけど、毎日遊びに行くわけがないし……)
次は絶望で眉根を寄せる。小さく刻まれた眉間の皺。ルーカスはリリアナの百面相をジッと見つめた。
(この際、学院に突撃すればいいかな。でも五才の子どもじゃ、面会すらさせてもらえないよね)
リリアナは頭を抱える。もう、目の前の朝食どころではない。
「リリアナ」
ルーカスが落ち着いた声でリリアナに声をかける。その落ち着いた声で急に現実に引き戻された。
目の前には細かくちぎられたパンの欠片。考えながらちぎった物だ。ルーカスの視線はリリアナにそそがれていた。
取り繕うように、小さなパンをスープに入れる。
「こうやるとおいしいって聞いたの」
満面の笑みを見せたが、ルーカスの表情は変わらない。
(絶対、変な子どもだと思われた……!)
もう少しまともな言い訳はなかったものか。
リリアナはスープで膨らんだパンをスプーンですくって口に入れる。
今日はトマトをたっぷりと使ったスープだった。トマトの酸味をパンが吸って、おいしい。頬が緩んだ。
ルーカスは視線を自分の手元に移すと食事を再開する。
(ど、どうにか誤魔化せたようね)
ホッと胸を撫で下ろす。ルーカスの前では、ごくごく普通の子どもでありたいと思った。前世は妹だったと言うつもりもない。
結局聖女は死んでいるし、リリアナはリリアナだ。知らない方がいいことは世の中に沢山ある。前世の身分を知られることでルーカスに災いが降りかかる可能性もあるのだ。
そして、いつか前世の記憶が消える可能性もある。そうなったとき、ルーカスはもう一度妹を失うことになる。
知らないほうがいいことはたくさんある。
(秘密を知る人が一人増えると、バレる可能性が大きくなるしね)
聖女の生まれ変わりだとバレてしまえば、リリアナはまた聖女という役割を背負うことになる。世界を救った聖女を神のように崇めている者は多い。
実際、世界を苦しめた『穢れ』から救えるたは、聖女だけだったのだから仕方ない。しかし、それ故、聖女を完璧で万能だと信じている人も多かった。
本当はただ、『穢れ』を癒やす程度のことしかできないのだけれど。
(今世は大切な家族のために)
誰に誓ったわけではないが、リリアナが決めたことだ。聖女だったことは秘密にしたほうが都合がいい。
家族のために力を使う。そのためには、エリオットとも近づく必要がある。
彼もまた、母親の死で深く傷ついてるはず。独りでいいわけがない。たとえ、お節介だとしても。
(とりあえず、行ってみないことには始まらないか)
学院のすぐ近く、繁華街へ。中等部に在籍するエリオットならば友人と出かけている可能性もある。そんな偶然が都合良くあるとは限らないが、屋敷で待っているよりはいい。
(普通に外に出たいと言っても反対されるよね。こういうときこそ、五才の特権を大いに使わないと)
氷の人形のようなルーカスにどこまで通じるか分からないが、試してみる価値はある。リリアナは椅子から飛び降りると、食事を終えたルーカスの袖を引いた。
「お父様」
返事はない。しかし、視線が「どうした」と言っている。最近、この無口になったルーカスの言葉を理解できるようになってきた。
もう少し反応が大袈裟なほうが、わかりやすいのだが、五年で死んだ表情筋が数日で元に戻るとは思えない。
リリアナはルーカスを見上げてしっかりと見つめる。
「私、お父様とデートがしたいの」
リリアナの言葉にルーカスは目を大きく見開いた。
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