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09.臆病者(side.A)
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臆病者のアウルは、いつもタイミングが悪い。
初めて人を好きになったのは、十六のころ。相手が婚約をした日だった。
彼女の名前はマデリン。トルバ侯爵家の令嬢で、アウルの一歳年下だ。彼女とは祖父を通じて知り合った。
狩りという趣味で。
はじめは女が趣味で狩りをするなんて、と思った。どうせ、口だけで祖父の付き添いなのだろうと考えていたのだ。
しかし、その考えが間違いだったことを今は知っている。
「今日は私の勝ちよ」
マデリンが楽しく笑う。
彼女の金の髪が揺れた。
(惨敗だ)
アウルは小さくため息をついて、頭をかいた。
彼女は汗を拭いながら、狩りの戦利品を眺める。
誇らしげな横顔に、アウルは見惚れてしまった。
このとき感じていた胸のざわめきが恋だと知るのはずっとあとだ。
もっと早くに気づいていれば、アウルの人生はもっと違っていただろう。
「最近、調子が悪いんじゃない?」
マデリンが嬉しそうにアウルの顔を覗き込む。
甘い彼女の香りに心臓が早歩きになった。
「少しくらい君に勝ちを譲らないとと思っただけさ」
「何よそれ。本当は本気のくせに。そんな負け惜しみは通じないわ」
マデリンは頬を膨らませてそっぽを向いた。
アウルは意味のわからない心臓の鼓動を落ち着かせる。
下手な言い訳のせいで、心臓がうるさい。
調子が悪いの理解している。
けれど、理由はわからなかった。
「次は私が勝ちをもらう」
「あら、いい心意気ね。本気で私に負かされればいいわ」
マデリンは嬉しそうに目を細めて笑う。
騒がしい心臓が次は止まりそうになった。
***
トルバ侯爵家との狩りは多くて月に一度、長いと二ヶ月はあいだが開く。
祖父同士は昔からの狩り仲間だったそうだ。
あるとき、祖父が言った。
「あいつとは昔から獲物の数を競っていたもんだ」
「あいつってトルバ侯爵ですか?」
「ああ、そうだ。あいつがいたから、この人生飽きずにやってこれた」
祖父は酒を飲むと饒舌になる。
「あの子はどうだ?」
「あ、あの子って?」
「マデリンのことに決まっている。どうだ? 気に入ったか?」
「別に。普通だよ」
「普通なぁ……」
祖父は何か言いたそうに酒を一口口に含む。
「……彼女は友人の一人だよ」
「そうか、そうか」
そうだ。
友人の一人。彼女と狩りをするのは楽しい。アウルはもともと狩りがすごく好きだったわけではなかった。
社交では必要になるし、祖父が好きだったから付き合っていただけ。
少しだけ才があったというだけだった。
しかし、彼女は違う。
制限の多い女性という身で馬を乗りこなし、銃を構える。
彼女の手を見ればわかる。
きっと家でも猟銃を構えているのだろう。
そこまで何かに夢中になれる彼女が羨ましかった。
これまでのアウルはなんとなく生きていたからだ。
ルート侯爵家の嫡男として、最低限のことはしている。
いつかこの家を継ぐことも理解していた。
けれど、いつもどこかつまらない人生だなと思うときがあるのだ。
「マデリンはいい子だ。芯が強い」
「ああ、そうだね」
「彼女はいい夫人になる」
「夫人って……まだ、マデリンは十五歳だろ?」
「年齢なんて関係あるか。いいか、いい女はすぐに奪われる」
祖父の目はすわっていた。
(こりゃけっこう酔ってるな)
アウルは苦笑をもらした。
こうなったら祖父の話にとことん付き合わなければならないことは、経験上知っている。
きっと何も覚えていないだろうが。
だから、アウルはからかうことにした。
「もしかして、お祖父様は経験がおありで?」
祖父の眉間に皺が寄る。
彼は苦々しい顔で酒を飲んだ。そして、熱い息を吐く。
「ああ……。彼女は芯が通っていて美しく、そして勇敢だった」
祖父は懐かしむように言う。
(本当にいたとは……。今まで聞いたことがなかったな)
祖母とは政略結婚だったと聞いている。
貴族のあいだで恋愛結婚なんていうのは昔から少ない。
貴族にはいろんなしがらみがある。当人の自由で恋愛をするのは難しいからだ。
「マデリンは彼女によう似ておる」
祖父のが呟いた。
「もしかして、その人ってマデリンのお祖母さん!?」
「ああ、そうだ。あいつは儂がうじうじしているあいだに求婚していた。あいつはそういう男だ」
祖父はグラスに残っている酒をぐいっと飲み干すと、熱い息を吐く。
「だから、アウル。おまえは儂のようなヘマはするな。この女だと思ったら、ためらったらいかん」
「はいはい。お祖父様、そろそろ酒は終わりにして休んだほうがいいですよ」
「まだだ! いいか? 自分の気持ちに嘘をつくな。嘘は必ず己に返ってくる」
祖父のつばを受けながら、アウルは彼を寝室へと運んだ。
「おまえはルート侯爵家の嫡男だ! たいていの女に求婚できる!」
「はいはい。わかりましたから」
「おまえは何もわかっとらん。後悔したあとに気づいても、意味はないんだ」
彼は寝る直前までアウルに説教を続けた。
アウルは苦笑をもらす。
口うるさいところがあったが、今日の祖父はいつも以上だ。
祖父の忠告が身に沁みるのは、もう少しあとーーマデリンの婚約が発表されたあとだった。
***
それは突然やってきた。
マデリンの祖父ーートルバ侯爵が急逝したことで大きく動き出したと言ってもいい。
マデリンの社交デビューを前に、トルバ家は彼女とアレス公爵家のルイードとの婚約を発表した。
その報は王都に住む貴族たちの話題になった。
「何をほうけておる」
「お祖父様……」
祖父はアウルの背中をバシンと叩いた。
背中がヒリヒリと痛い。
痛いのは背中なのか、それとも別の場所なのか、アウルにはわからなかった。
「だから言っただろうが」
「私は別に……」
「別になんだ? マデリンのことなんてどうでもいいと?」
祖父の言葉に奥歯を噛み締める。
この感情を言葉にするのは難しかった。
本当はわかっていたのだ。
彼女が好きだと。
月に一度あるかないかの狩りに胸を躍らせていた。
猟銃を扱う店で彼女と会ったときは、いつも以上に浮かれていた。
「お祖父様、私はどうしたらいいでしょうか?」
初めて人を好きになったのは、十六のころ。相手が婚約をした日だった。
彼女の名前はマデリン。トルバ侯爵家の令嬢で、アウルの一歳年下だ。彼女とは祖父を通じて知り合った。
狩りという趣味で。
はじめは女が趣味で狩りをするなんて、と思った。どうせ、口だけで祖父の付き添いなのだろうと考えていたのだ。
しかし、その考えが間違いだったことを今は知っている。
「今日は私の勝ちよ」
マデリンが楽しく笑う。
彼女の金の髪が揺れた。
(惨敗だ)
アウルは小さくため息をついて、頭をかいた。
彼女は汗を拭いながら、狩りの戦利品を眺める。
誇らしげな横顔に、アウルは見惚れてしまった。
このとき感じていた胸のざわめきが恋だと知るのはずっとあとだ。
もっと早くに気づいていれば、アウルの人生はもっと違っていただろう。
「最近、調子が悪いんじゃない?」
マデリンが嬉しそうにアウルの顔を覗き込む。
甘い彼女の香りに心臓が早歩きになった。
「少しくらい君に勝ちを譲らないとと思っただけさ」
「何よそれ。本当は本気のくせに。そんな負け惜しみは通じないわ」
マデリンは頬を膨らませてそっぽを向いた。
アウルは意味のわからない心臓の鼓動を落ち着かせる。
下手な言い訳のせいで、心臓がうるさい。
調子が悪いの理解している。
けれど、理由はわからなかった。
「次は私が勝ちをもらう」
「あら、いい心意気ね。本気で私に負かされればいいわ」
マデリンは嬉しそうに目を細めて笑う。
騒がしい心臓が次は止まりそうになった。
***
トルバ侯爵家との狩りは多くて月に一度、長いと二ヶ月はあいだが開く。
祖父同士は昔からの狩り仲間だったそうだ。
あるとき、祖父が言った。
「あいつとは昔から獲物の数を競っていたもんだ」
「あいつってトルバ侯爵ですか?」
「ああ、そうだ。あいつがいたから、この人生飽きずにやってこれた」
祖父は酒を飲むと饒舌になる。
「あの子はどうだ?」
「あ、あの子って?」
「マデリンのことに決まっている。どうだ? 気に入ったか?」
「別に。普通だよ」
「普通なぁ……」
祖父は何か言いたそうに酒を一口口に含む。
「……彼女は友人の一人だよ」
「そうか、そうか」
そうだ。
友人の一人。彼女と狩りをするのは楽しい。アウルはもともと狩りがすごく好きだったわけではなかった。
社交では必要になるし、祖父が好きだったから付き合っていただけ。
少しだけ才があったというだけだった。
しかし、彼女は違う。
制限の多い女性という身で馬を乗りこなし、銃を構える。
彼女の手を見ればわかる。
きっと家でも猟銃を構えているのだろう。
そこまで何かに夢中になれる彼女が羨ましかった。
これまでのアウルはなんとなく生きていたからだ。
ルート侯爵家の嫡男として、最低限のことはしている。
いつかこの家を継ぐことも理解していた。
けれど、いつもどこかつまらない人生だなと思うときがあるのだ。
「マデリンはいい子だ。芯が強い」
「ああ、そうだね」
「彼女はいい夫人になる」
「夫人って……まだ、マデリンは十五歳だろ?」
「年齢なんて関係あるか。いいか、いい女はすぐに奪われる」
祖父の目はすわっていた。
(こりゃけっこう酔ってるな)
アウルは苦笑をもらした。
こうなったら祖父の話にとことん付き合わなければならないことは、経験上知っている。
きっと何も覚えていないだろうが。
だから、アウルはからかうことにした。
「もしかして、お祖父様は経験がおありで?」
祖父の眉間に皺が寄る。
彼は苦々しい顔で酒を飲んだ。そして、熱い息を吐く。
「ああ……。彼女は芯が通っていて美しく、そして勇敢だった」
祖父は懐かしむように言う。
(本当にいたとは……。今まで聞いたことがなかったな)
祖母とは政略結婚だったと聞いている。
貴族のあいだで恋愛結婚なんていうのは昔から少ない。
貴族にはいろんなしがらみがある。当人の自由で恋愛をするのは難しいからだ。
「マデリンは彼女によう似ておる」
祖父のが呟いた。
「もしかして、その人ってマデリンのお祖母さん!?」
「ああ、そうだ。あいつは儂がうじうじしているあいだに求婚していた。あいつはそういう男だ」
祖父はグラスに残っている酒をぐいっと飲み干すと、熱い息を吐く。
「だから、アウル。おまえは儂のようなヘマはするな。この女だと思ったら、ためらったらいかん」
「はいはい。お祖父様、そろそろ酒は終わりにして休んだほうがいいですよ」
「まだだ! いいか? 自分の気持ちに嘘をつくな。嘘は必ず己に返ってくる」
祖父のつばを受けながら、アウルは彼を寝室へと運んだ。
「おまえはルート侯爵家の嫡男だ! たいていの女に求婚できる!」
「はいはい。わかりましたから」
「おまえは何もわかっとらん。後悔したあとに気づいても、意味はないんだ」
彼は寝る直前までアウルに説教を続けた。
アウルは苦笑をもらす。
口うるさいところがあったが、今日の祖父はいつも以上だ。
祖父の忠告が身に沁みるのは、もう少しあとーーマデリンの婚約が発表されたあとだった。
***
それは突然やってきた。
マデリンの祖父ーートルバ侯爵が急逝したことで大きく動き出したと言ってもいい。
マデリンの社交デビューを前に、トルバ家は彼女とアレス公爵家のルイードとの婚約を発表した。
その報は王都に住む貴族たちの話題になった。
「何をほうけておる」
「お祖父様……」
祖父はアウルの背中をバシンと叩いた。
背中がヒリヒリと痛い。
痛いのは背中なのか、それとも別の場所なのか、アウルにはわからなかった。
「だから言っただろうが」
「私は別に……」
「別になんだ? マデリンのことなんてどうでもいいと?」
祖父の言葉に奥歯を噛み締める。
この感情を言葉にするのは難しかった。
本当はわかっていたのだ。
彼女が好きだと。
月に一度あるかないかの狩りに胸を躍らせていた。
猟銃を扱う店で彼女と会ったときは、いつも以上に浮かれていた。
「お祖父様、私はどうしたらいいでしょうか?」
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