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第8話『穏やかな時間』
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あれから毎日、姫と放課後を一緒にすごした。宿題をしたり、おしゃべりをしたり。
出会ったばかりの頃は無口だったのに、緊張がとけてきたのか、段々と姫から話をしてくれるようになった。最近は私が聞き手にまわっているくらいだ。おしゃべりの内容は、姫の好きな本や姫が執筆中の小説の話ばかり。
姫は嘲笑も冷笑もしない。好きなものしか見えていない子だ。なによりも、その好意を私にも向けてくれることが、心地良い。
嫌なことで溢れている現実世界から切り離されたような、穏やかな時間がここにはあった。
「唯都ねえねも小説が好きなんですか?」
「違うけど」
「え!?……ボクの小説を読んで、ちゃんとした感想をくれたり、本の話をたくさん聞いてくれるから……お仲間だと思ってたんですけど……」
しょんぼりする姫。私のせいで姫が落ち込んでしまった。謎の罪悪感がこみあげてくる。
「でもラノベは読むよ!」
なんとか挽回しようと、通学リュックから、図書室で借りたライトノベルを取り出す。休み時間の暇つぶしに読んでいるやつだ。
「あっ!それボクも好きです!全巻持ってますよ」
姫の目に光が戻った。本収納用のカラーボックスを開けて見せて、ドヤ顔する姫。元気になってよかったぁ。
それからは、どの話が一番好きか、どのキャラが一番好きかという話で盛り上がった。私がまだ読んでいない巻については、「あの巻はボクのトラウマなので、唯都ねえねも気をつけてください」と注意喚起をされた。
それにしても。
「姫って小説の好みが幅広いよね。前は、川端康成の話をしてたじゃん」
純文学からラノベまで読んでるのか。
「物心ついた頃から、自由時間すべてを読書に費やしてきましたからね!」
「すげー!」
あまりにも誇らしげだったから、褒めてしまったけど、疑問に思う。友達と遊んだりはしなかったんだろうか……いや、人付き合い苦手そうだもんな。一人が好きなタイプか。
いやいや。またしても疑問が生まれる。本当に一人が好きなら、私にこんなになつくだろうか?恋愛感情だけには取りつかれるタイプ?
どちらにしろ、家族をのぞけば、姫が心を許せる相手は私しかいないのかもしれない。
さっき、ラノベの話で盛り上がった時の、姫の楽しそうな顔を思い出す。私はあの顔が好きだ。
姫の好きな小説を私が読めば、喜んでくれるかな。もっと、あの顔が見れるかな。
そんなことを考えていたら、ワクワクしてきて、思わず問いかけていた。
「オススメの小説ってある?読んでみようかな」
「!?ほんとですか!?」
体をぴょこんっと動かす姫。本棚の端から端を行ったり来たりしている。心の底から嬉しそうで、表情どころか全身が輝いているように見える。
「あははっ!かわいい」
思わず口から感情が漏れてしまった。だが姫は興奮のあまり聞こえなかったらしい。いつもだったら照れるのに。私の言葉には反応せず、ただただ本の話を進める。
「苦手なジャンルはありますか!?」
「国語の試験に出たり、感想文の課題図書になりそうな本は無理かも。中学受験した時の嫌な記憶を思い出す」
「じゃあ!ミステリとSFとホラー、どれが好きですか!?」
「えーと……今の気分は、ミステリーかな?」
「海外ミステリいけます!?」
「あー……なるべく日本がいいかも」
「短編と長編どちらがいいですか!?」
「短い方が……」
診断テストみたいだ。指南役が姫なのは、ちょっぴり恥ずかしい。私がお姉さんなのに。
五分に及ぶヒアリングの末、一冊の文庫本を手渡された。谷崎潤一郎のミステリー短編集だ。知識でしか知らない名前。
薄めの本だが、文豪の小説か……私に読めるかな?ううん、読むんだ。姫が真剣に選んでくれたんだから、大丈夫だ。
「選んでくれてありがとう」
お礼を言う。姫は照れくさそうに微笑んだ。
初めてかもしれない。相手の趣味に自分から近づくなんて。普通だったら、そんなこと面倒くさくて嫌なのに。自分を変えてでも、姫には寄り添いたい、なんて。
なにか、特別な感情が芽生えはじめているのだろうか。それとも、ただの気まぐれだろうか。
夜の八時。自宅のリビングに一人。夕飯は、冷凍食品の汁なし担々麺にした。親父は夜遅くまで帰ってこないので、フカフカのソファを独占できる。寝そべる。
母親はいない。親父が二回離婚して、二回とも私を引き取ったからだ。二人目の母は、親父が見ていないところで私に暴言を吐くような奴だったから、いなくなって助かったが。
ソファに寝そべりながら、さっそく姫から借りた本を読む。おもしろい。昔の小説だけど読みづらくない。こんなにエンタメ性がある本だとは思わなかった。当時の時代背景を想像しながら読むのは少し大変だが、それも不思議な感覚がして楽しい。
ガチャリ、と玄関の扉が開く音がする。親父だ。こんなに早く帰ってくるとは。あーあ、自室に戻らなきゃ。
親父は無表情で私を一瞥する。
「お前、本とか読めるんだな」
「読んでるよ。親父が見てないところで」
ああ、嫌だ。ムカつく。
きっと親父は私のことを馬鹿だと思ってる。中学受験に全部失敗したせいなんだけど。滑り止めの滑り止めの滑り止めまで落ちたからな。
当時、まさかこんなことになるとは思わなかった親父と義母は、失敗の責任をなすりつけあって、毎晩喧嘩してたし、それが原因で離婚した。ざまあみろって思ったけどさ。
忘れもしない、入学式の日。結局、学区内の公立中学に進学することになった私に、親父はこう言った。
「もうお前には期待しないから、好きなように生きろ」
はぁー!?なんなのお前。自分勝手すぎだろ。無茶な理想を押しつけてダメだったら捨てるとかマジありえない。
私は親父が嫌いになった。ただ、私は馬鹿というほどでもないんだとは主張したくて、定期テストでは学年上位に入るように努力している。褒めてくれたことは一度もないけど。
嫌な気分だ。嫌なものが溢れる世界に戻ってきてしまった。姫といる時だけは穏やかで幸せな気分でいられたのに。
明日は土曜日。平日の放課後に姫の面倒をみる約束だから、あと二日は会えない。
モヤモヤした気持ちを抱えながら自室に戻る。ベッドに寝そべると同時に、スマホからメッセージアプリの通知音が鳴った。姫からだ。
『今からアプリで通話しませんか?十時までならいいって、おばさんに許可をもらいました』
え。
『唯都ねえねともっと話したい気持ちが止まらなくなっちゃって……ダメですか?』
『OK!』
即答した。ほぼ同時にかわいい猫のスタンプも送った。
救われた。姫が私を必要としてくれる、それだけで、こんなにも心が晴れやかになるなんて。
出会ったばかりの頃は無口だったのに、緊張がとけてきたのか、段々と姫から話をしてくれるようになった。最近は私が聞き手にまわっているくらいだ。おしゃべりの内容は、姫の好きな本や姫が執筆中の小説の話ばかり。
姫は嘲笑も冷笑もしない。好きなものしか見えていない子だ。なによりも、その好意を私にも向けてくれることが、心地良い。
嫌なことで溢れている現実世界から切り離されたような、穏やかな時間がここにはあった。
「唯都ねえねも小説が好きなんですか?」
「違うけど」
「え!?……ボクの小説を読んで、ちゃんとした感想をくれたり、本の話をたくさん聞いてくれるから……お仲間だと思ってたんですけど……」
しょんぼりする姫。私のせいで姫が落ち込んでしまった。謎の罪悪感がこみあげてくる。
「でもラノベは読むよ!」
なんとか挽回しようと、通学リュックから、図書室で借りたライトノベルを取り出す。休み時間の暇つぶしに読んでいるやつだ。
「あっ!それボクも好きです!全巻持ってますよ」
姫の目に光が戻った。本収納用のカラーボックスを開けて見せて、ドヤ顔する姫。元気になってよかったぁ。
それからは、どの話が一番好きか、どのキャラが一番好きかという話で盛り上がった。私がまだ読んでいない巻については、「あの巻はボクのトラウマなので、唯都ねえねも気をつけてください」と注意喚起をされた。
それにしても。
「姫って小説の好みが幅広いよね。前は、川端康成の話をしてたじゃん」
純文学からラノベまで読んでるのか。
「物心ついた頃から、自由時間すべてを読書に費やしてきましたからね!」
「すげー!」
あまりにも誇らしげだったから、褒めてしまったけど、疑問に思う。友達と遊んだりはしなかったんだろうか……いや、人付き合い苦手そうだもんな。一人が好きなタイプか。
いやいや。またしても疑問が生まれる。本当に一人が好きなら、私にこんなになつくだろうか?恋愛感情だけには取りつかれるタイプ?
どちらにしろ、家族をのぞけば、姫が心を許せる相手は私しかいないのかもしれない。
さっき、ラノベの話で盛り上がった時の、姫の楽しそうな顔を思い出す。私はあの顔が好きだ。
姫の好きな小説を私が読めば、喜んでくれるかな。もっと、あの顔が見れるかな。
そんなことを考えていたら、ワクワクしてきて、思わず問いかけていた。
「オススメの小説ってある?読んでみようかな」
「!?ほんとですか!?」
体をぴょこんっと動かす姫。本棚の端から端を行ったり来たりしている。心の底から嬉しそうで、表情どころか全身が輝いているように見える。
「あははっ!かわいい」
思わず口から感情が漏れてしまった。だが姫は興奮のあまり聞こえなかったらしい。いつもだったら照れるのに。私の言葉には反応せず、ただただ本の話を進める。
「苦手なジャンルはありますか!?」
「国語の試験に出たり、感想文の課題図書になりそうな本は無理かも。中学受験した時の嫌な記憶を思い出す」
「じゃあ!ミステリとSFとホラー、どれが好きですか!?」
「えーと……今の気分は、ミステリーかな?」
「海外ミステリいけます!?」
「あー……なるべく日本がいいかも」
「短編と長編どちらがいいですか!?」
「短い方が……」
診断テストみたいだ。指南役が姫なのは、ちょっぴり恥ずかしい。私がお姉さんなのに。
五分に及ぶヒアリングの末、一冊の文庫本を手渡された。谷崎潤一郎のミステリー短編集だ。知識でしか知らない名前。
薄めの本だが、文豪の小説か……私に読めるかな?ううん、読むんだ。姫が真剣に選んでくれたんだから、大丈夫だ。
「選んでくれてありがとう」
お礼を言う。姫は照れくさそうに微笑んだ。
初めてかもしれない。相手の趣味に自分から近づくなんて。普通だったら、そんなこと面倒くさくて嫌なのに。自分を変えてでも、姫には寄り添いたい、なんて。
なにか、特別な感情が芽生えはじめているのだろうか。それとも、ただの気まぐれだろうか。
夜の八時。自宅のリビングに一人。夕飯は、冷凍食品の汁なし担々麺にした。親父は夜遅くまで帰ってこないので、フカフカのソファを独占できる。寝そべる。
母親はいない。親父が二回離婚して、二回とも私を引き取ったからだ。二人目の母は、親父が見ていないところで私に暴言を吐くような奴だったから、いなくなって助かったが。
ソファに寝そべりながら、さっそく姫から借りた本を読む。おもしろい。昔の小説だけど読みづらくない。こんなにエンタメ性がある本だとは思わなかった。当時の時代背景を想像しながら読むのは少し大変だが、それも不思議な感覚がして楽しい。
ガチャリ、と玄関の扉が開く音がする。親父だ。こんなに早く帰ってくるとは。あーあ、自室に戻らなきゃ。
親父は無表情で私を一瞥する。
「お前、本とか読めるんだな」
「読んでるよ。親父が見てないところで」
ああ、嫌だ。ムカつく。
きっと親父は私のことを馬鹿だと思ってる。中学受験に全部失敗したせいなんだけど。滑り止めの滑り止めの滑り止めまで落ちたからな。
当時、まさかこんなことになるとは思わなかった親父と義母は、失敗の責任をなすりつけあって、毎晩喧嘩してたし、それが原因で離婚した。ざまあみろって思ったけどさ。
忘れもしない、入学式の日。結局、学区内の公立中学に進学することになった私に、親父はこう言った。
「もうお前には期待しないから、好きなように生きろ」
はぁー!?なんなのお前。自分勝手すぎだろ。無茶な理想を押しつけてダメだったら捨てるとかマジありえない。
私は親父が嫌いになった。ただ、私は馬鹿というほどでもないんだとは主張したくて、定期テストでは学年上位に入るように努力している。褒めてくれたことは一度もないけど。
嫌な気分だ。嫌なものが溢れる世界に戻ってきてしまった。姫といる時だけは穏やかで幸せな気分でいられたのに。
明日は土曜日。平日の放課後に姫の面倒をみる約束だから、あと二日は会えない。
モヤモヤした気持ちを抱えながら自室に戻る。ベッドに寝そべると同時に、スマホからメッセージアプリの通知音が鳴った。姫からだ。
『今からアプリで通話しませんか?十時までならいいって、おばさんに許可をもらいました』
え。
『唯都ねえねともっと話したい気持ちが止まらなくなっちゃって……ダメですか?』
『OK!』
即答した。ほぼ同時にかわいい猫のスタンプも送った。
救われた。姫が私を必要としてくれる、それだけで、こんなにも心が晴れやかになるなんて。
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