簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

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氷の城

氷河王 5

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 ノアは傍らに控える側近から何事か耳打ちされ、ベアトリスに向き直った。ベアトリスをちらと見た側近の男――この精悍せいかんで目つきの鋭い中年男は、ベアトリスがいつ訪ねても、ぴったりとノアのそばに控えている。常に帯剣たいけんしているため護衛役なのだろうとベアトリスは思い込んでいたが、どうやら情報にも通じているようだ。
「また少し……お痩せになられましたね」
「あまり食べると考え事に集中できなくてね」
「そう、ですの」
「少年のように食べてはいない。確かに痩せもするだろうな」
 ベアトリスは勧められた椅子に掛けながら、何の気なしにノアに話しかけた。一国の王に向けたものとしては礼を欠いたベアトリスの言葉に、ノアは不機嫌そうに応える。
 この王は終始に渡って不機嫌そうではあるが、実際に不機嫌なわけではないことをベアトリスは知っていた。では不機嫌そうに軽口を叩くのかといえばそんなこともなく、事実として笑顔も滅多に見せることはないのだが、その稀有な機会に、ベアトリスは一度ならず恵まれたことがある。

 半年ほど前、会談のあとで共に廊下を歩きながら、
「……では私が翻意ほんいして、いよいよこのヘルストランドを大軍で包囲する挙に出たら、どうなさいます?」
 ベアトリスはいたずら心で、そんな無理難題をノアに投げつけたことがある。ノアは表情を変えずにすこし考えたあと、
「それは、困る」
 そう言って、はにかんだような笑顔をつくった。冗談であることは承知していて、かつ現実化した場合リードホルム王国としては対処のしようがない、といった意味を込めた返答だったのだろうが、意外な笑顔にベアトリスは一瞬言葉を失った。――その困り顔の微笑みは、もしかしたら私だけが喚起かんきすることのできる、この氷の王の特別な顔だろうか。

 サンテソン図書省長官が咳払せきばらいし、ベアトリスの精神を会議室に引き戻した。
「ローセンダール殿、ようこそお越しくださいました」
 自国の王に対する軽口もとがめることなく、サンテソンは改めてベアトリスに式礼した。この老人には――というよりも彼の所管する図書省は――先王の代では冷遇れいぐうを受けていた過去がある。そんな理由もあってか、学術や音楽といった文化活動を推進しようという姿勢を見せるベアトリスに対して、リードホルムの六長官の中では最も友好的な人物だった。
「かねてより協議を重ねておりました、教育施設につきまして、えー、用地については、ローセンダール殿の要望に沿い、最低でも三千平方メートルという条件につきまして、こちらとしても検討を……」
 横板に雨垂れの落ちるようなサンテソンの弁説をノアがさえぎる。
「良さそうな土地が三箇所あったようだ。サンテソン、資料を」
「は、はい。こちらでございます……」
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