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フィスカルボの諍乱
拒絶 3
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「彼のつまづきは、いったい何が原因だったのかしら?」
「ええと、考えてもみてください? どこの貴族の気質だのそこの都市の市民の質だの、そんなものが簡単に数値化などできるわけないでしょうに」
ベアトリスは眉根にしわを寄せて首をかしげた。ラーゲルフェルトの語るオットソンの行動は、あきらかに彼女の理解の外にある。その手法は、あるいは最新の学術理論などに基づいたものなのかも知れない。だが多大な労力を払って雑多な諸要素を数値化したとして、活用可能な指標となりうるのだろうか?
「その数値をもとに失敗して、さらに数値を厳密化するんだ、などと言って評価員を増やす、ともう堂々巡りですよ」
「想像を絶するわ、いろいろな意味で」
複雑な表情のまま、ベアトリスは首を横に振った。
「ああ……でも、そうね」
「オットソンの手法に共感されましたか?」
「そんなわけないでしょう。……あの男は、事業不振となった頃合いに、私が硝石の相場の件で彼を陥れた……という筋書きを吹き込まれたわけね」
「ヴァルデマルがオットソンに吹き込んだ『事実を書き換える筋書き』が、彼の苦境を慰撫する鴉片となった、ということでしょうか」
「ですねえ。巡り合わせが、良かったと言うべきか悪かったと言うべきか……」
「あるいは弱り目に付け込まれたか、ね」
アルバレスが口にしたのは、この場にいる誰もが、ことの黒幕と目していた者の名だ。確たる証拠はないが、ラーゲルフェルトが示唆していたのも、ベアトリスが見当をつけていたのも、また同じ名である。
オットソンとヴァルデマルは反目しあっている間柄であり、オットソンが寝返るとまでは考え難い。とはいえ、たんにベアトリスの陣営に内紛が起こるだけでも、ヴァルデマルにとっては十分な利益となる。
馬車が速度を落とした。どうやらトレインスレットの村に入ったらしい。ラーゲルフェルトが身を乗り出し、御者に宿までの道筋を案内している。
港湾都市というのはどんな世界においても、外部に開かれたおおらかな地域性を持っている。海という異界から、いつも新しい人やもの、文化がもたらされ、その上に人々の生活が築かれているからだ。
ノルドグレーン随一の港湾都市フィスカルボには、港から海まで一望できる小高い丘の上に、他に類を見ない独特な、そして新進の気風をまとった邸宅が建っていた。屋根の傾斜面の勾配が途中から急になる独特の建築様式はクナウスト屋根と呼ばれ、ノルドグレーン中を探しても、このフィスカルボのオットソン邸にしか見られない。
そんな、新奇を好む持ち主の嗜好を体現したかのような邸宅の応接間で、二人の男が何ごとか話し合っていた。真新しく壮麗な建物とは対照的に、二人の表情は硬く深刻だった。
「考え直せ。まだ引き返せるだろう」
窓際の椅子に座った、上衣のボタンがいまにも弾け飛びそうな胴回りの男が、暖炉を背に座る細い口ひげの男を諭すように言った。窓際の太った男は名をエクレフと言い、いまワインを一口あおったもう一方の男、邸宅の主イェルケル・オットソンの友人、従兄弟である。オットソンの右隣には、仕立ての良いシャツに身を包んだ従者が背筋を伸ばして直立し、後ろ手で肘をいからせて控えている。
「フィスカルボの事業にだけ注力していれば、ノルドグレーンにおけるお前の地位はまだ安泰だ」
「違う。今のままではいずれ、ヴァルデマルめに取り込まれるだけだ。おれには奴のような、強大な武力がないからな」
「だからといって、おめおめと奴の当て馬役を引き受けることもないだろう」
「無論だ。先のことは考えている」
「本当に考えているか? お前とグラディスの娘がぶつかり合って、最も得をするのはヴァルデマルではないか。奴を追い落とすどころではないぞ」
「わかっている。いずれ奴も相手にせねばならんだろう」
「そういうことじゃなくてだな……」
「ええと、考えてもみてください? どこの貴族の気質だのそこの都市の市民の質だの、そんなものが簡単に数値化などできるわけないでしょうに」
ベアトリスは眉根にしわを寄せて首をかしげた。ラーゲルフェルトの語るオットソンの行動は、あきらかに彼女の理解の外にある。その手法は、あるいは最新の学術理論などに基づいたものなのかも知れない。だが多大な労力を払って雑多な諸要素を数値化したとして、活用可能な指標となりうるのだろうか?
「その数値をもとに失敗して、さらに数値を厳密化するんだ、などと言って評価員を増やす、ともう堂々巡りですよ」
「想像を絶するわ、いろいろな意味で」
複雑な表情のまま、ベアトリスは首を横に振った。
「ああ……でも、そうね」
「オットソンの手法に共感されましたか?」
「そんなわけないでしょう。……あの男は、事業不振となった頃合いに、私が硝石の相場の件で彼を陥れた……という筋書きを吹き込まれたわけね」
「ヴァルデマルがオットソンに吹き込んだ『事実を書き換える筋書き』が、彼の苦境を慰撫する鴉片となった、ということでしょうか」
「ですねえ。巡り合わせが、良かったと言うべきか悪かったと言うべきか……」
「あるいは弱り目に付け込まれたか、ね」
アルバレスが口にしたのは、この場にいる誰もが、ことの黒幕と目していた者の名だ。確たる証拠はないが、ラーゲルフェルトが示唆していたのも、ベアトリスが見当をつけていたのも、また同じ名である。
オットソンとヴァルデマルは反目しあっている間柄であり、オットソンが寝返るとまでは考え難い。とはいえ、たんにベアトリスの陣営に内紛が起こるだけでも、ヴァルデマルにとっては十分な利益となる。
馬車が速度を落とした。どうやらトレインスレットの村に入ったらしい。ラーゲルフェルトが身を乗り出し、御者に宿までの道筋を案内している。
港湾都市というのはどんな世界においても、外部に開かれたおおらかな地域性を持っている。海という異界から、いつも新しい人やもの、文化がもたらされ、その上に人々の生活が築かれているからだ。
ノルドグレーン随一の港湾都市フィスカルボには、港から海まで一望できる小高い丘の上に、他に類を見ない独特な、そして新進の気風をまとった邸宅が建っていた。屋根の傾斜面の勾配が途中から急になる独特の建築様式はクナウスト屋根と呼ばれ、ノルドグレーン中を探しても、このフィスカルボのオットソン邸にしか見られない。
そんな、新奇を好む持ち主の嗜好を体現したかのような邸宅の応接間で、二人の男が何ごとか話し合っていた。真新しく壮麗な建物とは対照的に、二人の表情は硬く深刻だった。
「考え直せ。まだ引き返せるだろう」
窓際の椅子に座った、上衣のボタンがいまにも弾け飛びそうな胴回りの男が、暖炉を背に座る細い口ひげの男を諭すように言った。窓際の太った男は名をエクレフと言い、いまワインを一口あおったもう一方の男、邸宅の主イェルケル・オットソンの友人、従兄弟である。オットソンの右隣には、仕立ての良いシャツに身を包んだ従者が背筋を伸ばして直立し、後ろ手で肘をいからせて控えている。
「フィスカルボの事業にだけ注力していれば、ノルドグレーンにおけるお前の地位はまだ安泰だ」
「違う。今のままではいずれ、ヴァルデマルめに取り込まれるだけだ。おれには奴のような、強大な武力がないからな」
「だからといって、おめおめと奴の当て馬役を引き受けることもないだろう」
「無論だ。先のことは考えている」
「本当に考えているか? お前とグラディスの娘がぶつかり合って、最も得をするのはヴァルデマルではないか。奴を追い落とすどころではないぞ」
「わかっている。いずれ奴も相手にせねばならんだろう」
「そういうことじゃなくてだな……」
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