簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

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ノア王の心裏

氷解 8

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 ベアトリスが所有していたスタインフィエレット鉱山を武装集団が奪った事件は、ノルドグレーン中央から見れば、辺境で起こった小事しょうじに過ぎない。それが首都ベステルオースで広まっているのならば、発信源はその当事者以外にありえない。あの男、ヴァルデマル・ローセンダールだ。
 首都ベステルオースでこそ強固な権力基盤を誇るヴァルデマルと違い、当地におけるベアトリスの存在は、有力とはいえひとりの県令、いち地方領主でしかなかった。これはベアトリスが、政治的腐臭の強い中央に足を運びたがらなかった消極性によるところが大きい。三ヶ月に一度おとずれる最高議会の会期以外は、災害や戦争でも起きない限り、ほとんど自領のグラディスやランバンデットとリードホルムを往復しているのがベアトリスの日常だ。
 首都のまわりを周回する衛星のようなベアトリスの態度は、思わぬ副産物をもたらしていた。哲学者のノルシュトレームや開明派の議員たちからの、称賛の声だ。ベアトリス・ローセンダールは絶大な権勢を誇りながら、ノルドグレーンの統治制度を尊重する高潔こうけつさもあわせ持っている――本人の意図とは別に、ベアトリスをそう評価する者たちがあった。
 こうしたベアトリスの自意識と外形の齟齬そごには、本人よりもノアのほうが意識的だった。自覚の無さは無関心の裏返しでもある。ノルドグレーンの――建国の理念はともかく――現体制の維持についてベアトリスがあまり執着しゅうちゃくしていない点は、ノアを安心させた。専制君主制の王であるノアこそ、議会による意思決定を重んじるノルドグレーンの制度と対極に位置する存在なのだ。

「いまさらな質問だが、エル・シールケルとの交渉はまとまったかな?」
「ええ。今ノルドグレーンで技術者を集めて採掘するのに比べれば、悪くない価格でしたわ」
「ならば良かった……もっとも、そうでなければ今ごろあなたは、私に思いつく限りの罵倒ばとうを浴びせていたところだろうがな」
「それは……否定しません」
 ベアトリスは少しずつ、ノアの皮肉に対応できるようになってきていた。
「こうして平穏に話せていることも含めて、私はあなたと神に感謝しなければいけないだろうな」
「多少の幸運もありましょうが、ノア様の采配の妙と言ってよいと思いますわ」
「いや……実は少々、扱いに困っていたのだ。私とエル・シールケルの関係は聞いたとおりだ。近年、彼女らに頼める仕事は減ってきていた。だが私は彼女らにむくいねばならず、とはいえ王家に雇い入れるというわけにもいかない、といった状況だったのでな」
「彼女らは、ノア様にとってそれほどの……?」
「……王座につくには、いろいろと必要でね」
 ノアはそう言って笑ったが、その笑顔はどことなく寂しげだった。
 これはベアトリスにとって意外な告白だった。ノアが王座につくにあたり、それほど裏稼業の者たち――エル・シールケルに負うところが大きかったという話は、これまで誰からも聞いたことがない。聞いたとおりだ、とノアは言ったが、エル・シールケルとの関係は、ベアトリスが聞いた以上に深いものなのだろう。
「……おそらく彼女らは、今はノルドグレーンにいるほうがその力を活かせるでしょう。鉱山開発の技術のみならず、戦闘力もオラシオ・アルバレスなどは高く評価していましたわ。その力を振るう機会が、また来るやも知れません」
「……本当は、もっと違う道もあったのかもしれないが……」
 エル・シールケルについて話すノアの表情は、どこかうれいを帯びていた。
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