208 / 281
ノルドグレーン分断
駆け引き 8
しおりを挟む
「かといって、用件は済んだからすぐ帰れ、というのでは散文的にすぎる」
「……え?」
「もうすこし話をしよう」
「ええ!?」
突然だれかがコルセットの紐を力いっぱい引っ張って、胸がつかえるほどきつく締め上げた――ベアトリスにそんな錯覚を覚えさせるほど、ノアの申し出は想定外だった。
ベアトリスは胸の拍動を気取られないかと気にしながら、震える手でサイドテーブルに置かれたワイン入りの紅茶を口に運んだ。病臥しているノアのためにハチミツや生薬が加えられた濃密なものだったが、ベアトリスはあまり味を感じなかった。
「さて……あなたはこれで窮地を脱するのだろうが、ノーラントに永遠の平和が訪れるわけではあるまい。あなたはこの先に何を見ている?」
「……最終的には、父を殺した男に復讐を」
「ヴァルデマル・ローセンダールか。可能かな。ノルドグレーン最大の権門なのだろう?」
「無論、すぐには無理ですわ。仮に……来年早々にヴァルデマルとことを構える、などと私が駄々をこねても、リードホルムの軍事を司るミュルダール長官やラインフェルト子爵は首を横に振ることでしょう」
「まあ、そうだろうな」
「時間は必要ですわ。それなりの構想もあります」
ベアトリスは、港湾都市フィスカルボを中立にし、ノルドグレーンとの交易を認める案をノアに話した。
「なるほど。言わば、フィスカルボを軍事的緩衝地帯とするわけか」
「そのほうが私の……リードホルムの所領とするよりも、当地を治めるイェルケル・オットソンの気質にも適いましょう」
「不安もないではないが、面白い構想だ」
――こうした無味乾燥な話題は、話しやすくはあっても物足りない。
ノアがこんな「話をしよう」と言ったのなら、ベアトリスはあれほど狼狽しなかった。
ベアトリスは少しずつ、話題を抒情的なものに近づけていった。
「……今日、病で臥せっているという話を聞き、はじめは典礼省長官から話を通してもらおうと思っておりました」
「それは筋が悪い手だったな。彼に話せば、全力で妨害してきただろう」
「ということは、フォッシェル長官は……」
「あれは旧国王派だ」
そうだったとしても、ベアトリスは典礼省長官に多額の貨財を握らせ、さらには成婚後の地位も約束して味方に引き入れる心積もりではいた。ノアに取り次いでくれたブリクストの機転は、その費用と、なによりも貴重な時間を省いてくれたのだ。
「そうなると典礼省は、素直に婚礼を請け負ってくれるものでしょうか……?」
「その懸念はあるな。もし言を左右にして職務を怠慢するようならば……では式典の一切をファンナ教会に任せる、とでも言ってやればよかろう」
「婚礼を、教会で?」
「リードホルムにおいては、ごくありふれた光景だ。国民の多くはそうしているのだから。典礼省としては面目を潰されたうえ、新体制下での省の影響力にも不安を覚えることになるだろう。王宮における発言力が低下すれば、旧国王派内でのフォッシェルの地位もまた低下する。彼も無下には断れないだろう」
「それは良い考えですわ」
ノアが発揮した怜悧さは、少し前まで臥せっていたとは思えないものだった。あるいは、旧国王派のフォッシェル典礼省長官を遇する術を、前もって考えていたのだろう。
「……え?」
「もうすこし話をしよう」
「ええ!?」
突然だれかがコルセットの紐を力いっぱい引っ張って、胸がつかえるほどきつく締め上げた――ベアトリスにそんな錯覚を覚えさせるほど、ノアの申し出は想定外だった。
ベアトリスは胸の拍動を気取られないかと気にしながら、震える手でサイドテーブルに置かれたワイン入りの紅茶を口に運んだ。病臥しているノアのためにハチミツや生薬が加えられた濃密なものだったが、ベアトリスはあまり味を感じなかった。
「さて……あなたはこれで窮地を脱するのだろうが、ノーラントに永遠の平和が訪れるわけではあるまい。あなたはこの先に何を見ている?」
「……最終的には、父を殺した男に復讐を」
「ヴァルデマル・ローセンダールか。可能かな。ノルドグレーン最大の権門なのだろう?」
「無論、すぐには無理ですわ。仮に……来年早々にヴァルデマルとことを構える、などと私が駄々をこねても、リードホルムの軍事を司るミュルダール長官やラインフェルト子爵は首を横に振ることでしょう」
「まあ、そうだろうな」
「時間は必要ですわ。それなりの構想もあります」
ベアトリスは、港湾都市フィスカルボを中立にし、ノルドグレーンとの交易を認める案をノアに話した。
「なるほど。言わば、フィスカルボを軍事的緩衝地帯とするわけか」
「そのほうが私の……リードホルムの所領とするよりも、当地を治めるイェルケル・オットソンの気質にも適いましょう」
「不安もないではないが、面白い構想だ」
――こうした無味乾燥な話題は、話しやすくはあっても物足りない。
ノアがこんな「話をしよう」と言ったのなら、ベアトリスはあれほど狼狽しなかった。
ベアトリスは少しずつ、話題を抒情的なものに近づけていった。
「……今日、病で臥せっているという話を聞き、はじめは典礼省長官から話を通してもらおうと思っておりました」
「それは筋が悪い手だったな。彼に話せば、全力で妨害してきただろう」
「ということは、フォッシェル長官は……」
「あれは旧国王派だ」
そうだったとしても、ベアトリスは典礼省長官に多額の貨財を握らせ、さらには成婚後の地位も約束して味方に引き入れる心積もりではいた。ノアに取り次いでくれたブリクストの機転は、その費用と、なによりも貴重な時間を省いてくれたのだ。
「そうなると典礼省は、素直に婚礼を請け負ってくれるものでしょうか……?」
「その懸念はあるな。もし言を左右にして職務を怠慢するようならば……では式典の一切をファンナ教会に任せる、とでも言ってやればよかろう」
「婚礼を、教会で?」
「リードホルムにおいては、ごくありふれた光景だ。国民の多くはそうしているのだから。典礼省としては面目を潰されたうえ、新体制下での省の影響力にも不安を覚えることになるだろう。王宮における発言力が低下すれば、旧国王派内でのフォッシェルの地位もまた低下する。彼も無下には断れないだろう」
「それは良い考えですわ」
ノアが発揮した怜悧さは、少し前まで臥せっていたとは思えないものだった。あるいは、旧国王派のフォッシェル典礼省長官を遇する術を、前もって考えていたのだろう。
0
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
『処刑されるたびに12歳に戻る悪役令嬢、7回目の人生は「何もせず寝て過ごす」ことに決めたら、なぜか周囲が勝手に勘違いして聖女扱いされています
六角
恋愛
公爵令嬢リリアーナは、18歳の誕生日に必ず断罪・処刑されては12歳に戻るという地獄のループを6回も繰り返していた。 真面目に努力しても、剣を極めても、裏社会を支配しても、結局は殺される運命。 心折れた彼女は、7回目の人生でついに決意する。 「もう頑張らない。どうせ死ぬなら、今回はひたすら寝て過ごそう」と。
しかし、安眠を求めて「うるさい」と敵を黙らせれば『王者の覇気』と恐れられ、寝ぼけて放った魔法は『神の奇跡』と崇められ、枕への異常なこだわりは『深遠なる儀式』と誤解されてしまう。 気がつけば、ストーカー気味のヤンデレ王子、パン屋の元ヒロイン、狂犬の如きライバル令嬢、元部下の暗殺者、そして不眠症の魔王までもが彼女の信者となり、リリアーナは意図せずして国を、そして世界を救う「最強の聖女」へと祭り上げられていく。
「お願いだから、私を寝かせて!」 睡眠欲だけで運命(システム)さえもねじ伏せる、無気力悪役令嬢の痛快勘違いサクセス(?)ストーリー!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~
marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」
「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」
私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。
暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。
彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。
それなのに……。
やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。
※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。
※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。
3回目の人生は、悪役令嬢を辞めて引きこもります~一歩も出ずに国を救ったら、なぜか「聖女」として崇められ最強の男たちが部屋を包囲してくる件~
放浪人
恋愛
公爵令嬢エリザベートは、1度目は悪役令嬢として断罪され処刑、2度目は改心して聖女となり国に尽くしたが過労死……という悲惨な最期を遂げた。 記憶を持ったまま3度目の人生が始まった瞬間、彼女は固く決意する。 「もう絶対に働きません! 今世は部屋から一歩も出ず、睡眠と趣味に命をかけます!」
最強の拒絶結界『絶対領域』で部屋に籠城し、婚約破棄イベントも夜会も全て無視して惰眠を貪ろうとするエリザベート。 しかし、彼女の「働きたくない」一心からの行動――適当な農業アドバイスや、安眠妨害への容赦ない迎撃――が、周囲には「国を憂う深慮遠謀」「慈愛に満ちた奇跡」として超好意的に解釈されてしまう!?
ヤンデレ化した元婚約者の王太子、物理で愛を語る脳筋騎士団長、効率厨の隣国王子、さらには古代の引きこもり少年までをも巻き込み、事態は国家規模の大騒動へ。 部屋ごと空を飛んで戦場を浄化し、パジャマ姿で古代兵器を操り、地下牢をスイートルームに変えながら、エリザベートは究極の安眠を手に入れることができるのか? 塩対応すればするほど愛され、逃げれば逃げるほど伝説になる、最強引きこもり令嬢の勘違いドタバタ溺愛ファンタジー、ここに完結!
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
転生皇女セラフィナ
秋月真鳥
恋愛
公爵家のメイド・クラリッサは、幼い主君アルベルトを庇って十五歳で命を落とした。
目覚めたとき、彼女は皇女セラフィナとして生まれ変わっていた——死の、わずか翌日に。
赤ん坊の身体に十五歳の記憶を持ったまま、セラフィナは新しい人生を歩み始める。
皇帝に溺愛され、優しい母に抱かれ、兄に慈しまれる日々。
前世で冷遇されていた彼女にとって、家族の愛は眩しすぎるほどだった。
しかし、セラフィナの心は前世の主・アルベルトへの想いに揺れ続ける。
一歳のお披露目で再会した彼は、痩せ細り、クラリッサの死を今も引きずっていた。
「わたしは生涯結婚もしなければ子どもを持つこともない。わたしにはそんな幸福は許されない」
そう語るアルベルトの姿に、セラフィナは決意する。
言葉も満足に話せない。自由に動くこともできない。前世の記憶を明かすこともできない。
それでも、彼を救いたい。彼に幸せになってほしい。
転生した皇女が、小さな身体で挑む、長い長い物語が始まる。
※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる