簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安

文字の大きさ
251 / 281
簒奪女王

憎悪の向こう 8

しおりを挟む
「他にもいろいろあったみたいだけど……具体的なことはあまり知らない。あたしたちみんな、昔話なんて嫌いだったから」
「……わかったわ。ありがとう」
「話の出処でどこはエステルか?」
「そうよ。リースベット、エステルさんとはけっこう話してたみたい」
「……その方は?」
「料理人よ。今はヘルストランドで働いてる」

 アウロラと副長のバックマンが、何気ない様子でそんなことを言っていた。
 名前と場所、職業までもエステル・マルムストレムと合致している。同名の女性はリードホルムに何人かいるかもしれないが、彼女がヘルストランド城に雇い入れられた時期と、エル・シールケルがスタインフィエレットに現れた時期まで同じである。
 そして、ベアトリスが念のため調査を依頼していたのが、エステルが連れていた――あまり外見的特徴が共通しない――子どもたちについてだった。

 ノルドグレーンの首都ベステルオースには、浮浪児は存在しない――という体裁ていさいになっている。何らかの理由で親を失った孤児はみな国によって保護され、ソレンスタム教団が運営する孤児院に送られることになっているのだ。
 数年前までは遠くリードホルムの孤児さえも受け入れていたその孤児院は、だが先覚せんかく的な福祉思想などから子どもを保護していたのではなかった。それどころか人身売買の温床であるという噂さえあり、それを裏付けるように悪評は高く、脱走者が跡を絶たない。孤児院にしてみれば子どもは商品なのだから、ベステルオース以外から受け入れようとしていたことも、経済的合理性にのっとった運営方針だったといえるだろう。
 その孤児を送り出す諸手続きはノルドグレーン産業省の管轄下にある。つまりノーラント半島で発生した孤児の大半について、産業省には記録が残っているのだ。ベアトリスはそこに目をつけ、エディットに調査を依頼した。
 果たして予想どおり、エステルの子と同じ名のミカル、アニタ、アルフォンスという三人の子どもが、四年ほど前の同時期に孤児院から姿を消していた。エディットはこれをベアトリスに報告するにあたって、なにも調査することはなかったという。三人の子どもの名をあらかじめ知っていたのだ。
 エディットからは、その三人と時を同じくして行方をくらませた、すこし年長の子どもの名も伝えられた。その名はアウロラ・シェルヴェンだった。
 現在エル・シールケルを率いる立場にあるアウロラは、かつてノルドグレーン外務省によってリースベット暗殺の刺客として仕向けられた、という過去を持っている。エディットは前職のリンデスゴートン治安維持局副総監時代に、その謀略に準備段階で協力していたのだ。
 アウロラに不本意な仕事を強要するため、外務省は彼女が孤児院から連れ出して保護していたミカル、アニタ、アルフォンスを人質にしたのだという。三人は、孤児院ではアウロラと同室だった。
 リードホルム王妃になってから、ノルドグレーン外務省の非道がひときわ目につくようになった気がするわ――エディットの報告書を読み終え、ベアトリスはそうつぶやいた。

 ノアという人の実像を見ようとするとき、かならずその背中越しに姿が見え隠れしていた、彼の実妹リースベット――ノアやフリーダ以外で、リースベットにまつわる奥行きのある話を今のベアトリスにしてくれそうな人物は、おそらくエステルだけだろう。

 ベアトリスは、バックマンとアウロラの会話にエステルの名が出たことだけを話した。
「まったく、アウロラもバックマンも口が軽いんだから……」
「……大変だったでしょうけど、子どもたちにとっては良いことだったのではなくて?」
「もともとあの子たちの保護者だったアウロラが、そう望んだんです。いくらエル・シールケルが他より多少だからって、やっぱり山賊であることに変わりはありません。ノア様もこころよく受け入れてくれましたし」
 ベアトリスと話すにつれ、エステルは徐々に様子が変わっていった。いかにも使用人らしいかしこまった態度から、おおらかで落ち着いたたたずまいになった。おそらくこれが身構えない、彼女のありのままの接し方なのだろう。
「とはいえ、隠していたわけではないのでしょう? 子どもたちもあなたも、名を偽ったりは……」
「……王妃様」
 エステルが神妙しんみょうな面持ちで、ベアトリスの話をさえぎった。
「私にエル・シールケルの話をする以上、聞きたいのは子どもたちのことなんかじゃないでしょう?」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他

猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。 大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。

er
恋愛
十年前に両親を亡くしたセレスティーナは、後見人の叔父に財産を奪われ、物置部屋で使用人同然の扱いを受けていた。義妹ミレイユのために毎日ドレスを縫わされる日々——でも彼女には『星霜の記憶』という、物の過去と未来を視る特別な力があった。隠されていた舞踏会の招待状を見つけて決死の潜入を果たすと、冷徹で美しいヴィルフォール侯爵と運命の再会! 義妹のドレスが破れて大恥、叔父も悪事を暴かれて追放されるはめに。失われた伝説の刺繍技術を復活させたセレスティーナは宮廷筆頭職人に抜擢され、「ずっと君を探していた」と侯爵に溺愛される——

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

処理中です...