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エピソード15 抗争

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〈エピソード15 抗争〉

 草薙の剣からも目ぼしい情報が得られなかった勇也とイリアは山にある何とも雄大さを感じる大木の前に来ていた。

 この大木は御神木として知られていて、木には標が巻かれていて、根を囲むようにして石の柵が設けられている。

 ただ、標はボロボロだし、紙垂も全て取れてしまっているので一見するだけでは御神木とは分からないかもしれない。

 もっとも、石の柵の間に作られた供え物をする台にはお菓子や花などが置かれていて、その量は意外なほど多かった。

 なので、忘れ去られている御神木というわけではなさそうだった。

「すまんな、イリア殿。私にもなぜ神たちが簡単に生まれるようになったのかは分からんのだよ。千年以上も前からこの地を見守ってきた私としては不甲斐ないばかりではあるが」

 御神木から出てきた見窄らしい乞食のような姿をした神の霊は申し訳なさそうに言った。

 予想していた答えだが、いざ聞かされると勇也も落胆してしまう。横を見たらイリアも自分と同じような反応を見せていた。

 この時ばかりは以心伝心という言葉が通じるような状態だったし、それが落胆の幅を大きくしてしまう。
 それから、御神木の霊は要は済んだとばかりにスーッと木の中に入って消える。

 またしても手掛かりのようなものがなかったことには勇也もイリアも果てしない徒労を感じてしまっていた。

 とはいえ、力が大きくて居場所がはっきりしている神への挨拶回りは全て終わった。

 やるだけのことはやったし、勇也も草薙の剣を手に入れられたので全くの骨折り損というわけではなかった。

 これ以上の情報が欲しければ、やはりダーク・エイジの調査の進捗具合を見計らった方が良いだろう。

 今の勇也やイリアにできることはもう何もなかった。

「ご主人様、随分とお疲れのようですけど大丈夫ですか?」

 イリアは気遣うように勇也の顔を横から覗き込む。

 日は傾きかけていたし、自分の汗で濡れた服は冷たくなっていた。すぐにでも着替えたいという衝動に駆られる。

「大丈夫なものか。一日中、歩き通しだったから足が痛くてたまらんよ。明日は筋肉痛になりそうだな」

 勇也は基本的に肉体労働が嫌いなタイプの人間だった。でなければ、例え冗談でもペンより重い物は持ちたくないなどとは言わない。

 もっとも、運動は苦手ではないし、体育の成績もそれなりに良いのだが。

「それなら、ネコマタさんに癒しの術をかけてもらえば良いんじゃないんですか。ネコマタさんはそういうのが得意なんでしょ?」

 イリアはクスッと笑いながら言ったが、勇也は渋面になる。

「そのネコマタを怒らせてしまったのも俺だ。しょうがないから水月堂の饅頭を買って行ってやるかな。背に腹は代えられん」

 その代わり今日の夕食はレトルトのカレーにしてやろう。カップラーメンとレトルトのカレーは勇也の生活を支え続けたツートップの食べ物だし、信頼感も高い。

 それに、どんなに美味しい手作りの料理だって飽きることはあるのだ。そういう時にカップラーメンやレトルトのカレーは無性に食べたくなる。

「それが良いですよ。ネコマタさんはきっと役に立ちます。でなければ、ソフィアさんも譲ったりはしないはずですよ」

 ソフィアは質実剛健のところがあったし、役に立たないものをくれたりはしないだろう。もっとも、過度な期待を持つのは禁物だが。

「だろうな。まあ、今はネコマタが水月堂の饅頭を食わせてやるだけの価値を示してくれることを祈ろう。って、そういうお前は癒しの魔法は使えないのか?」

 勇也の何気ない問いかけにイリアががっくりと肩を落とす。このオーバーな反応には勇也も眉根を寄せてしまう。

「使えません。自分でも不思議に思っちゃうんですけど、私の使う力はどれもこれも攻撃的な物ばかりなんです。一応、身を守るバリアなどは使えますし、自己治癒力も備わってはいるんですが……」

 攻撃面に特化した女神というのは殊の外、物騒だ。特にテレビゲームとかではそうだし、実は破壊の女神だったなんてことはないだろうな。そんな設定を付けた憶えはないし。

「仮にも女神なんだから、人間を癒せるような力はなきゃ駄目だろ。そんなことじゃ、ご当地アイドルは失格だぞ」

 もっとも、勇也の作った設定に癒しの魔法を使えるなんて項目はなかったから、それも仕方がないのかもしれない。

「おっしゃる通りです。他者を癒す力がないというのは割と致命的なことなのかもしれませんね」

「かもしれないな。まあ、そういうことであれば、俺はなるべく傷を負わないような戦い方をするしかない」

 もし戦いになったら、ネコマタの力もたくさん借りることになるかもしれない。となると、水月堂の饅頭を買うお金は外せないか。

「ご主人様も戦う気概は持ち合わせていたんですね。さすが、男の子!」

「当たり前だろ。可愛い女の子に戦わせて自分は高みの見物なんて褒められたもんじゃないだろうが」

 勇也の発した可愛いという言葉にイリアも静電気にでも触れたかのような反応をしたが、勇也は敢て素知らぬ顔をして見せる。

「やっぱり、ご主人様も私のことは可愛いって思っていてくれたんですね。女の子としての自信が付きました!」

「まあ、さすがにお前の外見を可愛くないなんて言う人間はいないだろうよ」

 それくらいは素直に称賛してもバチは当たらないだろう。

「ですよね。でも、その言い方だと内面の方は可愛くないってことですか? それは聞き捨てなりませんよ」

「分かってるよ。お前は外見だけじゃなくて内面も可愛いって。それは生みの親である俺が保証してやる」

「確かに、その言葉には説得力がありますね」

 イリアは二ニヤニヤとのろけたように笑う。

 それを見て、勇也も煽てに弱い奴だなと苦笑する。まあ、それはそれで扱いやすいから別に構わないが。

「とにかく、話を戻すが俺も戦うべき時はちゃんと戦う。だから、あまり俺を甘やかさないでくれ」

 強いから戦うのではなく、戦うからこそ強くなれると思うのだ。戦いを避けていたら、自分はいつまで経っても弱いままだ。それでは、自分の身を守ることさえ、ままならない。

「ですが、ご主人様はただの人間ですし、無理は禁物ですよ。もし、ご主人様が死んだりしたら私も立ち直れませんし」

「俺が死んでも、お前は案外ケロッとしていそうだけどな」

 勇也は底意地の悪さを見せるように笑った。それを見て、イリアもまるで魚のフグのように頬を膨らませる。

「その言い草は酷すぎますよー。私のご主人様に対する愛は、あの富士山よりも大きいって言うのに」

「そうか、悪い、悪い」

「とにかく、私もネコマタさんに癒しの術の使い方を教わろうかな。ご主人様を癒せないなんて、メイドとして失格です!」

 イリアはメイドとしての矜持を見せると奮起するように言った。

「おいおい、お前はあくまでこの町の女神だろ。いつから本物のメイドになったんだよ……」

 勇也が草臥れたように嘆息していると、思いがけない方角から声をかけられる。辺りに人の姿はなかったし空耳かなと思ってしまった。

「そこのお二方、ちょっとよろしいかな」

 勇也が今度ははっきりと声が聞こえてきた方を振り向くと、そこには狸がいた。丸々と太った豚のような狸である。

 その上、顔の方は擬人化された動物のような造りを感じさせるし、ただの狸とは思えない。

 となると、ネコマタと同じような類の存在だろうか。だとしたら、見かけで判断するのは軽率というものだ。

 とにかく、勇也の耳が確かならこの狸が声をかけてきたように見受けられた。

「何だ、お前は?」

 勇也は狸に向かって胡乱気な目を向ける。今更、狸が喋ったこところで大きな驚きはないが、それでも警戒するに越したことはない。

「ご主人様、気を付けてください。この狸さんは大きな神気を持つ最後の一人ですよ。でも、この私が神様の接近を許してしまうなんて」

 イリアは瞠目したように相撲取りのように太った狸を見る。

 勇也はこの狸が神様ねぇ、と、つい軽んじるような視線を向けてしまったが、それを受けても狸は飄々とした顔をしていた。

「なーに。私はこの地に古くからいる正真正銘の神。神気を隠して誰かに近づくことなどお手の物よ」

 狸はにんまりと笑うとしわがれた声で言ったし、町を徘徊している最後の神は、こいつで間違いないみたいだなと勇也も合点した。

「なるほど」

 イリアは得心のいったよう顔をした。

「イリアちゃんはその強い神気がただ漏れしてしまっている。これでは自分の動きを簡単に気取られてしまうぞ」

 狸は神としての年の功を見せるように指摘した。勇也も狸にしては賢朗さを感じさせる言葉だなと思う。

 これだから神という存在は侮れない。

「それもそうですね。そこまでは気が回らなかったので勉強になりました。でも、あなたの方から現れてくれて、本当に助かりましたよ」

「イリアちゃんの聞きたいことは分かっているが、それに対する回答を私は持たない。残念ながらな」

 狸は疲れ切った老人のように首を振った。

 それを見たイリアも意気消沈したような顔をする。

 イリアの内心を見抜いた上で答えを持たないと言うのなら、その言葉通り何も分からないのだろう。

 そこは疑っても仕方がない。

「確かにそれは残念です」

 これで神たちから詳しい事情を聞き出そうとする試みは、完全に失敗に終わった。

 勇也も自分の行動が無駄とは思いたくなかったが、それでも虚脱感のようなものが滲み出てくるのを抑えることができない。

 もっと効率的に情報を収集する方法はないものかと思ったが、その手のことに関しては既にダーク・エイジの組織が着手しているだろう。

 それでも分からないことを勇也たちに突き止められるはずがない。そう思うと益々、虚脱感が強くなった。

「逆に私の方からイリアちゃんに頼みたいことがある。迷惑なことを押しつけるようで嫌だが、どうか私の話を聞いてはくれないか」

 狸は畏まったような態度で願い出た。これでは、無下に追い返すこともできないし、案外、この狸は老獪な奴なのかもしれない。

「言ってみてください」

「この町にある二つの宗教団体が過激な対立をしている。その対立というか抗争のせいで死人も出ているのだ。この町で最も古い神としては見過ごすことはできん」

 その話を聞き、勇也も真っ先に世間を騒がしている殺人事件のことを思い浮かべる。それから、ダーク・エイジの構成員も事件に一枚噛んでいるのではと思い、一瞬、勇也の脳裏にソフィアの顔が過った。

 が、あのソフィアが世間で表沙汰になるような無配慮の殺人をするとは思えない。やはり、杞憂だと勇也は心の中で首を振る。

「それは物騒ですね」

「イリアちゃんもテレビのニュースは見ているだろう。世間を騒がせている猟奇殺人の犯人はあろうことか神なのだ」

 一人の人間が挽肉のように潰されたというショッキングなニュースは当然のことながら勇也だけでなくイリアの耳にも届いていた。

 スマホで確認した今日のニュースでも三体の焼死体が上がったことは大きく取り上げられていたし、その時は勇也とイリアも最近の世の中は怖いなと話していたのだ。

 だが、その犯人が神だというのはイリアも全くの初耳だろう。

「詳しく聞かせてください」

 イリアは切迫した状況であることを受け止めたられたのか、勢い込むようにして言った。

「この町には羅刹組と真理の探究者という二つの宗教団体があって、その二つが血で血を洗う抗争を始めたのだ。それを止めて欲しい。私と違い、戦うことに長けたイリアちゃんならできるはずだ」

 そう情けを請うように言って狸は深々と頭を下げた。正真正銘の神だけあって、イリアの性質も見抜いているようだ。

 だが、勇也の心を脅かすようにして震わせたのは、それが理由ではない。

「真理の探究者だと……」

 勇也は眉間にしわを寄せると、怖い顔をしながら言葉を発した。その反応を見逃すことなく、イリアは勇也の様子を窺うような顔をする。

「どうかしたんですか、ご主人様? いきなりそんな怖い顔をするなんて普通じゃないですし、何かあるなら言ってください」

 イリアはつぶらな瞳を瞬かせながら、隠し事なんて水臭いとでも言いたそうに尋ねてくる。だが、今の勇也には、イリアの気遣いは鬱陶しく感じられた。

「いや……」

 勇也は辛い感情を持て余すような顔をしながら、半年以上も会っていない母親の顔を思い出す。それから、漠然とした不安を覚えながら、虚空を見詰めた。

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