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エピソード17 戦いの予感

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〈エピソード17 戦いの予感〉

 神はあらゆるものから生まれるし、その場所は何も上八木市だけに限ったことではない。

 特に太陽、空、大地、雨、風などの大自然から生まれる神は取り分け強大な力を持つ者が多い。

 ただし、そう言ったものから生まれる自然神は形となっている依り代がないので、神として生まれるためにはより多くの神気を必要とする。

 反対に像や絵、経典による文章などで明確な形が定まっている神は自然神よりも遥かに誕生しやすい。

 また魔術や錬金術などで作られたゴーレムやホムンクルスを依り代とすると更に誕生しやすくなる。

 その代わり、依り代に依存しすぎると、霊体になれなくなる神もいる。

 一方、生き物が神になることもあるが、あまり多いケースではない。なぜなら、生き物の体に流れるマナ、つまり魔力は神気と反発しやすいからだ。

 魔力と神気が体の中で反発し続ければ、その生き物は最悪、死に至る。その反発の作用を耐え抜いて神気を己の物とできた生き物だけが神となれる。

 ただし、人間は全ての生き物の中で最も魔力の量が多く、また心も繊細なため、人間が神となることはほとんどない。

 人の身にして多くの神気を集める聖人や英雄のような人物が早死にしたり、狂ってしまうことが多いのはそのためだ。

 魔力と神気を体の中で共存させられる人間は滅多におらず、信心が極端に少なくなっている昨今ではそもそも多くの神気を集められる人間自体が少ないのが現状だ。

 ちなみに、神とは性質の異なる悪魔は魔力で動いている。

 悪魔は創造神と呼ばれている神によって創り出された存在なので、初めから定められた力が決まっている。

 なので、外部からの影響によって力の最大量が増減したりすることはないのだ。

「ご主人様、スマホのやりすぎは目に良くないですよー。一旦、小休止して私の入れた紅茶でも飲んでください」

 スマホを手に悩ましげな顔をしていた勇也の前にイリアが紅茶の入ったティーカップをそっと置いた。

 紅茶からはリラックスの効果があるような優しい感じの匂いが漂ってくるし、その匂いは鼻腔を刺激して勇也の心を安らかにさせる。

 相変わらず、イリアの入れる紅茶は芳醇な香りを漂わせることに成功しているし、同じ材料を使っても自分にはこういう香りを生み出せないのだから不思議だ。

「ちょっとダーク・エイジのサイトで勉強してたんだよ。神様たちの挨拶回りはスカだったし、頼れる情報を載せているのはここしかない」

 時間をかけてサイトを閲覧したところ、かなり有益な情報を得ることができた。餅は餅屋という言葉は本当だったし、今後もこのサイトの情報は重宝しそうだ。

「そうでしたか。ご主人様は勤勉な方ですねー。私、勉強なんて言葉を聞くと頭痛がしてきちゃうんですよね」

 イリアは道化染みたことを言うと、自分の頭を剽軽さを見せるようにコツンと小突いた。

 こういうあざとさが頭の悪さをより際立たせている気がしないでもない。本当に賢い女の子はリアクション一つとっても違うのだ。

 ま、テレビに出ている新人アイドルのリアクションよりは幾らかマシだが。

「お前は馬鹿だからな。夏休みの宿題をやらせても数学の問題なんて一問も解けなかったし、あれにはがっかりさせられたぞ」

 夏休みに入ってから一週間以上、経つが夏休みの宿題は手つかずだ。

 最悪、頭が良くて夏休みの宿題なんて三日で終わらせられると豪語する武弘の力を借りることになるだろう。

 でも、宿題を丸写しするようなことをすれば夏休み明けのテストで痛い目を見ることになる。なので、幾ら夏休みといえども遊んでばかりはいられない。

「馬鹿とはなんですか、馬鹿とは! 私だって勉強すればすぐに普通の人間の学力なんて追い越せますよ」

 イリアは腰に手を当てると怒髪天を突いたような顔をして宣言した。

「なら、今すぐにでも勉強して夏休みの宿題を手伝えるようになってくれよ。俺の部屋にある教科書なら自由に読んで構わないから」

 勇也は自分のストレスを発散したくて、わざとイリアの怒りを煽り立てるように言ってニヤリと笑う。

 それを見て、イリアも口の形をへの字に引き結んだ。

「むぅー、ご主人様は意地悪なことばかり言うんですね。ま、そこがご主人様の可愛いところなんですけど」

「別に可愛くなんてないし、ガキ扱いするのは止めてくれ」

 そう邪険にするように言って、勇也はあからさまに不快そうな顔をする。これにはイリアも意外な反応を見たようにキョトンとしてしまう。

「この程度の冗談で意地を張らないでくださいよ、ご主人様。そんなに気を張り詰めていらっしゃるんですか?」

 イリアの言葉は勇也の図星を突く。それを受け、隠していた気持ちを見透かされた勇也はたちまち渋面になってしまった。

「……そんなところだ」

 イリアの鋭いフックのような言葉に勇也も青菜に塩のような気持ちになる。それが悔しくて仕方がない。

 だが、イリアにも見抜かれるような悩みが勇也にはあるのだ。それは、あの狸との会話の中で生まれた。

 もちろん、イリアにはまだ詳しい事情は話していないので、勇也が何に神経を尖らせているのかは分からないだろう。

「あんまり気負い過ぎると、上手くいくものもいかなくなりますよ。やっぱり、何事も平常心を持って臨まないと」

「いつも理性が吹っ飛んでいるようなお前が言っても説得力はないな」

 勇也はイリアの言葉に負けまいと揶揄するように言った。

「それだけの軽口が叩ければ大丈夫そうですね」

 イリアは安心立命の境地に達したように言うと顔の表情を綻ばせながら言葉を続ける。

「ところで、勉強も良いですが、羅刹組と真理の探究者のことについてはちゃんと考えているんですか?」

 イリアの言葉を聞いた勇也は途端に暗鬱とした顔をした。考えていないわけがない。今度の一件は勇也にとって他人事ではないし、傍観者のような立場ではいられない。

「当たり前だろ。能天気なお前と違って、俺は考えるべきことはしっかり考えている。あまり見くびってくれるな」

 勇也は苦いものを飲み込んだような顔で言うと香り立つ紅茶に口をつける。すると、重くなりがちな気持ちが幾分緩和された。

 認めるのは癪だが、やはり、イリアの入れる紅茶は一級品の味がする。将来は喫茶店でも開けば良い。

「真理の探究者はともかく、羅刹組はほとんど暴力団にも等しい宗教法人って言いますし、どう対処するつもりなんですか?」

「真っ向から話をつけに行くしかないだろう。あの手の団体には余計な小細工は意味をなさないからな」

 羅刹組を敵に回すのは怖いが、ここで怖気づいたらまた死人が出るだろう。

 その時の罪悪感は計り知れないし、今は勇気を持って行動することが求められている気がした。

「なるほど。まあ、私の力なら例え暴力団だろうと敵じゃないですけどね。ダーク・エイジの構成員の方がよっぽど強敵ですよ」

「その意見には同感だが、考えなしに行動する分、暴力団の方が厄介になる時もあるんだ。まあ、こういうのはケースバイケースだな」

 都合が悪くなれば市民という称号を盾にする分、暴力団の方が質が悪い。

 ダーク・エイジの組織なら例え死ぬような構成員が出てきても、それを表沙汰にすることはないだろうし。

「かもしれませんね」

「とにかく、下手をしたら羅刹組と真理の探究者のバックにいる神も倒さなければならなくなるだろうな」

「やっぱり、そうなりますか」

「ああ。もう何人も死人が出ているし、あまり悠長なことは言っていられない。だから、お前も思うところはあるだろうが、自分と同じ神と戦う覚悟はしておいてくれ」

 盛り下がった顔をする勇也は真理の探究者の話が出てこなければ、狸の神の頼みはきっぱりと断っていたかもしれないと思う。

 だが、宗教に傾倒した母親は今も真理の探究者の信者なので、下手をしたら母親が殺されるかもしれないという恐怖が勇也の気持ちを不安定なものにさせていたのだ。

 その気持ちを払拭するためには、やはり、人ならざる力を持っている自分たちが一肌脱ぐしかないだろう。

 厄介な話だが、これは罪もない人たちを守る人助けだと思って割り切るしかない。自分の柄ではないことは分かっているが。

 でも、そう思って腹を括ると何だか自分が本当にアニメや漫画に出てくる格好良い正義のヒーローのように思えてくる。

 男だったら一度は正義のヒーローに憧れるし、それは自分も例外ではなかったらしい。

 まあ、もし、自分が本当の正義のヒーローになりたいのなら、守れば良いのは母親の身の安全だけではない。

 この町に住むみんなの安全と平和だ。身内だけではなく、みんなのために動けるのが本当の正義のヒーローなのだ。

 そんな義侠心の溢れる正義のヒーローが務まるかどうかは、自分の心の強さ次第だろうな。

「分かりました。敵を叩くにはまず頭から、なんて言葉もありますし、あれこれするより悪さをしている神様を倒した方が手っ取り早く収まるかもしれません」

 イリアは気持ちを切り替えるように言うと、好戦的な笑みを浮かべた。

「ああ。下っ端の相手を幾らしてもキリがないし、本当の解決を目指すなら頭を張っている神は倒しておくべきだろうな」

 もちろん、そうしなくても解決するような道もちゃんと模索するつもりだ。どのようなタイプの奴であれ、神を殺すなんて進んでやりたくなるようなことじゃない。

 ダーク・エイジ組織が使っている《神殺者》なんていう称号にはぞっとさせられるしな。

「腕が鳴りますね。相手が神様なら、私も何のセーブをすることもなく、思いっきり力を振るえます」

「それは構わないが、相手が人間の場合は加減というものをしてくれよ。じゃないと、こっちが犯罪者になりかねない」

「心得ています。ご主人様の立場を危うくさせるようなことは絶対にしません」

「なら良いんだ。もっとも、今回の一件は何がどう転ぶか分からないし、今まで以上に注意を払わないと」

「ええ。私も足を掬われないように気を付けます」

 イリアの剛勇な気が漲っているような返事を聞いた勇也は、今度の一件からは逃げるわけにはいかないと強い決意をする。
 それから、神々しい空気を漂わせる草薙の剣を手にすると、まずは羅刹組の本部に赴くことにした。

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