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第9話「社交界デビューは予想以上の騒動だったね」
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社交界デビューの準備は、想像以上に大変なものだった。
「エリーゼ様、もう少し背筋を伸ばして」
舞踏教師のマダム・ローズが厳しい声で指導する。五十代の女性で、王宮の舞踏会でも教師を務める第一人者だ。
「このステップは、貴族の女性にとって基本中の基本です」
「分かったよ」
私は言われた通りにステップを踏む。前世では全く経験のない世界だが、体の動きを論理的に分析すれば、そう難しいものではない。
「素晴らしい!エリーゼ様は飲み込みが早いですね」
「ありがとう」
隣で見学していたシャルロットが拍手をした。
「姉様、とても優雅です」
「君の方がずっと上手だろう」
「そんなことありません。姉様には独特の気品があります」
シャルロットは本当に優しい娘だ。最近は、姉妹の関係もずいぶん良くなった。
「それでは、次は扇子の使い方を練習しましょう」
マダム・ローズが美しい扇子を取り出した。
「扇子は単なる道具ではありません。貴族の女性にとって、意思疎通の重要な手段でもあるのです」
「意思疎通?」
「はい。扇子の開き方、閉じ方、持ち方によって、様々なメッセージを伝えることができるのです」
なるほど、この世界にも独特の作法があるのか。
「例えば、扇子をこのように左手に持てば『私はあなたと話したい』という意味になります」
「面白いね」
「こちらは『お断りします』の意味です」
マダム・ローズが扇子を閉じて、右手に持った。
「覚えることはたくさんありますが、エリーゼ様なら大丈夫でしょう」
三時間のレッスンが終わると、私はかなり疲れていた。
「お疲れ様でした、姉様」
シャルロットがタオルを渡してくれる。
「ありがとう。それにしても、社交界というのは複雑なものだね」
「でも、きっと楽しいですよ。姉様ほど知識豊富な方なら、多くの方が興味を持ってくださると思います」
その時、侍女が慌てた様子で入ってきた。
「エリーゼ様、大変です!」
「どうしたんだい?」
「第一皇子殿下がお見えになったのですが、今回は正式な訪問で…」
「正式な訪問?」
「はい。王宮の儀典官も同行されており、何やら重要なお話があるようです」
これは只事ではないな。
急いで身支度を整えて、応接室に向かった。
リオンは正装姿で、いつになく緊張した面持ちで座っていた。隣には、宮廷の儀典官が控えている。
「お疲れ様、少年。今日は随分と物々しいじゃないか」
「お姉さん、お忙しい中ありがとうございます」
リオンは立ち上がって、深々と頭を下げた。
「実は、重要なお話があります」
「聞かせてもらおう」
「来週開催される『春の大舞踏会』に、お姉さんを私のパートナーとしてお招きしたいのです」
春の大舞踏会。この国で最も格式の高い社交行事の一つだ。
「それは光栄な申し出だが…」
私は少し考えた。
「私はまだ正式に社交界デビューしていないよ」
「それについては問題ありません」
儀典官が口を開いた。
「エリーゼ様の今回の功績により、陛下が特別に社交界への参加を許可されました」
「陛下が?」
「はい。『国家に貢献した者は、相応の敬意を受けるべきだ』との御言葉でした」
これは予想外の展開だった。
「つまり、私が舞踏会に参加することは、既に決定事項ということかい?」
「いえ、あくまでエリーゼ様のご意志次第です」
リオンが慌てて説明した。
「僕は、お姉さんが嫌がることは絶対にしたくありません」
私は窓の外を見た。庭では、春の花が美しく咲いている。
「分かった。参加させてもらおう」
「本当ですか?」
リオンの顔が輝いた。
「ありがとうございます!」
「ただし、条件がある」
「何でしょうか?」
「君は私のエスコート役に徹してもらいたい。変な政治的な思惑は持ち込まないでほしい」
「もちろんです」
「それと、もし私が退屈したら、途中で帰らせてもらう」
「承知しました」
リオンは嬉しそうに頷いた。
「では、来週の土曜日、午後七時にお迎えに上がります」
儀典官とリオンが帰った後、私は自分の部屋で準備について考えていた。
舞踏会用のドレス、装身具、髪型…準備することは山ほどある。
「エリーゼ姉様」
シャルロットが部屋に入ってきた。
「大舞踏会への参加、おめでとうございます」
「ありがとう。でも、正直なところ、少し不安だよ」
「なぜですか?」
「私は今まで、あまり社交的ではなかったからね。うまくやれるかどうか…」
シャルロットは微笑んだ。
「大丈夫です。姉様なら、きっと素晴らしい夜になります」
「根拠のない自信だね」
「根拠はありますよ。姉様は、本当は誰よりも魅力的な方ですから」
「君の姉びいきが過ぎるんじゃないかい?」
「そんなことありません」
シャルロットは真剣な表情になった。
「姉様は、知識も豊富で、優しくて、そして何より強い方です。きっと多くの人が、姉様の魅力に気づくはずです」
その確信に満ちた言葉に、私は少し勇気をもらった。
一週間後の夜、ついに舞踏会の日がやってきた。
シャルロットと侍女たちが総出で私の身支度を整えてくれた。
「姉様、本当に美しいです」
鏡に映る自分を見て、私も少し驚いた。
深い青色のドレスは、私の銀髪と青い瞳を引き立てている。シンプルだが上品なデザインで、決して派手すぎない。
「この色、姉様にとても似合います」
「ありがとう、シャルロット」
午後七時きっかりに、リオンが迎えに来た。
「お姉さん…」
彼は私を見て、言葉を失った。
「どうしたんだい?そんなに見つめて」
「美しい…本当に美しいです」
リオンは正装姿で、確かに王子様然とした風貌だった。
「君も立派だよ、少年」
「ありがとうございます」
王宮の大広間は、まばゆいばかりの輝きに満ちていた。
シャンデリアの光が、貴族たちの豪華なドレスや装身具を照らしている。音楽隊が奏でる優雅なワルツが、会場全体を包んでいる。
「すごい人数だね」
「はい。この国の主要な貴族は、ほぼ全員参加しています」
リオンが説明してくれる。
「あの方は東方侯爵、こちらは南部公爵家の…」
「覚えきれないよ」
私たちが会場に入ると、多くの視線が集まった。
「皆、興味深そうに見ているね」
「当然です。お姉さんは今夜の主役の一人ですから」
「主役?」
「疫病を解決した『救世主』として、既に有名になっています」
確かに、周りからささやき声が聞こえてくる。
「あの方がエリーゼ・フォン・ヴァルハイム嬢よ」
「美しい方ね」
「とても知的な雰囲気だわ」
「第一皇子殿下のお相手として相応しい方ね」
最後のコメントには、少し複雑な気持ちになった。
「リオン皇子殿下」
私たちの前に、一人の男性が現れた。四十代くらいの貴族で、いかにも野心家といった風貌だ。
「バートン伯爵です」
「お久しぶりです、伯爵」
リオンが軽く会釈した。
「こちらは、エリーゼ・フォン・ヴァルハイム嬢です」
「噂の令嬢ですね。お美しい」
バートン伯爵は私の手を取って、軽くキスをした。
「光栄です、伯爵」
「今夜はぜひ、一曲お願いしたいのですが」
「申し訳ありませんが…」
リオンが割り込もうとしたが、私が制した。
「喜んで、伯爵」
「エリーゼ…」
リオンが心配そうな顔をしたが、私は微笑んで答えた。
「大丈夫だよ。一曲くらい問題ない」
音楽が変わり、バートン伯爵と踊ることになった。
「令嬢は、本当に疫病を解決されたのですか?」
踊りながら、伯爵が質問してきた。
「リオン殿下と協力して、ね」
「素晴らしいことです。しかし、あの件にはまだ続きがあるようですが」
「続き?」
「ヴェルナー侯爵の脱獄未遂事件のことです」
私は眉をひそめた。
「詳しいことは存じませんが」
「実は、侯爵を支援していた勢力が、まだ暗躍しているという噂があります」
「それは…物騒な話ですね」
「ええ。特に、皇位継承に関して、まだ諦めていない者たちがいるようです」
バートン伯爵の言葉に、私は警戒心を抱いた。
「それで、私に何を伝えたいのですか?」
「令嬢には、十分お気をつけいただきたいということです」
「気をつける?」
「リオン殿下に近い方々は、彼らにとって邪魔な存在ですから」
音楽が終わり、踊りも終了した。
「ご忠告ありがとうございます、伯爵」
私はリオンの元に戻った。
「お姉さん、何か変なことを言われませんでしたか?」
「少し気になる話を聞いたよ」
私はバートン伯爵の警告について説明した。
「やはりそうですか…」
リオンの表情が暗くなった。
「実は、最近宮廷で不審な動きがあるんです」
「不審な動き?」
「ヴェルナー侯爵の残党が、新たな計画を立てているという情報があります」
その時、会場の音楽が止まった。
「皆様、お静かに」
司会者が声を上げた。
「陛下がお言葉を述べられます」
皇帝陛下が壇上に現れた。
「今宵は、皆、よく集まってくれた」
陛下の威厳ある声が会場に響く。
「特に、この度の疫病事件で国家に貢献した者たちに、改めて感謝の意を表したい」
陛下の視線が、私とリオンに向けられた。
「エリーゼ・フォン・ヴァルハイム嬢、前に出てきなさい」
私は驚いたが、リオンに背中を押されて壇上に向かった。
「君の知識と勇気により、多くの国民が救われた」
陛下は私の前に立った。
「この感謝の印として、君に『国家功労章』を授与する」
会場がどよめいた。国家功労章は、この国で最も名誉ある勲章の一つだ。
「ありがたく、お受けいたします」
私は深く頭を下げた。
陛下が勲章を私の胸に付けてくださった時、会場から盛大な拍手が起こった。
壇上から降りると、多くの貴族たちが私の元に集まってきた。
「素晴らしいお働きでした」
「さすがヴァルハイム公爵家の令嬢」
「お美しいだけでなく、才色兼備でいらっしゃる」
称賛の言葉が次々と飛び交う。
「お姉さん、大変なことになりましたね」
リオンが苦笑いを浮かべて言った。
「確かに、予想以上の注目度だね」
「でも、これでお姉さんの社会的地位は確固たるものになりました」
「それは良いことなのかい?」
「もちろんです」
リオンは真剣な表情になった。
「これで、僕たちの結婚も、周りから祝福されるものになります」
「少年、まだ私は答えを出していないよ」
「分かっています。でも、希望を持っていてもいいでしょう?」
その時、また新しい人物が近づいてきた。
「エリーゼ様」
振り返ると、美しい女性が立っていた。二十代後半くらいで、気品ある佇まいをしている。
「私はセレナ・ド・モンクレール侯爵令嬢です」
「初めまして、セレナ嬢」
「実は、お話ししたいことがあります」
セレナ嬢は私の耳元で囁いた。
「あなたの身に危険が迫っています」
私は彼女を見つめた。
「詳しく聞かせてもらえますか?」
「ここでは無理です。後ほど、庭園でお会いできませんか?」
私は少し迷ったが、頷いた。
「分かりました」
舞踏会が佳境に入った頃、私はこっそりと庭園に向かった。
月明かりが美しい夜だった。薔薇の香りが風に乗って漂ってくる。
「お待ちしておりました」
セレナ嬢が茂みの陰から現れた。
「それで、どんな危険なのですか?」
「あなたを狙う暗殺者がいます」
私は眉を上げた。
「暗殺者?」
「はい。ヴェルナー侯爵の残党が雇った刺客です」
「なぜ私を?」
「あなたがリオン殿下の最大の支援者だからです」
セレナ嬢は周りを警戒しながら続けた。
「あなたを失えば、殿下の立場は大きく揺らぐでしょう」
「それで、なぜあなたがそのことを知っているのですか?」
「私は…特殊な情報網を持っています」
「スパイ?」
「そのようなものです」
その時、茂みから人影が飛び出してきた。
黒装束の男が、短剣を手に私に向かってくる。
「危ない!」
セレナ嬢が私を庇うように前に出た。
しかし、男の動きは予想以上に速い。
「やれやれ、面倒くさいことになったね」
私は冷静に状況を判断した。
前世で学んだ護身術の知識があれば、何とかなるかもしれない。
男が振り下ろした短剣を、私は紙一重でかわした。
「なに?」
男が驚いた隙に、私は彼の手首を掴んで捻り上げた。
「ぐああ!」
短剣が地面に落ちる。
「セレナ嬢、衛兵を呼んできてもらえるかい?」
「は、はい!」
セレナ嬢が慌てて駆け出していく。
「お前、なぜそんなに強いんだ?」
男が呻きながら聞いてくる。
「企業秘密だよ」
ほどなくして、衛兵たちがやってきて男を連行していった。
「エリーゼ!」
リオンが血相を変えて駆けつけてきた。
「大丈夫ですか?怪我は?」
「心配いらないよ。少し騒がしかっただけだ」
「本当に無事で良かった…」
リオンは私を抱きしめた。
「もし何かあったらと思うと…」
「大げさだよ、少年」
でも、彼の温もりは心地よかった。
「これで、あなたの社交界デビューも派手なものになりましたね」
セレナ嬢が苦笑いを浮かべて言った。
「確かに、予想以上の騒動だったね」
私は空を見上げた。
転生者の人生は、やはり平穏とは縁がないようだ。
でも、それもまた悪くないのかもしれない。
特に、私を心配してくれる人がいるなら。
「エリーゼ様、もう少し背筋を伸ばして」
舞踏教師のマダム・ローズが厳しい声で指導する。五十代の女性で、王宮の舞踏会でも教師を務める第一人者だ。
「このステップは、貴族の女性にとって基本中の基本です」
「分かったよ」
私は言われた通りにステップを踏む。前世では全く経験のない世界だが、体の動きを論理的に分析すれば、そう難しいものではない。
「素晴らしい!エリーゼ様は飲み込みが早いですね」
「ありがとう」
隣で見学していたシャルロットが拍手をした。
「姉様、とても優雅です」
「君の方がずっと上手だろう」
「そんなことありません。姉様には独特の気品があります」
シャルロットは本当に優しい娘だ。最近は、姉妹の関係もずいぶん良くなった。
「それでは、次は扇子の使い方を練習しましょう」
マダム・ローズが美しい扇子を取り出した。
「扇子は単なる道具ではありません。貴族の女性にとって、意思疎通の重要な手段でもあるのです」
「意思疎通?」
「はい。扇子の開き方、閉じ方、持ち方によって、様々なメッセージを伝えることができるのです」
なるほど、この世界にも独特の作法があるのか。
「例えば、扇子をこのように左手に持てば『私はあなたと話したい』という意味になります」
「面白いね」
「こちらは『お断りします』の意味です」
マダム・ローズが扇子を閉じて、右手に持った。
「覚えることはたくさんありますが、エリーゼ様なら大丈夫でしょう」
三時間のレッスンが終わると、私はかなり疲れていた。
「お疲れ様でした、姉様」
シャルロットがタオルを渡してくれる。
「ありがとう。それにしても、社交界というのは複雑なものだね」
「でも、きっと楽しいですよ。姉様ほど知識豊富な方なら、多くの方が興味を持ってくださると思います」
その時、侍女が慌てた様子で入ってきた。
「エリーゼ様、大変です!」
「どうしたんだい?」
「第一皇子殿下がお見えになったのですが、今回は正式な訪問で…」
「正式な訪問?」
「はい。王宮の儀典官も同行されており、何やら重要なお話があるようです」
これは只事ではないな。
急いで身支度を整えて、応接室に向かった。
リオンは正装姿で、いつになく緊張した面持ちで座っていた。隣には、宮廷の儀典官が控えている。
「お疲れ様、少年。今日は随分と物々しいじゃないか」
「お姉さん、お忙しい中ありがとうございます」
リオンは立ち上がって、深々と頭を下げた。
「実は、重要なお話があります」
「聞かせてもらおう」
「来週開催される『春の大舞踏会』に、お姉さんを私のパートナーとしてお招きしたいのです」
春の大舞踏会。この国で最も格式の高い社交行事の一つだ。
「それは光栄な申し出だが…」
私は少し考えた。
「私はまだ正式に社交界デビューしていないよ」
「それについては問題ありません」
儀典官が口を開いた。
「エリーゼ様の今回の功績により、陛下が特別に社交界への参加を許可されました」
「陛下が?」
「はい。『国家に貢献した者は、相応の敬意を受けるべきだ』との御言葉でした」
これは予想外の展開だった。
「つまり、私が舞踏会に参加することは、既に決定事項ということかい?」
「いえ、あくまでエリーゼ様のご意志次第です」
リオンが慌てて説明した。
「僕は、お姉さんが嫌がることは絶対にしたくありません」
私は窓の外を見た。庭では、春の花が美しく咲いている。
「分かった。参加させてもらおう」
「本当ですか?」
リオンの顔が輝いた。
「ありがとうございます!」
「ただし、条件がある」
「何でしょうか?」
「君は私のエスコート役に徹してもらいたい。変な政治的な思惑は持ち込まないでほしい」
「もちろんです」
「それと、もし私が退屈したら、途中で帰らせてもらう」
「承知しました」
リオンは嬉しそうに頷いた。
「では、来週の土曜日、午後七時にお迎えに上がります」
儀典官とリオンが帰った後、私は自分の部屋で準備について考えていた。
舞踏会用のドレス、装身具、髪型…準備することは山ほどある。
「エリーゼ姉様」
シャルロットが部屋に入ってきた。
「大舞踏会への参加、おめでとうございます」
「ありがとう。でも、正直なところ、少し不安だよ」
「なぜですか?」
「私は今まで、あまり社交的ではなかったからね。うまくやれるかどうか…」
シャルロットは微笑んだ。
「大丈夫です。姉様なら、きっと素晴らしい夜になります」
「根拠のない自信だね」
「根拠はありますよ。姉様は、本当は誰よりも魅力的な方ですから」
「君の姉びいきが過ぎるんじゃないかい?」
「そんなことありません」
シャルロットは真剣な表情になった。
「姉様は、知識も豊富で、優しくて、そして何より強い方です。きっと多くの人が、姉様の魅力に気づくはずです」
その確信に満ちた言葉に、私は少し勇気をもらった。
一週間後の夜、ついに舞踏会の日がやってきた。
シャルロットと侍女たちが総出で私の身支度を整えてくれた。
「姉様、本当に美しいです」
鏡に映る自分を見て、私も少し驚いた。
深い青色のドレスは、私の銀髪と青い瞳を引き立てている。シンプルだが上品なデザインで、決して派手すぎない。
「この色、姉様にとても似合います」
「ありがとう、シャルロット」
午後七時きっかりに、リオンが迎えに来た。
「お姉さん…」
彼は私を見て、言葉を失った。
「どうしたんだい?そんなに見つめて」
「美しい…本当に美しいです」
リオンは正装姿で、確かに王子様然とした風貌だった。
「君も立派だよ、少年」
「ありがとうございます」
王宮の大広間は、まばゆいばかりの輝きに満ちていた。
シャンデリアの光が、貴族たちの豪華なドレスや装身具を照らしている。音楽隊が奏でる優雅なワルツが、会場全体を包んでいる。
「すごい人数だね」
「はい。この国の主要な貴族は、ほぼ全員参加しています」
リオンが説明してくれる。
「あの方は東方侯爵、こちらは南部公爵家の…」
「覚えきれないよ」
私たちが会場に入ると、多くの視線が集まった。
「皆、興味深そうに見ているね」
「当然です。お姉さんは今夜の主役の一人ですから」
「主役?」
「疫病を解決した『救世主』として、既に有名になっています」
確かに、周りからささやき声が聞こえてくる。
「あの方がエリーゼ・フォン・ヴァルハイム嬢よ」
「美しい方ね」
「とても知的な雰囲気だわ」
「第一皇子殿下のお相手として相応しい方ね」
最後のコメントには、少し複雑な気持ちになった。
「リオン皇子殿下」
私たちの前に、一人の男性が現れた。四十代くらいの貴族で、いかにも野心家といった風貌だ。
「バートン伯爵です」
「お久しぶりです、伯爵」
リオンが軽く会釈した。
「こちらは、エリーゼ・フォン・ヴァルハイム嬢です」
「噂の令嬢ですね。お美しい」
バートン伯爵は私の手を取って、軽くキスをした。
「光栄です、伯爵」
「今夜はぜひ、一曲お願いしたいのですが」
「申し訳ありませんが…」
リオンが割り込もうとしたが、私が制した。
「喜んで、伯爵」
「エリーゼ…」
リオンが心配そうな顔をしたが、私は微笑んで答えた。
「大丈夫だよ。一曲くらい問題ない」
音楽が変わり、バートン伯爵と踊ることになった。
「令嬢は、本当に疫病を解決されたのですか?」
踊りながら、伯爵が質問してきた。
「リオン殿下と協力して、ね」
「素晴らしいことです。しかし、あの件にはまだ続きがあるようですが」
「続き?」
「ヴェルナー侯爵の脱獄未遂事件のことです」
私は眉をひそめた。
「詳しいことは存じませんが」
「実は、侯爵を支援していた勢力が、まだ暗躍しているという噂があります」
「それは…物騒な話ですね」
「ええ。特に、皇位継承に関して、まだ諦めていない者たちがいるようです」
バートン伯爵の言葉に、私は警戒心を抱いた。
「それで、私に何を伝えたいのですか?」
「令嬢には、十分お気をつけいただきたいということです」
「気をつける?」
「リオン殿下に近い方々は、彼らにとって邪魔な存在ですから」
音楽が終わり、踊りも終了した。
「ご忠告ありがとうございます、伯爵」
私はリオンの元に戻った。
「お姉さん、何か変なことを言われませんでしたか?」
「少し気になる話を聞いたよ」
私はバートン伯爵の警告について説明した。
「やはりそうですか…」
リオンの表情が暗くなった。
「実は、最近宮廷で不審な動きがあるんです」
「不審な動き?」
「ヴェルナー侯爵の残党が、新たな計画を立てているという情報があります」
その時、会場の音楽が止まった。
「皆様、お静かに」
司会者が声を上げた。
「陛下がお言葉を述べられます」
皇帝陛下が壇上に現れた。
「今宵は、皆、よく集まってくれた」
陛下の威厳ある声が会場に響く。
「特に、この度の疫病事件で国家に貢献した者たちに、改めて感謝の意を表したい」
陛下の視線が、私とリオンに向けられた。
「エリーゼ・フォン・ヴァルハイム嬢、前に出てきなさい」
私は驚いたが、リオンに背中を押されて壇上に向かった。
「君の知識と勇気により、多くの国民が救われた」
陛下は私の前に立った。
「この感謝の印として、君に『国家功労章』を授与する」
会場がどよめいた。国家功労章は、この国で最も名誉ある勲章の一つだ。
「ありがたく、お受けいたします」
私は深く頭を下げた。
陛下が勲章を私の胸に付けてくださった時、会場から盛大な拍手が起こった。
壇上から降りると、多くの貴族たちが私の元に集まってきた。
「素晴らしいお働きでした」
「さすがヴァルハイム公爵家の令嬢」
「お美しいだけでなく、才色兼備でいらっしゃる」
称賛の言葉が次々と飛び交う。
「お姉さん、大変なことになりましたね」
リオンが苦笑いを浮かべて言った。
「確かに、予想以上の注目度だね」
「でも、これでお姉さんの社会的地位は確固たるものになりました」
「それは良いことなのかい?」
「もちろんです」
リオンは真剣な表情になった。
「これで、僕たちの結婚も、周りから祝福されるものになります」
「少年、まだ私は答えを出していないよ」
「分かっています。でも、希望を持っていてもいいでしょう?」
その時、また新しい人物が近づいてきた。
「エリーゼ様」
振り返ると、美しい女性が立っていた。二十代後半くらいで、気品ある佇まいをしている。
「私はセレナ・ド・モンクレール侯爵令嬢です」
「初めまして、セレナ嬢」
「実は、お話ししたいことがあります」
セレナ嬢は私の耳元で囁いた。
「あなたの身に危険が迫っています」
私は彼女を見つめた。
「詳しく聞かせてもらえますか?」
「ここでは無理です。後ほど、庭園でお会いできませんか?」
私は少し迷ったが、頷いた。
「分かりました」
舞踏会が佳境に入った頃、私はこっそりと庭園に向かった。
月明かりが美しい夜だった。薔薇の香りが風に乗って漂ってくる。
「お待ちしておりました」
セレナ嬢が茂みの陰から現れた。
「それで、どんな危険なのですか?」
「あなたを狙う暗殺者がいます」
私は眉を上げた。
「暗殺者?」
「はい。ヴェルナー侯爵の残党が雇った刺客です」
「なぜ私を?」
「あなたがリオン殿下の最大の支援者だからです」
セレナ嬢は周りを警戒しながら続けた。
「あなたを失えば、殿下の立場は大きく揺らぐでしょう」
「それで、なぜあなたがそのことを知っているのですか?」
「私は…特殊な情報網を持っています」
「スパイ?」
「そのようなものです」
その時、茂みから人影が飛び出してきた。
黒装束の男が、短剣を手に私に向かってくる。
「危ない!」
セレナ嬢が私を庇うように前に出た。
しかし、男の動きは予想以上に速い。
「やれやれ、面倒くさいことになったね」
私は冷静に状況を判断した。
前世で学んだ護身術の知識があれば、何とかなるかもしれない。
男が振り下ろした短剣を、私は紙一重でかわした。
「なに?」
男が驚いた隙に、私は彼の手首を掴んで捻り上げた。
「ぐああ!」
短剣が地面に落ちる。
「セレナ嬢、衛兵を呼んできてもらえるかい?」
「は、はい!」
セレナ嬢が慌てて駆け出していく。
「お前、なぜそんなに強いんだ?」
男が呻きながら聞いてくる。
「企業秘密だよ」
ほどなくして、衛兵たちがやってきて男を連行していった。
「エリーゼ!」
リオンが血相を変えて駆けつけてきた。
「大丈夫ですか?怪我は?」
「心配いらないよ。少し騒がしかっただけだ」
「本当に無事で良かった…」
リオンは私を抱きしめた。
「もし何かあったらと思うと…」
「大げさだよ、少年」
でも、彼の温もりは心地よかった。
「これで、あなたの社交界デビューも派手なものになりましたね」
セレナ嬢が苦笑いを浮かべて言った。
「確かに、予想以上の騒動だったね」
私は空を見上げた。
転生者の人生は、やはり平穏とは縁がないようだ。
でも、それもまた悪くないのかもしれない。
特に、私を心配してくれる人がいるなら。
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