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金怪
しおりを挟むこの世の中で何が辛いかって、金がないのが一番辛い。
金さえあれば人は幸せになれる。
そうでなければなぜ働く?
それは不幸になりたくないからだ。
愛だ夢だと大層なごたくを並べても、金がなければ死んでしまうのが人間だ。
結局はみな、我欲を満たしたいだけの浅ましい感情であり、それを否定したいだけのすり替えに過ぎない。
金は命よりも重く、尊い。
だからこそ金の為に人は死ぬのだ。
努力や実力のせいじゃない、俺が不幸なのは金のせい。
全部、全部、金のせいなのだ。
「……だ、くん。金田くん」
デスクトップの画面に名前を呼ばれ、俺は我に返った。
「手がお留守になってるよ」
声の主は背後から俺の顔を覗き込んでいる太田原部長だった。
そりゃそうだ、仮にデスクトップが人語を話せたとしても、こんなにも人の神経を逆撫でする声にはなるまい。
「すみません、部長。
少し考え事をしていたもので」
「仕事中は作業に集中。
そんなんだからこの前みたいなつまらないミスをするんだ、君は。
クライアントに頭を下げるのは私なんだからね。
もっと、しっかりしてくれよ」
「……はぁ」
金さえあれば、今すぐにでもこいつのイケ好かない顔面に辞表を叩き付けてやるのに。
不満を吐き出す事も出来ず、作り笑顔でその場をやり過ごす。
これも金の為、生活の為だ。
しかし一体、どれだけ働けば俺は幸せになれるのか。
いまの自分が置かれている環境には不満しかない。
その反面、そこから脱却する手段など無いような気もしている。
年齢と共に落ち着いたのだと周りは言うが、果たして本当にそうだろうか。
色んな事を諦めた、の間違いではないかと時々考え込んでしまうのだ。
仕事が終わると俺はいつも、スーパー前の宝くじ売り場に立ち寄る。
そこでこの十年間、毎日一枚ずつ宝くじを買って高額当選を狙っている訳だが、五等以上が当たった試しがない。
もうすっかり習慣化しているが、売り場のおばちゃんと仲良くなった以外に生活に大きな変化はない。
派遣社員に家庭を持てるだけの経済力がある訳もなく、独身を貫き通して早三十五年。
この先の人生、何が待ち受けているのかは知らないが、どうせロクな事ではあるまい。
だからせめて金があればと俺は願うのだ。
失われた時間は取り戻せないが、金があれば大抵の問題は解決する。
-金が欲しい、金が。
「…金が欲しいって顔で歩いてるそこのお兄さん」
不意に呼び止められて振り向くと、高級スーツに身を包んだ恰幅の良い男が立っていた。
「もしかして、俺の事ですか?」
多少ムッとしながらも答えると、男はそうそうと軽い相槌を打った。
-なんて失礼な奴だ。
俺は無視してそのまま通り過ぎようとした。
「金塊って見た事ありますか?」
訳の解らない事を言い始める辺り、新興宗教の勧誘か何かかも知れない。
「そう言うの間に合ってるんで」
切り捨てるように言う俺に、
「これがそうですよ」
スーツの何処に隠していたのか、男は黄金の延べ棒を取り出した。
何と言う神々しい光だろう。
俺の目は一気に金塊に釘付けとなった。
「差し上げますよ」
「……え?」
何を言ってるんだ、この男は。
男は目の前まで近付くと、戸惑っている俺の手にずっしりとした金の重さを伝えた。
「はい、どうぞ」
「い、いや、困りますって!」
そうは言ったものの、正直な俺の手は金塊をしっかりと握り締めている。
「どう使うかはアナタ次第。
売り払って現金に変えても良いでしょうし、銀行に預けて相場の上昇を待っても良いでしょう」
「その代わり宗教に入れとか、まさか人を殺せとか……?!」
俺の手に金の塊がある。
夢にまで見た金塊だ。
嬉しい、叫び出したくなるほど嬉しい。
しかし、男の狙いはなんだ?
この俺にこんな大金を提供して、どれほどの代価を求めている?
「いえいえ、そんな物騒な。
私はただ、お金が欲しくて仕方ない人を助けたい。
それだけですよ」
男はそう言うと夜の闇に紛れて消えた。
俺の手元に金塊だけを残して。
「手の込んだイタズラだ。
そうに違いない」
俺は金塊を鞄に仕舞うと鑑定して貰うべく、貴金属買い取り店にやって来た。
普段滅多に来ない場所な上、見て貰うのは本物かどうかも解らない怪しい金塊だ。
カウンターの上に一キロ以上はありそうな延べ棒を置くと、早速鑑定士の所に持っていってくれた。
これで金箔貼っただけの石膏だったとか言われた日には、二度とこの店を訪れる勇気はない。
十分ほどして受付から名前を呼ばれ鑑定結果を聞いたところ、金塊の可能性が極めて高いとの話だった。
しかし、何処にも刻印がない事から純度を調べなければならず、それには若干の費用がかかるのだと言う。
「このまま売りに出すなら、そうですね。
色々差し引いて四千前後ってところだと思います」
「よ、四千って?」
「四千万円です」
「万っ?!」
思わず椅子から立ち上がって卒倒しそうになった。
見ず知らずの赤の他人から、とんでもない大金が舞い込んだものだ。
「う、売ります!
すぐ売りますっ!」
「では身分証のご提示と此方の書類に署名と印鑑を……」
そんなこんなで俺は一気に四千万もの大金を手に入れた。
その日の晩はスーパーで買った一番高い日本酒と最高級のステーキで祝杯をあげた。
独りで盛り上がって室内を跳び跳ねる一方で、猛烈に不安が押し寄せたのも事実だ。
さっきの男がやって来て、あの金塊を返してくれと言ってきたらどうしようか。
あの金塊、実は盗品か何かじゃないのか。
そんな不安を打ち消そうと俺は明け方近くまで呑んだ。
そのお陰で翌日は会社を遅刻してしまったが、太田原に怒鳴られても腹は立たなかった。
-俺は一晩で四千万円手に入れた男だぞ。
二日酔いで少しダルくはあったが、そんな高揚感が持続したまま一日の仕事を終えたのだった。
そして夕べと同じ帰り道に差し掛かった時である。
「夕べのお兄さん」
またしても背後から声を掛けられた。
粘りつくような声質は確かめるまでもなく、例の金塊の男だ。
「……あ、あぁ、どうも」
無視する訳にもいかず、俺は軽く会釈した。
「何やら御機嫌のようですね」
そう訊かれて返事に詰まる。
迂闊な事を言ってこの男の気が変わったりすれば、せっかく手に入れた-。
「四千万、ってところですかね」
ギクリとした。
コイツ、どうして金塊の売値を知っているんだ。
「今になってやっぱり返して下さい、とは言いませんから御安心を。
それよりですね……」
男は夕べと同じ動きでスーツに手を突っ込むと、中から金塊を二本取り出した。
「どうですコレ、欲しいですか?」
蛇のような目付きで男が言った。
俺は間髪いれずに頷く。
「ホホ、正直な方は好きですよ。
ではこれも今日からアナタのものです」
男は俺の両手に金塊を乗せた。
八千万の重みだ。
「それでは失礼します。
あぁ、そうそう。
その金塊、もし要らなくなったら他の方に差し上げて下さい」
まるで俺に金塊を渡すのが目的だったかのように、男の姿は夜の帳へと溶けた。
「……要らなかったら他のヤツに?
ハッ、これは俺が貰った金だぞ?!
絶対に渡さねぇ、何があっても渡す訳がねぇだろ‼」
貴金属買い取り店で換金し、俺は昨日と今日で総額一億二千万を手に入れた。
まさに夢心地だった。
都心の一等地に家を買い、欲しかった車や時計を手に入れた。
毎晩のように高級クラブに繰り出し、美女をはべらせて豪遊を楽しんだ。
それでも金は増え続けた。
あの得体の知れない男が毎日、あの場所で俺に金塊を手渡してくるからだ。
使っても、使っても、減らない金、金、金の山。
俺は会社を辞め、優秀な人材をヘッドハントして新規に事業を立ち上げた。
それがたちまち軌道に乗ると上流階級を中心とした交遊関係も広がり、とんとん拍子に大富豪の仲間入りを果たした。
何一つ不自由のない贅沢な暮らしは幸福の絶頂だったが、悩みの種が一つあった。
それは肥満だ。
三段腹の二重顎。
パンパンに膨らんだ頬はてっかりと脂ぎり、シャツのボタンやズボンのベルトはこれまでに何度弾け飛んだか知れない。
一日ごとに確実に脂肪が増え、俺は百二十キロを超える肥満体になってしまっていた。
それでも俺は幸せだった。
トップモデルの美人妻をめとり、愛人に至っては世界各地に二十人以上もいる。
無論、全部俺の金が目当てなゲス女ばかりだったが、そのぶん従順で扱いやすい。
-動くのも面倒だが、そろそろ行くか。
俺は屋敷を出るとリムジンに乗り、いつもの場所に向かった。
金塊親父と勝手に名付けた男から、今日の分の金塊を受け取る為に。
「おい、親父。
今日も来てやったぞ」
脂肪を弛ませながら俺は声を張り上げた。
しかし、金塊親父の姿は見当たらない。
「はぁ、はぁ、ふぅ、ふぅ。
何処に居るんだよ、まったく。
あんまり歩き回らせないでくれ」
数歩動いただけで息が上がり、どっと汗が吹き出す。
とにかく早く家に戻って休みたかった。
「おーい、親父ったらよぅ!
居ないなら居ないで今日の分の金塊だけでも置いてってくれよ」
無茶な要求、とは微塵も思わなかった。
俺は金持ちだ、どんな我が儘もすべて許されて当然だ。
そんな感覚が完全に心を支配していた。
「脂肪の利息は充分のようですね」
金塊親父がやってきて、そう言った。
「……利息?
そんな話はいいからとっとと金塊を寄越せよ」
こいつは俺に金塊を運んでくる奴隷のような男。
そう言う認識で接している内、金塊親父の怪しさや不気味さを俺は何処かに忘れ去ってしまっていた。
「金田様。
残念ながらもう、あなたに金塊を差し上げる事は出来ません」
金塊親父は突然、信じられない事を言い出した。
「ふざけるな。
いいからさっさと金塊を出せっ!」
俺は金塊親父に詰め寄り、その胸ぐらを掴んで脅した。
「これまでさんざん貢いでおいて、もう金塊はやれないだと?
そんなバカな話があってたまるものかよ」
俺がそう言うと、
「金田様。
私があなた様に差し上げたのは、実は金塊ではございません」
金塊親父はまたも意味不明な事を口走った。
「金塊だよ、純度九十九%の金塊だ。
ちゃんと鑑定士にも見て貰ったし、全部溶かして不純物まで調べたんだ。
今さらそんな嘘をついて何のつもりだよ!」
金塊親父は相変わらずの無表情で俺を見た。
そしてスーツのなかに手を伸ばすと、一欠片の金を取り出した。
「なんだ、あるじゃねえか、金がよ。
しかし、今日はこれっぽっちか?」
俺はそれを引ったくり、親父を睨んだ。
「その金は、使われない事をお勧め致します」
「はぁ?
何言ってんだ、お前。
いいからちゃんと、明日も金を持ってこい!
お前の取り柄はそれだけなんだからな」
俺は親父から手を離すとリムジンに乗って家に戻った。
金の欠片は四百万程度にしかならなかったが、脅すなり何なりして明日はいつもの二倍の量を搾り取ってやればいい。
俺はベッドに横になると、明日はどんな贅沢をして過ごしてやろうかと考えながら眠りについた。
しかし、その翌日。
俺の体に奇妙な事が起きた。
体が重く、金縛りにあったように身動きが取れないのだ。
おまけに人を呼ぼうにも声すら出ない。
かろうじて目だけは動くが、視覚以外の感覚はすべて失われていた。
そこに、何故か。
俺の部屋に金塊親父が立っていた。
「お目覚めのようですね」
(どうしてお前が俺の屋敷に!)
叫ぼうとするがやはり声が出ない。
「本日は金塊の回収に参りました」
(……回収?)
「あぁ、誤解のないよう先に申し上げますが、金田様の財産を取り上げようと言う訳ではありません」
そう言うと金塊親父は俺の元につかつかと歩み寄った。
そして風船のように膨らんだ俺の腹を撫で、その皮膚をビリビリと音を立てて破り始めた。
不思議と痛みはなく、何も感じなかった。
靄がかかったように思考が鈍くなっている事に気付く。
「金田様、御覧ください。
何とも美しい輝きだとは思いませんか?」
恍惚の表情を浮かべた金塊親父が、金色に輝く俺の腹をさすった。
(どうしたって言うんだ、俺の体は)
「見事な金怪が育ったものです」
金塊親父は俺の全身の皮膚を次々と捲った。
体毛はつるりと抜け落ち、丸裸になった俺の全身は黄金像と化していた。
「ホホ、これだけあれば充分に元が取れます。
さて、準備が整いましたよ。
皆様お入り下さい」
金塊親父に呼ばれて屋敷の人間達がぞろぞろと姿を見せた。
「まぁ、何て素晴らしい黄金像でしょう!」
妻が俺の変わり果てた姿を見て感嘆の声を漏らした。
(ち、違う。像なんかじゃない。
俺だ、お前の亭主だっ‼)
助けを求めようとするが、やはり声は届かない。
「こちらは私と金田様がかねてより企画しておりました、皆様へのサプライズプレゼントでございます。
この黄金像は不思議な事に、望んだ方に望んだ分だけの金塊を分け与える有り難いもの。
さぁ、早い者勝ちですよ。
どうぞお好きなだけお持ち帰り下さい」
金塊親父がそう言うなり、俺のまわりに妻や使用人達が我先にと群がった。
その意地汚い手が黄金に触れると見る間に俺の手足が切断され、延べ棒の形状にカットされていく。
(や、やめろ。
お前ら、自分が何をしてるか解ってるのか?!
それは俺の、俺の体だァーーーッ!)
首から上を妻の両手に抱えられながら、俺は見えない涙を流して懸命に訴えかけたが、どんなに叫んでも無駄だった。
いや、仮に事実を知っていたとしてもこいつらは同じ行動を取ったに違いない。
俺ならば、いや、俺だって同じ事をした筈だ。
すべては金のせい。
金の為なら人は簡単に人間をやめる。
他人の痛みや犠牲など、こいつらは一ミリも想像しない。
だから素性も解らぬ金塊親父の口車に、あっさり乗せられてしまうのだ。
-金塊ではないのです。
俺は金塊親父の夕べの言葉を思い出していた。
人の欲望を喰らい、肉体の内側から徐々に金へと変質させるもの。
それこそが、俺が手を出してしまった金塊の正体だったのだろう。
今さら気付いても、もう遅い……どうでもいい。
完全に意識の途切れる直前、沈黙は金と言う格言の本当の意味を俺は悟った。
それは金を生み出す、新たな金怪の誕生だった。
おしまい
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