素足のリシュワ

進常椀富

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フォースドウォーカー

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「新鬼人(フォースドウォーカー)のニオイがするぜ。もう俺の鼻でもわかる」
 漆黒の肌をしたコドン戦士が木々の陰に目を走らせていた。
 身長二メートル以上ある巨人で、分厚い鎧に身を包んでいる。
 コドン戦士としては標準的な体格と装備だった。

 コドンは体格に優れているだけでなく、感覚能力も鋭い。
 新鬼人という言葉は初めて耳にしたが、リシュワは自分たちのことを指していると直感した。
 敵はリシュワたちが近くにいると気づいている。

 コドン戦士のほかに人間がひとりと、狼型の産獣(ゾア)が一匹。
 人間は鎖帷子の上にローブを着込んでいる。
 魔道士に多い服装だった。
 魔道士なら、場合によってはコドン戦士より危険かもしれない。

 産獣は四本の足と口周りの毛が剥げて、赤黒い筋肉がうねっている。
 ダイア・ウルフをベースにしているが、かなり強化されているようだった。

 敵の一隊はいまのところ森のなかだが、もう少しうろつけば道を発見するだろう。
 道沿いに進めばラーヴ・ソルガーの工房だった。リシュワたちのアジトだ。
 
 もうやり過ごせない。
 ここまで近づかれたからには、打って出て殲滅するしかなかった。
 情報を持って帰らせるわけにはいかない。
 ひとりも、一匹も、逃さず仕留める。

 リシュワは頭のなかでレオネに話しかけた。
(レオネ。まずわたしが魔道士らしき男を倒す。レオネは産獣とコドンを牽制して)
 すぐに返答があった。
(魔道士ならアタシのほうが近いけど)
(まだ近づかないで)
 脳のなかに寄生しているレジレスは、遠隔通話を可能にする。
 しかし、リシュワとレオネがラーヴ・ソルガーに逆らえないのも、このレジレスのせいだった。

 リシュワは音を立てないよう、ゆっくりと片刃の剣を引き抜いていった。
(レオネ。わたしが先にしかけるから)
(でも、もう)

 産獣が唸り声をあげ、体毛を逆立てた。
 バネじかけのように、リシュワと反対の方向へ体を向ける。レオナが気づかれたのだった。
 コドン戦士が分厚い剣を引き抜き、人間は印を結んだ手をまっすぐ伸ばす。
 大気から赤ん坊の頭ほどの岩石がいくつも出現して、魔道士の周りをぐるぐると回った。

「ちっ!」
 リシュワは舌打ちして駆けだした。
 同時に産獣がレオネのいるらしい藪へ突っ込んでいく。
 リシュワは敵の前へ飛びだし、己の異形をさらした。
 異世界から来たコドンも、珍奇なものを見慣れている人間の魔道士も、
 いまのリシュワを見てなんと思うだろうか。
 異世界の産獣術(ゾーフォロス)で強化された人間の姿を。

 左腕と左足は寄生肢で、黒い装甲に包まれてねじくれていた。
 右の腕と足よりひとまわり太い。
 産獣術を施されているのは左半身のみではなかった。
 身体のなかには他にも新器官が埋め込まれ、女の細腕でありながら、筋力はコドン戦士に匹敵する。
 頑丈になった素肌の上に直接、コドン式の無骨な鎧をまとっているシルエットは、
 コドンと人間の不気味な合いの子だった。

 ダークブラウンの長い髪と、整った面立ちだけが、以前の美しさを留めるばかり。
 いまのリシュワは産獣術で強化された非人間戦士だった。

 産獣が藪へ飛び込んでいった。
 コドンと魔道士はリシュワの出現に反応する。
 コドンは身構えた。
「女か、新鬼人! 抵抗しなければ……」

 リシュワは無視した。
 強力な左の脚力で飛び込み、殺意を燃えあがらせて左腕を魔道士へ向ける。
 まだ手が届く距離ではなかった。魔道士は油断していた。
 しかしリシュワが肩を振るうと、鉤爪のついた左腕はぐんと、数メートルの距離を伸びる。
 人間にはありえない、寄生肢の特殊能力だった。

 リシュワの鉤爪は、魔道士の顔半分を吹きとばした。
「ぐぁぁっ!」
 魔道士が悲鳴をあげて倒れる。
 魔道士の攻撃法、回転する岩石がリシュワの左腕を巻き込み、枯れ枝のように折った。
 左腕をもとの長さに戻そうとしたが、うまくいかない。
 岩石に打たれて、寄生肢の脳が死んでしまったのかもしれない。

 コドン戦士がリシュワの左腕へ剣を振るった。
 伸び切った寄生肢が切断される。
 これでまた寄生肢を失った。ラーヴ・ソルガーがうるさいだろう。

 リシュワは右腕の剣を掲げて、コドンとの距離をとった。
 リシュワの身長は百六十センチ、対するコドンは二メートル半。大人と子どもどころではない差がある。

 離れたところで産獣が唸り声をあげていた。
 大丈夫だ。産獣一匹くらい、レオネはなんとかする。リシュワはコドン戦士に意識を集中した。

 コドン戦士は漆黒の肌同様、黒一色の目をリシュワに向けた。歯だけが白い口を開く。
「新鬼人よ、我らと来い。今回の殺人は不問に付そう。いまの主はおまえたちを間違った道へ導くだろう。我々にも産獣師(ゾーフォロシスト)は何人もいる。おまえたちの世話はできる」

 リシュワの頬がひきつる。
 この申し出を受けいれられたら、どんなにいいだろうか。
 ラーヴ・ソルガーに仕えているより展望がありそうだった。
 しかしラーヴ・ソルガーはリシュワたちの命を握っている。
 一言漏らすだけで、いやそれどころか一思念を飛ばすだけで、
 脳のなかのレジレスがリシュワたちの命を簡単に奪ってしまうのだった。
 残念ながら、このコドンには従えない。

 コドンは鉄板のような剣を両手で構えながら、油断なく言った。
「新鬼人は貴重だ、殺したくはない。己の幸運をかみしめて……」

 リシュワは左足に命じて素早く跳躍した。コドンの身長より高く飛びあがり、一気に剣を振り下ろす。
 コドンの剣がリシュワの一撃を受けたが、力が足らなかった。
 受けの剣を押しきって、兜ごと頭を叩き割る。コドンは頭を花弁のように開いて絶命した。大の字に倒れる。

 これで終わりか。

 リシュワは油断なく周囲を見回した。動くものはない。
 森林の一画は静まり返っていた。
 レオネはどうなったか。
(レオネ、そっちはどう?)
 レオネの肉声が聞こえた。
「姉さん、ちょっと手伝って。こっち」
 リシュワは声のほうへ走った。

 藪を抜けたむこうにレオネと産獣が転がっていた。
 産獣はレオネの腹に食らいついたまま絶命している。頭を細剣がまっすぐ貫いていた。
 鋭い牙がタガネのようにレオネの腹に食い込んでいる。
 ひとりではうまく抜け出せなくなっているらしい。
 レオネの短い金髪には返り血の赤い斑点がついていた。
 以前の姿を留めているのは、レオネの場合、この金髪と緑の瞳くらいのものだった。
 移植された新器官の影響で、顔も四肢の皮膚も、蛇のような肉管に覆われている。
 しかし、この肉管がレオネに凄まじいまでの再生力を与えているのだった。
 だから、レオネの胴体が凶悪なあぎとに挟まれていても、リシュワは慌てなかった。
 このていどの負傷、レオネにはなんでもない。

 レオネは地面の上から見上げてきた。
「外すの手伝って」
 リシュワは剣を収め、レオネの背中側から産獣のあごを引っ張る。レオネは両手で、産獣の上あごを押した。
 湿った音を立ててあごが開き、レオネは転がりでた。
 腹からだらだらと血が滴る。

「う、くっ、うぅぅん……」
 レオネは四つん這いでしばし唸った。苦しげだが、それだけで出血が止まる。
 ほんのひと呼吸の間で、レオネはすっくと立ちあがった。
 肉管の浮きでた手で髪をかきあげる。
「ふぅ。痛かったけど、すぐ治まるだけ生理痛よりまし」
「こっちはまた片腕を失ったよ」
 リシュワは肘から先が消えた左腕を引っ張った。
 リシュワの血から養分を吸っていた吸着口が、力なく剥がれる。
 寄生腕はすっぽりと抜けた。完全に死んでいる。
 リシュワの生来の腕、肘より上でなくなっている丸い断端があらわになった。

 寄生腕は死んでしまったが、覆っている装甲は再利用できる。持って帰らねばならないだろう。
 コドン戦士の鎧と剣、人間魔道士の鎖帷子も貴重な金属資源だ。リシュワとレオネの武装に変わる。
 すべてのものを運ぶには、工房から荷車を持ってこなければならない。
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