運命の番ですが、俺が決めます

ふき

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運命の番ですが、俺が決めます

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運命の番なんてくそ食らえだ。


舗装された道の溶けた雪を踏みつける。
早く、早く帰らないと。
息が荒くなるのも気にせず、坂を駆け上がり、宿屋の一室へと飛び込んだ。
どくどくと心臓が脈打つ。ぎゅっと胸を掴めば服の上からでも鼓動を感じられた。

「ヴィルヘルム、そろそろ諦めもついたか?」

低く周囲を支配する声。逃げたはずの姿がそこにあった。

「……ルーファス…」
「なぜ逃げる。こんな荒屋なんかよりもずっといい暮らしができるというのに」
「…半月前も同じことを言っていた。学がないのか?」

ぴくりと形の良い眉が動く。そしてわざとらしくため息をつく。
行動ひとつ取っても、嫌味なほど整っている。

「はぁ、君も強情だ。一度は許した。だが二度はない。一緒に帰って貰う」
「お前の許しをなぜ乞わなくてはならない。俺はここで…生きていける」

目の前の男から逃げて半月。王都から離れた山の麓にあるこの街は、俺にとって救いになっていた。

「ふっ、君にも可愛いところがあるのだな」
「何が言いたい」
「君は私の作る檻は嫌だと言う。だが、この半月がそうでなかったと本当に思っているのか?」
「まさか…」
「…さてな。どちらでも同じことだ、ヴィルヘルム。君は俺の運命なのだから。逃げられはしない」

あっという間に距離を詰められ、手が伸びる。身体を捉えられ、目蓋に手を当てられると途端に眠気に襲われる。

「お休み、ヴィルヘルム。良い夢を」
「…心にもないこと…を言うな」

意識は暗闇へと落ちていった。



―――――



起きなくては。
そう、騒ぎ立てる声を無視しようとする。するとそれはどんどんと大きくなっていった。煩わしくなった声に従って目蓋を開ける。

「うわっ」
「生きているのか」
「なんだよ。いくら運命とやらに飢えているからって、寝込みまで襲うほど飢えていたのか?」
「君は死んだように眠る。お陰で生きているのか気になった」

目蓋を開けると、そこにいるのは眠らされる前に見た顔だ。
寝起きでぼやつく頭が、急回転していく。

「…死んでる方がお互いのためかもな」
「何故?」
「……アーシェ姫との婚約も戻せるだろ」
「面白いことを言う。アーシェ姫との婚約が破棄されたのは国政の結果だ。姫を望んだものが私よりも条件がよかった」

冷たいと称されていたアイスブルーの瞳が俺を捉える。
俺を見るそのときだけ、熱に魘されたようになる瞳が苦手だ。

「だとしてもゴシップ紙では堂々と書かれてたぜ。あのルーファス・フォン・ノルトハイムに決断させたオメガは一体!?ってな」
「何の決断をさせたかを具体的に書かないのが、実にゴシップ紙らしいな。君はそれを信じたと?」
「そうだ。ゴシップ紙なんかに踊らされるようなオメガなんて捨てた方がいいぞ」

近づいていた身体が離れる。じり、と首筋がざわついた。
ああ、本当に。離れるだけで求めるこの身体が嫌になる。
重たい身体を引き起こす。

「ただのオメガならそれもいいだろう。けれど君は私の運命だ。ゴシップ紙如きで手放すわけがない」

氷の侯爵閣下とまで書かれていた男が、歌うように高らかに話す。
まるで、出来は悪いのに顔だけはいい舞台役者だ。

「……貴方の運命なんてどこかに捨て去りたかったですよ、閣下」

首筋をなぞる。消えない凹凸。
そこには抜け出せない刻印があった。

「だが、君と私は出会った」
「……お前が出会ったのは運命だ。俺じゃない」
「一緒だろう?」
「違う」

事も無げに言う姿に食うように返すと、ルーファスは肩をすくめた。

「君も起きたばかりだ。お喋りはここまでにしよう」
「…」
「念のために言っておくが、逃げ出せば君の家に手を出す」
「……そんなこと言わなくても逃げない」

あの一度が、最初で最後の賭けであり――最も勝率が高かった。
それが失敗したのならもう二度とない。

「その言葉を信頼できるほどの関係が君とは築けていないだろう」
「…っ」

キッと睨む。
ルーファスは、話は終わったと言わんばかりに背を向ける。
扉がパタンと音を立て、閉じられた。


「はぁ」

静かな部屋では溜め息が大きく聞こえた。
身体に掛けられていた布を触れると、平民では到底扱えることのない滑らかな質感。
その感覚に、あのゴシップ紙を思い出す。

ルーファス・フォン・ノルトハイム。
ノルトハイム侯爵家の当主。
見たものを凍りつかせる程の冷めたアイスブルーの瞳に、白銀の髪。彼を見て振り向かない女はいないとまで言われる美貌を持つ。
天は彼に何物を与えるのか。
アルファとして産まれた男は、魔道に長け、十五で初陣を飾った戦では我が国を勝利へと導く。
また、王太子殿下の友人とも、臣下とも言われ、政治から明日の天気まで多岐にわたる相談相手としても絶大な信頼を持った。
彼なしでは我が国は立ち行かないと、アーシェ第三王女との婚約が成されたのは随分前の話だ。

もう一度溜め息が漏れる。こんなことがなければ近づくことすら許されない雲の上の人だ。
先ほど言っていた脅しを実現できる地位も権力もある。俺の家程度の商家なら、目線一つで潰せるだろう。
ぐっと唇を噛む。血の味が舌を刺激した。

「本当に最悪だ…」

あの男と出会ったことも自分の身体も全てが最悪に噛み合う。
心なんて無視するどうしようもない衝動。
あれは、運命だと呼ぶのかもしれない。
それでも、運命なんてものに翻弄される者になりたくはなかった。

手のひらを見る。指は荒れていて小さな傷がある。商品や紙に触れたときに出来たもの。不注意で出来たものも多いが、それでも俺の生きてきた証だった。

「商売は知るところから始まる…」

『相手を知らなければ、欲しいものも分からない。だから寄り添うんだよ』そう言ったのは祖父だった。
根っからの商売人ではあったが、商売の矜持としていつだったか語られた言葉だった。


ルーファスはお客様ではない。
その考えに従ってどうなるかも分からないし、知りたいことなんてない。けれど、俺にも譲れないものがあって、あの男にもそれがあると言うなら――

「知らなければならない」

拳を握る。どうせ、逃げられないんだ。
自分の環境を良くする努力ぐらいはしなくては、そう決意して寝台へと倒れ込んだ。



―――――



そう決意してから一週間。
ルーファスは俺のもとを訪れなかった。
現れて欲しくないときには現れる癖に、現れろと思うと出てこない。出端を挫かれた気分だったが、相手はあのノルトハイム侯爵閣下だ。平民には知れないほど忙しいんだろう。
言い様のない気持ちが沈んでいくのを感じた。

ルーファスがいない間の俺といえば、用意された檻の中で漫然と過ご…すわけもなく。
情報はそこらへんにも転がっていると、屋敷の至るところに出入りしていた。
だが、使用人には相手にされず、けんもほろろな結果だった。
考えてもみれば侯爵家の使用人たちは、どういう立ち位置であれ貴族なのだ。相手にされなくても仕方ないというもの。
後は出入りの業者や庭師あたりが考えられたが、庭園へ出ることすら許されなかった。
暴れてもいいが、どう考えてもマイナスでしかないので却下と、与えられた部屋で考える。

元々取れる手は少なく、目的が来ないためやっているだけだ。
商売の信頼は長い時間を掛けて獲得する。うまく行かなくてもそんなものだ。
そう思っているはずなのに、机を指で叩くのを止められない。カツカツと音が部屋に響く。
何故こんなにも落ち着かない?
実家でオメガだと分かって、仕事から外されたときだってこんな気持ちにはならなかったというのに。

「…っ」

屋敷の中にある図書室に駆け込む。第二次性について…。その本を探し読み始めた。
第二次性の知識なんてものは一般的なものしか知らない。アルファ、ベータ、オメガが存在し、強く惹かれあう二つがある。
特に強く惹かれ合うものを運命の番と呼ぶこと。
ぺらぺらと流し読みしていると目的の文章にたどり着く。指で下線のようになぞりながら読む。

「…本当にくそったれな性だな」

運命の番となったアルファとオメガは、一般的に長い期間離れられない。離れることで精神が不安定になることが多く、結果としてそれが強く求めあうことに繋がっているとされている。

その記述に本を叩きつけたくなる。そんなことをしても何も変わらないというのに。

この気持ちは現状が上手く行かないことからではなくて、ルーファスに会えないことから産まれているとでもいうのか。
そんなはずはない、そう思いたいのに呼吸が乱れる。
あの溶けた氷のような瞳が頭を過る。
それだけだというのに、乱れるこの気持ちが少しだけ平静さを取り戻していく。

「くそがっ…!くそっ、くそ…。なんでこんな…」

これでは俺があの男を求めているようだ。足元から血の気が抜けていくような感覚。
積み重ねも気持ちも何一つない男を、ただ運命の番になったというだけで、拠り所にしないといけないという事実がそこにある。

「なんで、こんな…」

手のひらを見つめる。強く握ると、傷なんて隠れてしまう。そんな当たり前のことが嫌になって仕方がなかった。



―――――



コンコンと短く扉を叩く音が鳴る。反応しないでいると扉が開き、人の気配がした。その音に鼓動が跳ねる。
飯を届けに来る使用人か?と思うのも一瞬で、自分の反応にすぐ気付いた。

「君は私のことを聞いて回ってると聞けば、急に部屋に引きこもる。まるで天気のようだ」

その声は少し前なら望み、今では近づきたくなくなった男のものだ。

「うるさい、近づくな」
「…随分な反応だ。この間も友好的ではなかったがそこまでではなかった」

靴を鳴らす音が近づく。運命だなんだと言うが、俺の話なんて聞きやしない。違う。気にして欲しいわけではなくて。
いつもに増してぐちゃぐちゃな気持ちに全てを投げ出したくなった。
布が擦れ、寝台に新たな重みが乗っかる。

「近づくなと言った」
「何故だ?」
「お前がいないと不安になる。隣にいて欲しくなる。お前がいるとそれがなくなる」
「運命とはそういうものだろう。私も同じ思いだった」
「…っ、俺はそんなの嫌だ!運命になったからと言って、何故お前を求めなくてはいけない。こんなことは気持ち悪くないのか…?」

被っていた布を払いのけ、寝台にいる男を睨み付けた。

「どうしてだ?君は私の運命なのだから。そうなるものだ」
「…運命。運命ならお前は俺が何をしても受け入れると」
「君が望むなら」

まただ。その瞳。熱に魘されたようなアイスブルーがさらに熱を持つ。
俺にはそれが恐ろしくてたまらない。運命であればなんでも受け入れるというその姿勢が理解出来ずにいる。

「それは俺が望むからでなくて、運命とやらが望むからだ…」
「そこに違いはないだろう。君が運命の番で運命の番は君なのだから。君も感じただろう」

運命の番。あの日、出会ってしまった俺たちはそう名付けていい関係なんだろう。
オメガという割には発情期も薄く、薬でどうにかなる程度の俺がこの男の姿を見ただけで感じた。
魂が震えると恐らくこういうことなのだろうと。誰も触れて欲しくないと思っていたところに触れられ、噛まれても尚、その心は歓喜に溢れていた。

「……運命だとして、それでも分かり会えないなら俺には運命なんていらなかった…」

小さく呟いた声に柳のような眉が動く。

「私には何故そこまで運命を嫌がるのか理解できない」
「俺には…何故そんなにも受け入れられるのか分からない」

言葉が続かない。ルーファスも同じようで珍しく黙り込んでいた。

「私には母がいた」

何を言い出すかと思ったらそんな言葉で、下手くそな切り出し方だなと思った。

「母は…父と婚姻する前に運命の番に会っていた。どうしようもなく惹かれていたが、その番は母と結ばれるような身分の男ではなかったらしい」
「……」
「運命の番と結ばれなかった母は私を産み、妹を産み、枕元で常にこう言っていた。運命の番に会ったときの導きは忘れられないと。おかしいとは思わないか?母は隣国の侯爵家の血筋。そんな人がいつまでも、父よりも持つものがない者に囚われている」
「…それで?」
「…それで…そうだな。そんなに良いものなのかと思った。」
「…運命の番が?」
「ああ。何も持たない男でも、運命であるだけで求められる。それは私にとっては幸いに見えた」
「ルーファス・フォン・ノルトハイムは持っている男だろう」
「そうだな、他人にはそう見えるだろう」

ルーファスは俺を見ていなかった。それは初めてのことだ。

「だが私はそう思わない。魔道に優れるからと戦場に立ち、相談役なんて言われるがただの話し相手だ。できるからしていること。こんな男のどこに中身があるのか」
「……」
「だから運命の番と呼べる相手だけは…」

長い睫が影を作る。この先に言葉はなかった。

「…俺はルーファスを知らなかった。いや、そうだな。決めたはずだったのに知らなければならないと…」
「君が?」
「昔、祖父に言われた。知らなければ商売は出来ないと。だからルーファスのことも知らなければと思った」
「…知った結果は」
「…足りないだろ。こんなこと一つでは。年も産まれも考え方だって違う。今ここで俺が受け入れられない理由を語っても何も変わらない。知識が増えるだけだ」
「……」
「だから…理解できるように…。いや、お互い考えを受け入れられるように触れあうしかないだろ」

腕を伸ばして、ルーファスに触れる。

「心臓?」
「ばか、心に決まってるだろ」

察しの悪い男に笑う。そういえば久しぶりに笑ったような気がした。

「具体的にはどうすれば」
「…それは、まあ一緒にいるしかないんじゃないか?」
「君は嫌なのでは」
「嫌なのはルーファスをなんとも思っていないのに、いないと不安定になるこの身体だ。……そういうものだと思って受け入れるさ」
「君は割りきりがいい。私が言うのもなんだが、異常なほどだ」
「…商売人だからな。決断と支払いは即決に限る」
「そういうことにしておこう」

触れていた手を下ろそうとすると、何故か手を取られる。

「なんで手を握る?」
「私がいないと不安になると言っていた。私も君がいないと情緒が安定しない」
「別に握らなくてもいいだろ」
「決断と支払いは即決なのだろう?今だけはそういうものだと思って受け入れなさい」

空いている手で目元をなぞられる。突然のことに派手に跳び跳ねてしまう。

「ふっ、君は猫のようだ。隈が酷い、このまま寝た方がいい」

そのまま、眼を手のひらで覆われる。それはいつの日かのようだった。



―――――



夢を見る。あれはオメガだと判明した頃だ。

「は?俺を外すだと?」
「お前がオメガだと分かった以上、貴族向けに席を置くわけにはいかないだろ…後継者からも外れる」
「ふっざけんな!」

神妙な顔をして椅子に座る親父に掴みかかる。

「俺がどんな思いでここまでやってたと思ってる!たかがオメガだと言うだけで…!」
「ヴィルヘルム。分かるだろう。たかがでないことぐらい…」
「……っ、くそ!」

親父の言葉に返す言葉が見つからなくて、部屋を飛び出す。
そこは真っ暗闇で、昂る気持ちに反してふわふわと意識が浮上していった。


目を開ける。視界に広がるのは今まで見たことのない天蓋の裏だ。

「どこだ?」

何か嫌な夢を見た気がするがなんだったか思い出せない。気分は落ち込むのに頭は妙にスッキリとしていた。ふわりと香る匂いは誰のものなのかすぐに分かる。

「起きたか」
「ルーファス…ここどこだ?」

窓から射し込む光が朝なのだと報せてくる。日差しを浴びたルーファスの姿は、確かに振り向かない女はいないと思わせるほど眩しく見えた。
そしてその姿に…。

「私の寝室だ」
「は?なんで、急に。今までの部屋でいいだろ」
「こちらのがお互い過ごしやすいだろう」
「……嫌だ」
「何故?」

ルーファスが首をかしげる。何故もくそもあるか。

「ここは居心地が良すぎる。お前の匂い、存在、全てがある」
「君にはそれがあった方がいい」
「そうだ。だから嫌だ。ここにいれば必ず、俺はお前を許せる存在になる。お前から贈られるもので生きることに違和感を感じなくなる。それが嫌だ」
「…君の言うことは難しいが、意味だけは分かる。それでは一緒にいるとは?」
「同じ空間にいる時間を増やしましょうねの意味で、ずっと一緒にいようねの意味じゃない」

はぁと、男にも聞こえない程の小さなため息を付いた。

「同じことでは?」
「一、二時間意見交換するのと、四六時中一緒にいることを一緒にされてたまるか」
「なるほど。君と会話するときは前提条件をしっかり話し合った方がいいな。相違が生まれる」
「じゃあ…前の部屋に戻してくれ」
「却下だ」
「…何故?」

ルーファスと同じ言葉を返してやる。

「君の症状と私の症状を医者に伝えたら、一週間程は一緒にいた方がいいと言われた。番になって一月程、本来ならようやく蜜月も終わる頃だというのになんとやらと説教までされた」
「……その医者呼べ。俺が話をつけてやる」
「あの狸爺の良く回る舌には君でも勝てない。止めておいた方がいい」
「俺のが勝つに決まってるだろ」
「はぁ。とにかくだ。少なくとも一週間程はこのままだ」

ため息付きたいのは俺の方だが。なんだその聞き分けのない子供を相手しているような態度は。
じとりと立っている男を見つめる。

「君はルーファス・フォン・ノルトハイムがこの国から失われていいと?」
「そ、んなこと言ってはないだろ。というか、お前自身の価値を持ち出すのはズルいだろ。中身がないはどこに言ったんだよ」
「私は、私の中身がないと思っているが結果だけはある。それは変わらない」
「屁理屈だろそれ」
「さてな」

ルーファスが一呼吸置くと、パンッと短く手を叩く。

「ひとまず朝食にしよう」

この部屋で誰よりも素直な俺の腹が鳴り始めた。




そんなこんなで同じ部屋にいる。
四六時中ベッタリとくっ付けれるのかと思っていたら、嫌だと言ったのが伝わっているのかほどほどの距離があった。

「なあ、仕事はいいのか?忙しいんじゃ…?」
「平時であれば、あまり私を必要としない。陛下にも許可はいただいている。君が心配することはない」
「そうですか…」

遠回しの仕事行けよは伝わらなかった。
寝台から少し外れたゆったりとした椅子に座るルーファスは本を読んでいる。何の本かまでは見えないが分厚い本だ。

「何の本読んでるんだ」
「魔道理論についてだ」
「才能があるからやったって言ってたけど学ぶぐらいには好きなわけ?」
「……」

本を読む指が止まり、考えているようだ。真面目な男だ。ほどほどというやつができないタイプなんだろう。

「好みで考えたことはなかった。魔力が扱えて魔道理論が理解できた。あの頃は今よりも教育形態も曖昧で、若くても魔道が扱えるならばと戦場に立った」
「……」
「人を殺して持て囃された。帰国して、魔道理論を読み漁った。こんな使い道があったのかと。人を活かす、救う。それができる方が持て囃されるべきだ」
「…それで今も読むのか?」
「言われてみれば嫌いではないのだろう。たまに頼まれて教鞭も取る。間違えたことを教えるわけにはいかない」

やっぱり真面目な男だ。それもくそが付くほど。

「ヴィルヘルム。君は何をしていた?」
「調べたんじゃないのか?」
「知識だけでは意味がないんだろう?」
「…それはそうだな。俺は、まあご存知の通り。この国でそこそこの商家に産まれた。気付けば周りには商品があって、お客がいた。オメガだと分かったのは十五の頃だ。ルーファスが戦場に立ったのと同じ年だな」
「平民は第二次性の検査はしないと聞くが」
「金もかかる上に結果はほぼベータだからな。俺はそのころ貴族向けの店舗にいたから間違いがあってはいけないと調べたら……アウトだった」

あまり他人にこの話はしない。ベータばかりの平民には理解されないし、話の種にしたって下世話な方にしかいかないからだ。

「それで平民向けに回されて、自暴自棄になっていたら祖父のところに追いやられて数年。ようやく戻ってこれたと思ったら、ルーファス・フォン・ノルトハイム侯爵閣下が町を視察する日だったってわけ」

ルーファスは黙り込む。ようやく少し分かってきた。この男は適当なことが言えない。だから言葉一つに考え込む。話すのが早いのは情報かルーファスの中で決まりきったことだけだ。

「君は戻ってきたことを後悔しているのか?」
「後悔?……そうだな。後悔して巻き戻るなら、俺はあの日近づかないことを選ぶだろうけど…」
「……」
「実際は後悔しても変わらないからな。だから別に後悔はしてない」
「そうか。君の言葉は良く分からないことが多いが…でも熱がある」

分かったと思ったことが、すぐにひっくり返される。

「はぁ、そうですか」
「…それは好ましく思える」
「は…?」

コンコンと扉を叩く音が会話を遮る。

「すまない、少し席を外す。そういえば君も読みたいものがあれば持ち込むといい」
「ああ、うん。そうする…」

どういう意味?
突然、俺自身に向けられた言葉が頭を占有する。好ましく見えるとは?
考えれば考えるほどに、自分の気持ちと事実がこんがらがる。

「本、借りにいくか…」

思考を放棄して、ルーファスの匂いが満ちる部屋から飛び出した。



―――――



気になる本をいくつか拝借して図書室を出る。前は目当てのものに一直線だったが、こうして見るとさすがは侯爵家といった本の貯蔵量だ。
まだまだ気になる書棚はあったが、好奇心を抑えていた。

長い廊下を歩く。外は既に陽が落ちかけているからかランプに火が灯されていた。

「何度見ても良いランプ使ってるな」

目線と変わらない位置にある壁に付いたランプをまじまじと見つめる。
決して最新のものではない。色はくすんでいるがそれが良い味を出していて、細かな装飾は職人の技を感じる。

「…良いな。本当に」
「何がだ?」
「っうわ」

突然の声に振り向けば、いなくなった男の姿だ。
別れる前に言われた言葉を思い出してほんの少し坐りが悪くなる。

「帰ってきてたのか」
「先ほどな。聞けば君がまだ図書室にいるからと、こちらに来てみればランプを見つめていた」
「…良い品だと思って。流行りのものでないけれど、品がある。それに質も良い。こういう品を扱いたかった」
「調度品が好きなのか?」
「まあ、そうだな。…平民はこういったものよりも暮らしに合ったものを好む。それは悪いことじゃないが俺の趣味じゃない。そうやって少しずつくさくさしていったってわけだ」

そっとランプの装飾に触れる。冷たい金属に俺の体温が移っていく。

「貴族にとってはアルファやオメガであることはそうマイナスではない」
「だろうな」

貴族の本質はいかに資産を肥やしながら、血族を絶やさないようにするかだ。
そこに本人達の意思はないが、アルファもオメガも資産という意味では上等なものだった。

「商家の中には貴族と繋がりを望んで、アルファやオメガを差し出す場合もあるが…君のところはそうではなかった」
「…親父は優柔不断だが、それでも家族というのは大事にしていてな。貴族はしがらみが多すぎる。しがない商家の息子には、重たいから関わるのを避けたかったんだろう」

望まれれば断れない。
俺はそれを利用してまでも、やりたいことがあった。

「そこまで理解して、君は自暴自棄になったのか」
「それは俺にとって不要なものだ」

ルーファスを真っ直ぐと見つめる。その瞳は揺らいでいた。

「理解できないな。父君の判断のがまだ理解できる」
「そうか?最初から言っているだろう。俺は…俺の選択で人生を選びたい」

目線を逸らさずにいる。
知りたいと、進みたいと思うなら逃げてはいけないところだと感じた。
揺らいでいた瞳が一瞬伏せられ、小さく息が漏れる。

「…君は不自由さの中に自由を求めるのだな」
「面白い言い方だ。…これを自由だと思ったことはなかったけど…」

するりとその言葉が俺の中に収まる。それはとても心地良さを覚えた。

「…君なら収蔵室も楽しみそうだな」
「収蔵室?」
「ああ、不要な調度品など納めている。あとは別荘なんかにも置いたままのものがあるな」
「見たい」
「別荘は難しいが、収蔵室なら明日にでも」
「…俺、初めてルーファスの番で良かったと思った」

軽い言葉にルーファスは呆れたように肩を竦める。

「君の機嫌を取るときは、骨董品でも持ち出すこととしよう」




ルーファスの寝室に戻ると、食事が用意されていた。
少しだけ慣れた侯爵家お抱え料理人の作るディナーに舌鼓を打つ。腹が満たされたと思えば風呂に案内されて使用人たちにピカピカにされる。
平民の俺からすると洗われるというのは慣れないが、拒否をしようにも相手は女性だ。傷付けてしまうんじゃないかと思うと黙って洗われるしかなかった。

不機嫌さを丸出しのままに帰ると、本を読んでいたルーファスが顔をあげる。

「丸洗いされた猫のようだ」
「うるさい」

くっくっと低い声を詰めて笑っている。なにがそんなに面白いと言うんだ。

「女性に洗われたら拒否できないだろう。傷付けそうだ」
「彼女たちはそんなに柔ではないが」

そう言いながらまた短く笑う。氷の侯爵閣下をここまで笑わせる人間も早々いないのでは?と思うが、腑に落ちない気持ちになる。

「……もう、寝る」
「そうか。君は寝台で寝るといい」
「ルーファスは?」

広々とした寝台で二人寝てもなんら問題はないが、心情的には問題がある。

「私は椅子で寝る」
「……」
「不満そうな顔だ。同衾は嫌だろう」
「そりゃあ…嫌なんだけど」

だからと言って家主を追いやるものおかしいものだ。

「俺が椅子で寝て、ルーファスが寝台で寝ればいいんじゃないか?」
「私はまだ起きているし、余計なことは気にせずとも慣れているから問題ない」
「そうかもしれないんだけど…」

自分でもなにがこんなにも引っ掛かるのか分からないが、ルーファスを椅子に寝かすことに止めたくて仕方がない。

「あ!じゃあ、端と端なら?大きいし平気だろ」
「はぁ。君は本当に…いや、分かった。それで良いから寝るといい」

ルーファスの目線は本に戻った。
それを見て、寝台に自分の身体を滑り込ませた。端で寝台の中心に背を向けて丸くなる。
するとすぐに眠気が襲ってくる。ここに来てから寝てばかりいる気がするな。
そういえば番ができたオメガはできる前よりも睡眠時間が増えるとか増えないとか、そんな話をどこかで見たような気がした。


「…ヘルム」

声が聞こえる。誰の声かは分からないけれど、心を波立たせることのない声だ。

「ヴィルヘルム、起きてくれ」
「んっ……?」

起きろと聞こえた気がするので目蓋を開ける。
目の前には布に包まれた壁にがある。それと温もり…一体?

「起きたか?」

頭上から聞こえる声は、眠気半分に聞いたものと同じだ。
誰のものか気付いて瞬きを数回した。

「ルーファス…なんで?」
「私はなにもしていない。この通りだ」

軽く上を向けば、ルーファスの両手は顔の横にある。

「気付けばこの状態だった」

そこはルーファスの胸の中で、ぎゅっと服を掴んでいる。俺が自分から?パッと指を離す。

「お、俺は別に…」
「落ち着け。誰も責めてはいない。」
「でも俺は、俺は?なんで?」

ぐるぐるとなんで?どうして?が駆け回る。考えても答えは出なくて、心がざわつく。

「ヴィルヘルム」
「…ルー、ファス」
「ゆっくりでいいから呼吸しろ。なにも考えるな」

言われた通りに息を吸って、ゆっくりと吐く。それを何度か繰り返すと頭がはっきりとしてくる。

「…ふぅ。悪い、迷惑かけた」
「大したことではない」
「くっついたままだな、離れ…」
「このままでいてくれないか?」

ルーファスの腕が俺の身体を回る。触れない距離だ。後ろに下がれば逃げられるのに、そのまま従ってしまう。これは運命だからか。それとも…。

「な、なんで…」
「君に近づかれている間、考えていた」
「…何を?」

下を見る。ルーファスの顔を見れる気がしなかった。

「何故、君に近づかれてこんな気持ちになるのかと」
「……」
「運命だからか、君だからか。答えは出なかった。けれど…」

手を握る。落ち着いた気持ちがまた荒ぶるようにどくどくと脈打つ。

「君だから、抱きつかれて嬉しかったのかもしれない。だからもう少しこのままでいてくれないか」

どんな顔をして言っているだろうか。その顔が気になるのに上げられない。見てしまったら全てを許したくなる。
では離れたいのか。それはもう答えが出ていた。

「…そうか、ありがとう」

低い声が響いて、回っていた腕が解かれた。



―――――



逃げ回っている。
誰からといえばルーファスで、何故と聞かれればわけが分からないのに流されてしまいそうになるからだ。

何がといえば、この前の寝台でのことだ。
冷静になればなるほどに、あの行動の意味が分からなかった。

「はぁ。頭が爆発しそうだ」

ルーファスのところで寝ていたのは、運命の番とやらを求めた結果で答えが出せた。納得できないところもあるが一旦これでいい。
けれど、その後だ。あの日の選択を思い出す。
あのままでいいと俺は許した。なんで?目も冷まして、落ち着きはじめた頃だ。
何故、俺はいいと頷いたのか。
あれから数日経っても、答えは出ないままだ。
 
逃げ回っているのは、ルーファスにバレているだろう。目線を合わせるように、会話してた男が急に逸らすようになるんだから。

書棚の本を眺めていく。
先日見たときは宝の山に見えた書籍も、今はそれを考える余裕がない。
借りていた本を元の場所へと戻していく。

「……極東のやつは…」

目の前か。一冊分の隙間に本を戻すと、背表紙が綺麗に並ぶ。それに僅かな満足感を覚えた。
後は…と、残りの本を確認しようと目線を落とすと影が出来ていた。

「え?」
「ヴィルヘルム」

低い声が聞こえ、後ろから圧を感じる。振り向くことも出来ない。

「…ルーファス、また呼ばれていたんじゃ…?」
「大した用ではない」
「そ、そう。近いから離れてくれないか…?」

密着といってもいいほどの距離。吐息まで分かる近さだ。

「あのときと同じぐらいの近さでは?」
「そ…そうだったか?」
「…君が頷いてくれて、少し近づいたように感じた」
「ひっ」

耳の裏に触れる感触に、ぞわぞわとした感覚が駆け抜ける。なんだと思って横目で見れば唇が当てられている。

「ルーファス…本戻したいから」

横にズレようとすると、腕が伸びた。ルーファスの手が並んでいた背表紙を隠す。

「…っ!」
「ヴィルヘルム言っただろう?逃げるなら…と」
「逃げては、っないだろ」

ちょっと避けているだけで、とは言えなかった。
アイスブルーの瞳がじぃっとこちらを見ているのが分かる。
まるで獣が獲物を狙うようだ。

「ではこの状況はなんだと?」
「それは……ひぁっ!」

答えられない罰のように項を舐められる。熱い舌が噛み跡を這う。

「る、ルーファス…やめ、んっ」
「嫌だ」
「…っあ、……かま、噛むなぁ…っやあ」

皮膚を食むように噛まれるたびに力が抜けていく。バサバサと本が床に落ちるが、ルーファスは止まらない。

「ほ、ほんっ…だめ…、っひん」
「いい匂いがする。ヴィルヘルムの…」
「あっ……んぁ…ルーファス、っやだ」

鼻を抜けていく匂い。部屋でよく嗅ぐそれよりも濃厚で、嫌だと思う気持ちが奪われていくようだ。
気付けば、ルーファスの腕が身体に回ってて囚われていた。
なんで、なんでこんなことに。薄れていく理性で考える。
元を辿れば俺が悪いのか?考えたいというだけなのに、伝えられない俺が悪いと?
そんなことは知るか!

ガンッと、必死に集めた理性で、勢いよく頭を後ろに叩きつけた。

「いっ」
「…っ、ヴィルヘルム?」

身体を反転させて、額を押さえて間抜け面した男の顔を見る。

「俺は今お前の事を考えてるの!わけわかんないの!お前は近付いたからよし!かもしれないけど俺はそうじゃないわけ!……っバカ!」

一発殴ってやりたくなる衝動を抑えて、図書室から飛び出る。
廊下を走り抜けていく様に、使用人たちが振り返るのが分かった。





勢い余って庭園に出てしまったのに、誰にも止められない。
冷たい風が顔に当たって、熱くなった身体を冷やす。それが心地よかった。

庭園は周囲に誰もいないのと空気の冷たさもあって、一人取り残されたような気持ちになる。

「はぁ」

吐いた息は白い。このまま寒くなれば雪が降りそうだ。
屋敷から離れるように歩いていると、ガゼボが見えた。公園でしか見たことないような立派なものがこの庭にはある。
近付くと案外小さかったが、上から降るものぐらいは防げそうだ。
ここなら頭冷やして、考え事するには丁度いいか。
太い柱の横にそっと腰かけた。

「…まず、さっきのは俺は悪くない」

一瞬、流されかけたが俺は悪くない。悪かったとしてもあの暴挙でチャラになるはずだ。

ふんっと吐き捨て、項を撫でる。強くは噛まれなかったが…。

「これは嫌だったか?嫌、…まあ嫌だけど。でも気持ち悪いからじゃない気がする」

どちらかといえば、そこに気持ちが追い付かないからだ。後、普通に怖い。

「今まで俺は何が嫌だったか…それは…」

太い柱に頭を預ける。
何が嫌だったか。選べないこと。気持ちも積み重ねもないのに運命だからと反応する身体…。

「…気持ちがある?気持ちがあるから追い付かない…?」

言葉に出していくと整理されていくような気がした。

「既に俺に気持ちがあると仮定すると…あの寝台の件は運命だからとかではなく?いやそこまで言いきれるか?たかが一回で。でも一回は一回」

ふぅーと長く息を吐く。
何もなかった。運命だと言われて、知らぬ間に番になってろくな話もせず逃げ出した。
あっという間に、連れ戻されてほんのわずかな時間を一緒に過ごした。
そうか、一回か。

「なるほどなー。自分の気持ちって分からないものだな」

不意に空を見る。曇天が広がっていて、雪がちらつきはじめていた。
手のひらを上へと向ける。はらりと雪が皮膚の上で融けていく。

「握って開いても俺の傷は消えないもんな」

この先、別の傷がついても治って跡が消えても傷があったことは変わらないだろう。


そこから屋敷に戻る気になれなくて、ぼーとしている。雪は変わらず降っていた。

「ヴィルヘルム」
「…ルーファス」

声のした方を向けば、雪に紛れてしまいそうな男の姿だ。
寒い日だというのに息を荒げている。

「…帰ろう」
「……おう」

差し出された手を取る。俺の手よりもずっと温かかった。

握った手を離す気にならないまま、とぼとぼと後を付いていく。
見える背中はなんだかいづらそうにしている。

「……すまなかった」
「……あー、うん。いいよ」

そこにたどり着くまでに何があったのか。問い質してやることは簡単だけど、やめた。

しんしんと雪が降る中、息を吐く。

「…多分もう避けないから」
「そうか」
「うん」

強く手を握られる。冷えた手は痛みを感じなかった。



―――――



「げほっ」

あれからまた数日経って、端的に言えば風邪を引いた。
寒空の中、薄着で外にいれば風邪のひとつやふたつ。そんなわけで俺は寝台の中でひたすら寝る日々を過ごしていた。

「大丈夫か?」
「ルーファス…最初に比べれば全然」

ずるっと鼻を啜る。ルーファスの言っていた狸爺の先生から貰った薬が切れてきたのだろうか。

「食事は?」
「いらないけど食べる…」
「そうか」

ルーファスが手を叩くと使用人が入ってくる。平民で暮らしていたら殆ど見ることのないその様も、随分と見慣れた。

「すぐに持ってくる」
「うん、ありがとう…」

ぎしりと音が響くと、腕が伸びる。額に手が当てられている。ルーファスの体温が低く感じた。

「冷たい…」
「私は平熱だ。君が高い」
「頭痛い…関節痛い…」
「そうか…少し痛みを取る」

触れられたところが僅かに熱を持つ。するとズキズキとした鈍い痛みが和らいでいく。

「…痛くない」
「君は魔力に耐性がないからな。あまり使うと先生に叱られる」
「眠い…」

額を触れていた手が目蓋を覆う。それだけなのに眠気に負けそうになる。

「ご飯…」
「後でも食べられる」
「…ルーファス」
「なんだ」
「ここにいて」

すぅと眠気に意識が吸い込まれていく。

「はぁ…君は本当に…私をなんだと思って」

そんな風にルーファスが頭を抱えていることなんて知るよしもなく、意識はもう遠のいていた。



パチリと目を開ける。頭は少し重いが先程に比べればずっとマシだ。

「ふぁ」

勝手に漏れた欠伸。寝すぎて眠いような気がするな。
動かしていなかったからか軋むような身体を引き上げる。
ぐるりと部屋を見渡せば誰もいなかった。

「……」

実家にいた頃、風邪を引いても誰かに面倒を見られたという経験はなかった。
母親はいなかったし、親父は仕事。家にいる人たちは子供の世話ではなく、商会の仕事をしに来ていた。
父親の呼んだ医者に薬を飲んで寝ていれば治りますよと言われて、一人きりの部屋で寝る。
一人というのに慣れたはずだった。

「寂しい…気がする」

ぽっかりと空いたような隙間ははじめての感覚だ。
誰がいなくて寂しいと思うのか。それを選択するのは簡単に思えた。

「ルーファスがいないから…」

口に出せば実感する。いて欲しい人が傍にいないということは寂しいのかと。

「いてって言ったのに」

誰かにいてほしいと願ったのもはじめてだった。それが叶えられていない。
世の中、自分の願いが通る方が珍しい。そう思うのに寂しさとは別の気持ちがある。
今の気持ちは寂しいからだ。では何故、あんなことを願ったんだろうか。

「……分からない?いや、分かりたくない?」

それも違う気がした。その気持ちにつける名前を知らない気がした。

一人ぼやいていると扉が開く音がした。

「起きたのか」
「ルーファス」

変わらない姿を見るだけでぽっかりと空いたような隙間が埋まっていく。
なるほど。こういう感覚か。
じぃっとルーファス見つめる。

「何かあったのか」
「別に、そういうわけじゃないけど…いてって」

いてって言ったのに。その言葉を漏らそうとして気付く。これはめんどくさい人間が言う言葉では?
なんの事情があれ、俺がルーファスに強要できることなんてないのに。起きたときにいないからと恨み言を言うのはお門違いでは?

「どうした?」
「……なんでもない。…腹が減った」
「ここにある。暖めよう」

ルーファスが机に置かれた食事に触れると湯気が立つ。

「はー、魔道っていうのは便利だな」
「万人が使えなくては意味がない」
「まあそうだけど。平民は金がかかることは避けたがるからな」

貴族は嗜みとして学ぶらしいが、平民で魔道を学びたいなんてやつは変わったやつだし、実際に学べるのはよっぽどの金持ちだけだ。

「それもゆくゆく変わる」
「?そうなのか」
「ああ、それよりも食事だ」

ルーファスが寝台に乗り上げて、スープを掬った匙を差し出される。

「……自分で食べられるけど」
「いいから甘えておきなさい」

もう一度差し出される。ルーファスを見れば拒否しても引かなさそうな顔だ。
ぐぅと鳴りかけるお腹にいい匂いのするスープ。

「ほら」
「………ん」

匙を口に含む。野菜の入った薄味のスープが胃に染みわたっていく。

「うまい」
「伝えておこう」



カランと空になった器に匙が放り込まれる。

「全て食べられるなら大丈夫そうだ。後は薬だけだ」

粉末の薬と水を渡される。よく効くが、えぐみの強い苦味が襲ってくるこの薬は平民も貴族も関係なく飲まれていた。
我慢して鼻を摘まみ、薬を飲んだ。

「まっず」
「薬が美味くては意味がないだろう」
「そうだけど」

水をルーファスに返す。
こちらを見る、熱に魘されたような瞳。あんなに恐ろしかったのに当たり前のように受け止めている。
慣れたのか、それとも俺が変わったのか。

「寝るか?」
「…うーん、まだ起きてる」
「私はそこにいる。何かあれば」

定位置となったゆったりとした椅子へと座っている。ここから見る本を読む姿もお決まりのようなものだ。
アイスブルーの瞳に冷たさが戻っていた。

ふと、思う。
あのどろりとしたアイスブルーに写っているのは誰なのか。運命。それとも俺か。
どちらも一緒だとルーファスは言っていた。でも君だからとも言っていた。
今は…どちらなのだろうか。

「ルーファス」
「どうかしたか」
「…やっぱり寝る、お休み」
「ああ、お休み。…ヴィルヘルム、また熱がぶり返したのか?」
「え?」
「薬を飲んだのに顔が赤い」
「…っ、そんな早く効かないだろ。平気だから!」

寝台へと潜り込む。
この熱さが風邪でないことぐらい気付いていた。



―――――



熱もすっかり下がって、体力も戻りはじめた。
快調とまではいかないが、元気にはなったというところだろう。
心も身体も弱った中での発言、思考。どれを思い返しても本当に俺か?と自分を問いただしたくなるが、本当に俺なのだから仕方ない。

「相手を知る…」

知りたいことがあるならば聞けばいい。許される限り、そうしてきたことだ。
運命だから俺に構うのか?と。それで俺の知りたいことは知れる。だと言うのにこの先を聞くのが怖い。
意味が分からない。知らなければ、進まないというのに。

「はぁ、何が怖いと言うのか」

運命だからと言われたら、それは俺ではないように聞こえる。
君だからと言われたら…。俺はきっと、本当に俺だからなのだろうかと思ってしまう。

「安っぽい少女小説のようだ。私のこと本当に好きなの?」

感情を分解していくと、恐れていたことが一本の糸のようにほどけていく。
問えば答えが返ってくる。答えが出れば、このままではいられない。
それはルーファスからも言えるようなことだ。
運命だけではないと思うと俺が伝えて、それをルーファスは信用できるのか。
今のぬるま湯を壊せるほど、俺はなにかをしたのか。

ふっと自嘲して、本を閉じる。
俺はルーファスの運命を上手くできるのだろうか。
もう一度借りた本は、集中出来ずにいた。



「ヴィルヘルム」

肩を揺らされる感覚で目を覚ます。

「んあ…ルーファス」
「はぁ。昨日の今日で身体を冷やす真似はやめなさい」
「寝る気は全然なくて…この部屋にいるといつの間にか寝てる…」

ふわぁと欠伸が漏れる。椅子に座って、本を閉じたところまでは覚えていたが寝ていたようだ。
上を見る。ルーファスが何故か片手で自分の顔を覆っていた。隙間から見える顔は真っ赤だ。白い肌だからよく映えて見えた。

「なんで顔赤いわけ?俺の風邪移った?」
「違う。君が…ああ、もう。君は私をどうしたいんだ?」
「…どうしたいとは?」
「君は二次性の本を読んだのでは?」
「全部は見てない。あの時必要だったところだけ呼んだ」

全て読もうかと借りてはいたが、いまいち集中できない期間が続いたせいか進捗は乏しかった。

「はぁ。ではここだけ読んでくれ」

ルーファスは置いてあった本をパラパラと捲り、その場所を指差す。
本を受け取り、いつものように指でなぞっていく。

番が出来たオメガは睡眠時間が増える。個人差もあるが、それはアルファとの信頼関係により増減していくものである。

バンッと勢いよく本を閉じる。

「べ、別にそういうわけじゃ、いやそうかもしれないけど…それだけじゃないというか」
「ヴィルヘルム」

指が伸びる。俺の頬を擽るように触れられる。

「真っ赤だ」
「…い、言っとくけどルーファスも真っ赤だから」
「そうかもしれない。それで?」
「…それで、とは」
「君は私を…信頼しているか?」

触れていた指が首筋を回り項に触れる。頬と同じように擽られる。

「んっ…」
「触れられるのは?」
「…い、嫌じゃない…。ルーファスは俺が…」

瞳を見つめる。アイスブルーは俺しか見ていない。
それだけだというのに、鼓動が跳ねていく。

「俺が運命だから…そうなるのか?」

腕を伸ばすと届かなくてルーファスが屈む。
近づいた瞳。目の下に触れるとぴくりと皮膚が動く。

「……君が運命だけなら、きっとこんなにも幸せに満ちない」

触れた手を握られ、ルーファスの頬を包むように手が重なる。

「ヴィルヘルム。君が君で、君が運命と呼べるからこそ、私は今…君からの信頼が目に見えて嬉しく思う。そして君も同じであればと願ってしまう」
「…俺は、おれは…」

呼吸をする。
何を伝えたいか。ルーファスの心に何を返したいか。

「運命が求めたのがルーファスで、そこに俺の感情はなかったけど…。今は…ここにある」
「ヴィルヘルム…」

開いている手で自分の胸を掴む。自然と言葉が出てくる。

「好きとか嫌いとかよく分からなかったけど、多分これが好きってことなんだと…おも、うわっ」

強く抱き締められる。ルーファスの胸は俺と同じように鼓動が跳ねていた。

「ルーファスでもドキドキすることあるんだな」
「…君だけに決まっている」
「……俺のこと好き?」

本当に少女小説のような言葉だ。読者だったらとっくに投げ出している、陳腐な言葉。
聞くのが怖いなんて思っていたのが嘘のようだった。

「これが好きでなかったら、私が好きだと名付ける」
「ふは、いいね。俺もそうする」

身体が離れると、アイスブルーの瞳に写る俺は泣き出しそうな顔で笑ってた。

「君だけが俺の運命だ」

顔が近づいて、唇が重ねられる。触れるだけの拙いもの。
今の俺たちには似合いの口付けだった。
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