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一章 雨だれ石を穿つ
-17- 絹糸
しおりを挟む――一週間後。
蝉の声と風鈴の音が響く部屋で一人の時間を過ごしいた八重の元に、新人の女中の一人が慌てた様子で訪ねてきた。
どたどたと廊下を踏み鳴らし部屋の前まで来ると、ぎこちない動作で障子前に正座して声を掛けてくる。
「奥様! 玄関に来てください!」
つい先日から火焚家に仕え始めたばかりの新人の女中の声で「奥様」と呼ばれることに、そわそわと落ち着かない気持ちになりながら、八重は急いで部屋の襖を開けた。
「どうしたの?」
「旦那様から奥様への贈り物が届いてるんです! 早く早く!」
「……え?」
太蝋からの贈り物と聞いて、八重は聞き間違いかと耳を疑った。
大雨の災物討伐から帰ってきてからの数日間を火焚の屋敷で過ごした後、太蝋は次なる任務を熟す為に、昨日基地へ向かって行ったばかりだ。
そんな太蝋からは今日何かが届くとは聞いていない。しかも自分への贈り物だなんて信じ難かった。
きょとんとしている八重の手を握り、新人の女中はどたどたと廊下を踏み鳴らして玄関先へ向かっていく。
道中で別の女中が「足音が煩い! 歩きなさい!」と叱りつけてきても、新人の女中はまるで気にしていない。
手を引かれて小走りになってしまっている八重の方が申し訳なく思ってしまった。
玄関先に到着すると、そこには普段姿を見かけない人が立っていた。
「お、お義母さま……っ!?」
「あら、久しぶりね~。八重ちゃん」
火焚家当主であり八重にとっての義母である火焚玲子だ。
火蝶神社の近くにあると言う、別宅で過ごしている筈の当主の登場に驚いて、八重は慌てて頭を下げる。
「お、お久しぶりでございます……っ」
「も~。そんなに畏まらなくて良いのよ? 可愛い娘ちゃんのお顔を、お母さんに見せて頂戴」
「ぅ……は、はぃ……」
顎に手を掛けられて、強制的に顔を上げさせられた。
そして、そのまま当主に頭を撫で回される。
まるで飼い犬のような扱いだと八重は感じた。
しかし、当主に可愛がられていること自体は嫌ではない。
「あらやだ。私としたことがうっかりする所だったわ。八重ちゃんに会えたのが嬉しくって、つい」
当主は玄関先に置かれた箱の前に膝を着いた。
そして、両手で箱を持ち上げ、八重の目の前に運びながら言う。
「はい。これ、太蝋からの贈り物よ。八重ちゃんは見慣れてしまってる物でしょうけど」
八重は急いでその場に正座し、当主に差し出された箱を慌てて受け取った。
その箱には見慣れた家紋が描かれていた。
八重の実家である火縄家の家紋だ。既視感のある木箱は実家でよく見たものに違いなかった。
「これ……」
「開けてご覧なさい」
当主に促されるまま、八重は箱の蓋を開けた。
上質な桐が使用された箱の中には純白の絹糸がずらりと並べられて入っていた。
それを見た瞬間、八重は絹糸の美しさに目を奪われながら、脳内に浮かんだ数字に悲鳴を上げる。
「ひぃっ……! ど、どうして、こんなに……!」
「あら? 気に入らなかった? 太蝋ったら駄目ねぇ。だから、こう言うことは自分で渡しなさいって言ったのに――」
「ち、違うんです……っ! 絹糸は大好きです……っ! で、でも、こんなに沢山……!」
桐箱に入れられていた絹糸の束は約十メートルの長さの物である。
それが三十本もあれば反物を織ることが出来る。
値段にして三万は降らず、火蝶の血筋たる火縄家が作った絹糸であれば市場価値も高い。恐らく五万は超えるだろう。
確かに八重は絹糸の束が山になっている光景を幾度となく見てきた。
しかし、その分、どれだけの価格が付けられ、世に流通しているかも良く知っている。
知っているだけに三十束もある絹糸が自分への贈り物だとは信じ難かった。
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