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17. 新婚旅行④
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顔色悪く妻を時折見るジェフと、人の悪い笑みを浮かべるシャルロットの間に何があったのか聞いた者は居なかったが、二人のメモリーが増えたのは悪くない。
車の中でハンドルを握るバルカスがフロントミラー越しに夫婦に尋ねる。
「で、何が有ったのですか?」
「ジェフが言ってはいけないと言うので、秘密です」
頭皮がどんな匂いだったのかはシャルロットだけの好奇心で収めれば良かったが、無理やり嗅いで肩を震わせ始めた姿に負けて、結局本人も嗅ぐことになった。
その本人が堪らず噎せた。その後二人で笑い転げた昨夕を思い出すと今でも笑えてくる。
「でも…ちょっとだけなら言いた…ぷっ」
「だめだ!」
「んふふふふ」
口を塞がれても笑っている様子にジェフが震える。
「恐ろしい子だ。世界一恐ろしい」
「誰がです?」
「シャルロットに決まってる!」
助手席の老執事が『そんなわけないでしょう』と呆れるが、ジェフは真剣である。良い香りの香水をねだられても頭皮の悪臭を所望されたことなどモテ期にもない。
「ねぇ、もう言いませんから。放して」
「だめだ」
後部座席で肩から腕を回されて、大きな手で顔の下半分を覆われている。自然と寄り添うように座り、暫くするといい加減疲れたシャルロットは体の力を抜いて夫に凭れる。
「ワイナリーはあとどれくらいですか?」
「三、四十分だな。眠たかったら寝てもいい」
そう言ったジェフが先に目を瞑り、シャルロットも窓の景色を見ているうちにウトウトと眠った。
「なんだ、どうした。何もしなくても良さそうなくらいに見えるな」
「いや、どうでしょう? 昨夕何が? 色気の無い笑いごとに決まっているのはわかるんですが」
執事と側近が首を捻った。後部座席の二人はどうしてかくっついたまま眠っている。
「ウマが合ってる?」
「これはもう…期待しかありませんな!!」
****
広大なブドウ畑にある平日のワイナリーは数人の観光者がいるくらいで貸し切りに近い。オーナーは宰相一行を歓迎し、端から試飲させてくれる。別の大型バンで来ていたビビアンも次から次へと試飲していた。
「テルミアさん、横にはパン屋さんとレストランがあるそうです」
「ええ、昼食はその店でとります。ブドウ酵母のパンを作っておられるとか。古城からも頼まれておりますから、夕食用のパンも持ち帰る予定ですよ」
「本当ですか? それは楽しみです!」
「奥様、何か気になるものがおありでしたら、何でもお申し付けください」
「ジェフが私用にフルーティな白を頼んでおいて下さるそうですから、私の分は特には」
「さようでございますか」
微笑んだテルミアの近くにシャルロットが寄り、小さな声で言う。
「あの…日頃の寝食の御礼を込めて何か贈りたいのですが、ご自分でワインはたくさん買ってしまわれるようですし…何か他に良いものはありそうでしょうか」
「まぁ、奥様! 旦那様へ、ですか?」
「し~! そうです。始めはワインをプレゼントしようと思ったのですが。どうも端から買うくらいのペースで注文されているので」
しかもワインは目が飛び出るほど高かった。
「確かにそうですね。木箱で注文されていますし…ワインじゃないものの方がよろしいかと」
「だけど何がいいのかわかりません」
地下にワインセラーのある建物の一階は土産用のショップになっており、皆が思い思いに土産を選んでいる。贈答用のワインケースやワイン袋、ワイングラスにデキャンタが並び、壁際に並んだワインの他には冷蔵ブースがあり、チーズや乾物などが並んでいる。テルミアがそれらを眺めて言った。
「ワイングラスなど如何ですか?」
「それも最初は思ったのですが、お屋敷には既に恐ろしくお高いグラスが山のようにあります…今更グラスを贈ってもジェフに違いがあるのかどうか」
「確かになさそうですね」
「バルカスさん」
にょろりと優男が現れ、横で頷いている。
「試飲はされないのですか?」
「やはり帰りも運転しようと思いましてね。飲みません。ビビアンが代わりに飲んでくれていますから、俺のも適当なのを選ぶでしょう」
「そうですか」
「ジェフ様は殆どモノに執着しませんから。奥様、冷蔵ブースに良いものがありますよ」
バルカスが案内して指し示したのは丸くて黒いソーセージのような詰め物である。
「何ですか? これ」
「ジェフ様の好物です。フィグログと言います。イタリアの伝統菓子ですが、ワインやチーズに良く合う。量産するようなものではないので、しかも都合よく残りはひとつだ。今買ってしまえば、ジェフ様に気づかれることなくお土産に出来ます」
「へぇ! 良いですね。美味しそう」
「まぁ、バルカスさん良いチョイス。プレゼントして、ご旅行中に奥様もご一緒されると良いですね。テルミアは妄想が膨らんでまいりました」
「妄想? ではそれと、このチーズとかも一緒にします」
「きっと喜ばれますよ」
テルミアがレジへと運ぼうとするので、シャルロットは慌てて捕まえる。
「待ってください、テルミアさん! これは私がおじ…ジェフにプレゼントしたいので、自分で買います」
「奥様! かしこまりました。差し出がましい真似を…ご容赦下さいませ」
「とんでもありません」
シャルロットは自分でレジへと運び、財布を取り出す。
財布には自分のお金の残りが入っている。それは学生時代から使い古したマイ財布。美しい恰好の淑女が高級バックから取り出した、ぼろぼろの布財布であった。テルミアとバルカスが脇から発見して目を丸くする。
「おい、なんだ、あの財布は!?」
「え……わたくしも奥様がお金を払われる場面はそう言えば初めてで。し、心臓が止まりそうです」
「あの財布に金は入っているのか!? というか、奥様の自由になる金は誰が?」
「ご夫婦のお金の管理まで口を出したりお伺いしたことがありません」
「セバスは?」
「どうでしょう、聞いてみなければわかりませんね。ですがあの財布からして」
「誰も個別に渡していなさそうだな。おいおい、ジェフ様は何してる」
シャルロットはふたりの視線と会話に気づかず、じっとお財布の中を眺めた。
最後の給料をロジアンで貰ってから数か月。日頃からお金を遣う場面は殆どないのだが、時折、どうしても贈りたいプレゼントを手配して送ったり、ビビアンと街に出てお茶をしたり、チップに遣ったりしていると少しずつ減ってくる。クリスマス用にまず多めに分けてあるので、それほど優雅にはいかなかった。
契約期間がどれくらいあるのか不明だし、終わるまでにどこかで働いておかねば手持ちがすっからかんになりそうだ。期待はゼロだが奨学金が返ってくるとしても時間がかかるだろう。
(働く…だけど、どうやって?どこで働こう。外だと宰相様の妻が働いていたなんて外聞があるかしら。内職? でもテルミアさんに取り上げられそうか)
会計を終えて、他の荷と一緒に冷たい場所で保管してもらうように頼んだ。
「終わりました!」
「ええ。では奥様、ブドウ畑の散歩コースでもいかがですか? ブドウを収穫もできるそうです」
「行ってみたいです!」
「俺も行きましょう」
天気の良いブドウ畑の一画には実が成り、木々の小道を麦わら帽子を被った従業員たちが籠を持って歩いている。畑の敷地には等間隔に棒が立ち並び、ブドウの木から伸びた枝が絡みついて天然のドームを形状している。紫色の実が青い葉の間に揺れ、眩しい光が天井から差し込んでいた。
「わ…! すごく、すごく綺麗…」
「ええ奥様、綺麗ですね。絵になります」
テルミアが広げた大きな日傘に入るシャルロットは、生まれて初めて見る景色に瞳をキラキラさせた。その様子を見て、テルミアもバルカスも口角を上げる。
「私、あまり色々な物を見てこなかったので、契約なのにこうやって旅行に連れてきていただけて本当にラッキーだと思います。ジェフに感謝です」
「それは是非ご本人にお伝えしてください。
だけど素晴らしい景色や体験をしてもシャルロット様のように感じたり出来ない人は案外多い。シャルロット様がラッキーなのはご本人の資質も関係ありますね」
シャルロットは隣のバルカスをはにかんで見上げる。
「小さい頃から見慣れたり、体験を数多くされている方ならもしかするとそうかもしれませんね。恥ずかしながら私は初体験が多くて」
「わたくしは奥様のそういう所が大好きですよ」
「テルミアさん」
「素直は正義ですね。あ、収穫体験の受付をしてきます。シャルロット様、一応ですが一人にならないでくださいね。テルミア、頼むよ」
車の中でハンドルを握るバルカスがフロントミラー越しに夫婦に尋ねる。
「で、何が有ったのですか?」
「ジェフが言ってはいけないと言うので、秘密です」
頭皮がどんな匂いだったのかはシャルロットだけの好奇心で収めれば良かったが、無理やり嗅いで肩を震わせ始めた姿に負けて、結局本人も嗅ぐことになった。
その本人が堪らず噎せた。その後二人で笑い転げた昨夕を思い出すと今でも笑えてくる。
「でも…ちょっとだけなら言いた…ぷっ」
「だめだ!」
「んふふふふ」
口を塞がれても笑っている様子にジェフが震える。
「恐ろしい子だ。世界一恐ろしい」
「誰がです?」
「シャルロットに決まってる!」
助手席の老執事が『そんなわけないでしょう』と呆れるが、ジェフは真剣である。良い香りの香水をねだられても頭皮の悪臭を所望されたことなどモテ期にもない。
「ねぇ、もう言いませんから。放して」
「だめだ」
後部座席で肩から腕を回されて、大きな手で顔の下半分を覆われている。自然と寄り添うように座り、暫くするといい加減疲れたシャルロットは体の力を抜いて夫に凭れる。
「ワイナリーはあとどれくらいですか?」
「三、四十分だな。眠たかったら寝てもいい」
そう言ったジェフが先に目を瞑り、シャルロットも窓の景色を見ているうちにウトウトと眠った。
「なんだ、どうした。何もしなくても良さそうなくらいに見えるな」
「いや、どうでしょう? 昨夕何が? 色気の無い笑いごとに決まっているのはわかるんですが」
執事と側近が首を捻った。後部座席の二人はどうしてかくっついたまま眠っている。
「ウマが合ってる?」
「これはもう…期待しかありませんな!!」
****
広大なブドウ畑にある平日のワイナリーは数人の観光者がいるくらいで貸し切りに近い。オーナーは宰相一行を歓迎し、端から試飲させてくれる。別の大型バンで来ていたビビアンも次から次へと試飲していた。
「テルミアさん、横にはパン屋さんとレストランがあるそうです」
「ええ、昼食はその店でとります。ブドウ酵母のパンを作っておられるとか。古城からも頼まれておりますから、夕食用のパンも持ち帰る予定ですよ」
「本当ですか? それは楽しみです!」
「奥様、何か気になるものがおありでしたら、何でもお申し付けください」
「ジェフが私用にフルーティな白を頼んでおいて下さるそうですから、私の分は特には」
「さようでございますか」
微笑んだテルミアの近くにシャルロットが寄り、小さな声で言う。
「あの…日頃の寝食の御礼を込めて何か贈りたいのですが、ご自分でワインはたくさん買ってしまわれるようですし…何か他に良いものはありそうでしょうか」
「まぁ、奥様! 旦那様へ、ですか?」
「し~! そうです。始めはワインをプレゼントしようと思ったのですが。どうも端から買うくらいのペースで注文されているので」
しかもワインは目が飛び出るほど高かった。
「確かにそうですね。木箱で注文されていますし…ワインじゃないものの方がよろしいかと」
「だけど何がいいのかわかりません」
地下にワインセラーのある建物の一階は土産用のショップになっており、皆が思い思いに土産を選んでいる。贈答用のワインケースやワイン袋、ワイングラスにデキャンタが並び、壁際に並んだワインの他には冷蔵ブースがあり、チーズや乾物などが並んでいる。テルミアがそれらを眺めて言った。
「ワイングラスなど如何ですか?」
「それも最初は思ったのですが、お屋敷には既に恐ろしくお高いグラスが山のようにあります…今更グラスを贈ってもジェフに違いがあるのかどうか」
「確かになさそうですね」
「バルカスさん」
にょろりと優男が現れ、横で頷いている。
「試飲はされないのですか?」
「やはり帰りも運転しようと思いましてね。飲みません。ビビアンが代わりに飲んでくれていますから、俺のも適当なのを選ぶでしょう」
「そうですか」
「ジェフ様は殆どモノに執着しませんから。奥様、冷蔵ブースに良いものがありますよ」
バルカスが案内して指し示したのは丸くて黒いソーセージのような詰め物である。
「何ですか? これ」
「ジェフ様の好物です。フィグログと言います。イタリアの伝統菓子ですが、ワインやチーズに良く合う。量産するようなものではないので、しかも都合よく残りはひとつだ。今買ってしまえば、ジェフ様に気づかれることなくお土産に出来ます」
「へぇ! 良いですね。美味しそう」
「まぁ、バルカスさん良いチョイス。プレゼントして、ご旅行中に奥様もご一緒されると良いですね。テルミアは妄想が膨らんでまいりました」
「妄想? ではそれと、このチーズとかも一緒にします」
「きっと喜ばれますよ」
テルミアがレジへと運ぼうとするので、シャルロットは慌てて捕まえる。
「待ってください、テルミアさん! これは私がおじ…ジェフにプレゼントしたいので、自分で買います」
「奥様! かしこまりました。差し出がましい真似を…ご容赦下さいませ」
「とんでもありません」
シャルロットは自分でレジへと運び、財布を取り出す。
財布には自分のお金の残りが入っている。それは学生時代から使い古したマイ財布。美しい恰好の淑女が高級バックから取り出した、ぼろぼろの布財布であった。テルミアとバルカスが脇から発見して目を丸くする。
「おい、なんだ、あの財布は!?」
「え……わたくしも奥様がお金を払われる場面はそう言えば初めてで。し、心臓が止まりそうです」
「あの財布に金は入っているのか!? というか、奥様の自由になる金は誰が?」
「ご夫婦のお金の管理まで口を出したりお伺いしたことがありません」
「セバスは?」
「どうでしょう、聞いてみなければわかりませんね。ですがあの財布からして」
「誰も個別に渡していなさそうだな。おいおい、ジェフ様は何してる」
シャルロットはふたりの視線と会話に気づかず、じっとお財布の中を眺めた。
最後の給料をロジアンで貰ってから数か月。日頃からお金を遣う場面は殆どないのだが、時折、どうしても贈りたいプレゼントを手配して送ったり、ビビアンと街に出てお茶をしたり、チップに遣ったりしていると少しずつ減ってくる。クリスマス用にまず多めに分けてあるので、それほど優雅にはいかなかった。
契約期間がどれくらいあるのか不明だし、終わるまでにどこかで働いておかねば手持ちがすっからかんになりそうだ。期待はゼロだが奨学金が返ってくるとしても時間がかかるだろう。
(働く…だけど、どうやって?どこで働こう。外だと宰相様の妻が働いていたなんて外聞があるかしら。内職? でもテルミアさんに取り上げられそうか)
会計を終えて、他の荷と一緒に冷たい場所で保管してもらうように頼んだ。
「終わりました!」
「ええ。では奥様、ブドウ畑の散歩コースでもいかがですか? ブドウを収穫もできるそうです」
「行ってみたいです!」
「俺も行きましょう」
天気の良いブドウ畑の一画には実が成り、木々の小道を麦わら帽子を被った従業員たちが籠を持って歩いている。畑の敷地には等間隔に棒が立ち並び、ブドウの木から伸びた枝が絡みついて天然のドームを形状している。紫色の実が青い葉の間に揺れ、眩しい光が天井から差し込んでいた。
「わ…! すごく、すごく綺麗…」
「ええ奥様、綺麗ですね。絵になります」
テルミアが広げた大きな日傘に入るシャルロットは、生まれて初めて見る景色に瞳をキラキラさせた。その様子を見て、テルミアもバルカスも口角を上げる。
「私、あまり色々な物を見てこなかったので、契約なのにこうやって旅行に連れてきていただけて本当にラッキーだと思います。ジェフに感謝です」
「それは是非ご本人にお伝えしてください。
だけど素晴らしい景色や体験をしてもシャルロット様のように感じたり出来ない人は案外多い。シャルロット様がラッキーなのはご本人の資質も関係ありますね」
シャルロットは隣のバルカスをはにかんで見上げる。
「小さい頃から見慣れたり、体験を数多くされている方ならもしかするとそうかもしれませんね。恥ずかしながら私は初体験が多くて」
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