恐怖と魅了の魔女史より

文字の大きさ
1 / 20

1

しおりを挟む
 ニナが十の歳に、実母のエルサが早逝した。
 病が見つかってからあっという間に息を引き取ったエルサの亡骸を前に、心の準備も出来ぬままだった夫のルフィーノ・カヴァニス伯爵は慟哭し、一人娘のニナは共に泣き崩れた。

 エルサは侯爵令嬢で、四女だった。
 婚約当時のルフィーノは実直な青年で、代々続いた領地の経営は順風満帆。だが結婚後すぐに起きた天変地異により両親を亡くし、規模の大きな地盤沈下と液状化の発生で領地経営は困難を極める。妻の実家はこれを不憫に思い、毎年赤字の補填をするようになった。

 十年以上続いたその補填は、エルサの死により打ち切られる。

 遺されたルフィーノは自らも汗水垂らし、時には満身創痍でこの補填に駆けずり回ることで、なんとか領地経営を維持できるよう努めた。

「お父様、領民の皆さんは大丈夫でしょうか。先日、川が氾濫し、傷んでいた橋が落ちたと聞きました」
「そうだね、ニナ。何とか嵐の夜に備えようとしたが、無駄に終わった。今、土嚢問題と新しい橋の場所を再検討している所だよ。だけど良い技術者がいなくて、なかなか進まないんだ」
「さようでございますか。怪我人が出たと伺いましたので、私はお薬や食料を持って慰問に伺おうと思います」
「助かるよ、ありがとう、ニナ。皆んなもお前が行くと喜ぶ」

「お父様、今年も不作だと。もう少し土地に見合った作物を植える方が育ちが良いのかもしれません」
「そうだね、ニナ。わかっているんだ。だから農作物の有識者を招いているんだけど、忙しいと後回しにされていて…」
「さようでございますか。我が領地は王都から遠い訳でもありませんのに……他の方にお願いできないものでしょうか」
「そうだねぇ、私に強い伝手があればなぁ」

 万事このような調子で進まず、年々領地は荒れていく。
 収穫が少なければ納税率も上がり、生活が苦しいと農民たちは他領地へ逃げ出した。

 ニナはしばしば頭を抱える父を見、諳んじてしまえる程に読みこんだ長い母の手紙を幾度も思い出すことになる。
『殿方には過度な期待をしてはいけません。
 恐らく貴女の御父上であるルフィーノも、遠からずお酒に溺れるようになるか、財力のある後妻を貰うなどの具体的な手段をとることでしょう』

 妻の実家から無償で補填を受けていた間に、エルサが何度申し入れても抜本的な改革を打とうとしなかった夫を見ていたから、まるで見てきたかのごとく母には予見ができていた。

 ニナが十四の頃、ルフィーノは金持ちの女を後妻に入れた。
 後妻は年上の女で、ブレンダと言った。

 ブレンダは二十歳近く年の離れたリーベルト男爵と死別。莫大な遺産を手にしていた。男爵は領地経営の他には貿易商を営んでおり、他国との売買でひと山当てた名の知れた富豪であった。
 その容姿は迫力に尽きる。
 高齢の夫を腹上死だか興奮死だかさせた肉塊的な身体と厚化粧、傲慢とも取れる発言に最初は皆が呆気にとられた。
 だが、このブレンダという女には有り余る金と何故かしら人心を掌握する力があった。
 加えて良く通る声、腹に響く笑い声、巧みな話術。社交性に長け、旨味のある話をまとめ上げる術を持っていた。誰もが生半に彼女を無視できず、蛾が外灯に集まるように吸い寄せられた。
 そうして最後には彼女の信奉者になる。
 そうなればもう、沼から這いでることは至難と言えた。

 父、ルフィーノもその一人だ。

 ブレンダは元夫との間に二人の子を儲けた。
 長男のエドヴァルド。長女のイリナ。
 夫の死後はこのエドヴァルドが爵位を継いだが、やや特殊な事情があって領地は返上。ブレンダは死後まで遣いきれない金を持て余し、暇が高じた結果、溺愛する娘を世界の中心に置くようになる。可愛い娘に最高な人生を送らせたい! ブレンダはそう思った。
 そうなれば、おしゃまで快活な国一番の可愛い娘を大切にする男が必要だった。素晴らしい男はどこにいる? ブレンダは『男爵の娘』では叶わない夢を見始めた。

 一方で母と息子エドヴァルドの相性は最悪だった。
 産んだ直後から、息子には違和感しかなかった。可愛いと思えず、抱いたこともない。さらに話の通じない息子とはまともな会話が成立しない。全員が「はい」というところで、エドヴァルドだけが「は?」と返した。顔を合わせれば苛立つ会話にブレンダは嫌気がさし、体格の良いことを理由にして息子を早々に騎士育成の寄宿学校に追いやった。
 そうしてブレンダは手始めに男爵元夫人から現役の貴族夫人への道を模索し始めた。
 公爵や侯爵の配偶者は出自が非常に大きな役割を果たす為、難しい。だが出来れば子爵よりも、もうひとつ上が良い……辺境の地へは行きたくない。愛も子も要らぬ。

 ならば伯爵でやもめ、出来れば風采の上がらない男はいないものか。
 そうした理由でルフィーノに白羽の矢が立った。

 甘言を弄してルフィーノを手中に収めた後で、返しきれない程の金をカヴァニス伯爵家の借金返済の為に貸し出した。
 一夜にして肩が軽くなったルフィーノは抜け殻のように安堵の息を吐く。

 ブレンダに絡めとられたルフィーノには婚姻の誓約書サインする以外ない。
 そうしてブレンダとイリナはカヴァニス伯爵家へとやってきたのである。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】平凡な魔法使いですが、国一番の騎士に溺愛されています

空月
ファンタジー
この世界には『善い魔法使い』と『悪い魔法使い』がいる。 『悪い魔法使い』の根絶を掲げるシュターメイア王国の魔法使いフィオラ・クローチェは、ある日魔法の暴発で幼少時の姿になってしまう。こんな姿では仕事もできない――というわけで有給休暇を得たフィオラだったが、一番の友人を自称するルカ=セト騎士団長に、何故かなにくれとなく世話をされることに。 「……おまえがこんなに子ども好きだとは思わなかった」 「いや、俺は子どもが好きなんじゃないよ。君が好きだから、子どもの君もかわいく思うし好きなだけだ」 そんなことを大真面目に言う国一番の騎士に溺愛される、平々凡々な魔法使いのフィオラが、元の姿に戻るまでと、それから。 ◆三部完結しました。お付き合いありがとうございました。(2024/4/4)

わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。

織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。 父であるアーヴェント大公に疎まれている―― 噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。

令嬢失格な私なので

あんど もあ
ファンタジー
貴族の令息令嬢が学ぶ王都学園。 そこのカースト最下位と思われている寮生の中でも、最も令嬢らしからぬディアナ。 しかしその正体は……。

【完結】余命半年の元聖女ですが、最期くらい騎士団長に恋をしてもいいですか?

金森しのぶ
恋愛
神の声を聞く奇跡を失い、命の灯が消えかけた元・聖女エルフィア。 余命半年の宣告を受け、静かに神殿を去った彼女が望んだのは、誰にも知られず、人のために最後の時間を使うこと――。 しかし運命は、彼女を再び戦場へと導く。 かつて命を賭して彼女を守った騎士団長、レオン・アルヴァースとの再会。 偽名で身を隠しながら、彼のそばで治療師見習いとして働く日々。 笑顔と優しさ、そして少しずつ重なる想い。 だけど彼女には、もう未来がない。 「これは、人生で最初で最後の恋でした。――でもそれは、永遠になりました。」 静かな余生を願った元聖女と、彼女を愛した騎士団長が紡ぐ、切なくて、温かくて、泣ける恋物語。 余命×再会×片恋から始まる、ほっこりじんわり異世界ラブストーリー。

【完結】番としか子供が産まれない世界で

さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。 何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。 そんなニーナが番に出会うまで 4話完結 出会えたところで話は終わってます。

【完結】傷物の姫 妃選抜の儀の最下位者ですが、若君、あなたは敵ではなかったのですか?

西野歌夏
恋愛
**2025年の桜の開花に向けて、「春の宵の恋煩い編」を足しています** 御咲の国の済々家の一の姫、花蓮は国の王子である鷹宮の妃候補として宮廷に送りこまれた。済々家の一の姫である花蓮は一度誘拐されたことがあった。そのことは花蓮自身はよく覚えていない。 鷹宮の妃候補は32人。済々家の姫が選ばれることはきっとない。誰しもがそう思っている。一度誘拐された傷物だから…。 ※百合要素は匂わせるにとどめています。 また今度となりますでしょうか。 その後編を追加しました。 ※のタイトルは性的表現を含みます。ご注意くださいませ。

可愛げのない令嬢は甘やかされ翻弄される

よしゆき
恋愛
両親に可愛がられず、甘え方を知らず、愛嬌のない令嬢に育ったアルマ。彼女には可愛らしく愛嬌のある自分とは正反対の腹違いの妹がいた。  父に決められた婚約者と出会い、彼に惹かれていくものの、可愛げのない自分は彼に相応しくないとアルマは思う。婚約者も、アルマよりも妹のリーゼロッテと結婚したいと望むのではないかと考え、身を引こうとするけれど、そうはならなかった話。

メイウッド家の双子の姉妹

柴咲もも
恋愛
シャノンは双子の姉ヴァイオレットと共にこの春社交界にデビューした。美しい姉と違って地味で目立たないシャノンは結婚するつもりなどなかった。それなのに、ある夜、訪れた夜会で見知らぬ男にキスされてしまって…? ※19世紀英国風の世界が舞台のヒストリカル風ロマンス小説(のつもり)です。

処理中です...