恐怖と魅了の魔女史より

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 一週間ほどが経ったある日、朝食前からクロゼットで何やらタヒチがたくさんの荷造りを始めた。
 物音で目が覚めたニナはそっとクロゼットに近づく。
「あら、やっぱり起こしましたね。申し訳ありません、おはようございます! 男爵は支配人の所です。戻られたら朝食にいたしますね」
 手を動かしながら詰めていく荷物の中身は、エドヴァルドの衣類もニナの物も混ざっている。心もとない気持ちでその様子を見ていると、タヒチがにっこり笑う。
「ニナ様、大丈夫ですよ。いつもと一緒ですから。ちょっと景色が変わるだけです」
 それでも眉間に皺を寄せていると、部屋にいなかった兄が戻り、まだ寝ぐせのついた亜麻色の頭をくちゃくちゃに撫でて言う。
「おはよう、ニナ。朝飯を食べるぞ。食べて用意が出来たら出発だ。今日から近くの山に行く!」
 怪訝な顔で琥珀色の瞳を見ると、ちょっと怖い顔でにぃ、と笑った。
「思いついてな、山に別荘を借りた。散歩しに行こう!」

 荷造りの理由を知って、肩に力が入っていたニナは撫でおろした。
 それからほんの少し、山を想像してみた。
 大きな木、土、葉っぱ、実、花、虫、鳥……。
「別荘は貸し切りだし、誰もいない。歩いて行ける範囲は別荘の持ち物だそうだ。ニナは何も心配することもない」
 やや沈黙があってから、ニナはしゃがんでぬいぐるみの猫を荷物の中に入れた。

 甘いパンとチーズの入ったサラダを食べて、タヒチに身ぎれいにしてもらうと、ニナは男の子みたいな茶色いズボンを履かされた。慣れない自分をキョロキョロと見る。
「山は虫も多い。スカートじゃ散歩もしにくいから……ズボンは初めてか。それと、これ」
 床に置かれた脛までを覆う焦げ茶色のブーツ。エドヴァルドも全く同じものを履いていた。
「靴屋で最後に頼んでおいた。良いだろ、同じ靴」
 にひひ、と笑ったその顔にタヒチが驚く。
「まぁ、男爵、そんなお可愛らしい笑顔ができるんですね!」
「失礼な。ニナ、踵までグッと押し込んで……そう」
「ですが、男爵のお顔は迫力がありますから」
「中身はそうでもないんだがなぁ」
「そうでございますね。支配人も私もそれについては薄々しっかり」
「どっちなんだ」
 言いながら、ニナにブーツを履かせていたエドヴァルドがふと気づいて顔を上げると、ニナがふふふ、と笑っていた。
「………」
 男は何か言おうとしたが、結局口を閉じて、ただ眩しそうに可愛い笑顔を見上げる。
 笑い声に気が付いたタヒチも、今度は驚きより先に出てきてしまった涙を慌てて隠した。


 山と言っても別荘は馬の足で宿から一時間ほどの近場である。
 兄妹を乗せた馬、荷物を運んできたジュアスの従業員とタヒチがしげしげと別荘を見上げる。
「思っていたより綺麗な建物だな。でかいし」
「本当に! 素敵な建物ですね、ニナ様」
 エドヴァルドの前に乗せてもらっているニナが、タヒチの言葉に頷く。
 丸太で組まれた隙間風の多い山小屋を想像していたが、街中にあるようなレンガで出来た立派な平屋の建物だった。
「ゴールドウィンがきっと探し回ってくれたんだろう。お前が過ごしやすそうな」
「ええ、支配人は張り切って探していましたよ。静かに眠れる良いお部屋がある別荘を探すと」
「寝に来た訳じゃないんだが?」
 タヒチの言葉通り、素敵な別荘には素敵な寝室があって、大きなベッドがあった。
 宿では寝室が一つだったので横並びだったが、兄妹はそれぞれ部屋を分けて荷物を入れる。ニナは窓から広がる山の景色を眺め、鹿やリスが走って行くのを見つけた。


 別荘にはジュアスから食事とタヒチが付いて来た。
 食事は滞在している間、二日に一度の間隔で従業員が持ってきてくれる。
「ね? いつもと同じでございましょう?」
 南側の見晴らしのいい部屋で、荷物を解きながら気の良いメイドが言った。
 特別室ふた月分の宿泊代を前払い、さらにその半分の金額を上乗せして様々に便宜を図るよう頼んでいるリーベルト男爵はジュアスにとって上客である。どのみち部屋付の専属メイドにしてあるので他に回す仕事はない、別荘にも連れて行けとゴールドウィンがタヒチを付けて寄越した。
 タヒチは女手ひとつで子を育てた五十の女で、世話が得意だ。子が巣立ってからは宿の近くに一人で暮らしているという。ニナ様の世話をするのだと喜んで付いてきてくれた。

 エドヴァルドは一見そう見えないが、実の所、金持ちだった。
 ジュリアンの仕事は全て私兵としての仕事なので、成功報酬は王太子のポケットマネーから出る。その額はバトルスキルの男を手離さぬ為にも団長クラスより多い。
 さらに身分としては架空の席を騎士団に置いているため、幹部として国からの月給もあった。その上、忙しくてままならないと返上している領地からの売り上げはそのままリーベルトの収入として入るようジュリアンが取り計らってくれている。この土地は私兵としての役目が終わればエドヴァルドに戻る約束だった。

 貴族だったが身なりも適当、住まいも騎士団寮内にあるので飲み代と娼館くらいしか遣う場所がなく、真実有り余る金である。


 別荘には年寄りの管理人がいて、散歩道や野生動物がよく現れる道や湖を教えてくれる。翌日から、エドヴァルドが連れ出して二人は散策を始めた。
 始めは本当に近くから。日が過ぎるにつれ、行程は増していく。
 木の根を跨ぎ、枯れ枝を踏み、大小の石を除けて足を動かす。
 息をして、水を飲み、汗をかく。
 疲れてからも手を引かれて、ほんの少し距離を伸ばし、また新しい景色と出会う。

 エドヴァルドは焦らずのんびり、目的なく歩いた。
 山ではどこかの沢の水音、木の葉が落ちる音や鳥の羽ばたきが響く。木々の合間から白い光が前方を照らして揺れる。
 ニナは時々立ち止まり、日常にはない、だけど何でもない景色を目に映した。
 力強い緑はまだ黒く、美しい翠の羽根も灰色だったが、そのどれもが輝いているのはわかった。

「それは……食べられるキノコ。味付けはソテーで塩に限る」
「それは、笑いが止まらなくなるキノコ。二時間くらい腹がよじれる。真っ赤だからすぐわかるだろ」
「それは、あれだ、下痢が止まらなくなるキノコだな。酸味がある。え? そりゃ食べるだろ」
「あ、それは、変な顔になる珍しいキノコだ。有名、俺の中で」
 やたらとキノコに詳しい兄の話を最後は肩を揺らして聞き、たくさん歩いて、汗を流し、気持ちの良い初夏の光と風を浴びる。

 深呼吸をすると、山は多種多様なものたちが交じり合う素晴らしい匂いがした。
 身体の隅々まで何かが巡っていくのを感じる。
「良い天気だなぁ。あ、その実は上手いが後から臭い。俺は食べなかったのに一緒に仕事した奴が食べて、翌日まで臭くて大変だった」
「ふふふ」

 山の端や別荘からは遠大な景色が見えた。
 眼下に広がる街は小さく無数の屋根が続き、足元の山は大きくて、ニナは自分の小ささを思い知る。だけど隣に山よりも大きいエドヴァルドがいた。
 目が合えばいつも何でもない顔をして、側に寄ると抱き締めて頭を撫でてくれる。何でも直ぐに食べさせて、ちょっと面白いことを言って笑かそうとしてくる。
 山の中で野生動物に出会っても、義兄がいれば怖くなかった。大抵の動物はこちらに驚いてニナに威嚇してきても、なぜかエドヴァルドと目が合うと一目散に去った。
 目を丸くしていると、兄はにやりと嬉しそうに笑う。

 別荘に帰ると、ニナは前よりうんと食べた。
 単純に歩いてお腹が空いたのもあるが、宿にいた頃の空腹と違い、色んな匂いが鼻腔を刺激して止まず、満たされるまで時間がかかった。
 エドヴァルドもタヒチも、食べるニナを嬉しそうな顔で見守った。



 散歩を繰り返す生活の中、エドヴァルドに誘われて夜明け前に馬で湖に来る。
 肌寒い中、布と兄に包まれて木々の間に隠れるようにして座った。
 まるで息をひそめるように背後で黙る兄にならってじっと待つ。
 やがて瞬いていた星が消え、空が黙った。

 黒に覆われていた空が赤や紫と混じり合い、小さく始まる白い光が朝の訪れを告げる。

 長い睫毛は瞬きも忘れて、ゆっくりと昇る朝陽を見た。
 山の端から眩い光が射し、そこから零れ落ちるような淡い光が溶けていく。

 小さく口を開けて見入っているニナを、後ろからつつく指が湖をさした。
 いつの間にか、湖のほとりには種々の動物の群れが水を求めて集まっていた。
 水浴びをする姿、湖面に口を付けて喉の渇きを癒す姿。

 ニナは全部が生きていると思った。

「水を飲まないと生きていけないが、ああして水場に集まると捕食もされる。だけど必ずしも殺されないのは、腹が減った時しか食わないからだ。あいつらは無意味に殺し合ったりしない。腹が減っていなかったら並んで水も飲める……ああいうのを見ると、人に生まれた自分が嫌になるな」
 じっと二人で湖の様子を観察している間に、エドヴァルドが小さな声で言った。

 動物は生きる為に殺すし、そこには明快で残酷なヒエラルキーがある。だけどもっと根深い奥底で互いの命を尊重している。ニナは動物たちを見ながら、自分を襲った暴力を思いだした。

 殴られたくなかった。
 痛くて、みじめで、悲しくて、辛かった。

 あれは間違いなく理不尽で、意味の無い暴力でしかなかった。
 私は何も、悪くなかった。

 人形になって殺していた気持ちの蓋が、水が溢れるみたいにコポリと浮き上がる。
 痛みと共に消えていった自分の欠片を、ニナは初めて想った。
「ニナ」
 エドヴァルドが泣き出したニナに手を伸ばす。
 ニナは泣き続けた。


 ◆

 目が覚めるとエドヴァルドに布で括りつけられた状態で、馬に乗っていた。
 心配そうな琥珀の瞳と目が合う。
 泣きに泣いて疲れて、子供のように眠ってしまったのだと気づく。

「起きた? 大丈夫か? 水、飲むか」
 パカパカゆっくり歩く馬上で、エドヴァルドが水を飲ませてくれる。
 泣き過ぎて干からびた喉が潤っていく。

「あ」

 一瞬どこから声がしたのかキョロキョロした後、琥珀の瞳が見開いて括りつけた女を見る。
「あ、あ……あ……ありが、とう」
「………」
 馬を止めて、恐る恐る、なぜかエドヴァルドがニナの顔をつつく。
 つつかれた方は目をぱちくりとして、でもにっこり微笑んだ。
 エドヴァルドが壊さないようにそうっと包んで抱きしめる。
 ニナが首に手を回して、兄の頬に頬ずりをした。
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