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グレイプ編
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しおりを挟む「良い度胸じゃないか。俺を欺けると思ったか」
輝く笑顔でネイトが嗤う。
「欺こうなんて思ってないわ。私は最初から妻になるつもりなんてないんだし、そもそも納得して船に乗ってなんかない。あなたは何か人違いとか思い違いをしているようだけど、私にはあなたの妻になるつもりもミューズだとか言われる心当たりも一ミリだってないのよ。ミューズなわけないじゃない! 間違っても手籠めにされるつもりはないったらないの!! だから、この! 手錠を、外して!!!」
丸裸なリリアンヌの顔が青くなる。目が覚めたら何も着ていなくて四肢が錠でベッドに繋がっているのだ。不穏の極み。また右の胸元にはガーゼが貼られ、覚えのないそこが痛んだ。
やたらとよく寝た気はするが、今日が何月何日なのかなんてわからない。
「ねぇ、どうかしてるわ、こんなの。足枷まで!! ねぇ、それとこのガーゼの、なんなの、痛いわ……私、怪我をしたの? どうして? 船倉でぶつけたの? ヒリヒリする」
「もう瘡蓋になっているから大丈夫だ。消毒は徹底したし薬も塗っているから、綺麗についただろう」
「……綺麗についた? 何が?」
男は次に、たっぷりと色気の滴る笑みを見せた。
「鎖は外したらまた逃げ出す。残念だが、グレイプに着くまでもう部屋から一歩も出さない」
「え、ちょっ」
男の腕が、彼自身の白いシャツの首元を摘まみ、するりと脱ぎ捨てる。
日に焼けた身体は細身だが硬く締まり、逞しい筋肉の線が滑らかに覆う。リリアンヌが眉間に皺を寄せて目を反らそうとしたその時、男の胸の中央から左寄りにそれは見えた。
星が、三つ。
◆
さて、遡ること四日前。話はウニに案内された後に戻る。
甲板に並んだ料理は見たことのない異国の料理からトリーチェの伝統料理、酒はウィスキーにずらりと各国名産ワイン、蒸留酒と揃い、座の真ん中にはネイトとリリアンヌが並ぶ。船員たちが陽気に歌って踊り、祝う宴会が催されていた。
どこからともなく始まる歌、合いの手に打楽器やハーモニカ。上手い人間も音痴の人間でも楽しそうに歌って笑っている。
「お前、得意のジャグリングをやれよ。屁をこくやつ」
「やるやる、お前こそあれだ、屁で火を噴くマジックショーをしろよ!」
「どっちも見たい!」
見たくない。
始まって速攻で盛り上がる集団を異物でも見るような目で見ていたが、大体そういうものらしい。彼らは素面の戦闘中でも盛り上がれますから、とラルフが説明してくれた。
「頭ぁ、リリアンヌ様、結婚おめでとう~!」
部下たちは続々と二人を祝いにやって来た。ネイトは笑顔で応対しているが、リリアンヌは真顔で大体黙っている。だって結婚なんかしていなかった。
「おー」
「………」
「リリアンヌ様、やーっぱ滅茶苦茶綺麗っすわ!! かーっ、頭、長年の夢が叶いましたね!! 俺も自分のことみたいに嬉しくってもう!!」
「ああ、やっと手に入れたバートレッドのミューズだ。お前らも大事にしてくれ」
「もちろんでさ!!」
「………」
船員たちもこの男も、一体誰の話をしているのだろう?
リリアンヌは騙されたような会話を他人事として聞きながら、本来この席に座るはずだった既知の令嬢たちの顔を思い浮かべた。有力なのは宰相の娘か西部マラカス家の娘あたりではないか……。
「どうした、リリ。ワインが好きだろう? この白はタリ産で女に人気らしい。口に合わなかったか」
「いえ、大変美味しいです。頂いていますわ」
くい~、と唇を開けてほんの少し含み、またグラスを置く。その繰り返しでグラスの中身は一向に減らない。
「そうか、良かった」
ネイトはじっとリリアンヌを見つめて、自分も飲む。それだけで腰が砕けそうなくらいに良い男なのだが、肝心の女は見ていなかった。
「あなたは以前から私を知っていた。そういうことですね」
大して興味はなかったが尋ねておく。手札は多く持っていた方が良い。
「ああ、そうだ。俺はずっとギヴリーを見ていたからな」
「狙っていた?」
「はは……まぁ、そうだな。狙ってた。俺たち小島群の人間たちには戸籍もない。船上で生まれた命なら猶更な。いつまでもこんな暮らしを続けていては、いつかは勝手に属国にされるか全員良いように使われる……消費されて終わる。だから元々は国を作ろうとしていた」
「国を?」
「小島群を統一した国だ。親父がずっと考えていたことだ。だけど小島は土が悪い。どうやっても塩分濃度が高すぎて、主食になるような食べ物が獲れなかった。だからそれは諦めた。寝床が有るに越したことはないが、食べられなければ意味がない。何より学のない集団だ。欲望に弱い……農家みたいに目の前に食い物があって、即物的に手が入らなければ頑張れない。海賊から抜けられない。
色んな国の学者や博学な者と論議を繰り返して、俺たちが一番相手の利になる形で抱え込まれるように幾つかの国に売り込んだ」
それが海軍の一部に組み込まれる話である。
「まぁ、トリーチェだけではなかったの?」
「当たり前だろう。トリーチェはまるで自分たちの提案のように言いふらしているようだがな。複数同じ取引を持ち掛けるのは商売でも定石だ。しかも今は戦争の真っ只中。戦力を安く買い上げることが出来て、しかも俺たちは海の上での戦いに特化している。打診した国全てが食いついた。………その中で俺はトリーチェを選んだ。わかるか? なぜか」
ネイトは近づいてリリアンヌの顔を覗き込む。
陽と潮風に焼けた毛先のブロンドは刈り込んだダークブラウンの髪色と混じりあい、パーティーで見る男たちの撫でつけた品の良さとは対照的に自由に揺れる。グレイをぽとりと落とした青い瞳は澄んでいて、その瞳だけ海賊と呼ぶにはミスマッチに思えた。
――――トリーチェを選んだ理由。
浮かんだ答えは馬鹿馬鹿しい。口を開かず、目線を外して答え合わせを待った。
ネイトの長い指がリリアンヌの風になびく髪を撫で、きざったらしく口元へと運んでキスをした。
「お前がいるからだ」
「つまり、あなたはギヴリーの名を使って何かしたいことがあるのね」
リリアンヌは男を睨む。
贈られた服のことと言い、迎賓館でのワインと言い、この軽薄男が以前から自分をカモにしていたのは確かだった。だがなぜ自分なのかが判然としない。
「それも否定はしない。野望なんて腐るほどある。だけどそれはおまけだな。ミューズを手に入れるより他に優先されることはない」
「何なの、さっきからそのミューズって。何かの宗教?」
「はは、俺が信心深い男だと? 単純に、お前が、俺の、ミューズだって話だ。長い人生、これだけは手に入れたいと思うものの一つや二つ誰にだってある。俺にとってはお前がその一つだった」
「どうして私があなたのミューズなの?」
「さぁ、どうしてだろうな。俺にもわからない」
「はぁ?」
馬鹿にしている。
そう思ったが、全体的にどうでも良かったので追及を止め、リリアンヌは料理をしっかりと食べた。酒は控えて見知らぬ肉やピンチョス、魚のアクアパッツァ、米と貝が焚きこまれた真っ黒な料理、どれもウニの言った通り格別な味を堪能する。逃げ出して漂流した場合に備えなければと考えて、たらふく食べた。
そうして大人しく食べ続けて、ネイトも上機嫌で酔っぱらっている所を確認してから、リリアンヌはトイレに立つ。
「場所はわかるのか」
「ええ、ウニに案内してもらったから。ひとつ下に降りてドアを開けて、左一つ目のドアでしょう?」
「そうだ。ウニを呼ぶ」
「必要ないわ。女性のトイレよ、気まずいことをしないで頂戴」
「………そうか」
甲板から一つ下への階段を降り、一度本当にトイレに入った。
そこから何度か外を確認して階段周辺に人気がないタイミングで飛び出して、更に下に降りる。靴を脱いで静かに走り降りると、リリアンヌは最下層の船倉の扉をくぐった。
船倉の中は木箱だらけで隠れるスペースには困らない。
ただ、何かいやな臭いが充満していてかなり気になる。
ずるずると床にしゃがみ込んだ。
目まぐるしい一日だった。
叩き起こされて着替えをし、男に連れ去られて船に乗り、ドレスを破られて結婚を祝われた。こんな一日を経験した人間など、きっとそういない。
積荷の様々な匂いに混じるガスが、ドロリとした重たい睡魔を連れてくる。
考えなくてはいけないが、疲れた。
明日どうやってボートを盗もう。括りつけられているのが厄介そうだった。
もたもたしていると見つかってしまう。
ウニを人質にするのも手かもしれない。間抜けなウニの腰には短剣がいつもある。丸め込んで貸して欲しいと言えば直ぐにこちらの手に入るだろう。
リリアンヌの瞼がゆっくりと閉じていく。意識が失われていく。
もしくは数人いた女を買収するか……。
屋敷に戻れば幾らでも手渡してやれる宝石があ、る……。
◆
「予想通りですね」
「予想通りが過ぎてつまらん」
予めウニに逃げ場を幾つか暗示させていた通り、女は船倉の埃の中で転がっている。具合が悪そうだった。
「あーあー、お嬢様がこんなガス塗れの部屋で寝るから……中毒起こしかけてるな」
船倉で作業する新入りが積荷から発生する微量のガスによって意識を朦朧とさせるのはよくあることだった。三日もすれば元に戻り、慣れれば多少のガスにはびくともしなくなる。
「繊細な方です、身体の作りが違うんですから。早く新鮮な空気を」
ラルフが心配そうに荷物を退かせて側へとしゃがみ込み、ネイトを見上げる。
「………だけど考えてみたら、ちょうどいいな。印を入れよう」
「えっ、今?」
「だって意識が無い内に済むだろ。痛みはあるが、記憶は薄い。恐怖も無いし。他の女とは違うんだ、どうせ嫌がる」
「でも」
「印を付けなかった場合と付けた場合の末路、どっちが不幸かなんてわかり切ってるだろ」
「まぁ、それはそうですけど」
伏したリリアンヌを軽々と抱き上げると船倉を出て、カツカツと階段を上り船長室に向かった。
「ガーゼと消毒液は足りますか?」
「ああ。ガーゼだけ爺に追加を頼め。宴会で騒いでいる内に済む、しばらくは誰も近づけるな。お前は炉でアレの準備をして来い」
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