海賊提督の悪妻

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トリーチェ編

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「またカミロ様から届いていたわよ、リリー」
 夕方、帰宅したリリアンヌの元へ母が小箱と花束を手にやってくる。今日は石鹸を仲介販売する為の会社を立ち上げた日で、登記はすぐに終わったが、実務を殆ど任せるギヴリーの見習いたちをこっそりと雇う契約書を作成したり、これから積ませる荷をリリアンヌの会社のモノだと分からぬままに運ばせる手はずを整えたりと骨が折れた。

「またですか。ではまたお父様にお渡しくださいませ」
「毎日毎日、よく続くわね。昨日デートをしたのでしょう? その時にちゃんと言わなかったの?」
「言いましたし、お母様、デートではありません。昨日も説明しましたよね? マリーと出かけていたら勝手に付いて来ただけのことです」
「だけどカミロ様はあなたの隣を陣取って、まるで恋人のように振舞っていたというじゃない。それはもうデートでしょう。毎日花や小物やアクセサリーとラブレターも送ってくるし、相当ご執心よ。ちょっと行き過ぎてて心配なくらい」
「そういう誤解も含めて、全てが迷惑です」

 そう、本当に迷惑だ。カミロがくっついて来るとマリアンヌが激怒するし、店の前で大喧嘩が何度も始まる。そうすると小売店で泥石鹸を置いてもらえる場所を探しているのだが、逆に迷惑になってこっそり頼むものも頼めない。
「あなたがたは私の邪魔をしに来たのですか?」
 静かに問うと、
「マリーはこの男がいても良いの!? 私は二人きりで回りたいのに!!」
「リリアンヌ嬢、近くに良い店がある。飲みに行こう、二人きりで」
 と頭の悪い回答しかしない。二人とも知る限り賢い人間なのに。

 そしてカミロは総督のはずだが、頻繁に会いに来る。とても暇そうに見えた。あの男は相当忙しそうだったのに。
「あなたは来る海戦に向けて忙しいのではないですか? 訓練とか」
 ギヴリーの屋敷まで送り届けてくれた際、不思議に思って尋ねると、
「何言ってるんだ、リリアンヌ。総督とは政治家で、軍人じゃない。戦うのは提督が率いる海軍兵なのだよ」
 と飄々として答えた。
「ですが、トリーチェの正規海軍もバートレットの三分の一ほどの兵がいると」
「ああ、持っている。私の軍だ。持っているがね、皆、戦争に出たくないと言うんだよ」
「出たく、ない……?」
「正直、トリーチェの正規軍とは飾りなんだ。長らくマレーナはバートレッドが幅を利かせ過ぎて、海軍なんて入隊しても実戦といえば海賊との攻防だからね。しかも汚い戦略ばかりで軍人が相手をするには何と言うか……だから箔を付けたい名家の子息が幹部として名前を置く場所として使っているんだよ。給与も出るしね。一般の兵隊たちもいるけど、上官が抜けると都合が悪いだろう。だから正規軍に参戦は望めないのさ」
「そんな」
「リリアンヌ、世の中そんなものだよ。戦争なんてのは所詮金儲けだ。お嬢様の君にはわかりにくい構造だろうけれど。もちろん僕らは頭脳を使うよ。金も惜しまない。だけど、実践はプロに任せるべきだと思わないか? その為に彼らを雇ったんだから」
「雇った? 雇ったのではなく、民になったのではないのですか」
「一緒だよ。どうせ大量に死ぬだろうし」
「………死ぬ?」
「産業革命以降、日進月歩で兵器は進化し続けているんだ。ちょっと難しいかな? 木製の船で戦争なんてすれば一刻も待たずに沈没する時代になってきたのだよ。どこまで本気でこの革命に取り組んだのかで命が決まるのさ。要はやる気があるかどうか、金があるかどうかだよ。金、金、金! トリーチェに金はある。資材も、まぁまぁ……だけど陸軍が強すぎてね。海賊を丸抱えするくらいなんだ。海軍については諦めている部分もある。僕なんて本当の本当にお飾りさ。金のやりくりして、せいぜい海賊が全滅しないように頑張るくらいのものだよ。全滅させろって言われていたのに、だ。とんだ笑い話だろう?」
 カミロは一人笑ったが、リリアンヌは笑えなかった。

「例えば本当に全滅して、トリーチェが海から負けたらどうなるのですか」
「さぁ……陸軍は強いから食い止めはするだろう。何とも言えないけど。だけど負けたら国が盗られるだろうね。占領されて、終わり」
「終わり?」
「みんな捕虜になるのさ。大丈夫だよ、ギヴリーのお嬢様が心配することは何もない。御父上がどこにでも逃げるだろう。別にトリーチェに残ったって、方々と取引がある企業なんだから助けてくれる人間は多いはずだ。僕が残っていたら、もちろん僕が君を助ける。心配ないさ、僕らは生まれた時から安全圏なんだから」



 昨日の会話を思い出したリリアンヌはひとつ呼吸を整える。
 頭に昇った血を下げなくては。
「迷惑はさておき、カミロ様のこともそうだけど、カールの秘書もなんだかあなたにおかしな懸想をしているみたいだって聞いたわ。やたらとあなたの次の出勤を聞いて来るって。リリー、あなたいい加減にその悪目立ちする恰好をおやめなさい。フラフラと出歩かないで。然るべきお相手が決まるまで大人しくしていて」
「悪目立ちですか?」
 顔を上げると母の視線は厳しいものになっていた。
 突然矛先が向けられた長女は驚いて思わず服の下の三つ星を隠す。

 えっ、バレた?

「そうよ。まずパニエを付けなさい。平民女性を真似るのは止めて。それと、そのヘアメイク! 昔のように、チャコットになぜ頼まないの」
「あぁ……そういう。これは良いのです、もう。私は二度と似合わない可愛い服を着るつもりも、道化師みたいなメイクもするつもりはありません」
「リリー!!」
「怒っても無駄です、お母様。私は誰とも結婚する気はありません。働いて、一人で生きていきたいのです」
「はっ!?」
 ジュリアが瞠目して声を上げる。
「それにもう結婚は無理なのです」
 リリアンヌは多くを語らず目を伏せた。胸元に手が行く。
「あ……んんん……その、その件についてはカールとも話をしました。あなたがその……きっと、酷い……とても酷い、可哀想な思いをしたのだろうということはわかっているわ」
「酷い、可哀想な」
 リリアンヌは頷きながら、乾いた声で繰り返す。
 ジュリアはデイドレスの布地をきつく掴み、苦しそうに言葉を探す。娘がいたずらに記憶を掘り起こされ、不用意に傷つかぬ様に。
「思い出したくもきっとないでしょう。海賊ですもの。辛かったでしょう。怖くて痛い思いをしたと思います。あなたの身体に……どれほど酷い傷がついてしまったのか……ごめんなさい、酷い親だわ。医者も呼ばずに見て見ぬふりを」

 無意識に三つ星を撫でる。

 酷くて、可哀想で、辛くて、怖くて、痛い……。

 母の中では大変な妄想が膨らんでいる。遠くから、リリアンヌはその妄想を眺めた。
 賢者リリアンヌが頭の中で「泣くなら、今でしょ」と主張する。そうだ、確かに大変だった。リリアンヌには泣きわめく権利がある。

 その横で、大賢者リリアンヌが重たい記憶の蓋をそうっと開けた。

 勝手に連れ去られた。
 同意なく船に乗せられ、知らない賑やかな貧しい街へ。
 記憶のない間に四肢を繋がれ、身体に一生逃れられない三つの星を残された。
 苦しかったコルセットを剥ぎ取られ、似合わなかったドレスを台無しにされ、大富豪の偽長女でも従姉妹でもない、ただ丸裸の女に剥かれて何日も閉じ込められた。
 鎖で逃げられぬようにして、ベッドの上で執拗に餓えたように貪られた。
 自分の秘密がもうひとつもないくらい、あの男が身体を舐め尽くして暴いていった。
 洗われて寝かされて食べさせられて、頼みもしない世話を散々焼かれ、好き勝手に着せ替え人形にされた。
 産んだ覚えのない娘たちがうじゃうじゃと現れて、姦しく取り囲まれた。
 目の前で酷い暴力を見せられたり、襲われかけて助けられて、返り血を浴びた。

 その全てを、まるで宝物を扱うような手つきで。

 お前は俺のものだと言いながら、ベッドの上で、街中で、バスルームで、宿で、何度も何度も。


 大賢者リリアンヌはゆっくりと蓋を戻す。

「ああ! リリー!! ごめんなさい、辛いことを思い出させて!! 泣かないで、泣かないで、私が悪かったわ」
「…………」
「カールはあなたの身の安全の為にも、提督から身を守ってくれる誰かに預けられないか考えているわ。私も、それも一つだと思っているの。ここにいれば、あなたはまた連れ去られるかもしれない……あの海賊に見つからないようにした方が良いわ」

 正体の分からぬ涙を拭いながら、リリアンヌはふと、夜の海を思い出した。
 見下ろす海、見上げる海。
 二度と窓辺になど立ってやるものか。
 きっとまた覗くのだろう。レンズの先に映る真っ暗な部屋があの男への仕返しになると気が付いて、無意識に口角が上がる。

 いねーじゃねーか。
 言うだろう、あのバリトンで。

「とにかく一人で生きていくなんて、無茶なことを言わないで。あなたを街中に放り出すなんて私たちには恐ろしくて出来ないのよ。絶対に安全な場所で幸せになってもらわないと。私たちにはその責任があるんだから」
「そのような責任はありません。お父様とお母様には十分にして頂きました。私はもう、大人です」

 大勢の娘がいるのです。
 まだ会ったこともない、星の数ほどの娘たちが。
 絶対に安全な場所で幸せになるなど、もはや恥ずかしいことでしかない。

 自分の力で生きていきたい。
 普通には生きられない証の星を撫でながら、リリアンヌは明日家を出ようと決めた。
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