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五 生人形小屋の舞台裏
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「お熊お嬢さま、お待ちください」
慌てて、お熊の跡を追い、表の喧噪から一転、人気の無い裏手へと回った。
羽織を着た三十前後の男が一人、数人の破落戸たちに難癖をつけられていた。
「それなりの身なりをしているところから見ると、人形師本人でしょうか」
「間違いありませぬ」
お熊と顔を見合わせた。
小屋の裏口に掛けられた暖簾の間から、職人風の痩せた男がひょいと顔を出したが、外の騒ぎに気づいてぴたりと足を止めた。
静馬は男に近づいて、さりげなく横に並び、
「絡まれている人の名前は確か……えっと……」
あくまで何気ない口調で問いかけた。
男は揉め事から目をそらさぬまま、
「文次郎師匠じゃねえかよ」
知らないのかというふうに答えた。
「じゃあ、人形師があの人なのですね」
身を乗り出すようにしてお熊が口を挟んだ。
途端に男がくるりと振り向いた。
顔に、さっと警戒の色が走る。
「あんたら何者だね。関係ねえなら引っ込んでな。こちとら、それどころじゃねえんだ。向こうへ行った、行った」
男が語気荒く追い立てようとしたときだった。
破落戸の一人が文次郎の胸倉をつかんだ。
「師匠に何するんでえ」
男が慌てて飛び出した。
だが、
「すっこんでろい」
蹴り飛ばされて呆気なく地面に転がされた。
「わたくしは振袖を汚したくないゆえ、静馬どの、そなたが助けておやりなさい」
「え、わたくしがですか?」
思わず聞き返した。
今まで、誰かと腕力で争ったことがなかった。
幼い頃は小柄でひ弱だったため、近所の悪童たちに殴られ蹴られ惨めな思いばかりし、長じると、争いになる前に笑ってかわすようになったからだった。
(だが、待てよ)
こたびも実戦である。
先日の出来事に鑑みれば、柔術の実力も存分に発揮できそうだった。
「待て、待て、乱暴はいかん」
静馬は大股で破落戸の前に進み出た。
「何だ、若造、何か文句があるのけえ」
肩を怒らせた破落戸どもが静馬を取り巻いた。
「てや―っ!」
背の高い男が静馬の胸板に突きを入れてきた。
男の動きはひどく緩慢に見えた。
胸を引いた。
身体をひねって男の腕を挟みこむ。
関節技で肘を極めた。
「そうれ」
ぱっと放してやると、男は、よろけながらたたらを踏み、
「あちちち」
痛めた肘を抱えながら、たちまち戦意を喪失した。
「やろっ!」
別の破落戸が蹴りを入れてきた。
鋭いはずの蹴りは、やはりゆっくりした動きに感じられた。
体さばきでかわしながら、左手で男の金的を打った。
「ぐげええ」
男は股間を押さえて地面を転げ回った。
(やはり嘘のように身体が動くぞ)
次々に襲いかかる敵を、さばき、よけ、反撃した。
匕首を抜いて切りかかった者もいたが静馬の敵ではなかった。
「覚えていやがれってんだ」
捨て台詞とともに、蜘蛛の子を散らすように、ちりぢりに逃げ去っていった。
(やはり素手の戦いでも力を発揮できたか)
得意な気分で袴の裾をはたいた。
「剣の腕もこの調子だと良いのに。稽古でわたくしから一本も取れぬとは恥ずかしい」
お熊は褒めるどころか、口をとがらせながら嫌味を言った。
「戦意を抱いた相手にしか力が出ぬのです。ですから稽古の場合は……」
静馬の弁解も聞かず、お熊は文次郎に駆け寄った。
「怪我はありませぬか? いったいあの連中は何者です」
矢継ぎ早に問いかけるお熊に、
「小娘にゃ関係ねえ」
一言告げるや文次郎は小屋の中に消えてしまった。
「陰気で嫌な男だこと。恩知らずにもほどがあります」
お熊は文次郎が姿を消した裏口を睨みつけた。
静馬もむっとしたものの、
(まてよ。場合によっては怒るまでもないかもしれぬ)
いつもの癖で、さまざまな事情を考えてみた。
「文次郎さんは気持ちを上手く表せない人かもしれませんし、動転していただけかもしれません。何か弱みがあって事情を詮索されたくないのかもしれません。いやいや、他人が真似できない傑作を作り出す人は変人と相場が決まっています」
「なぜ、あの失礼な男の肩を持つのです」
お熊は柳眉を逆立てた。
「いえ、そのようなわけではありませぬ。ただ、ありえそうな事情をいろいろ想像してみただけです」
「静馬どのは人が良すぎます。何でも善意に考え過ぎではありませぬか」
お熊はますます怒りだした。
「誰しも立場に応じて言い分があります。一方の立場に立って相手に怒ってみても、見当違いな場合があります。怒ると疲れます。怒らなくともよいことに怒るなど、己自身が損だとは思われませぬか? 心穏やかに生きるほうが幸せにつながりますよ」
怒りを無理に抑えたり、辛抱するのではない。
相手の事情をあれこれ思い巡らせてみれば、怒らずともよいと自然に納得できるのだ。
とはいえまだまだ悟り切れない静馬は、古井戸の底に向かって悪態をつくのだったが。
「静馬どのはこのわたくしとあのような恩知らずとどちらが大切なのですか。返答しだいで、ただでは済ませませぬぞ」
お熊はぷりぷりしながら足早に歩き出した。
頬を膨らませた顔も子狸のようで愛嬌がある。
裾が乱れぬように小股でちょこちょこと歩く姿に、思わず唇が緩んでしまう。
しばらくぼんやりと見送った後、
「お待ちください」
継当てしたよれよれの袴をぱたぱたとはためかせながらお熊の跡を追った。
慌てて、お熊の跡を追い、表の喧噪から一転、人気の無い裏手へと回った。
羽織を着た三十前後の男が一人、数人の破落戸たちに難癖をつけられていた。
「それなりの身なりをしているところから見ると、人形師本人でしょうか」
「間違いありませぬ」
お熊と顔を見合わせた。
小屋の裏口に掛けられた暖簾の間から、職人風の痩せた男がひょいと顔を出したが、外の騒ぎに気づいてぴたりと足を止めた。
静馬は男に近づいて、さりげなく横に並び、
「絡まれている人の名前は確か……えっと……」
あくまで何気ない口調で問いかけた。
男は揉め事から目をそらさぬまま、
「文次郎師匠じゃねえかよ」
知らないのかというふうに答えた。
「じゃあ、人形師があの人なのですね」
身を乗り出すようにしてお熊が口を挟んだ。
途端に男がくるりと振り向いた。
顔に、さっと警戒の色が走る。
「あんたら何者だね。関係ねえなら引っ込んでな。こちとら、それどころじゃねえんだ。向こうへ行った、行った」
男が語気荒く追い立てようとしたときだった。
破落戸の一人が文次郎の胸倉をつかんだ。
「師匠に何するんでえ」
男が慌てて飛び出した。
だが、
「すっこんでろい」
蹴り飛ばされて呆気なく地面に転がされた。
「わたくしは振袖を汚したくないゆえ、静馬どの、そなたが助けておやりなさい」
「え、わたくしがですか?」
思わず聞き返した。
今まで、誰かと腕力で争ったことがなかった。
幼い頃は小柄でひ弱だったため、近所の悪童たちに殴られ蹴られ惨めな思いばかりし、長じると、争いになる前に笑ってかわすようになったからだった。
(だが、待てよ)
こたびも実戦である。
先日の出来事に鑑みれば、柔術の実力も存分に発揮できそうだった。
「待て、待て、乱暴はいかん」
静馬は大股で破落戸の前に進み出た。
「何だ、若造、何か文句があるのけえ」
肩を怒らせた破落戸どもが静馬を取り巻いた。
「てや―っ!」
背の高い男が静馬の胸板に突きを入れてきた。
男の動きはひどく緩慢に見えた。
胸を引いた。
身体をひねって男の腕を挟みこむ。
関節技で肘を極めた。
「そうれ」
ぱっと放してやると、男は、よろけながらたたらを踏み、
「あちちち」
痛めた肘を抱えながら、たちまち戦意を喪失した。
「やろっ!」
別の破落戸が蹴りを入れてきた。
鋭いはずの蹴りは、やはりゆっくりした動きに感じられた。
体さばきでかわしながら、左手で男の金的を打った。
「ぐげええ」
男は股間を押さえて地面を転げ回った。
(やはり嘘のように身体が動くぞ)
次々に襲いかかる敵を、さばき、よけ、反撃した。
匕首を抜いて切りかかった者もいたが静馬の敵ではなかった。
「覚えていやがれってんだ」
捨て台詞とともに、蜘蛛の子を散らすように、ちりぢりに逃げ去っていった。
(やはり素手の戦いでも力を発揮できたか)
得意な気分で袴の裾をはたいた。
「剣の腕もこの調子だと良いのに。稽古でわたくしから一本も取れぬとは恥ずかしい」
お熊は褒めるどころか、口をとがらせながら嫌味を言った。
「戦意を抱いた相手にしか力が出ぬのです。ですから稽古の場合は……」
静馬の弁解も聞かず、お熊は文次郎に駆け寄った。
「怪我はありませぬか? いったいあの連中は何者です」
矢継ぎ早に問いかけるお熊に、
「小娘にゃ関係ねえ」
一言告げるや文次郎は小屋の中に消えてしまった。
「陰気で嫌な男だこと。恩知らずにもほどがあります」
お熊は文次郎が姿を消した裏口を睨みつけた。
静馬もむっとしたものの、
(まてよ。場合によっては怒るまでもないかもしれぬ)
いつもの癖で、さまざまな事情を考えてみた。
「文次郎さんは気持ちを上手く表せない人かもしれませんし、動転していただけかもしれません。何か弱みがあって事情を詮索されたくないのかもしれません。いやいや、他人が真似できない傑作を作り出す人は変人と相場が決まっています」
「なぜ、あの失礼な男の肩を持つのです」
お熊は柳眉を逆立てた。
「いえ、そのようなわけではありませぬ。ただ、ありえそうな事情をいろいろ想像してみただけです」
「静馬どのは人が良すぎます。何でも善意に考え過ぎではありませぬか」
お熊はますます怒りだした。
「誰しも立場に応じて言い分があります。一方の立場に立って相手に怒ってみても、見当違いな場合があります。怒ると疲れます。怒らなくともよいことに怒るなど、己自身が損だとは思われませぬか? 心穏やかに生きるほうが幸せにつながりますよ」
怒りを無理に抑えたり、辛抱するのではない。
相手の事情をあれこれ思い巡らせてみれば、怒らずともよいと自然に納得できるのだ。
とはいえまだまだ悟り切れない静馬は、古井戸の底に向かって悪態をつくのだったが。
「静馬どのはこのわたくしとあのような恩知らずとどちらが大切なのですか。返答しだいで、ただでは済ませませぬぞ」
お熊はぷりぷりしながら足早に歩き出した。
頬を膨らませた顔も子狸のようで愛嬌がある。
裾が乱れぬように小股でちょこちょこと歩く姿に、思わず唇が緩んでしまう。
しばらくぼんやりと見送った後、
「お待ちください」
継当てしたよれよれの袴をぱたぱたとはためかせながらお熊の跡を追った。
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