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二十七 利根川での決戦
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翌日早朝、田安徳川家世嗣徳川匡時は領地の視察を兼ねて、成田山参詣へと赴いた。
成田山新勝寺は長く荒廃していたが、歌舞伎役者市川団十郎が帰依して成田屋の屋号を名乗ってから参詣者が増え、江戸庶民が二泊三日かけてのんびりと物見遊山を楽しむ地となっている。
ともあれ匡時一行は遊行ではない。
一泊のみで行きも帰りも利根川を高瀬船で行く行程だった。
宿院玄蕃のほかに、若党相良源八の姿も見える。
ほかは利之進にとって見知らぬ者たちばかりだった。
静馬と利之進も高瀬船を仕立てたが、セイジが無い房丁高瀬船と呼ばれる小型の船で、船頭も二人しかいなかった。
船の雇い入れや雑多な手配は、右近のおかげで大いに無理が利いた。
荷物を積み込んだように見せかけ、頬かぶりして櫂でこぐ中乗りの体で乗船している。
大小は菰で包んで手元に置いていた。
「剣の腕を買われている宿院玄蕃は、船の最後尾で周囲を警戒するお役目というわけですね」
「あの位置からでは、いきなり襲いかかる恐れはあるまい」
船中での供の配置を確認し、ひとまず愁眉を開いた。
静馬らの房丁高瀬船はつかず離れず匡時一行を追う。
(明日、木戸が閉まるまでに、本所回向院へ戻れるだろうか)
匡時一行の行程が順調に運ぶか否かが気掛かりだった。
刻限までに戻らねば死罪は免れない。
しかも親類縁者にまで類が及ぶため、日頃、縁の薄い父母兄弟にまで迷惑がかかる。
握り締めた手の中に汗がにじんだ。
「今から気を張っておっては保たぬぞ。変事は緊張が解けて疲れが出る復路やもしれぬからな」
利之進はみずからに言い聞かせるように言った。
利之進の緊張も痛いほど伝わってくる。
利根川を遡上する白帆の群れがゆったりと去っていく。
水はあくまで澄み切って、まるで水晶を溶かしたようだった。
「このような危難が降りかかったことで、期せずしてお熊どのと親しゅうなれたのだから皮肉なものよ」
利之進は苦笑した。
苦笑だが、利之進の場合、あくまでも明るさが底にあり、静馬が時折浮かべる苦笑とはまるで異なるものだった。
(このように爽やかな苦笑もあるのか。よく覚えておいて笑顔の研鑽に生かさねばな)
いつものように考えて、ふと気がついた。
(しばらく鏡を手にしての笑顔の研鑽もしていなかったな。ついでにいえば……)
空井戸の底に向かって憤懣を叫んだ日が、まるで遠い昔のごとく感じられた。
子供じみた憂さ晴らしをしていた頃は、この上なく幸せだったのだ。
(何としても御世嗣匡時さまをお守りして、玄蕃の企みを暴いてみせる)
筵でくるまれた大刀の柄をなでた。
大刀は、利之進から借り受けた、無銘ながら武骨な一刀だった。
匡時一行は、下総国相馬郡に位置する領地での視察を終えて代官屋敷に宿泊した。
静馬と利之進は朽ち果てた辻堂の軒先で、交替で仮眠を取りながら変事に備えたが、何事もなく朝を迎えた。
翌日の早朝、まだ暗いうちから代官屋敷を出た匡時一向は、成田山新勝寺の参詣を終えた。
陸路を進んで再び利根川へ出ると、利根川を遡って関宿を目指す。
上りではあるが、川下からの追い風を帆一杯に受けているので速度は存外速かった。
荷を高々と積み上げた一艘の高瀬船が目を引いた。
下端を短く切り取った帆を張っている。
荷の嵩に比して喫水が浅く、空き樽などの軽い荷を積んでいると思われた。
(江戸に向かうのに空荷とは妙だ)
違和を感じたそのときだった。
船が匡時一行の高瀬船に急速に接近していく。
「利之進どの、怪しい船が!」
居眠りをしていた利之進を揺さぶった。
「何っ!」
利之進はかっと目を見開き、
「早よう、こげ!」
船頭たちに匡時の乗る高瀬船に近づくよう命じた。
反対側からも俗に土船、鬼丸と呼ばれる中艜船が匡時の船に近づいていく。
船足が異様に速い。
「急げ!」
利之進が船頭らを叱咤する。
正体不明の高瀬船が匡時の船に突進する。
「いかん、ぶつかる!」
静馬は思わず声を上げた。
匡時の船が衝突を避けようと中州のほうへ舵を切った。
怪しい高瀬船が匡時を乗せた船の船首に体当たりする。
腹に響く鈍い音がした。
土船も船尾へぶつかる。
ずずず。
嫌な音がした。
衝突の弾みで、匡時の船の船首が中州の浅瀬に乗り上げた。
土船と怪しい高瀬船も浅瀬に乗り上げる。
積み荷を覆っていた菰の下から男たちが姿を現し、次々と匡時の船に飛び移る。
男たちは覆面あり、頬かぶりありで面体を隠していた。
まちまちの風体から見て浪人や破落戸、無宿者といった不逞の輩の寄せ集めらしかった。
匡時の供の者たちに動揺が走った。
玄蕃をのぞいた二十一人の供の内、源八のように、町民出の若党や中間といった武家奉公人が数多く混じっている。
正真正銘の武士であっても、確かな腕を持った者となればごく少数だろう。
「匡時さま、危のうございます」
玄蕃が匡時の近くに走り寄る叫び声が聞こえた。
(匡時さまが危ない)
中州に急ぐ。
「いかん。玄蕃を匡時さまに近づけてはならぬ」
利之進が上ずった声で叫んだ。
高瀬船の上と中州で、敵味方が乱戦を繰り広げている。
戦いの場がどんどん位置を変えていく。
「早く! 早く!」
船頭をせかした。
ずずん。
静馬の船も中州に近い浅瀬に乗り上げた。
水しぶきを上げながら駆け寄る。
「匡時さま――! 利之進です」
利之進が声を張り上げて匡時の姿を探す。
敵が静馬と利之進にも襲いかかってくる。
腕に自信がある命知らずばかりだった。
敵の数は、味方をはるかに凌駕している。
中州は雑木が生えて夏草も茂っている。
背の高い、芒に似た荻や葦が視角を遮って、見通しが利かなかった。
玄蕃は腕が立つ。
しかも匡時は味方と信じているからひとたまりもない。
「もしや匡時さまはすでに玄蕃の手に掛かってご落命などということはないでしょうか」
背の高い草をかき分けながら危惧を口にした。
「それなら仇討ちをするまでのこと」
利之進が低い声で答えた。
「てえええっ」
敵が鋭い気合いとともに利之進に斬りかかってきた。
利之進が大刀で打ち払う。
敵は大柄な利之進の膂力に吹っ飛ばされた。
「雑魚どもの相手などしておれぬ。匡時さまを探さねば」
「わたくしは右手から参ります。利之進どのは左側をお願いいたします」
二手に分かれて戦いながら匡時の姿を探した。
「匡時さま、いずこにおられます――! 利之進が参上つかまつりました」
怒声と気合い声と悲鳴が交錯する決戦場に、利之進の悲壮な声が響く。
(新手が来た)
利根川の水面を風のように下ってくる一艘の小舟があった。
敵と戦いながら灌木の茂みに分け入ったとき、
「利之進さま、匡時さまはこちらです」
玄蕃の声が響いてきた。
「何っ!」
玄蕃の声がした方向へ駆けた。
灌木の濃い茂みを背にした匡時と、匡時をかばって敵と対峙する玄蕃の巨体があった。
匡時は無事だった。
だが玄蕃がいつ牙をむくかしれない。
一刻を争う。
二人目掛けて走った。
「匡時さま! 玄蕃は賊の一味です。お気をつけください!」
別の方角から利之進の叫び声が響いた。
近くで若党の源八が奮戦している。
大刀をやたらめったら振り回すが、浪人者に斬り立てられて危なっかしいありさまだった。
すぐに討ち死にしてしまいそうだが、助ける余裕が無い。
間近で見た二十五歳の匡時は、品のある顔立ちの若殿ぶりだったが、文武でいえば、文のほうに長けていそうな華奢さだった。
大刀を手にしているものの腰が引けている。
心得として剣を学んでいるだけで、実際に命のやり取りをしたことはなさそうだった。
敵に向けられた玄蕃の切っ先が、いつ匡時に向けられるかしれない。
間合いまであと一息の距離に近づいた。
利之進も少し遅れて駆けつける。
もどかしい。
「玄蕃! 覚悟!」
静馬が玄蕃との間合いに到ったときだった。
「うりゃああ」
玄蕃に浪人者が迫った。
別の方向からも長脇差の破落戸が近づく。
浪人に向かって中段の構えをとった玄蕃は、破落戸に気づかぬふうである。
(玄蕃が危ない。いや、これは仲間内の狂言なのか)
足を止めて玄蕃の動きに釘付けになった。
玄蕃がいきなり右前方に跳んだ。
跳びながら上段になる。
着地する。
左膝を立てた左袈裟が破落戸を襲った。
破落戸は右肩口から左脇腹を断ち割られた。
鮮やかな血飛沫が砂州に飛び散る。
玄蕃が左右の足を踏み換える。
右足を踏み出す。
上段に構えて浪人者に正面斬りを見舞った。
刀身に全体重が乗った斬り下ろしが決まる。
正面を割られた浪人が声もなくのけぞる。
身体をくねらせて草むらにくずおれた。
虚空に紅い霧が流れた。
タイ捨流の『十手』だった。
正面の敵に向かうと見せかけて右前方の敵を襲って先手を打つ。
一連の動きで、残った敵をすぐさま仕留める古流剣術の技である。
「げ、玄蕃どの」
「玄蕃……」
静馬と利之進は同時に声を発していた。
驚いたものの、
(拙者らの姿が見えたため、味方を斬って取り繕ったやもしれぬ)
まだ油断はできなかった。
「匡時はあそこだ」
「おおっ」
「やっちまえ」
さらなる敵が殺到してくる。
乱戦になった。
(ともかく玄蕃を匡時さまから離さねば)
玄蕃を押しやって、利之進と静馬が匡時の側近くを守る陣形を取った。
「よくもこれだけ腕の立つ輩を大勢、集めたものです」
「よほどの金子が動いたのであろう」
敵は執拗に攻めてくる。
破落戸の風体でも剣の心得のある者もいる。
実戦で磨いた喧嘩殺法は侮れない。
「さきほど、新手と思われる舟の影が見えました」
「何人いようと成敗するのみだ」
匡時の側近く守りながら声を掛け合った。
「げぇ!」
視界の外で敵が倒れる音がした。
音のほうに目をやった。
「姫、参上!」
覆面をしているが、袴の股立ちをきりりととった姿はまさしくお熊だった。
「お、おく……いや姫! どうして来たのです」
静馬はお熊と背中を合わせた。
「父上に気づかれぬよう屋敷を出るのに難儀しました。本当は昨晩からご一緒したかったのですが。ともかく間に合って良かったです」
覆面の下で光を放つお熊の目は細まって鋭かった。
「お止めしたに、何ゆえ参られた」
利之進がお熊をきっと睨んで叱りつけた。
(墨伝先生もご存知なら、必ずやこの場に駆けつけておられたろうに)
お熊は自らこの一戦に加わりたいばかりに、墨伝には内密にしたのだろう。
(またもお熊どのの身を案じながらの戦いになるとは)
今さらしかたがない。
「せいっ」
武士が正面から手槍を突き入れてきた。
「むん」
手槍を真っ二つにした。
退く武士に肉迫する。
狼狽えながら刀の柄にやった武士の右手首を切断した。
武士は鮮血の噴き出す手首を左手でつかんで、よろめきながら戦いの場を離脱した。
お熊の登場に利之進が奮い立つ。
鬼のように八面六臂の働きをみせる。
静馬も負けじと腕を振るった。
成田山新勝寺は長く荒廃していたが、歌舞伎役者市川団十郎が帰依して成田屋の屋号を名乗ってから参詣者が増え、江戸庶民が二泊三日かけてのんびりと物見遊山を楽しむ地となっている。
ともあれ匡時一行は遊行ではない。
一泊のみで行きも帰りも利根川を高瀬船で行く行程だった。
宿院玄蕃のほかに、若党相良源八の姿も見える。
ほかは利之進にとって見知らぬ者たちばかりだった。
静馬と利之進も高瀬船を仕立てたが、セイジが無い房丁高瀬船と呼ばれる小型の船で、船頭も二人しかいなかった。
船の雇い入れや雑多な手配は、右近のおかげで大いに無理が利いた。
荷物を積み込んだように見せかけ、頬かぶりして櫂でこぐ中乗りの体で乗船している。
大小は菰で包んで手元に置いていた。
「剣の腕を買われている宿院玄蕃は、船の最後尾で周囲を警戒するお役目というわけですね」
「あの位置からでは、いきなり襲いかかる恐れはあるまい」
船中での供の配置を確認し、ひとまず愁眉を開いた。
静馬らの房丁高瀬船はつかず離れず匡時一行を追う。
(明日、木戸が閉まるまでに、本所回向院へ戻れるだろうか)
匡時一行の行程が順調に運ぶか否かが気掛かりだった。
刻限までに戻らねば死罪は免れない。
しかも親類縁者にまで類が及ぶため、日頃、縁の薄い父母兄弟にまで迷惑がかかる。
握り締めた手の中に汗がにじんだ。
「今から気を張っておっては保たぬぞ。変事は緊張が解けて疲れが出る復路やもしれぬからな」
利之進はみずからに言い聞かせるように言った。
利之進の緊張も痛いほど伝わってくる。
利根川を遡上する白帆の群れがゆったりと去っていく。
水はあくまで澄み切って、まるで水晶を溶かしたようだった。
「このような危難が降りかかったことで、期せずしてお熊どのと親しゅうなれたのだから皮肉なものよ」
利之進は苦笑した。
苦笑だが、利之進の場合、あくまでも明るさが底にあり、静馬が時折浮かべる苦笑とはまるで異なるものだった。
(このように爽やかな苦笑もあるのか。よく覚えておいて笑顔の研鑽に生かさねばな)
いつものように考えて、ふと気がついた。
(しばらく鏡を手にしての笑顔の研鑽もしていなかったな。ついでにいえば……)
空井戸の底に向かって憤懣を叫んだ日が、まるで遠い昔のごとく感じられた。
子供じみた憂さ晴らしをしていた頃は、この上なく幸せだったのだ。
(何としても御世嗣匡時さまをお守りして、玄蕃の企みを暴いてみせる)
筵でくるまれた大刀の柄をなでた。
大刀は、利之進から借り受けた、無銘ながら武骨な一刀だった。
匡時一行は、下総国相馬郡に位置する領地での視察を終えて代官屋敷に宿泊した。
静馬と利之進は朽ち果てた辻堂の軒先で、交替で仮眠を取りながら変事に備えたが、何事もなく朝を迎えた。
翌日の早朝、まだ暗いうちから代官屋敷を出た匡時一向は、成田山新勝寺の参詣を終えた。
陸路を進んで再び利根川へ出ると、利根川を遡って関宿を目指す。
上りではあるが、川下からの追い風を帆一杯に受けているので速度は存外速かった。
荷を高々と積み上げた一艘の高瀬船が目を引いた。
下端を短く切り取った帆を張っている。
荷の嵩に比して喫水が浅く、空き樽などの軽い荷を積んでいると思われた。
(江戸に向かうのに空荷とは妙だ)
違和を感じたそのときだった。
船が匡時一行の高瀬船に急速に接近していく。
「利之進どの、怪しい船が!」
居眠りをしていた利之進を揺さぶった。
「何っ!」
利之進はかっと目を見開き、
「早よう、こげ!」
船頭たちに匡時の乗る高瀬船に近づくよう命じた。
反対側からも俗に土船、鬼丸と呼ばれる中艜船が匡時の船に近づいていく。
船足が異様に速い。
「急げ!」
利之進が船頭らを叱咤する。
正体不明の高瀬船が匡時の船に突進する。
「いかん、ぶつかる!」
静馬は思わず声を上げた。
匡時の船が衝突を避けようと中州のほうへ舵を切った。
怪しい高瀬船が匡時を乗せた船の船首に体当たりする。
腹に響く鈍い音がした。
土船も船尾へぶつかる。
ずずず。
嫌な音がした。
衝突の弾みで、匡時の船の船首が中州の浅瀬に乗り上げた。
土船と怪しい高瀬船も浅瀬に乗り上げる。
積み荷を覆っていた菰の下から男たちが姿を現し、次々と匡時の船に飛び移る。
男たちは覆面あり、頬かぶりありで面体を隠していた。
まちまちの風体から見て浪人や破落戸、無宿者といった不逞の輩の寄せ集めらしかった。
匡時の供の者たちに動揺が走った。
玄蕃をのぞいた二十一人の供の内、源八のように、町民出の若党や中間といった武家奉公人が数多く混じっている。
正真正銘の武士であっても、確かな腕を持った者となればごく少数だろう。
「匡時さま、危のうございます」
玄蕃が匡時の近くに走り寄る叫び声が聞こえた。
(匡時さまが危ない)
中州に急ぐ。
「いかん。玄蕃を匡時さまに近づけてはならぬ」
利之進が上ずった声で叫んだ。
高瀬船の上と中州で、敵味方が乱戦を繰り広げている。
戦いの場がどんどん位置を変えていく。
「早く! 早く!」
船頭をせかした。
ずずん。
静馬の船も中州に近い浅瀬に乗り上げた。
水しぶきを上げながら駆け寄る。
「匡時さま――! 利之進です」
利之進が声を張り上げて匡時の姿を探す。
敵が静馬と利之進にも襲いかかってくる。
腕に自信がある命知らずばかりだった。
敵の数は、味方をはるかに凌駕している。
中州は雑木が生えて夏草も茂っている。
背の高い、芒に似た荻や葦が視角を遮って、見通しが利かなかった。
玄蕃は腕が立つ。
しかも匡時は味方と信じているからひとたまりもない。
「もしや匡時さまはすでに玄蕃の手に掛かってご落命などということはないでしょうか」
背の高い草をかき分けながら危惧を口にした。
「それなら仇討ちをするまでのこと」
利之進が低い声で答えた。
「てえええっ」
敵が鋭い気合いとともに利之進に斬りかかってきた。
利之進が大刀で打ち払う。
敵は大柄な利之進の膂力に吹っ飛ばされた。
「雑魚どもの相手などしておれぬ。匡時さまを探さねば」
「わたくしは右手から参ります。利之進どのは左側をお願いいたします」
二手に分かれて戦いながら匡時の姿を探した。
「匡時さま、いずこにおられます――! 利之進が参上つかまつりました」
怒声と気合い声と悲鳴が交錯する決戦場に、利之進の悲壮な声が響く。
(新手が来た)
利根川の水面を風のように下ってくる一艘の小舟があった。
敵と戦いながら灌木の茂みに分け入ったとき、
「利之進さま、匡時さまはこちらです」
玄蕃の声が響いてきた。
「何っ!」
玄蕃の声がした方向へ駆けた。
灌木の濃い茂みを背にした匡時と、匡時をかばって敵と対峙する玄蕃の巨体があった。
匡時は無事だった。
だが玄蕃がいつ牙をむくかしれない。
一刻を争う。
二人目掛けて走った。
「匡時さま! 玄蕃は賊の一味です。お気をつけください!」
別の方角から利之進の叫び声が響いた。
近くで若党の源八が奮戦している。
大刀をやたらめったら振り回すが、浪人者に斬り立てられて危なっかしいありさまだった。
すぐに討ち死にしてしまいそうだが、助ける余裕が無い。
間近で見た二十五歳の匡時は、品のある顔立ちの若殿ぶりだったが、文武でいえば、文のほうに長けていそうな華奢さだった。
大刀を手にしているものの腰が引けている。
心得として剣を学んでいるだけで、実際に命のやり取りをしたことはなさそうだった。
敵に向けられた玄蕃の切っ先が、いつ匡時に向けられるかしれない。
間合いまであと一息の距離に近づいた。
利之進も少し遅れて駆けつける。
もどかしい。
「玄蕃! 覚悟!」
静馬が玄蕃との間合いに到ったときだった。
「うりゃああ」
玄蕃に浪人者が迫った。
別の方向からも長脇差の破落戸が近づく。
浪人に向かって中段の構えをとった玄蕃は、破落戸に気づかぬふうである。
(玄蕃が危ない。いや、これは仲間内の狂言なのか)
足を止めて玄蕃の動きに釘付けになった。
玄蕃がいきなり右前方に跳んだ。
跳びながら上段になる。
着地する。
左膝を立てた左袈裟が破落戸を襲った。
破落戸は右肩口から左脇腹を断ち割られた。
鮮やかな血飛沫が砂州に飛び散る。
玄蕃が左右の足を踏み換える。
右足を踏み出す。
上段に構えて浪人者に正面斬りを見舞った。
刀身に全体重が乗った斬り下ろしが決まる。
正面を割られた浪人が声もなくのけぞる。
身体をくねらせて草むらにくずおれた。
虚空に紅い霧が流れた。
タイ捨流の『十手』だった。
正面の敵に向かうと見せかけて右前方の敵を襲って先手を打つ。
一連の動きで、残った敵をすぐさま仕留める古流剣術の技である。
「げ、玄蕃どの」
「玄蕃……」
静馬と利之進は同時に声を発していた。
驚いたものの、
(拙者らの姿が見えたため、味方を斬って取り繕ったやもしれぬ)
まだ油断はできなかった。
「匡時はあそこだ」
「おおっ」
「やっちまえ」
さらなる敵が殺到してくる。
乱戦になった。
(ともかく玄蕃を匡時さまから離さねば)
玄蕃を押しやって、利之進と静馬が匡時の側近くを守る陣形を取った。
「よくもこれだけ腕の立つ輩を大勢、集めたものです」
「よほどの金子が動いたのであろう」
敵は執拗に攻めてくる。
破落戸の風体でも剣の心得のある者もいる。
実戦で磨いた喧嘩殺法は侮れない。
「さきほど、新手と思われる舟の影が見えました」
「何人いようと成敗するのみだ」
匡時の側近く守りながら声を掛け合った。
「げぇ!」
視界の外で敵が倒れる音がした。
音のほうに目をやった。
「姫、参上!」
覆面をしているが、袴の股立ちをきりりととった姿はまさしくお熊だった。
「お、おく……いや姫! どうして来たのです」
静馬はお熊と背中を合わせた。
「父上に気づかれぬよう屋敷を出るのに難儀しました。本当は昨晩からご一緒したかったのですが。ともかく間に合って良かったです」
覆面の下で光を放つお熊の目は細まって鋭かった。
「お止めしたに、何ゆえ参られた」
利之進がお熊をきっと睨んで叱りつけた。
(墨伝先生もご存知なら、必ずやこの場に駆けつけておられたろうに)
お熊は自らこの一戦に加わりたいばかりに、墨伝には内密にしたのだろう。
(またもお熊どのの身を案じながらの戦いになるとは)
今さらしかたがない。
「せいっ」
武士が正面から手槍を突き入れてきた。
「むん」
手槍を真っ二つにした。
退く武士に肉迫する。
狼狽えながら刀の柄にやった武士の右手首を切断した。
武士は鮮血の噴き出す手首を左手でつかんで、よろめきながら戦いの場を離脱した。
お熊の登場に利之進が奮い立つ。
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