裏剣客加瀬崎十郎 北斎大画即書

CHIHARU

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二十二   腋を一太刀、謎の殺法の流派は?

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 いったん屋敷に戻った崎十郎は、園絵に詳しく事情を説明した。

 園絵は『義を見て為さざるは勇無きなりです。わたくしも及ばずながら助力いたします』と、珍しく手放しで励ましてくれた。

「では、養母上は重い病で臥せっておられることにいたしますゆえ、くれぐれも出歩かぬようお願いいたします」
 園絵に念押しした崎十郎は、母の看病のため明日から勤めを休む旨の届出書をしたため、『明日、組頭宅に届けるように』と下男の六助に託した。

 ふたたび北斎宅に戻った崎十郎は、善次郎らとともに夜を明かした。

「平太親分もそろそろ来る頃だが……」
 出かける支度をしていたところへ、長屋のどぶ板を鳴らして誰かが走り込んできた。

 足音は北斎宅の前でぴたりと止まった。

「隼人助が死にやした」
 戸締まりされていない腰高障子をがらりと開けて、息を切らせた平太が顔を出した。

「なんだと」
 崎十郎と善次郎は同時に立ち上がった。

「死体が百本杭に引っかかっておりやした。いま見つけたばかりです」

 崎十郎と善次郎は雪駄を履く手間ももどかしく、大川沿いにある百本杭に走った。

「確かにこやつは隼人助に違いない」
 まだ杭に引っかかっているままの死体の顔をあらためた。

「この場所で大川に落ちて杭に引っかかったのか。それとも肥えておるゆえ水に浮いて上流から流れ着いたものか」
 善次郎は、ほんの少し髭が伸び始めた顎をするりと撫でた。

「水から引き上げるぞ」
 平太の声に、下っ引きをはじめ、崎十郎と善次郎も加わって、難儀しながら、あり得ぬほど重い死体を土手に引っ張り上げた。

「これは……」
 衣服の上からでも致命傷が見てとれた。

「腋を一太刀です。この斬り口は、市中を騒がしておる例の辻斬りに相違ありませぬ」
 善次郎に向かって大きく頷いた。

「つまり辻斬りは忠兵衛とつながっていたわけだな」

「このような殺法がある流派がいかなるものか、それがわかれば辻斬りの正体にも近づけるはずですが……」
 崎十郎は己の不明に歯噛みした。

「やはりな……」
 隼人助の左手の親指には傷跡があった。
 真吾の刀に血糊を塗りつけるため自らつけた傷に違いなかった。

「忠兵衛は出羽守に接触して景光を渡すはずです」
 いまは、交代で忠兵衛を見張るしか、残された手はなかった。 







 忠兵衛の周辺に動きはなかった。
 用心しているに相違ない。

 夕刻、崎十郎と平太の子分が忠兵衛宅を見張っていると、先日、由蔵に絡んでいた火消人足たちがぞろぞろと出てきた。

(年嵩の火消は確か、孫一という梯子持ちだったな)

 孫一だけが夜目にも上物とわかる小袖を着ており、蜘蛛の巣と蝙蝠の柄が際だっていた。
 いそいそと出かける様子に、孫一らをつけることにした。

「孫一兄貴、纒持ちに昇進、まことにおめでとうございます」
 火消のひとりがへつらうような口調で囃した。

 纒持ちは次期組頭と目される、火事場で一番の花形だった。
 残りの連中は〝平人ひらびと〟と呼ばれる、鳶口で家屋を取り壊す役目の若い衆らしかった。

 孫一は弟分を引き連れて、とり八と暖簾のかかった煮売り酒屋に入った。

 日が落ちたばかりなので客はまだ少なかった。
 孫一たちが奥に陣取ったことを確かめてから、顔を見られぬよう、桧笠をかぶったまま店に入った。

 ひとつ間を開けた衝立の向こう側に座ると、笠をぬいで、寄ってきた小女に呑めぬ酒を頼んだ。
 

 孫一一行は、酒がまわって口が軽くなり、声も大きくなった。
 ひと言も聞き漏らすまいと、孫一らの話に耳をそばだてた。

「孫一兄貴が跡目を継ぐ日も近いのじゃねえですかい」
「親分はまだまだ元気じゃねえか」
 孫一は笑い飛ばしたが、まんざらでもない口調である。

「けど、もうろくしかけって噂もちらほら聞きやすぜ。へへへ」

「内輪の寄合の席でもあれはいけねえ。自慢話もほどほどにせにゃあ命取りだあな」
 孫一は少し声をひそめてから、
「いやいや、どこのどなたとぜってえ明かさねえから、もうろくたあ違わあな」と付け加えた。

「これはあっしの想像ですがね……」
 若い平人が、秘密めいた口調で言い出したが、新たな客がどやどやと入ってきて店の中が騒がしくなったため、孫一らの話はまるで聞こえなくなった。

(まあよい。直接、吐かせてやる)
 一足先に店を出て、通り向かいの路地に身をひそめることにした。


 路地を吹き抜ける冷たい夜風になぶられながら半刻ほど待っていると、ようやく、ほろ酔い機嫌の孫一らが通りに出てきた。

「これで遊んできな」
 上機嫌な孫一は弟分たちに銭を渡した。

「じゃあ俺たちはこれで……」
 連れだって遊所に向かう弟分たちを、孫一は、気っ風の良い兄貴気取りで、目を細めながら見送った。

「さてさて俺っちも行くか」
 端唄を口ずさみながら、孫一は千鳥足で歩き始めた。



 蔵地と大名屋敷の塀に囲まれた通りに出ると急にひとけがなくなった。

 手拭いで顔を隠し、
「ちと聞きたいのだが」
 低い声で孫一を呼び止めた。 
 
「な、なんでえ」
 孫一はぎょっとした顔で、提灯を崎十郎のほうに突き出した。

「辻斬りの一件と蔵地家の一件について聞かせてもらおうか」
 威圧感を出すべく、聞き取れるか聞き取れないかの絞り出すような声で訊ねた。

「なんの話でえ。人違いじゃねえのか」
 孫一は後ずさった。

「知らぬはずはない。返答しだいでは、このわしが辻斬りに変じるやもしれぬぞ」

「そんな脅しが利くもんけえ」
 孫一は隠し持っていた匕首でいきなり突きかかってきた。

 度胸が据わっている。
 予想より鋭い突きだった。

 だが裏剣客の敵ではない。

「おっと」
 体さばきで難なくかわした崎十郎は、匕首を持った孫一の太い手首をつかんでねじ上げた。
 匕首が地面にぽとりと落ちる。

「おまえがその気なら、こちらも容赦せぬ」
 孫一の手首をつかんだ手を放すや抜き打ちを放った。

「ひえええ」
 帯がぷっつりと切れて前がばらりとはだけ、孫一はその場に尻餅をついた。

「次は着ておるものだけでは済まぬぞ」 
 さらに声を落として、ささやくように告げた。
 大声でまくし立てて威嚇するより、聞き取りにくい静かな声で脅すほうが、こういう輩にはよく効く。

「へ、へい、なんでも申し上げます」
 急に素直になった孫一は、
「蔵地のご隠居の一件は……」と聞かぬ先からべらべら話し始めた。

 ――忠兵衛は、以前から、曰く付きの刀の仲介を行って密かに儲けていた。

 さるお偉いお方に頼まれて景光を探していたところ、旗本蔵地家の蔵にあると知った。

 当主の隼人助は売りたがったが、隠居の由蔵が蔵の鍵を渡そうとしない。

 ふらふら歩きまわっている由蔵と偶然に出くわした忠兵衛は、子分に命じて、蔵の鍵を奪わせようとしたが、邪魔が入ったため、小芝居で誤魔化した――という。

「いまごろ隼人助さまは、身請けした女郎と東海道を上ってなさるこったろう。親分は情け深えおひとだ。ほとぼりが冷めるまで女といっしょに身を隠すよう、各地の親分がたへの回状まで渡しておやんなすったんだ」
 孫一は隼人助が辻斬りに殺害された一件どころか、江戸に舞い戻ったことすら知らなかった。

 拍子抜けした崎十郎は、愛刀、関の兼常を納刀した。

「もう行くがよい」
 崎十郎の言葉に孫一は脱兎のごとく走り去った。
 どたどたという足音が遠ざかっていく。

 手に入れた刀に箔をつけて高値で売るため、忠兵衛は辻斬りを雇って試し斬りをさせていたに違いない。

「忠兵衛がいつ尻尾を出すのか。先途ほど遠しだな」
 焦る心を抑えてつぶやいた。
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