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二十七 大達磨図の大画即書披露
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翌日正午から『大達磨図』の大画即書が披露される段取りになった。
貴賤を問わず多くの者が観覧できるように、富岡八幡宮の境内で行われる。
富岡八幡宮は江戸随一の八幡宮で、門前仲町を中心に〝辰巳〟と呼ばれる花街が点在しており、昼夜を問わずにぎわう土地柄である。
あの北斎が大画即書をするとの情報は耳聡い江戸っ子の間に瞬く間に広がり、地元本所深川だけでなく、永代橋を渡って続々と人が詰めかけ、境内は朝から押すな押すなの大混雑となった。
武家、町人、職人、長屋のおかみさん、近在の百姓に混じって、物売りなど、商いを中断して立ち寄った者たちも多く見受けられた。
崎十郎は雪駄直しに変装して見物人に加わっていた。
雪駄直しは、肩から籠をかけて笠をかぶり、笠の下にさらに頬かぶりする出で立ちなので、顔を隠すにはうってつけの扮装だった。
大刀は持ち歩けぬので脇差だけ藁で包んで籠に入れている。
いまのところ右膳の姿は見えない。
二ノ鳥居をくぐって長い参道を真っ直ぐに進んだ。
社殿の奥が大画即書披露の場となっており、簡素に組まれた竹矢来の中で北斎が描く。
一段高くなった台上には出羽守の席が設けられ、緋毛氈が敷かれて金屏風が広げられていた。
奥には、描き上げた画を披露するための高い櫓が組まれている。
見物人の間を巧みにすり抜けて、北斎や出羽守らの近くに陣取った。
江戸では、音羽の護国寺での大画即書以来の大仕事である。
「二十余年ぶりの大達磨図でござい。とくと御覧じろ」
北斎は得意げに声を張り上げた。
老人とは思えぬ溌剌とした声音だった。
「よう、千両役者」
「日本一」
観客のあちこちからかけ声がかかり、招致した出羽守は満足げに何度も頷いた。
「ではお願い申す」
采女の言葉で太鼓が打ち鳴らされ、いよいよ大画即書が始まった。
北斎は若者のごとく背筋をしゃんと伸ばし、米俵五個分の藁で作った大筆を巧みに操る。
数刻かけて描くのだが、観客には、大き過ぎてなにを描いているかすらわからなかった。
藁箒の柄を長くして端に石をつけ下げ、柄を肩にかけて描いていく。
善次郎を筆頭に、袴を履いて襷がけした弟子が数人、阿吽の呼吸で北斎を手伝う。
今日のお栄は絵描きの手伝いではなかった。
目一杯着飾って、絶世の美女に変じている。
「出羽守さまにまたもお目にかかれるとは嬉しゅうござんす」
北斎が描く様子を、逐一、解説する名目で出羽守の側にはべっていた。
「嬉しいとな。そうであろう、そうであろう」
上機嫌な出羽守は、北斎の画よりも明らかにお栄に関心がある様子だった。
「無礼講じゃ、無礼講じゃ」
古風な盃に酒を注がせてお栄にも勧めた。
お栄はうわばみのように酒に強い。
盃重ねるうちに出羽守だけが、すっかり酔ってしまった。
「この前におっしゃっていた名刀とやらはもうお手になすったのですかい」
「いやまだじゃ。仲立ちしておった商人が突然の病で身罷ったゆえ、少々縁起が悪い気がしての。初七日を過ぎるまで日延べさせたのじゃ」
「代わりのかたが、お屋敷まで持参されるのですかい」
「そうではない。たいそう値が張ったゆえ、大っぴらに受け渡しできぬのじゃ。屋敷うちでは、緊縮を迫りおる五月蠅い家臣どもがおるゆえ、たいそう難儀なのじゃ」
「じゃあいったいどこで……」
「そのような話はどうでもよいではないか。ほれ見てみい」
出羽守は顎をしゃくって北斎をさした。
画は間もなく仕上がる。
皆が固唾を吞んで見守っている。
沈黙が訪れた。
北斎と大筆が一体となって舞を舞う。
魂を込めて描く。
心は無だ。
惹きつけられた崎十郎は、北斎の筆さばきから目が離せなくなった。
「む!」
突如、射るような視線を感じた。
右膳が群衆の向こう側からじっと見詰めている。
背後に平太の姿も見えた。
右膳が動いた。
平太らにも緊張が走る。
右膳が手振りで、反対側から囲めと指示を出した。
平太と下っ引きふたりがこちらに向かってくる。
(まずい)
人混みをかきわけて逃げた。
そのときだった。
「描き上がってござい」
善次郎が動いた。
完成された画を持って櫓に走る。
お栄が立ち上がって、
「さあ、なにが描けたか、ご覧じろ」と、腹に力を籠めた大声で見物人に呼びかけた。
見物人が大波となって櫓へ押し寄せる。
崎十郎も波に紛れて動く。
櫓の頂上から、大画が、はらりと広げられて見物人の眼前に披露された。
ようやく達磨図だと知った群衆からどっと歓声が上がり、さらに近くで見ようと櫓に詰め寄る。
右膳らとの間に群衆の大きな渦ができた。
「どけ、どかぬか」
右膳の叱咤は群衆のどよめきにかき消される。
「ざまあみやがれ」
群衆をかき分ける右膳を尻目に、崎十郎は、無事、境内をあとにした。
貴賤を問わず多くの者が観覧できるように、富岡八幡宮の境内で行われる。
富岡八幡宮は江戸随一の八幡宮で、門前仲町を中心に〝辰巳〟と呼ばれる花街が点在しており、昼夜を問わずにぎわう土地柄である。
あの北斎が大画即書をするとの情報は耳聡い江戸っ子の間に瞬く間に広がり、地元本所深川だけでなく、永代橋を渡って続々と人が詰めかけ、境内は朝から押すな押すなの大混雑となった。
武家、町人、職人、長屋のおかみさん、近在の百姓に混じって、物売りなど、商いを中断して立ち寄った者たちも多く見受けられた。
崎十郎は雪駄直しに変装して見物人に加わっていた。
雪駄直しは、肩から籠をかけて笠をかぶり、笠の下にさらに頬かぶりする出で立ちなので、顔を隠すにはうってつけの扮装だった。
大刀は持ち歩けぬので脇差だけ藁で包んで籠に入れている。
いまのところ右膳の姿は見えない。
二ノ鳥居をくぐって長い参道を真っ直ぐに進んだ。
社殿の奥が大画即書披露の場となっており、簡素に組まれた竹矢来の中で北斎が描く。
一段高くなった台上には出羽守の席が設けられ、緋毛氈が敷かれて金屏風が広げられていた。
奥には、描き上げた画を披露するための高い櫓が組まれている。
見物人の間を巧みにすり抜けて、北斎や出羽守らの近くに陣取った。
江戸では、音羽の護国寺での大画即書以来の大仕事である。
「二十余年ぶりの大達磨図でござい。とくと御覧じろ」
北斎は得意げに声を張り上げた。
老人とは思えぬ溌剌とした声音だった。
「よう、千両役者」
「日本一」
観客のあちこちからかけ声がかかり、招致した出羽守は満足げに何度も頷いた。
「ではお願い申す」
采女の言葉で太鼓が打ち鳴らされ、いよいよ大画即書が始まった。
北斎は若者のごとく背筋をしゃんと伸ばし、米俵五個分の藁で作った大筆を巧みに操る。
数刻かけて描くのだが、観客には、大き過ぎてなにを描いているかすらわからなかった。
藁箒の柄を長くして端に石をつけ下げ、柄を肩にかけて描いていく。
善次郎を筆頭に、袴を履いて襷がけした弟子が数人、阿吽の呼吸で北斎を手伝う。
今日のお栄は絵描きの手伝いではなかった。
目一杯着飾って、絶世の美女に変じている。
「出羽守さまにまたもお目にかかれるとは嬉しゅうござんす」
北斎が描く様子を、逐一、解説する名目で出羽守の側にはべっていた。
「嬉しいとな。そうであろう、そうであろう」
上機嫌な出羽守は、北斎の画よりも明らかにお栄に関心がある様子だった。
「無礼講じゃ、無礼講じゃ」
古風な盃に酒を注がせてお栄にも勧めた。
お栄はうわばみのように酒に強い。
盃重ねるうちに出羽守だけが、すっかり酔ってしまった。
「この前におっしゃっていた名刀とやらはもうお手になすったのですかい」
「いやまだじゃ。仲立ちしておった商人が突然の病で身罷ったゆえ、少々縁起が悪い気がしての。初七日を過ぎるまで日延べさせたのじゃ」
「代わりのかたが、お屋敷まで持参されるのですかい」
「そうではない。たいそう値が張ったゆえ、大っぴらに受け渡しできぬのじゃ。屋敷うちでは、緊縮を迫りおる五月蠅い家臣どもがおるゆえ、たいそう難儀なのじゃ」
「じゃあいったいどこで……」
「そのような話はどうでもよいではないか。ほれ見てみい」
出羽守は顎をしゃくって北斎をさした。
画は間もなく仕上がる。
皆が固唾を吞んで見守っている。
沈黙が訪れた。
北斎と大筆が一体となって舞を舞う。
魂を込めて描く。
心は無だ。
惹きつけられた崎十郎は、北斎の筆さばきから目が離せなくなった。
「む!」
突如、射るような視線を感じた。
右膳が群衆の向こう側からじっと見詰めている。
背後に平太の姿も見えた。
右膳が動いた。
平太らにも緊張が走る。
右膳が手振りで、反対側から囲めと指示を出した。
平太と下っ引きふたりがこちらに向かってくる。
(まずい)
人混みをかきわけて逃げた。
そのときだった。
「描き上がってござい」
善次郎が動いた。
完成された画を持って櫓に走る。
お栄が立ち上がって、
「さあ、なにが描けたか、ご覧じろ」と、腹に力を籠めた大声で見物人に呼びかけた。
見物人が大波となって櫓へ押し寄せる。
崎十郎も波に紛れて動く。
櫓の頂上から、大画が、はらりと広げられて見物人の眼前に披露された。
ようやく達磨図だと知った群衆からどっと歓声が上がり、さらに近くで見ようと櫓に詰め寄る。
右膳らとの間に群衆の大きな渦ができた。
「どけ、どかぬか」
右膳の叱咤は群衆のどよめきにかき消される。
「ざまあみやがれ」
群衆をかき分ける右膳を尻目に、崎十郎は、無事、境内をあとにした。
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