生人形師喜三郎が駆ける

CHIHARU

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7   黛の面影が、人形道の遍路路の〝同行二人〟に

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「ちいと、こちらでお休みなんし」
 黛は、喜三郎の後ろから、肩に手をやり、隣の部屋を指さした。

 暖かな吐息が耳をくすぐる。
 喜三郎は、操られるように、矢立に筆を収めた。
 黛が、喜三郎の手を取って立たせ、奥の部屋へと導く。

 朝まで小日向屋と戯れていた名残か。
 屏風の隙間から、敷かれたままの夜具が見えた。
 五枚重ねの布団が仰々しく、かつ、艶めかしい。

「俺は、遊びに来たわけじゃねえ。小日向屋さんに、申し開きが立たねえ」
 喜三郎は、懸命に踏みとどまった。

「小日向屋さんとは、確かに〝床に入り〟やんすが、わっちの親と信じておられるゆえ、いつもただ眠るだけなんし」
 黛の瞳は真っ直ぐで、一点の曇りもなかった。

「どういうこってえ」
 声が、思わず知らず裏返る。
 自身の心の卑しさに、恥じ入り、身体が熱くなる。

「せめて、骨休めをさせてやりたいとの親心なんし」
 小日向屋が、金に執着した裏には、色恋沙汰ではなく、純粋な親心があった。

 あんまりじゃねえか。
 小日向屋さんが気の毒でぇ。

 小日向屋の真心を利用する黛の罪は重い。

 今すぐ、小日向屋に真実をぶちまけてやると、息巻いたが……。

「けど、わっちゃ、心苦しうてならぬなんし」
 黛の長い睫毛が揺れた。

「わっちを〝年季奉公〟に出した親が、実の親と、わっちは信じておりやすが。大鳥なるお人は、わっちの生まれた同じ頃、ややこを産んで亡くなったとか。本当は大鳥の子で、親と信じる夫婦みょうとに里子に出されたかも知れぬなんし。七つで別れたきりの親に、いまさら確かめるすべもないなんし」
 憂いの色が、黛を染め上げる。 

「確かでない話を、上手い具合に繕うて、信じるよう仕向けたのは、佐野槌屋のかかさんなんし。嘘とも言えず、確かとも言えず……。騙しているような、真は真のようなで、わっちゃは苦しゅうて苦ししゅうて」

「そ、そうだったのかい」

 真実は霧の中にある。
 黛に罪はない。
 

「花魁は、お客を慰めるのが、仕事なんし。亡くなりんしたお美代ちゃんに代わって、小日向屋さんを慰めるは、わっちには、無上の喜びなんし。けんど、花魁遊びは、大きなお金が絡むなんし。孝行のつもりが、却って不孝になるなんし」

「女郎にとっちゃ、小日向屋さんは、金は落として手は出さぬ、最上級の粋客だろうがな」

 絡まり合った矛盾の糸に、苦笑いするしかなかった。

「この話は、うちうちの内証なんし」
 黛は、小ぶりだが肉厚な真朱の唇に、人差し指を当てた。

「お話を聞かせてくだすって、ありがとうございます。この話は、決して口外するもんじゃござんせん」

「ぬしさまには、助けていただいた御恩があるなんし。小日向屋さんは、わっちの気の済むようにせいとお言いなんした。わっちは女郎。わっちには、これしかお礼のすべはないなんし。遠慮は無用なんし」

 黛は、額仕立、天鵞絨の五ツ布団に誘った。
 強い瞳に、喜三郎の目がくらむ。

 小日向屋は、絵に描き写すだけでなく、黛と和合することを承知している。
 黛の全てを知って欲しいと思っている。
 小日向屋の配慮が有難く、同じ高みを目指す同志だったと、いまさら気付いた。

 だが、観音さまを抱くことはできない。

 いや、抱かれて、救済されるべきなのだろうか。
 心が揺れる。

 抱きたい。

 だが……。
 喜三郎は煩悶した。





 年が明け、浅草奥山で、初春興行が始まった。

 黛の美談の当て込みは、大当たりである。
 興行前から、絵師たちが何人も訪れて描き写し、絵双紙屋から、何種もの錦絵が売りに出された。
 前評判も高まった。

 客が押し寄せ、何度も満員御礼の札止めになり、初日だけで、一万人、百両の入りとなりそうである。

 長蛇の列を成す観客たちは、木戸銭三十二文を払って、木戸口をくぐる。
 招き人形『近江お兼』の婀娜っぽい流し目で、大いに期待を膨らませた客たちは、一転。浅茅ヶ原一ツ家の前で、姥の形相に度肝を抜かれる。

 気分を変えて、為朝の島廻りの雄壮な奇譚に酔い、中銭を十六文、支払ってから、次なる場面へと通路を進む。

 粂の仙人が、布洗女の白い太股に迷って、空から真っ逆さまに落ちる場面に、大笑いする。
『水滸伝豪傑』の異体に驚き、さらに十六文の中銭を惜しげもなく支払って、いよいよ呼び物『吉原仮宅 内証』の場面へと向かう。

 しつらえられた桟敷に客たちが座ると、場面の前に下ろされていた幕が開く。

『吉原仮宅』の黛人形は、女髪結いに髪を結わせながら、誇らしげに見得を切って、観客を魅了している。

 喜三郎は、当初の構想通り、黛の上半身を顕わにした。
 男の卑しい歓心を誘うためでなく、類い希な柔肌を見せたいがためだった。

 あまからや庄助が、桟敷の客に向かって、名調子を唸る。
 黛や、廓の番頭、その他、男女の声色を七色に使い分け、その場に居合わせるかのように再現している。


「このぶんなら、百五十日間でも興行が続けられそうだな」

 次の興行ではもっと客を楽しませたい。
 驚かせたい。
 魅了したい。
 喜三郎の夢は広がった。

 むろん、悔いも残った。
 やり残した心持ちは、次へ持ち越しとなった。

「黛の、あの肌の微妙な色が、どうしても出せなかった。何日も寝ずに、肌の色の調合に励んだんだが」
 人の表面に塗る胡粉は、貝殻を焼いて作った白色粉末である。

 胡粉に日本画の基本顔料を溶かして肌の色を工夫する。
 霧吹きのやりかたで巧みに蒔くと、自然な人肌に仕上がる……はずだが、いつものようにはいかなかった。

「あの色艶に、柔らかさ、滑らかさ。人じゃねえからこそ、あんな綺麗な肌なのか……」

 黛を初めて見たとき、過剰に反発を感じたのも、好意を抱いていた裏返しと、今は了知していた。
 小日向屋との仲を〝邪推〟したのも、お門違いの嫉妬ゆえだった。

「きっと、いつか、もっともっと腕を磨き、ほんとうの黛の肌を生人形に写してみせる」
 誓いを胸に秘め、精進を期した。

 二度と、この世で黛と会うことはないだろう。
 喜三郎は、黛と会うことを自ら禁じた。

 観音は観音のまま、美しく心に止めておきたかった。
 いや、〝信心〟が深まり、度を超す愚かさが怖かったのかも知れない。
 
 黛の姿は、生涯、目に焼き付いて離れはしない。
 お遍路に、弘法大師が付き添うように、黛の面影が、人形道の遍路路を辿る〝同行二人〟となった。
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